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   第一章 婚約破棄と魔法事故


「キュリティ・チェック、ちょっといいか? 僕は君との婚約を破棄するけど、これからも仲良くしてくれよな」
「…………え?」

 ヒュージニア帝国の王宮にある保安検査場ほあんけんさじょうで、いつものように荷物の検査をしていたとき。婚約者のフーリッシュ様から前置きもなく告げられた。
 目の前にいるのはエンプティ伯爵家の跡取り息子、フーリッシュ・エンプティ様。さらさらの金髪ヘアーをなびかせて、先ほどの発言はさも当然のことだというように私を見る。

「まったく、二度も同じことを言わせないでほしいんだがね。もう一度聞きたいのなら教えてやろう。僕は君と婚約破棄すると言っているんだよ」
「そ、それはもちろん聞こえておりますが……こ、婚約破棄の理由を教えていただけませんか?」

 ショックで混乱しそうな頭をどうにか動かして質問した。フーリッシュ様は表情一つ変えず淡々と話をする。あまりにも一方的過ぎて、どういうことなのかよくわからなかった。
 私とフーリッシュ様は生まれたときから婚約が決まっている。
 俗に言う政略結婚だった。でも、貴族の結婚は政略結婚がほとんどだし、婚約破棄されるような行動はしていないはずなのに。

「なに、簡単なことさ。僕はキュリティのような〝検品令嬢けんぴんれいじょう〟と結婚するなんて心底嫌だからね。君みたいな地味で目立たない女性と結婚すると、僕の人生までつまらないものになってしまいそうじゃないか」
「そ、そんな……」

検品令嬢けんぴんれいじょう〟とは、フーリッシュ様がつけた私の呼び名だ。
 毎日王宮で荷物の検査をするばかりで、華やかな夜会に来ることもない……というのが名付けた理由だと思う。
 その理由を聞いたことも、きちんと話したこともないけれど。

「どうしたんだい、キュリティ。顔が真っ青だ。もしかして、風邪でもひいてしまったのかな? 頼むから僕たちにはうつさないでくれよ」
「あ……」


 気を抜いたら倒れそうだ。
 しかし、倒れる前に聞かなくてはいけないことがあった。
 フーリッシュ様の隣には豪華なドレスで着飾った女性が寄り添っている。いくら王宮とはいえ、夜会でもない普通の日に着るには派手すぎるドレスだ。女性自身もまた服に負けないくらい派手で、その顔から私は目が離せなかった。

「な、なんで、シホルガがいるの?」

 男爵令嬢とは思えないほど贅沢な服装の女性……彼女の名は、シホルガ・チェック。
 なんと……私の異母妹だった。
 私の生家であるチェック男爵家は、領地が広いわけでも特産物があるわけでもない、よくある貴族の家の一つだ。男爵であるお父様は政略結婚でお母様と結ばれたものの、お母様は私を産んですぐに亡くなってしまった。
 そこで後妻ごさいを迎え、生まれたのがシホルガというわけだ。
 彼女は魔法で髪をどぎついピンク色に染めたくらい、昔からとにかく目立つことが好きだった。
 家のお金をつぎ込んで作った豪華なドレスも、シホルガの存在を激しく主張する。
 お父様もお義母様もシホルガをたしなめることはなく、私が稼いだお金もむしり取られては、彼女のオシャレ代に消えた。

「なんで? と仰られましても、あたくしがお義姉様の代わりを務めることになったから、としか申し上げられませんわ」

 キリッとしたつり目で私を睨む。

「そ、それはどういうことなの……? あなたが私の代わり?」

 シホルガもまた、フーリッシュ様と同じように唐突な話をする。私の心は、まるで嵐に舞う小さな葉のように、突然の出来事に翻弄ほんろうされてぐるぐると混乱するばかりだった。

「前々からシホルガは君の仕事に興味があったみたいでね。僕が口利きして、そのポジションを譲ってもらうことに決めたのさ。愛する者のためには、これくらいするのが普通だろう?」
保安検査場ほあんけんさじょうの方々も、優秀なあたくしが来れば嬉しいに決まっていますわ」
「……え」 

 二人はさも当然のように話す。
 あまりにも自然なので、私の方が間違っているのでは? と思ってしまった。
 仕事を譲れという突飛とっぴな話だけど、シホルガの性格を考えると決しておかしくはない。彼女は昔から、人のもの……特に私のものを欲しがることが多かった。きっと、今回も同じだろう。
 王宮勤めは、貴族令嬢にとって憧れの仕事だった。
 社会的なステータスもそうだけど、何より国で一番華やかな場所である王宮で過ごすことができる上に、王族や公爵などの高位貴族と接する機会が多いから。
 あいにくと私は偉い人と話すのは緊張するだけだし、華やかな生活にも興味がない。だから、むしろ避けたかったけど、私の能力を活かすにはこの職場が一番適していると思ったのだ。


 ――そして、フーリッシュ様はシホルガのことを『愛する者』と言っていた。


 つまり、そういうことなのだろう。

「お義姉様は羨ましいですわ。荷物検査なんていう簡単なお仕事でお給金をいただけるのですからね」
「ねぇ、シホルガ。簡単そうに見える荷物の検査だけど、実際はそんなに簡単なことではないわ。今朝だって、怪しい魔法がかかっている荷物があったわけだし」

 毎日、王宮にはたくさんの荷物が届く。外国からの手紙だったり、食料品の箱だったり、調度品ちょうどひんだったり色々だ。日々、その大量の荷物に呪いや悪い魔法がかけられていないか調べるのが私たち、保安検査場ほあんけんさじょうで働く人々の仕事だった。
 私は闇魔法や呪いを打ち消す解呪という珍しい魔法が得意だ。懸命に努力を重ねた結果、今では強力な闇魔法も簡単に無効化できるくらいまでになった。
 この国では、かまどに火をつけたり、洗濯物を洗ったり乾かしたりなどの生活魔法は一般にも普及している。でも、高度または特殊な魔法を扱える人はぐっと少ない。
 解呪魔法は闇魔法や呪いを打ち消すと知ったとき、誰かの役に立ちたいなと思い、今は王宮の保安検査場ほあんけんさじょうで働いている。
 それに、チェック家は男爵家だけど、あまり裕福ではない。家の経済事情を助ける、という目的も同時に果たせるのでありがたかった。

「お言葉ですが、お義姉様。お義姉様だって、解呪以外の魔法は大して使えないではありませんか」
「それはそうだけど、この仕事は王宮に入る前に怪しい荷物を見つけて対処することが重要なのよ」

 ヒュージニア帝国は大陸の東側、およそ三割の面積を占める巨大な帝国だ。大きな国だから、国内外からの荷物に紛れこませ王宮を攻撃しようとする人がいる。王宮内に入る前にそういった荷物を見つけることで、王宮ひいては国内の安全が保たれると私は考えていた。

「でも、お義姉様。今まで王宮が闇魔法や呪いに襲われたことはないのでしょう? この先もずっと平和は続くと思いますけどね」
「だから、その平和を守るために私たちは毎日必死に検査をしているの」

 解呪の魔法を磨く以外にも、闇魔法や呪いの見分け方を必死に勉強した。そのおかげで、どんな類の物かすぐに見分けられるようになったのだ。
 もちろん、ここにはたくさんの魔法使いや解呪魔法を専門とする解呪師たちがいる。
 だけど、呪いだったり悪い闇魔法を解除するのは手間と時間がかかった。
 王宮には急ぎの手紙や荷物、日持ちしない食べ物やポーションだって届く。だからこそ、早めに見分けることが大切なのだ。
 万が一でも、王宮内で呪いや悪い魔法が暴れたら被害は想像もつかない。

「まぁ、とやかく言うのはやめてくれよ。シホルガだって困っているだろうに」
「お義姉様は本当に口先だけは達者たっしゃでございますわね」

 何を言っても嫌味で返される。悲しいことに、これもまた私の日常だった。

「お前たちも文句ないよな! キュリティは今日で辞めて、代わりにシホルガが仕事をする!」
「ついでに挨拶させていただきますね! あたくしがシホルガでございます! どうぞよろしく!」

 フーリッシュ様たちは笑顔で保安検査場ほあんけんさじょうを見回した。
 周りの人たちは気まずそうに下を向く。
 私はチェック家では邪魔者扱いされて虐げられてきたけど、職場では頼りにしてくれる人が多かった。解呪魔法の精度と仕事への熱意が立派だと、みんなは言ってくれたっけ。
 私もまた、仕事をしている間は嫌なことを忘れられた。家より職場の方が居心地が良かったかもしれない。
 しかし、いつからか職場でも無視されるようになった。みんな気さくで良い人ばかりだから、きっとシホルガとフーリッシュ様が根回ししていたんだと思う。
 フーリッシュ様がそっと私に話す。

「僕は伯爵家の人間だからね。ちょっと声をかければ検査係なんてすぐに交代させられるのさ。どうだすごいだろう。まぁ、〝検品令嬢けんぴんれいじょう〟の君にはわからないか、ハハハハハ」
「フーリッシュ様、素敵! あたくしのためにそこまで努力してくださったのですね! これであたくしも憧れの王宮勤めができますわ!」
「こらこら、そんなにくっついてはダメじゃないか」

 シホルガはきゃぴっ! とフーリッシュ様にくっついた。昔からフーリッシュ様は私を見下してはやたらと高笑いする。思い返せば、今まで無理して彼の性格に合わせていた気がする。
 唐突に終わりを告げられた私の日常、これからどうしようか……と考えたときだ。
 シホルガが思い出したように言った。

「あら、いけない。忘れるところでしたわ。お義姉様の新しい仕事先を見つけておきましたの」
「そういえば、そうだったな。感謝しろ、キュリティ。これで路頭ろとうに迷わずに済むぞ」
「わ……私の新しい仕事先?」

 いきなり、何を言い出すんだろう。行き場をなくした私のためにどこか斡旋あっせんしてくれるのかな……。一瞬気持ちが明るくなったけど、二人の不気味な笑みを見て良い話ではないと想像がついてしまった。
 シホルガとフーリッシュ様はわざとらしく、せーのっ、とタイミングを合わせて言う。

「「〝極悪非道の辺境伯〟!」」
「……え?」

 二人の言葉は、私の心と頭に強い衝撃を与える。普通に生きていれば、ついぞ関わることのないだろう……できれば、関わりたくない方の二つ名が告げられた。


 ――〝極悪非道の辺境伯〟、ディアボロ・テラー様。


 その二つ名の通り、極悪非道が人の形となった男性と聞く。
 婚約破棄された女性は両手で数え切れない……、目を見ただけで攻撃魔法を使われる……、気に入った女性は生きたまま喰らう……怖い噂ばかりだ。実際に、お見合いのため女性が訪れたお屋敷から、助けを求めるような激しい悲鳴がとどろいたこともあるらしい。
 辺境伯様は帝都から馬車で二週間ほどの辺境――アドラントと呼ばれる魔族領に近い広大な土地を治める。王宮からは遠いけど、保安検査場ほあんけんさじょうで働くうちに諸々の恐ろしい噂を聞いたのだ。
 でも、どうして辺境伯様の名前が……
 そんな私の疑問に対して、シホルガは得意げな様子で言う。

「ちょうどメイドの募集があったので応募しておきましたわぁ。優しい異母妹で良かったですわねぇ、お義姉様」
「よかったじゃないか、キュリティ。仕事を探さなくて済むぞ。もっとも、働く前に殺されてしまうかもしれないがな」
「そ、そんな……」

 どうやら、勝手にメイドの求人に応募されてしまったらしい。私はそこまで嫌われていたのかと悲しくなってしまう。暗く沈む私の心に、フーリッシュ様が追い打ちをかける。

「さあ、ここには君の居場所なんてないんだよ。わかったら早く出て行ってもらおうか。シホルガの準備があるからね」
「いつまでもそこに居られては、あたくしの仕事ができませんわ。往生際が悪いですわよ、お義姉様。早く荷物をまとめてアドラントに行ってくださいまし。チェック家に寄っても無駄ですからね。お義姉様の物は全て処分しておいたので。お父様もお母様も、帰ってこなくていいと仰っていましたわ」
「わ、わかりました……出て行きます」

 追い出されるようにして荷物をまとめて仕事場を出る。王宮広場に出た後も心が追いつかなくて、しばらく呆然としてしまった。深呼吸を何度かしてようやく落ち着いた。
 仕事場を振り返ると、今さっきの出来事が思い出される。


 ――こんなにあっけなく終わっちゃったのか。仕事も婚約も……


 まさか、婚約破棄と解雇かいこ、そして追放が同時に来るとは思わなかった。
 今や私の足はなまりのように重い。でも、どうにか一歩踏み出し歩みを進める。
 早くアドラントに行かなければ……。来るはずのメイドが来なかったら、辺境伯様はどんなに怒るかわからない。それこそ火で焼かれ食べられてしまうかもしれない。
 ぶるっと身を震わせながら歩いて街に行き、アドラント行きの馬車に乗った。


 ◇◇◇


 二週間ほど馬車に乗り、アドラントに着いた。
 道中、高台を通ってきたので街の大きさが見えたけど、帝都の街の七割ほどはありそうだった。石造りの頑丈がんじょうそうな家や店が立ち並び、通りには買い物客や子どもたちの明るい声が響く。
 活気のある街でホッとした。
 すぐに辺境伯様のお屋敷に行かなければいけないのだけど、なかなかに足取りが重い。御者ぎょしゃさんからお屋敷は北に広がる森の奥にあると聞いたので、散歩しながら向かうことにした。
 街を北に抜け、森に足を踏み入れる。歩いていれば無心になれるかと思うも、頭に浮かぶのはあの一件ばかりだった。哀愁あいしゅうを感じ、ポツリと呟きが漏れる。

「いったい、どうしてこんなことに……」

 王宮で働くのは楽しかったし、何より自分の仕事が気に入っていた。たかが荷物の検査だけど、帝国の安全に貢献していると思うと誇らしかった。それももうおしまいか……
 十分ほど歩くと木々が少なくなり、小さな広場のようにぽっかりと開けた場所に出た。

「うぅむ……これでも駄目か。どうしたものかな……」

 男性の声が聞こえ、人影が見える。誰かいるみたいだ。お屋敷への道が正しいか聞いてみようかな。何の気なしに木陰からそっと様子を窺う。
 声の主を確認すると、思わず悲鳴が出そうになってしまった。


 ――な、なんであのお方がこんなところにいるの……!?


 切れ長で鋭い目つき、短いブロンドの髪、そして、左目に刻まれた大きな傷。一度だけ王宮でお見かけしたことがあった。遠目で見るだけなのに、恐怖で体が震える。
 広場には……極悪非道と噂される辺境伯、ディアボロ様がいた。

「ひっ……!」

 へ、辺境伯様がいる! 緊張というよりも、恐怖で身がすくむようだった。
 アドラント領主、ディアボロ・テラー様。
 大変、大変、大変よ! まったく予想もしない出会いに、驚くことしかできなかった。

「どうして上手くいかないのだ。やはり無理か……? いや、やり方を変えれば何とかなるかもしれない」

 辺境伯様の前には大きな黒い鍋が置かれている。グツグツと何かを煮ているようだった。
 ……なんとなく人間の骨みたいな物が見えるんですけど。も、もしかして、人間の死体を食べるつもりなんじゃ……
 そのような恐ろしい可能性を考えていたら、余計怖くなってしまった。

「落ち着きなさい、キュリティ。まだ気づかれていないわ。元来た道を戻りましょう。静かに……静かに……。お屋敷で初対面するのよ」

 精神を整えるため小声で呟く。
 目立たないように帰ろう……。コソコソ隠れながら歩き出したときだった。

「もう少し強く魔力を込めてみるか…………ぐわっ!」

 ドンッ! と大きな音がして、鍋から白い光が飛び出した。な、なに!? と思ったら、こっちに向かって勢い良く飛んでくる。避ける間もなく、私のお腹に直撃した。

「うっ!」

 思ったより強い衝撃で、後ろに吹っ飛ばされた。いきなりのことで受け身を取れず、ゴロゴロと地面にすっ転がる。

「き、君、大丈夫か! すまない、私の不注意だ!」

 辺境伯様がすごい勢いで走ってくる……気がする。朦朧もうろうとする頭の片隅でぼんやり思った。
 これはかなりまずい。早く逃げなきゃ食べられる。ちょうどいい具合にダメージを受けてしまった。慌てて立ち上がろうとするけど、体が全然動かない。
 あっという間に、辺境伯様が目の前にきてしまった。今日で私は死ぬらしい。
 でも、できればまだ死にたくなかった。
 生き残りのわずかな希望をかけて、せめて辺境伯様の食欲を無くそう。

「大丈夫か!? けがはないか!? 本当に申し訳ない!」
「わ、私はまずいです……」
「ま、まずい!? 大変だ! 今すぐ医術師を呼ぶからしっかりしろ! おい、誰か来てくれ! 医術師を……!」

 辺境伯様が何かを叫んでいるけど、よく聞こえない。急速に頭がぼうっとしてきた。
 走馬灯そうまとうのようにやり残したことが思い浮かぶ。


 ――し、死ぬ前にかわいい犬を飼いたかった……


 心の中で思い、私は気を失った。


 ◇◇◇


「……うっ……あれ? ……こ、ここはどこ……?」

 気がついたら、目の前が真っ白だった。私の身体は何か柔らかい物に包まれている。そうか、ここが天国か。どうやら、私は死んでしまったらしい。

「目が覚めたか……?」
「え?」

 私のすぐ隣から男の人の声が聞こえた。誰だろう? 神様かな。
 失礼のないように……と思いながら横を見た瞬間、思わず大きな声を出してしまった。

「へ、辺境伯様!?」

 なんと辺境伯様が椅子に座っていた。人を喰らうだとか、睨まれただけで地獄に落ちるだとか……恐ろしい噂が頭の中を飛び交う。心臓はバクバクと鼓動し、額には冷や汗が滲む。
 噂で話を聞くより、何段階も強い恐怖と緊張に襲われた。もはや、意識を保つので精一杯だ。
 ど、どうして、私のすぐ傍にいらっしゃるのだろう。
 そう疑問に感じたとき、一つの可能性にたどり着く。も、もしかして、私たちは一緒に死んでしまったのだろうか。それはつまり、このまま天国で一緒に暮らすということでは……
 この恐怖と緊張感が永遠に続くことを予想し、気を失いそうになる。

「気分は大丈夫か?」
「ぇあ……」

 いや、諸々の想像は違う。辺境伯様を見たショックで徐々に頭がはっきりしてきた。私は白いお部屋のベッドに寝ているのだ。
 そして、ここはどこか知らないお部屋だ。

「まずはこれを飲みなさい。温かいハーブティーだ」
「あ、ありがとうございます……」

 辺境伯様が白いカップを渡してくれた。中には琥珀こはく色の温かいお茶が入り、ハーブのスッキリした香りが湧き立つ。一口飲むと心が安らぎ、気持ちが落ち着いた。

「どうだ? 落ち着いたか?」
「はい、もう大丈夫です。すみません……ここのお部屋はどちらでしょうか? というより、私はどうしたのですか?」
「ここは私の屋敷にある離れだ。そして……先ほどの森での一件は、本当に申し訳なかった。すまない」

 突然、辺境伯様が頭を下げた。
 頭を下げられるなんて思いもしなかったので、恐怖も忘れ大変にびっくりした。

「へ、辺境伯様!? どうされたのですか!? どうか頭を上げてくださいませ!」
「私はとある魔法実験をしていたのだが、力の加減を間違えてしまった。その結果、君に多大な被害を与えてしまい誠に申し訳なかった」

 下を向いたまま、辺境伯様は言葉を続ける。相変わらず私はまだ怖くてドキドキするけど、思ったより極悪非道のような雰囲気は感じないと気づいた。
 謝罪の姿勢は……真摯しんしそのものだ。私も姿勢を正し、まずは自己紹介する。

「あの、私はキュリティ・チェックと申します。辺境伯様のお屋敷のメイドの募集を見て、帝都から参りました。前は王宮の保安検査場ほあんけんさじょうで荷物の検査をして、闇魔法の解呪などを担っていました。闇魔法や呪いを見分けるのも得意です」
「……そうだったのか。王宮勤めとは立派な経歴だ。私はディアボロ・テラー。この屋敷の当主だ。とんだ出会いになってしまったな」

 挨拶を交わした後、辺境伯様はこほんと咳払いすると、さらに真剣な瞳になって私を見た。

「君に伝えなければいけないことは他にもあるんだ。…………どうか、落ち着いて聞いてほしい」

 あまりの緊張感に心臓が破裂してしまいそうだ。こ、今度は何を言われるんだろう。恐怖と緊張とで頭がクラクラだった。

「い、いったい、どうされたんですか?」
「私は君を…………妊娠させてしまったかもしれない」

 絞り出すように言われた……言葉。
 たった一言だけど、それは恐怖も緊張も吹き飛ばすのに十分過ぎた。

「…………え?」


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