プロローグ


　ビュオオオオッ！
　気がついたら周りの音が一切聞こえず、全てを切り裂くような強い風の中、わたしは何かを必死に守るように抱えて落ちていた。

「うにゅうううっ」

　お耳が痛いぃぃっ！
　ビュオオオオッ。
　耳元で風がビュンビュン鳴いてるよぉ。
　それとも、ビュンビュン通り過ぎていってるよ～！　が正解？　どっち？
　スカートどころか袖から襟まで強い風に煽られてバサバサとすごい音を立ててはためき、膨らんでいる。今にも破けてしまいそうだ。
　だけど、決して大切に抱えたものを離しはしない。
　だって、わたしはお姉ちゃんなんだから。

「いちゃちゃっ」

　どっちにしても、風のせいで髪の毛が～っ！
　さっきからピシピシバシバシ、お顔に当たるの～！　当たってるの～！
　とっても痛いよ～！
　ピシッ！
　あっ、また！　痛いよ～ぅ……
　両手が使えないから耳を塞ぐことも髪の毛を押さえることも、今はできない。
　痛くて涙が出そうだよ。でも我慢しなくちゃ。

「ふにゅうう～」

　それにしても、なんでこんなことにっ……
　ビュオービュオーッと、風は容赦なく下から上へと吹き抜け、周りはどこまでもどこまでも広がる冷たいほど澄んだ青い空。
　今わかっていることは、わたしたちは現在進行形ですごい速さで空を落ちているということ。わたしを助けてくれる者はいないということ。
　泣きそうなくらい絶体絶命の状況だということ。
　だけど、わたしは必死に涙をこらえる。
　だって泣いてる場合じゃないんだよ。わたしが何とかしなくちゃ。手に抱えたものを守るのはわたししかいないんだから。でもね？　そうは思っても……

「ああ～」

　見える世界は、絵の具の空色より青い空～。このまま吸い込まれそう～。
　空は青いな大きいな～♪　あ、それは海だった。
　っと、ちがうちがう！　どっちも違う！
　う～、風が強くて、首を振りたくても振れない～！
　現状を誤魔化したくても忘れたくても逃げられない温もりが、わたしの小さい両手の中に……

「んんん～っ」

　でもね、いくら考えてもいきなりこれはひどいよね？
　わたしは何で今こんなことになっているのかを考えていた。そして、こんなことになった原因の人物を思い浮かべる。それは――

『幸せになってね～』

　わたしの幸せを願って手を振り見送ってくれる、美しく優しく微笑む女神様の姿。でもね……
　ごめんなさい、きれいな女神様……そう、今のこの状況はその女神様のせいなのだ。
　いくら「の～んびり」な性格のわたしでも、さすがにこれは怒ってもいいんじゃないかな？
　いいよね～？　相手は女神様だけど～。

「はぁ～ぁ、ほんちょにどうちたらいいにょかにゃぁ？」

　つい、ひとりごとだってため息だって出ちゃうよね～？

「……んん？」

　あ、あれ？　なぁに？　今の声、だれの？　まさか??
　気づいた違和感を確かめるために……違うかな、否定したくて恐る恐る声を出してみる。

「あーあー。てしゅ、てしゅ」

　……頭のてっぺんからつま先まで、一気にぞわーっとイヤな感じが走った。
　やっぱり、この小っちゃな子の声は、わたし？　しかもなんだか――

「ちゃんちょ、ちゃべりぇにゃい？」

　これはもしかして「赤ちゃんことば」？
　今度はつーうっと、冷たい汗が背中を伝う。
　今の自分が、自分の認識と全く違っていることに気づき、動転しながらも必死に記憶を呼び起こそうとする。けれど……
　おかしいよ！　私、おしゃべり練習したんだから。ちゃんと話せるはずだよ。だってだって、わたしは八歳に……あれ？　十歳？　にはなってたはず？
　あれ？　なんでかな思い出せない？
　どうしてだろう……落ち着いたら思い出すかな？
　なんだか気持ち悪いよ……おばあちゃん、助けて……
　思い出そうとすればするほど思い出すことができない。ますます戸惑い、気持ちが悪くなる。
　はっ！　ちがうちがう！
　暗い方に引きずり込まれそうになる思考を振り払おうと、　ブンブンと首を……またもや振れなかった。振りたかったのにぃ。
　か、風が強すぎる！
　と、とにかく、今は悩んでる場合じゃない。今の自分を見てみなきゃ！　確かめなきゃ！
　え～と、え～っと……まずはどうしよう？
　ともすれば、何もかも放り出して逃げたくなる気持ちを必死に抑え、自分を奮い起こして前を向こうとする。

「んんんー！　よいちょお！」

　まずはがんばって首を動かして自分の体を見ようとするけど、風のせいでなかなか思うように動かせない。

「あちょ、ちょっっとぉぉー」

　いたたたたたたた、首いたいよぉ！　でも負けるもんかぁ！

「ふぎゅぅうう」

　み、見えたぁ！

「や、やっちゃあ～！　あ、ありぇ？」

　な、なんということでしょう……
　頭の中で有名なリフォーム番組の音楽が流れます。
　目の前にはバッサバッサめくれるスカート。
　そこから見える小さなあんよ。
　そして、少しぽっこりなお腹のところで、大事にこの子たちを抱える両手は完璧にぷくぷくした小さな子のおてて……

「にゃ、にゃにこりぇー？」

　と、叫んだ声は間違いなく、小さな女の子の声。

「えぇぇぇぇぇぇ～!?」

　わたしは、完全に、本物の幼女になっていた！
　なんでよぅ！　わたし、縮んでるぅ!?
　そして今、わたしは小さなピンクと水色の双子のドラゴンの赤ちゃん（こんな状況なのにすぴすぴ可愛くお昼寝中！　すごい！）をお腹に抱きかかえ、雲よりも高いところからビュンビュンと風を切りながら地面に向かってすごい速さで落下中。
　誰か教えてください。

「ほんちょに、どうちたらいいにょぉぉーぉ」

　ビュゥオ～～！

「ひぎゃーあぁぁっ」


　おなかがひゅんってなるぅぅぅ……
　ジェットコースターもフリーフォールも、安全だから楽しいんだからねーっ!!　これはイヤーっ!!
　雲ひとつない青空の中、私の幼い声が響き渡った。



　　　第一章　小さな美少女と美少年の妖精


「ふにゅうううっ」

　皆さん、いきなりですが質問です。
　なんの心構えもなく、とんでもなく高いところから、『いってらっしゃ～い』と言われてどーんっ！　と、突き落とされたら、どう思いますか？
　一、なんでよ～！
　二、おちつけ～。
　三、どうしよ～？
　正解はー？　……全部！
　わたしはさっきからその三つの感情を、ひたすら繰り返しています。あと、叫び疲れました。けほっ。
　そして、ひと通りわめいてどうしようを繰り返した今は……ものすごくテンパっています。つまり、状況は何ひとつ変わってないということで、いやむしろ落ちている分、悪化している？

「ふわわわわっ」

　どどど、どうしよう……
　と、とにかく落ち着こう。
　えーとえーと、そうだ！
　とりあえず深呼吸、深呼吸しよう。

「すーはーすーはー」

　……うん、息は吸えるね。
　それはさっきも確かめた、かな？
　でも、確認は何度だって大事だよね？

「しょうだしょうだーっ」

　……一人で会話するの悲しいな。でも、ドラゴンさんたちはまだ夢の中だし、ほかに誰もいないし。
　それでもって、今は空から落ちてるまっ最中。
　しかもすごい速さで～っ！

「ふにぃ～～っ」

　こわいよ～！
　それでも気を失わないでいられるってことは、気力もあるし、体はけっこう頑丈なのかな？　こんなに小さい幼児なのに……
　あとは、怖いけど、怖いけどぉ！　下、確かめなきゃ！

「ふううう～っ」

　イヤー！　どうしよう～っ！　見たくないよ～うっ！
　でもでも、怖がってなんかいられないよ。
　この子たちもいるんだから確かめなきゃ。
　腕の中にはスヤスヤ眠るドラゴンの双子ちゃん。
　あぁ、でも怖いよ～。でもでも勇気を出すんだ！
　うわ～んっ、頑張れ！　わたし！　少なくとも中身はお姉ちゃんなんだから！　自分で自分を励まして……

「しぇーのっ！」

　えい!!
　ヒュオーォォォ……

「ふぎゃーっ」

　いや～っ見なきゃよかったー！　怖い～！　死ぬ～！
　確認終わり！　ぜーぜー。

「ふうふう……」

　う、うん。落ち着こう。まだまだ時間は大丈夫？
　地面ははるか遠く……っていうか、見えない。きっとまだ大丈夫。うん。
　でもでも、どうしよう……
　このままじゃ……うわあぁぁ。
　いくら体が頑丈でも、このまま地面に当たったら死ぬ。
　死ぬったら死ぬ。
　つーっと、イヤな汗が肌を伝います。
　…………やっぱり。

「おちちゅいちぇにゃんか、いりゃりぇりゅか――!!」

　どう考えたって、無理だよー！　うぅぅー。

「めがみしゃまのぉ、おばかぁーーー!!」

　うわぁーん！　泣いてやるー！

『ねぇねぇ』
『おーい』
「あんぽんたんー！」

　どうしたらいいのーっ！

『ねえったら』
『なにしてんだ？』
「あほー！」

　だれか教えてくださーいっ!!

『ねえってば！』
『おーいっ!!』

　え？　なんか声がした？

『ふぅ～』
『やぁっと、きづいたか？』

　まさかぁ～。だってここ空の上だよ。
　そうだそうだ。気のせいだよね。きっと一人が不安で幻聴が聞こえたんだよね。
　うん。きっとそうに違いない。
　では、もういっかい。

「めがみしゃまのぉ、おばかーぁぁぁ」

　思いっきり叫んでやるーっ！

『あ～ん』
『もう！』
『だからぁ』
『いいかげんに』
『『こっちをみろー!!』』
「おば……か？」

　え？　あれれ？
　ギギギっと顔を向けて声？　がする方を見てみると、女神様に突き落とされてから初の！　お話しできる人（？）が！

『もう！』
『やっとこっち、みたのかよぉ！』
『さっきから、ず～っと！　よんでるのに』
『ぜんっぜん、きづいてくれないんだもんなぁ』

　それはそれは、ごめんなさい。そんなにぷんぷんしないで？
　でもね、こんな空の上で普通誰かに会うなんて思わないでしょ？

『そんなことないわよ？』
『おれたちみたいなの、わりとそこらじゅうにいるよな？』
『ね～♪』
『な～♪』

　そ、そうなの？　こんな空の上なのに？　よくいるの？
　あれ？　わたし声に出してたかな？

『ん？　おかおにね、でてるわよ？』
『うん！　わかりやすいよな～』
『『アハハハハ』』

　な、なんですと……
　初めはプンプン、今は呆れたように、でも楽しそうに話しかけてきてくれた二人。
　その姿はキラキラと光をまとって、背中にあるキレイな透ける羽をパタパタさせた、女の子と男の子でした。ただし、身長は十センチくらい。
　か、可愛い！　手のひらサイズの美少女に美少年。
　癒しが、癒しが現れました……！

『あっ、そうだった』
『そんなことより』
『ねぇ？』
『こんなとこでなにしてんの？』
『『だいじょうぶ（か）？』』

　ふお～お！　癒しに話しかけられた～！

「だ、だいじょぶでしゅ？　ありがちょう。でしゅ」
『そう』
『それはよかったな！』

　おぉ。にこっとした笑顔がまぶしいです。じゃなくて――

「と、ところで……あにゃちゃちゃちは、どちりゃしゃみゃでしゅか？」
『『え？』』

　あっ。あほな子なのがバレちゃった……でも、確認は大事だよね？
　聞かれた小さな美少女と美少年は、おめめとお口もぱっかんと開いていますね。
　そんなお顔も可愛いとは…………ずる～い。
　聞いてからしばらく……ぱっかん！　と、これでもかと、開いたおめめとお口を閉じてあっけに取られた状態から立ち直った、小さな美少女と美少年は顔を見合わせます。

『え～？』
『そうきたかぁ』
『『アハハハ』』

　あれ？　笑われちゃいました。すみません。

『わたしたちは～』
『ようせいだよ』
『わたしが「かぜ」のようせいで～』
『おれが「そら」のようせいだな！』
「ふぉぉ！」

　ふぁんたじー！　妖精さん来たー！　すごーい！　キラキラ！
　お友達になってくれるかな!?

「こんにちは。かわいい、ようしぇいしゃんちゃち」

　ごあいさつは大事！

『ふふっ』
『おうっ！』
『『こんにちは』』

　かわいい～。お返事してもらっちゃいました。えへへ～。

『それで、あなたは？』
『そうだぜ。おまえ、ひとのこだろ？』
「あい。たびゅん？」

　ひと、だよね？　女神様は人じゃないとは言ってなかった……と思う。

『ええ？　たぶんなの？』
『じぶんのこと、わからないのか？』
「うにゅ～」

　びっくりさせちゃいました。ごめんなさい。やっぱりわからないのはおかしいよね？

『あっあっ、きにしないでいいぞ』

　ちょっと落ち込んじゃったら空の妖精さんが慌ててきづかってくれました。ありがとうございます。

『まあまあ。それはあとでいいじゃない。それより』

　チラッと視線を送る風の妖精さん。

『そうだな。あとだな』

　うん、と頷く空の妖精さん。何か二人で通じ合ってます。

『ねぇ、かわいいひとのこ。なんでこんなところにいるの？』

　風の妖精さんが、まず話を切り出してきました。
　えへへへ、妖精さんにかわいいって言われちゃいましたよ（照）。

『しかも、おまえのかかえてる、それって……』

　空の妖精さんが、わたしのお腹にいるものを信じられないものを見るように指さしてきました。

「ふあっ！」

　そうでした！　大丈夫じゃありませんでした！
　わたしは慌てて自分のお腹の上で丸まって寝ているドラゴンの赤ちゃんたちを見ました。
　妖精さんたちは突然慌てだしたわたしを、不思議そうに見ています。

「あにょ、あにょにぇ。おにぇがい。こにょこちゃち、たちゅけちぇ」

　妖精さんたちを見つめます。せめてこの子たちだけでもという気持ちでいっぱいです。
　たちまち、わたしの目がうるうるします。
　妖精さんたちは、おめめをぱちくりさせながら顔を見合わせます。

「おにぇがいちましゅ。たしゅけてくだしゃい」

　わたしは繰り返しお願いします。ますます目がうるうるしてきます。涙腺も幼児仕様になってるみたいです。うるうるが止まりません。
　妖精さんたちはそんなわたしを見て、手をパタパタしながら、ワタワタしました。

『わ、わかったわ、なかないで』
『わかったよ。だから、おちつけ！　な？』
「あ、ありがちょう」

　なんて優しいんだ。鼻をすすりながらお礼を言います。
　さすがかわいい妖精さんたち。

『でも、なにがあったの？』
『そうだぜ？　どういうことかわからないと、たすけようがないぞ？』

　そうだよね？　ごもっともです。ごもっともなんだけど――

「わかりまちた」

　うぅぅ、上手く喋れないのがもどかしいよぉ。

「でも、くわちいおはにゃちは、あちょでいいでしゅか？」

　だってだって！

「こにょみゃみゃじゃ、おっこちちゃいましゅ。しんじゃいましゅ。どりゃごんしゃんちゃち、まぢゃ、あかちゃんでしゅ」

　切実です。助けてください。
　うわぁーん！
　ドラゴンさんたちを助けたい一心で、妖精さんたちに一生懸命お願いします。

「たしゅけてくだしゃい。どりゃごんのあかちゃんちゃち、おちちゃう。ちんじゃう。だめ」

　うぅぅ。泣いちゃダメ。泣いちゃダメ。泣いたらどんどん片言になっちゃう。ドラゴンさんたちを助けてもらわないと～。

『ええ？　おちちゃう？　しんじゃう？』
『おまえ、もしかして、とべないのか？』

　妖精さんたちが、まさかっ！　ってお顔してます。
　うぅぅ。そのまさかだよ～。

「とべにゃい、でしゅ。だかりゃ、おちてりゅ」

　落ちちゃうよぉ、助けてください～。

『とべないのに、なんでそらにいるの？』
『そうだよなぁ？』

　ますます、理由がわからないってお顔の妖精さんたち。
　そう言われましても～！

「わたちが、ききちゃい、でしゅ。めがみしゃまに『いってらっちゃーい』っちぇ、どーん！　としゃれまちた」

　お空にどーんっ！　です。

『はい？』
『めがみさまに？』

　妖精さんたち、びっくりしておめめがさらにまん丸！

「しょう」

　そうだよ。わたしはうなずきます。
　妖精さんたち大丈夫？
　そんなにおめめを開いたら、乾燥してしぱしぱしない？

『いってらっしゃいって？』
「しょう」

　だからそう言ってるでしょ？　首を縦に振りたいんだけど風が……

『ドーンってされた？』

　手をドーンって突き出すマネをする空の妖精さん。

「しょう。どーん。しょちたら、おちちゃ」

　背中から落ちて良かったよね？　頭からじゃ、ドラゴンさんたち落っこちちゃってたかも。

『『……………………』』

　あれ？　あっすごい。妖精さんも固まるんだね～。
　でも、大丈夫？　息してる？

『『え、えぇぇぇぇぇ～っ』』

　お～。やっと再起動してくれたけど、叫んでるね～。
　あっ！　きっとさっきのわたし、こんな感じだったんだね～。
　うん、うん。わかるよ～その気持ち。

『『…………』』

　あれ？　妖精さんたちの絶叫が収まったけど、また固まっちゃった？

「おーい」

　ありゃりゃ、動いてくれない。やっぱり驚くよね？　それじゃ、もう一度。

「おーい。ようしぇいしゃん。だいじょぶ？」

　動いて～息して～。

『ハッ！』
『お、おうっ！』

　よかったぁ。起きてくれた。