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5巻

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   第一章 朝食には丁度良い量でした


 業火宮ごうかきゅうの二階のバルコニーでジュリアス様とお話しをした後。
 屋内に戻った私――スカーレットは、寝室に戻るために人気のない廊下を歩いていました。
 すると廊下の壁際の床に、長い赤髪をおさげにした子供が横たわっているのを見つけます。

「……レックス?」

 そこにいたのは体を丸めて眠っているレックスでした。

「こんなところで寝ていたら、風邪を引いてしまいますよ?」

 近くでしゃがみこみ話しかけてみますが、起きる気配はありません。こんな時間に人気のなくなった廊下で、どうして一人で寝ていたのでしょう。
 もしかして私を待っていてくれたのでしょうか。

「……ごめんなさいね。すぐにパリスタンに連れて帰るつもりだったのに」

 元々私がここヴァンキッシュ帝国にやってきた目的――それは、レックスが発症してしまった低地病ていちびょうを治療するためでした。
 竜人族のヘカーテ様いわく、低地病ていちびょうとは飛竜が大地に留まれないように、いにしえから種族すべてに掛けられた呪いのようなもので、治す方法はたった一つ。“心臓の誓い”という、誓約を結んだ竜と人間の命を共有化する竜人族に伝わる秘術ひじゅつのみとのことでした。
 しかしこの秘術ひじゅつには大きな代償があり、それは――

「――どちらかが死ねば、魂で繋がっている片側も即座に死に至る、でしたか」

 長く生きたところで精々が八十年の寿命しか持たない人間である私が死んだ時、千年以上もの時を生きる竜人族のレックスも同時に死んでしまう。
 そんな片側だけの命を大幅に擦り減らす残酷な方法は、たとえレックスが承諾したとしても絶対に頷けません。

「大丈夫。きっと他にも治療する方法はあるはずです」

 小さなレックスの身体を背負って立ち上がります。
 たとえこの国に治療法がないとしても、私はいつか絶対にこの子を家に連れ帰ります。

「レックス、貴方は私の……いえ、ヴァンディミオン家の大切な家族なのですから」

 そんなことを考えながら廊下をしばらく歩いていると、途中で侍女じじょの方に出会いました。彼女から来客用の寝室の場所を聞いた私は、レックスをその部屋に連れて行き、ベッドに寝かせます。

「おやすみなさいませ」

 幸せそうに寝息を立てるレックスの頬を撫でてから私は寝室を後にしました。
 自分の寝室までは少し遠回りになってしまいましたが、歩きながら考え事もしたかったので丁度良かったですわね。
 なにしろヴァンキッシュに来てから今に至るまでの数日間は、あまりにも濃密で自分の考えをまとめる暇もありませんでしたから。そうやって今までのことを頭の中で整理していますと――

「あら、あそこにいらっしゃるのは――」

 廊下の曲がり角を曲がったところで、通路の一番奥にレオお兄様とシグルド様が見えました。
 お二方共、真剣な表情をしている様子から見るに、明日以降に起こりうる出来事への対処や今後の方針を話し合っているのでしょう。

「ヴァンキッシュに来てからも、レオお兄様とシグルド様は気苦労が絶えなそうですわね」

 私よりも先に、ジュリアス様と共にヴァンキッシュに入国していたレオお兄様やシグルド様の目的は、皇位を争うアルフレイム様を援護するためでした。
 パリスタンという後ろ盾があるからか、特に策もないのにもかかわらず自分が皇位を継ぐのが当然だと信じて疑わないアルフレイム様。
 そんな彼とは対照的に、皇位を狙う気満々の明らかに曲者くせものぞろいの後継者候補――アルフレイム様の弟フランメ様、軍師将軍ヴァルガヌス様、近衛兵団長イフリーテ様。
 彼らを出し抜いてアルフレイム様が皇位に就くなど容易な事ではなく、顔合わせをした時の険悪な様子からただ事では済まないだろうと予測していた私達でしたが、その懸念は見事に的中。

「バーン陛下……まさか私と手合わせした翌日に、あんなことになるなんて」

 私達と会談した翌日に起こった、皇帝バーン陛下の不審な病死。
 明らかに捏造ねつぞうされたバーン陛下の遺書による、フランメ様の皇帝即位。
 さらにヴァルガヌス様の協力者である、ファルコニアの蒼天翼獣騎兵団そうてんよくじゅうきへいだんの襲撃と。
 私達は立て続けに後継者争いを巡る諍いに巻き込まれることとなりました。

「まさか武力こそが至高と思われていたヴァンキッシュで、このような謀略ぼうりゃくに巻き込まれるなんて思いもしませんでしたわ。まあそのおかげで、襲ってくるお肉をブン殴る機会には事欠かなかったわけですが」

 その後、バーン陛下の死やフランメ様の即位は、ヴァルガヌス様とイフリーテ様二人の策略だったことが判明します。
 それによりお二方は、アルフレイム様側に立つ私達にとって倒すべき敵であり、私にブン殴られるお肉として認定されることとなったのでした。
 そんな中で、ジュリアス様の片腕として扱き使われていたレオお兄様とシグルド様は、心休まる暇などほとんどなかったことでしょう。

「話し合いが大事なのは分かりますが、今夜くらいはゆっくりと休んでいただきたいものですわね」

 やって来た曲がり角を戻った私は、お二方には顔を合わせずに遠回りで自分の寝室に向かうことにしました。ここで私が姿を見せたら心配性のお二方はきっと、こんな夜に出歩いているなんてまた何かしでかすのでは? と、気になってしまうでしょうから。

「……またバルコニーに戻ってきてしまいましたか」

 夜空が広がる二階のバルコニーには、すでにジュリアス様のお姿はありませんでした。少し面倒ですが、先程とは逆側のバルコニーの出口から寝室を目指しましょう。
 そう思いながらバルコニーを歩いていると、ふと。
 通りがかりに地上の庭の様子が目に入りました。そこにはアルフレイム様が率いる紅天竜騎兵団の中でも特に信頼が置かれている四人の方々――ジン様、ノア様、ランディ様、ジェイク様の通称紅の四騎士が、なにやら立ち話をされています。

「先のイフリーテ様との戦いの時は、あの方々が味方で本当に助かりましたね」

 まだヴァルガヌス様とイフリーテ様がバーン陛下の死の首謀者だと判明する少し前。
 ナナカの内偵により、お二方が仲違いをしたという情報を入手した私達は、近衛兵団の詰所にこもっているイフリーテ様に事情を聴くため、殴り込みをかけました。
 敵方に対して圧倒的に戦力が心もとない私達でしたが、アルフレイム様と共について来てくれた四騎士の方々はその名に恥じぬ武勇で、戦線を支えて下さいました。

「結局おしゃべりクソ野郎、ヴァルガヌス様の増援が現れて退却することになりましたが」

 その後、私達が戦って疲弊したタイミングで現れたヴァルガヌス様は、イフリーテ様ごと私達を消そうと兵を仕向けてきます。
 全員が魔力も加護もほとんど消費し、アルフレイム様が重傷を負う中、なんとかここ業火宮ごうかきゅうに帰ってこれたのは間違いなく、彼らの功績あってのことでしょう。

「感謝いたします、四騎士の皆様。どうかこの戦いが終わるまで、ご無事であられますように」

 こちらに気づいていない彼らに会釈えしゃくをしてから、バルコニーを後にします。
 屋内に戻った私は遠回りで廊下を行き、ようやく業火宮ごうかきゅうの建物の入口がある中央の広間に戻ってきました。入口のドアの前には王族の衣服をまとった赤髪の殿方が立っていて、彼は私に気づくと笑みを浮かべて会釈えしゃくをします。

「こんばんは、スカーレット様。このようなお時間にお一人で、どうなされましたか?」
「ごきげんよう、フランメ様。少し考え事がしたくて夜風を浴びていましたの」

 アルフレイム様と同じヴァンキッシュ王家の血を引きながらも、荒々しい雰囲気を感じさせず柔和な表情を浮かべているこの方こそ、謀略ぼうりゃくの末に皇帝に担ぎ上げられてしまった第二皇子、フランメ・レア・ヴァンキッシュ様その人でした。

「そうでしたか。ヴァンキッシュの夜は冷えますから、外に出られる時はどうか暖かいお召物を羽織られますように」
「お気遣い感謝致しますわ」

 私達がイフリーテ様から事情を聴きに、近衛兵団の詰所に乗り込もうとしていた頃。
 フランメ様はヴァルガヌス様の手によって皇宮に囚われておりました。
 その後、詰所に乗り込んだ私達を殺すため、ヴァルガヌス様は皇宮を離れます。その隙にジュリアス様はレオお兄様と守りが手薄になった皇宮に乗り込み、なんとかフランメ様を救い出すことに成功したのでした。

「フランメ様の方こそ、お体の調子は大丈夫でしょうか。監禁されていた時に何か危害を加えられるようなことはありませんでしたか?」
「お気遣い痛み入ります。私には傷一つありませんよ。彼らは私を懐柔かいじゅうして都合の良い傀儡かいらいとするために、とても丁重に扱ってきましたから。ですが、たとえ厚遇を受けたからといって、彼らが犯した罪を許すつもりは一切ありません」

 つい数時間前、救い出されて業火宮ごうかきゅうまでやってきたフランメ様は、皆様の前で宣言されました。
 現皇帝として、ヴァルガヌスの野望を阻止することに尽力すると。
 これによりヴァルガヌス様は、完全に皇宮で孤立し、最早追い詰められたネズミ……いえ、追い詰められた悪党クズも同然となりました。
 つまり、私がムカつくヴァルガヌス様をブン殴るための障害は、最早なきに等しいということです。ああ、皇宮に突入する時が待ちきれませんわ……!

「ええ。世のため人のため、共に悪逆の徒であるヴァルガヌス様を成敗しにまいりましょう」
「はい! どうかその際にはお力添えの方を、よろしくお願い致します!」

 私の答えに力強く頷いたフランメ様は、まだ皇帝としてやることが残っているそうで「おやすみなさいませ。良い夜を」と告げて、そのままドアから外へと出て行かれました。
 さあ、私も早々に寝室に戻りましょう。疲れを残していたら、いざクズを殴って気持ちよくなろうという時に思い切り殴れませんからね。

「……やっと帰って来たか」

 丁度私の寝室が見える廊下を歩いている時でした。
 部屋の前に立っていた黒髪の少年――ナナカが、私の方に歩いてきます。

「遅かったな。どこに行ってたんだ?」
「夜の散歩ですわ」

 私の答えにスン、と鼻を鳴らし眉をひそめるナナカ。
 勘の良いこの子のことですから私の嘘を見抜いてしまったでしょうか。
 “心臓の誓い”のことは、できればまだ誰にも知られたくないのですが。

「……別になんでもいいんだけどさ。調子悪そうだったし、早めに休んだ方がいいんじゃないか?」

 ナナカがそっぽを向きながらそう言いました。
 この子が心配するのも無理はありません。
 それは近衛兵団の詰所に乗り込んだ時のことでした。イフリーテ様との戦いの最中、私はとある理由により突然加護が使えなくなり、気を失う寸前まで消耗してしまったのです。
 今は回復したとはいえ、その時の私の有様を見ていたナナカとしては、こうして大して休まずに歩き回っている姿を見るのは気が気ではないことでしょう。

「そうですわね。今日はもう、すぐ床に就きますわ」

 そう答えると、ナナカは納得したのか「ん」と頷き、レオお兄様に呼ばれているからと言ってその場を去って行きました。

「心配をかけてごめんなさいね。でも、もうあの時のように不甲斐ない姿は晒しませんわ」

 寝室のドアを開けて部屋に入ります。
 暗い部屋の窓からは月明りが差し込み、テーブルの上に置かれた黒い手袋を明るく照らし出していました。


 それはただ人を殴るためだけの物ではなく、とある方との絆にもなっていた思い出の品です。

「……グラハール先生。まさかお会いできるなんて思ってもいませんでした」

 幼い頃、ヴァンディミオン邸に一週間だけ家庭教師に来て、私に様々なことを教えてくれたグラハール先生。この手袋の元々の持ち主でもあるその方と私は、このヴァンキッシュで思いもよらぬ再会をすることとなりました。

「ふふ。本当に先生は、いつも突然現れますわね。それも私が困っている時に限って」

 イフリーテ様との戦いの最中、詰所に現れたヴァルガヌス様の増援により追い詰められた私達が、絶体絶命の危機に陥った時。
 先生は突然現れて、専門科目だというその圧倒的な暴力で私達を救って下さいました。 
 しかもどのような手段を用いたのか、原因不明で使えなくなっていた私の加護の力まで復活させて下さったのです。さすがはグラハール先生ですわ。

「そんな先生が魔族だなんて、私には信じられません」

 皆様の話によればグラハール先生は魔族で、しかも“白夜びゃくやの君”と呼ばれる神にも匹敵する強大な力を持つ悪魔の疑いがあるのだとか。
 実際、一週間家庭教師に来ただけの先生について、知っていることなんて私にはほとんどありません。ですが――

「世のため人のためにクズをブン殴るという素晴らしい教えを私に下さった、人生の師とも言えるグラハール先生。そんな方がこの大陸の人々を苦しめている魔族だなんて、ありえませんわ。それを言うのであれば――」

 ヴァンキッシュ帝国に来てから、ことあるごとに私の前に現れる黒ずくめのローブの男。
 私に魔眼まがんなる怪しい力を与えては、意味深なことを示唆しさして去って行くあの方こそ。魔族と呼ぶにふさわしいよこしまな存在なのではないのでしょうか。
 グラハール先生いわく、私が加護を一時的に使えなくなったのも、魔に魅入られて神に嫌われたせいとのことでしたし。

「また加護を失わないためにも、もう二度とあんな怪しい力に頼らないようにしませんとね」

 寝間着に着替えた私はベッドに横になり、目を閉じました。
 ――竜が住まう国、ヴァンキッシュ帝国。
 竜人族の子レックスの病から始まり、皇帝の座を巡る皇位継承戦に、暗躍あんやくする魔族の影。
 様々な人との出会いや事件を経て、最後に舞台に残ったのは黒幕のヴァルガヌス様一人のみ。
 後は彼をブン殴ってスカッと終幕フィナーレ――といけば良いのですが。

「たとえ一筋縄ではいかない明日が来ようとも、私が決着をつけますわ――この拳で」


 翌日の朝。
 二日目となる業火宮ごうかきゅうでの目覚めを迎えた私は、侍女じじょの方々が来る前に自分で身支度を始めました。
 なにしろいつヴァルガヌス様の兵が攻め込んでくるかも分からない状況ですからね。
 自分でできることは自分でやらなくては。

「やはりいつものドレスが一番落ち着きますわね」

 鏡に向かい合い、一人で終わらせた身支度に落ち度がないか確認します。
 着ているのはパリスタンから持ってきたお気に入りの赤いドレス。
 魔道具というわけでもなく、職人の方に仕立てていただいた至って普通の服ですが、私の身体に合わせたオーダーメイドのこのドレスは、やはりどんな服よりも着心地が良く感じます。
 しかも色が深い赤のため、どれだけ悪党の返り血を浴びても目立たないという、かゆいところに手が届く憎い仕様になっているのも嬉しいところで――

『――やはり貴女には赤いドレスが一番似合うな。言ったことがあったか分からんが、私は幼い頃からずっと、その鮮血のように赤い薔薇ばらの色が好きだったんだ』

 ……爽やかな朝で気分も良かったというのに、つい思い出したくもないことを思い出してしまいました。いつだったか、私のドレスを見てジュリアス様が突然、そんなことを口走ったのです。
 その時は何を今更、と怪訝に思っていたのですが――

「……別に、同じ薔薇ばらの赤色が好きだったなんてただの偶然ですから」

 そもそも私が赤色のドレスを好んで着るようになったのは、八歳になろうかという時のことでした。
 偶然通りかかった王宮の庭園で私は、一輪の赤い薔薇ばらを見つけます。有象無象の花に埋もれることなく咲き誇るその様を見て、私は思わず「綺麗」と声を漏らしてしまいました。
 美しく気高く咲く孤高の薔薇ばら――それは私が憧れる貴族の淑女像しゅくじょぞうそのもので、この花と同じ色のドレスをまとえば、私も美しく気高い存在になれるのではないかと、子供心にそう思ったのです。
 後から聞いた話によれば、それはまだ幼かったジュリアス様が気に入って世話をしていた薔薇ばらだったようで、奇しくも私達は同じ薔薇ばらの赤色に惹かれた者同士だったというわけでした。

「たとえ今、赤いドレスを着ているからといって、貴方が好きな色に染まったつもりはありませんので」

 パリスタンでは殿方の好きな色のドレスを令嬢がまとうことは「貴方の色に染めて?」という求愛の印だという話が、噂好きの令嬢達の間で囁かれております。
 とんでもないお話ですわ。私にそのような気は毛頭ありませんので。

「……そう、これはただ私が好きで着ているだけですもの」

 言い聞かせるように言って目を閉じます。
 するとふと、ジュリアス様に抱きしめられた昨晩のことが頭をよぎりました。

『貴女を気に掛けるのは国のためだけではない』

 そう言ったジュリアス様に対して私は「いつまでもはぐらかしてはっきり想いを伝えて来ないのなら、別の方の気持ちに応えてしまいますよ?」だなんて。
 まるで恋にかまけた年頃の令嬢のようなことを口走ってしまい――

「……昨晩の私は、どうかしていましたわ」

 ……完全に八つ当たりですわね。
 レックスの“心臓の誓い”のことや、煮え切らないジュリアス様の態度に、気持ちが落ち着かず、つい取り乱してしまいました。

「反省しなければなりませんわね」

 パン、と両手で軽く頬を叩きます。
 気持ちを切り替えましょう。今日は楽しい楽しい私だけの祝日、そう――撲殺ぼくさつの日ですから。

「さあ、今日は溜まった鬱憤うっぷんをスカッと晴らさせていただきますわよ」

 シュッシュッと拳を素振りします。
 アルフレイム様が目覚め次第、ヴァルガヌス様を捕らえるために皇宮に乗り込むとのことでしたので、今日はおそらく敵側にいるたくさんの兵士のお肉を殴ることになるでしょう。
 自国の兵士同士の争いを避けるために、交戦前にフランメ様が皇帝としてヴァルガヌス様の陣営に投降とうこうを呼びかけるとのことでしたが、あの方がそれで引き下がるとは到底思えません。
 というか、引き下がられては誰も殴れないので困ります。私が。

「私の期待を裏切らないでくださいね、ヴァルガヌス様」

 素振りを終えた私は部屋のドアに向かいます。
 朝の作戦会議をすると言っていた時間にはまだ少し早いので……そうですわね。昨夜から寝ずの番をしてくれていた紅天竜騎兵団の方々に、感謝と労いの気持ちを伝えに行くとしましょうか。
 と、そんなことを思いながらドアを開けて廊下に出ると、そこには――

「あら」

 人化したレックスが、どこか物憂げな表情をしてうつむきながら立っていました。
 一瞬、昨晩の〝心臓の誓い〟のことが頭をよぎります。
 ですが私はそれを飲み込んで、素知らぬフリをして微笑みかけました。

「ごきげんよう、レックス。どうしたのですか、こんな朝早くに」

 レックスはおそるおそるといった様子で上目遣いに私を見上げてきます。
 何かを私に伝えたいけれど、言い出せない。そんな様子です。

「……あのね、マスター。ボク、ボクね……」
「はい」

 レックスの両手を優しく握ります。
 強張っていた小さな手が柔らかく解れるまで、私は何も言わずに彼が話し出すのを待ちました。

「ボク……マスターに伝えたいことがあるんだ」

 レックスが顔を上げて私の目を見つめてきます。
 不安そうな表情を浮かべながらも、その瞳には覚悟を決めた者の決意がハッキリと宿っていました。

「昨日の夜ね、ボク、聞いちゃったんだ。ヘカーテとスカーレットが話していた、心臓の――」

 その言葉をレックスが口にしようとした次の瞬間。
 突然宮の外から、殿方の大きな声が響き渡ってきました。

「誰か門まで来てくれ! 外が大変なことになっているぞ!」

 その声にレックスがハッ、と表情を引き締めます。

「マスター! 話は後だよ!」
「はい。門の方に急ぎましょう」

 レックスと共に即座に廊下に飛び出します。
 外からの声に混乱している侍女じじょの方々の横を通り過ぎ、広間から宮の外の庭に飛び出すと、そこにはすでにたくさんの人が集まっておりました。
 皆様は一様に困惑した表情をしていて、人垣になっていて私達からは見えない門の方を見ているようです。敵襲……にしては、緊迫とした様子ではありませんし、一体何が起こっているのでしょう。

「スカーレット!」

 前方の人垣から抜け出したナナカがこちらに駆け寄ってきます。
 ヴァルガヌス様の動きを監視するために皇宮の方に偵察に出ていたナナカが戻ってきている、ということは。やはりそちらの方で何かあったということでしょうか。

「門の外で一体何が起こっているのですか?」

 私の問いにナナカは周囲の方々と同じく、眉をひそめて困った表情で答えました。

「皇宮の周辺で張り込んでいたら帝都の方がやけに騒がしくて、何かと思って様子を見に行ったんだ。そしたら――」
「――どうか落ち着いて下さい皆さん! 我々はそのようなことを望んでいません!」


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