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2巻
2-1
しおりを挟むプロローグ
「ぼく、あくやくれいそくだ」
赤ちゃんの泣き声が聞こえると同時になだれ込んできたのは、七海として生きた前世の記憶だった。
前世の僕は先天性の病を抱えていて、家や病院のベッドの上で過ごすことが大半。薬の副作用がきつくてあまり食べられないから、中学三年生なのに体は細くて小さかった。
そんな僕の生活は結構苦しいものではあったけど、二歳年下の弟、優斗の存在が何よりの癒しだった。
だけどあの日、偶然彼の本当の気持ちを聞いてしまったんだ。
それは優斗が特別張り切っていたバスケの試合の日。僕が高熱を出したせいで両親は応援に行くことができなかった。
『いつもいつも七海のことばっか。俺のことはどうだっていいのかよ? 七海なんていなければよかったのに!!』
扉の向こうから聞こえてきた優斗の言葉には、ずっと我慢していた彼の辛く寂しい想いが詰まっているような気がした。
(そうだ、僕のせいだ。もっと早くこうすればよかった)
その日から僕は薬を飲むのをやめ、優斗の前から消えることにした。
彼がお父さん、お母さんと過ごすはずだった大切な時間。
僕が優斗から奪ってしまったものを全部返して、それで終わりだと思っていたのに──
なぜか僕は、優斗がハマっていたBLゲーム『虹の海』の世界に転生していた!
──で、冒頭のセリフに戻る。
その時僕を取り囲んでいた、専属執事のルゥ、料理長のベンス、家庭教師のセントラは突然零れた謎の言葉にピシッと固まっていたっけ。まぁそりゃそうだよね。気を失って目覚めた直後の五歳児がそんなことを言い出せば、こいつ大丈夫か? と思われても無理はない。
よりにもよって『悪役令息』に転生なんて、ちょっと泣きたい気分だけれど、一つうれしかったのは転生先にも弟がいたこと。
噴水の縁によじ登って、初めて見た弟の可愛さと言ったらもう!
ピンクゴールドの髪の毛はふわふわしていて、ピンクの瞳はくりくりしていて、まるで天使みたいだった!
忌み嫌われる黒髪に、金の瞳を持つ僕の容姿とは正反対。なんせ主人公と悪役令息だから、見た目に差があるのは仕方がないとは思うけど……
(ううん、違いは見た目だけじゃなかったな)
弟のユジンは性格も天使で、火と光の尊い属性を持っていて、魔力量も多くみんなに愛されているのに対し、僕はというと、放置されて育ったからか性格は我儘で、水と闇という悪役属性を持ち、しかも魔力の量はショボショボ、みんなには蛇蝎のごとく嫌われていて……兄弟なのに全てにおいて違っている。
あ、でも。魔力の量が鑑定できないだけで、厳密に言うと、僕のお腹の中には膨大な『闇の魔力』があるという。
とはいえ闇の魔力は『妖精との契約』ができるまで使えないそうで、その契約が済んでいないから、今のところ持っていても意味はない。それもただ無意味なだけじゃなく、負の感情を持った時にお腹がちくちくするのは、この闇の魔力が原因だというから最悪だよね。
しかもこのままいけば六年後には、溜まりすぎた闇の魔力が暴発して僕は死ぬらしい。
(ってそんなバカな!! さすがにハードモードすぎるでしょ!)
思わず突っ込みたくなるくらい酷い状況ではあるものの、六年後なら『悪役令息の使命』はギリギリ達成できそうなのが救いではある。
(え、悪役令息の使命って何かって?)
それは主人公をいじめて、攻略対象者との仲を邪魔することで二人の恋を燃え上がらせ、最終的に自分は悪役として処分されることだよ!
『虹の海』、通称『ニジウミ』では主人公のユジンが攻略対象者と関係を深めていき、そのうちの誰かと結ばれるとハッピーエンドとなる。クライス、ロイル、ギア、リオン、ノエルの五人の攻略対象者はいずれもハイスペックで超イケメンだ。
その中でも、ユジンとクライスが結ばれる『クライスルート』がイチオシだと優斗は言っていた。
可愛い天使の弟を一番の幸せルートに導くこと。
それが僕の使命。
もう前世のような失敗はしない。
──弟の役に立って、今世こそいいお兄ちゃんになるの。
と、やる気は満々なのだけど、ゲームをまともにプレイしていないから、ストーリーがうろ覚えなのが困ったところ。
優斗がしてくれたゲームの話もBLのあれやこれやに疎い僕には知らないワードが多すぎて、ほとんど聞き流してしまっていた。もっとちゃんと聞いておけばと悔やまれるけど、それは後の祭りというやつで。こうなったら、わかる知識を総動員してやっていくしかない。
中でも重要なのは自分のキャラ、『キルナ=フェルライト』についての情報だ。
(えーと、クライスルートのキルナは確か……)
婚約者であるクライスにバカみたいに執着して、クライスに近づく親衛隊を、『呪いのフィンガーブレスレット』を使って排除していた。
そして、六年生になりユジンが入学してくると、クライスに好意を持たれ可愛がられる彼に嫉妬し、いじめまくって、恋愛イベントの邪魔をする。もちろんそれは逆効果となり二人の仲は着々と深まり……荒れ狂ったキルナは色々とやらかして卒業パーティーの時に断罪され、ついには婚約破棄される、んだったよね?
細かいことは忘れてしまったものの、大まかなキャラ設定とストーリーの流れはわかっているし、なんとかなるはず。できるだけゲームのキルナと同じ行動をしよう!
そう考えた僕は、学園ではとにかくクライスをストーカーしまくる『執着系悪役男子』としてやっていく計画を立てた。
ところが実際にやってみると、なかなかうまくいかなくて……
というのも、メインヒーローであるクライス=アステリアが、ゲーム通りに動いてくれないから。
ゲームではキルナのことが大嫌いで、キルナが執着すればするほど彼は嫌がって逃げ回っていたはずなのに、リアルのクライスは僕がくっつくと、逃げるどころかもっとくっついてきて、こっちの方が逃げ腰になってしまう。
しかもクライスは、どんなにピンチになっても必ず助けてくれて、優しくしてくれて、僕のことを甘やかしてばっかり。
……おかげで僕は今、イメージしていた悪役ライフとはかけ離れた生活を送っている。
それでもなんとかストーリー通りに進めようと、悪役仲間であるニール、カリム、トリムの三人組に近づいた。
三人はアレンをいじめている最中だった。
さっさとアレンを逃がして彼らと友達になろうとした僕。しかし、ニールの火魔法が急に大蛇の姿になって暴れ出し、それどころじゃなくなってしまう。
ニールが大蛇をアレンの方に向けた時、とっさに僕は階段を駆け下りアレンを庇っていた。
迫り来る紅蓮の炎を前に正直「もう無理だ」って諦めかけていたんだけど、日頃の行いがよかったのかな? ……いや、それはないか。悪役だし。
なんにせよ、奇跡が起きた。
なんと、いつの間にか周囲を取り囲んでいた水の結界のおかげで助かったのだ。
アレンはそれが僕の魔法だと誤解していたけれど、おそらく左手の魔道具が偶然発動しただけだと思う。
(でも後でそれは違うとクライスに言われたから、実際どうなのだろ?)
ただ、無傷とはいかなかった。どうやら階段を下りた時に捻挫してしまったらしい。
それをクライスに伝えるべきか悩んだ末……僕はあえて秘密にすることにした。怪我について話せば、隠しておきたい魔道具のことも芋蔓式にバレてしまうんじゃないかと思ったから。
足は薬草を使って自分で手当てしたものの効果はなく、翌日痛みが引かないまま学園へ。
途中まではいい感じに隠し通せていたのだけど、最後に一番懸念していた剣術の授業の時間がやってきた。素振りではうまいこと言い訳をしてブランとペアになるも、右足首の痛みはどんどん酷くなっていき……結果クライスに全部バレた。
怪我のことも、事件のことも、左手の魔道具のことも。
そしてクライスに隠し事をしていたせいで、お仕置きが確定した。
お仕置き内容は『一日中クライスから離れないこと』。
ソファに座ったクライスの膝の上に座らされ、その後はベッドで一緒に寝るように促され、極めつけに『心配かけてごめんなさいのキス』を要求され……!?
(いやいや、さすがに横暴すぎるよ!!)
って思ったのだけど、それは言わなかった。
だって、クライスが泣いていたから。
僕を心配して、僕のために泣いてくれているのだとわかると、じん……って胸の奥が温かくなる。
彼の涙を止めたくて、僕はそっと口づけをした。
プライマーの紅茶みたいに、ほんのり甘酸っぱいキス。
そうしてそのまま僕たちは一緒に眠ったのだった。
第一章 婚約破棄されそうな悪役令息
(ふわあああ! な、なんでクライスがこんな近くに!?)
すぐ目の前にハイパーイケメン様のどアップって、寝起きには眩しすぎる……
うはぁ、まぶしっと目を細めていると、「キルナ、起きたのか」と、そのイケメンが抱き枕みたいに僕の体を抱きしめた。
「ってクライス! 先に起きていたのならちょっと離れて! びっくりするじゃない!」
形のいい彼の唇を見て、僕は寝る前にしたキスのことを思い出し、ぼぼぼぼっと顔を赤くした。
ああ、なんてことをしたのだろう。いくらクライスが泣いていて動揺したからって、あんな、自分からキ、キスするなんて!!
「もうもうもう、僕お嫁に行けない!」
「何を言っている? お前の嫁ぎ先は俺のところと決まっているんだ。心配ない」
羞恥のあまり思わず変なことを言ってしまった僕に、真顔でもっと意味不明な返答をしてくるクライス。ただでさえ熱い顔がさらに熱くなるからもう黙っててほしい。
「あのね、僕今考え中なの! 頭の中を整理したいから、とりあえず離してってば」
王子様に絡みつかれている状態じゃ、まともに思考が働かない。
「ダメだ。今日はずっと一緒だと約束した」
「ええ!? まだそれ続いてたの? ん~もういつまでが今日なの!? 一体今何時!?」
僕の頭はまだまだパニック中な上、変な時間に寝たせいで今が何時なのかもわからない。時計を見ようにも、クライスは僕をぎゅうっと抱いたまま離してくれないし。
「今は二十一時。起きるか?」
こんなにずっとくっついてたらドキドキしすぎて死んじゃうから、もう起きる!! それに……今日の分の宿題だってまだやってない。
「起きて宿題するよ。嫌だけど……」
のそのそとベッドから出た僕は水を飲みにキッチンに行った。ん? 冷蔵庫に水がない。全部飲んじゃったみたいだ。いつもはクライスがいつの間にか買ってきてくれているんだけど、今日はまだ用意できていないらしい。水道の水はおいしくないから飲みたくないし、困ったな。
こういう時、味に敏感すぎるキルナの舌はものすごく不便だと思う。七海なら問題なく飲めていたのに……
(よぅし、ないなら買いに行くしかないよね)
いそいそと寝間着を脱いで私服に着替え始めた僕を見て、クライスが訝しげな顔をしている。
「こんな時間に、どこへ行くつもりだ?」
「お水がないから買ってこようと思って」
「ああ、もうなかったか。それなら俺も行く」
「うん。あのさ、そういえばお水っていつもどこで買ってきてるの? ライン先生はこのカードキーが財布代わりになるって言っていたけど、どうやって使うのかな?」
何を隠そう、僕はまだこの学園で買い物をしたことがない。
学園内に食品売り場がいくつかあることは知っているけど行ったことがないし、そもそもこの世界の通貨を見たことすらない。
(あれ、よく考えたらこれってやばくない? どんだけ世間知らずなの? って話だよね)
「ん? キルナはまだ学園で買い物したことがなかったか。カードキーでの支払いは、普段学園外で使うカードの支払い方法とそう変わらない。いつもの動作に呪文を加えるだけだ」
えと……いつもの動作? 呪文って? もしかして前世とは全然違う払い方なのかしら。
聞いたことで逆に不安になってきた。
「あのね、ちょっと恥ずかしいんだけど、僕買い物ってクライスと昔本屋に行ったきりで、ちゃんと自分でお金を払ったことはないの。だからカードの使い方もよくわからなくて」
「え……あれきり……そうか。そうだったな。しかも本屋に行った時は俺もキルナもまだ五歳だったから支払いは使用人任せだった……あ、いや、あの時は公爵が前もって払っていたんだったか。店も全部貸切にして……それから今までずっとキルナは公爵家から出ずに、あの過保護な公爵の元で暮らしていたんだ。買い物どころか何も知らなくて当然だよな……こほんっ。──悪い、俺が気づいてもっと早く教えてやればよかった。水もそうだが、大抵のものは寮の南側にあるパレットタウンというマーケットで揃えているんだ。夜でも開いていて便利なところだから、お前も一度行って覚えておくといい。そこで色々教えてやる」
なんだかぶつぶつ言い始めたかと思えば、急に保護者みたいな物言いになったクライスにイラッとする。もしかして、あまりに僕がものを知らないからってバカにしている? しかも小さな子どもでも見るような目をしているのが、余計に腹立たしい。
(フッ、クライス君、見ているがいい。こう見えて僕には前世に培った買い物経験が……そんなにはないけどちょっとはあるのだから、一回見たらすぐにこの世界の流通システムを理解できるはず)
ぴゃぴゃっと適当に髪を整え眼鏡をかけて、クライスと一緒に買い物に向かった。行き方を覚えるため、今日は転移魔法を使わず徒歩で行くことにする。
パレットタウンには寮から歩いて三十分程度で着いた。
「ふわぁ~すごぉい! 学園内にこんな場所があるなんて!」
色とりどりの食べ物が所狭しと並べられている。見たことのない果物、見たことのない野菜、お肉、魚、山盛りの香辛料、と、熟して甘そうなポポの実!!
なんというか海外のバザールという印象。アーケードにたくさんの店が並んでいて、一日じゃ回れないくらい広そうだ。
(これぞ異世界!)
クライスはわくわくきょろきょろしている僕を引っ張って、目当ての水売り場へと連れていってくれた。手を引きながら「この時間に行けば面白いものが見られるぞ」と言うクライスに、水売り場が面白いってどういうこと? と首を捻る。
でも、行ってみたらその意味がわかった!
「えぇえええっ!! ここが水売り場!? なんで光る瓶がいっぱい浮かんでいるの!?」
「驚いたか? 浮いているのは売り物の水だ。なかなか綺麗だろ?」
クライスは悪戯に成功した、みたいな顔をして僕を見る。なんとなく彼の目論見通り驚くのは悔しい気がするけれど、星を詰め込んだようにキラキラ輝くガラス瓶がそこら中に浮かぶ光景は圧巻だった。
水を入れた瓶の底に光と浮遊の効果を持つ魔道具が仕掛けられているらしく、一本一本が発光しながら空中を漂い、ぽうっと闇の中で輝いている。これは夜だけの演出なのだって。
ここに来るまでは、この世界の買い物の仕方をしっかり見て覚えよう! と張り切っていたのに、「ほら、外でじっとしていると体が冷えるからそろそろ行くぞ」と促され、はっと我に返った時には二本の瓶がクライスの腕の中に。すでに水の購入は終わっていた。
(しまった。これじゃあ何しに来たのかわからない。せっかく世間知らず脱却のチャンスだったのに……僕のバカ!)
大事なところを見逃して項垂れる僕に、クライスは苦笑しつつ、お会計のやり方を教えてくれた。
各店に設置してある水晶玉に手で触れた後、カードキーを翳しながら短い呪文を唱え、玉がピカッと光ればそれで支払い完了らしい。
(なるほど。よかった、結構簡単で!)
「ねぇ、あの奥には何があるの?」
「あそこの区画ではちょっとした文房具や雑貨が買える。見てみるか?」
うん、と頷いて奥に入っていくと、小さな手芸店の店先に艶々と輝く金の糸を見つけた。
「この刺繍糸、キレイな金色……ね、これ買ってもいい?」
「いいが、何に使うんだ?」
「へへ、内緒」
「……また内緒か」
(やばっ、危ない!)
普段より一段低くなった声にひやりとする。そうだ、クライスの前で〝内緒〟とか〝隠し事〟とかいうワードはNGだった。
じとーっとこちらを見てくる彼に一応断っておく。
「べ、別に悪いこと考えてるんじゃないよ」
「じゃあいいが。買ってやるから貸せ」
「あ、だめだめ。これは自分で買いたいの」
といっても払うのはお父様だけど。
一度自分で支払いもしてみたいし。これは、ふふっ、内緒だけど、後でいい感じに刺繍してクライスにプレゼントしたいから、彼には払わせたくないの。
「おじさん、この糸一束ちょうだい!」
「あいよ、おっ、お目が高いね。それは品質のいい糸を作ることで有名なスンザ国から取り寄せた一品だ。高級品だぞ、払えるのか?」
「う~ん、多分……どうだろ」
心配になってちらっとクライスを見ると、余裕だ、と目で合図されたのでそのまま購入した。
お父様がどれくらいお金を持っているのか、僕には全くわからない。公爵家はお城みたいなお屋敷だし家具も高そうだからお金持ちには見えるけど、その分維持費も高そうだ。実は全部ローンです!! ってこともあるかもしれない。三十五年かけて三千五百万円返済する計画だった前世のうちみたいに!
「大丈夫かな、高いの買いすぎた?」
心配になって店から少し離れたところで、こそっとクライスに訊いてみた。この世界のものの相場がまだよくわからないから買い物が難しい。
「ははっ、大丈夫だ。公爵家嫡男のお前が糸を買うのに金の心配をしているなんて、ちょっと面白いな」
「だって、おじさんが高いよ~って言うから」
「そうだな。確かに庶民の金銭感覚を知ることも大切だ。学園での金のやりとりは全部カードキーでやるから使っている感覚がわかりにくいし、今度は外で買い物をしてみるのもいいな。現金で払う方法も知っておいた方がいいだろう」
「学園の外にお出かけするってこと?」
「ああ、休日時間がある時にでも行こう」
(なにそれ、すっごく楽しそう!)
そんな会話をしながら、最後に気になっていたポポの実を一袋購入して部屋に戻った。そして、う~んう~んと難しい宿題を相手に熾烈な戦いを繰り広げ、疲れてそのまま寝てしまった。
翌朝起きると、またしてもクライスの横に寝ている僕。うっまぶしっ!!
……あれ? お仕置きっていつまで続くのだっけ?
「クライス、その、もう校舎だから、手を……放してくれないかな?」
「ああ。キルナがキスしてくれるなら放してやる」
「こ、こんなとこでキスなんてできるわけ……」
「じゃあこのままだな」
「んぇ、なんで!?」
彼のお仕置きはなぜかまだ続いていた。
(もう一日中くっついたでしょ!? いい加減離れてくれないと困るよ)
そうやって不毛なやりとりを続けていると、見知らぬ生徒たちが話しかけてきた。
「フェルライト様、足のお怪我は大丈夫ですか?」
「早退されたんでしょう? とても心配しました」
どうやら僕が足を怪我して早退したという噂は想像以上に広まっているみたいで、校舎に着くとありとあらゆる人に声をかけられた。しかもそのほとんどは顔も知らない人で、僕はこの人は誰なんだろう……と戸惑いながら返事をしていた。
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すぅっと体の温度がなくなって、手先まで氷のように冷たくなっていく。誰も僕のことを必要としていない。
いっそのこと、このまま消えてしまえたらいいのに──
「おい、キルナ」
「…………あ……ごめ、ん。何?」
クライスは調子よくしゃべり続ける彼らに構わず僕の手を引いて歩き出し、その手をぎゅっと握ってくれた。彼が強く手を握ってくれたことで、意識が引き戻され、僕は自分がここにいることを思い出す。
「あいつらのことは無視しておけ。ただの社交辞令だ。気になるなら『大丈夫』とだけ返せばいい」
「うん……」
そうか、あれは社交辞令。馬鹿正直に答える必要はないのか。
そんなこともわからない自分を恥ずかしく思う。僕は前世の分も合わせると十五足す十八で三十三歳。もう立派な大人! のはずなのに、ベッドでほとんど寝ていただけの十五年はあんまり役に立っていない。正真正銘十八歳のクライスに守られてばかりだ。
さっきまでどうやって放してもらおうかと考えていた彼の手も、こんな僕のために握ってくれていたのだって今わかった。
「ありがと」
「ああ、なんだ? 急に」
ふわっと王子様フェイスで微笑むクライス。安定のイケメンぶりがムカつくくらいカッコいい。彼のおかげで少し温もりが戻ってきた手をきゅっと握り返す。
(彼に何かお返しがしたい……)
僕は昨夜パレットタウンで買った金の刺繍糸のことを思い浮かべた。すごく綺麗な色だった。クライスの髪の毛みたいにお日様の光を集めたような温かい色。あれで何を刺繍しようかしら。
「ねぇ、クライスは好きな花とかある?」
「花? そうだな。ルーナの花が。あ、いや、キルナはその花が嫌いだと言っていたな。じゃあ……」
ルーナの花──それは僕の花だ。彼が持っていてくれると、うれしいかもしれない。
「ルーナの花ね。わかった」
「なんだ? 好きな花なんて聞いて」
「へへ、内緒」
クライスはまた内緒か、と呟いた。
ルーナの花は嫌いだった。『死』と『再生』を花言葉に持つ毒の花。そんな花の名をつけられるなんて、どれだけ自分は嫌われているのだろうとよく思ったものだけど。
それでも彼が好きだと言ってくれるのなら。
──僕もこの名前を好きになれるかもしれない。
「あのさ、もう教室だからさすがに手、放してくれない?」
「ああ。キルナがキスしてくれるなら放してやる」
「そ、そんなの! 教室でキスなんて無理に決まって……」
「じゃあこのままだな」
「んぇ、また!? なんで?」
彼のお仕置きはなぜかまだ続いている。
(このやりとり、デジャブ!? ほんと今度こそいい加減離れてくれないと困るよ!)
さっきはクライスの配慮なのかと感心していたけど、もしかしてやっぱりただ繋ぎたいだけなんじゃ?
仕方なく手を繋いだまま教室に入ると、そこにおどおどしたアレンが近づいてきた。
「フェル、ライト様、大、丈夫ですか? あ、足を怪我、したって。そ、それって、まさか、あの時の……」
「もう大丈夫だよ」
僕がそう答えると、アレンはほっとしたような顔をした。あ、この感じ。本当に心配してくれているのかもしれない。平民なんかに関わりたくない、とこの前わざと酷いことを言ったのに、なんていい子なんだろう。
「アレン、今度危ない時は俺に言え。キルナを巻き込むな」
僕が感動しているというのに、隣でクライスはアレンにとっても理不尽なことを言っている。
(いやいやいや、アレンは被害者で、僕が勝手に飛び込んでいったのだから、巻き込むなと言われても困るでしょ)
アレンはクライスの言葉に恐縮しながらこくこくと頷いている。
「それより、ニールとカリムとトリムはどこだ。……殺す」
語尾に小さく恐ろしい言葉が聞こえた気がした。冗談? ならいいのだけど。
殺気立つクライスに、やっぱり本気かもしれない! と慌てた僕は、未来の悪友たちの姿を捜した。彼らは僕の数少ない大切な悪役仲間なんだから、今殺されては困る。
「彼らは自室で謹慎中です。物騒なことを言わないでください」
冷静に返事をするのはロイルだ。
さすが側近候補。クライスの扱いに慣れている。
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はてなマークが顔に出ていたのか、ロイルが事情を説明してくれた。
「事件のことは今朝お聞きしました。クライス様は毎朝私とランニングされるので、その時に。ニールたちからの報復を恐れていたのか最初は口を噤んでいたアレンからも証言が取れ、学園に連絡したところ、彼らの処分が決定しました。一週間の謹慎処分です」
なんとなくバツが悪そうな顔で僕の方を見るアレン。
多分黙っていようとしてくれたんだろうけど、ロイルから情報提供を求められたら話すしかないよね。僕も結局クライスにバレちゃったからいいよ、という意味を込めて微笑んでおいたものの、伝わったかな?
なぜか顔が赤くなったアレンの内心がよくわからなくて首を傾げる。
(っていうか、ランニングっていつの間に……しかも毎朝だなんて、全然気づかなかった)
「話を聞いた段階ではもっと重い処分になるかと思ったのですが、現場には火魔法の痕跡がほとんど残っていなかったため原因が特定できず、ニールがアレンに向けて蜥蜴形の火を近づけたこと以外は、魔力暴走による事故として処理されたようです」
「そうなんだ。ロイル、教えてくれてありがと」
「いえ。お怪我は本当に大丈夫なのですか?」
「うん、もうなんともないよ。それよりこれ、どうにかならないかな?」
僕は固く握られた恋人繋ぎの手を反対側の手で指差した。一番クライスの近くにいる彼ならどうにかできるかもしれない、と期待して。ところが、
「ああ無理ですね。すみませんお役に立てず……」
ロイルは僕らの手をちらっと見るや、間髪を容れずに謝った。え? 諦めはやっ!
(どうしよう。こんなんじゃ授業も受けられない。今日はこれから楽しみにしていた魔法生物学の実習があるのに。誰か助けて~!)
僕の心の声が聞こえたのか、そこにだだだだ~っと眼鏡の青年が走ってきた。もしや救世主?
「キルナ様! 足のお怪我、大丈夫ですか!?」
おおっ、すごい勢いで走ってきたのはベルトだった。僕の眼鏡仲間でどっかの有名な商会の子だ。
「う、うん。大丈夫だよ。もう治ったから」
「え? もう!? 一日で怪我が治った? 今度はどんな薬草を使ったんですか!? ぜひ教えてください!」
「ううん、期待してるところ悪いんだけど、今回は薬草、全然役に立たなかったの。時間がなくて使い方が間違っていたせいかもしれないけれど……怪我はクライスが魔法で治してくれたんだよ」
「それは噂に聞く王子の光魔法の回復術ですか!? それはすごい! 見たかったなぁ!」
ベルトはとにかく好奇心旺盛な子みたいで、キャラメル色の目は今日もキラキラと輝いている。
「あ、そういえばトリアは育てているの?」
以前筋肉痛に苦しむベルトに薬草オイルのお裾分けをしたことがある。
抜群の効果に驚く彼に、オイルの原料がトリアという薬草だと教えたら、『育ててみます!』と意気込んでいた。あれからどうなったのかな?
「それが……種を植えてみたのですが、なかなか芽が出てこなくて。あれこれ試してはいるのですが、何が悪いのかわかりません。もしお時間がありましたら一度うちの温室に来て教えていただけませんか?」
え? ベルトの家の温室? これってさ、もしかしてもしかすると、友達(と言ってもいいのかな?)の家に招待されてるんだよね。今世初! 友達の家!!
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