継母の心得

トール

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1巻

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   プロローグ


 ピッピッピッ……
 電子音の鳴る病室で、看護師、医師に囲まれて浅い息を繰り返す。
 先程まで全身に走っていた痛みはすでに麻痺したのか感じず、自身の呼吸が浅いことも他人事のように思えてきた。皆の声がどんどん遠ざかっていく気がする。
 一体どうして、こんなことになったんだっけ……


 平凡なオタクである私、山崎美咲やまざきみさきは、三十五の年にがん宣告され、治療の影響で子供が産めない身体となった。
 いい年だったし、元々恋愛に消極的で学生の頃以来彼氏などいない喪女もじょである。このまま死ぬまで独身なのだろうと思っていたから今更子供が欲しいなんて言わないけど、もし過去に戻れるなら…………子供を産んで、育ててみたかったかもしれない。
 そんな思いがよぎったのは、自分がまもなく死ぬと気付いていたからだろう。


 そうだった……。治療を始めて一年、あんなに頑張った抗がん剤治療も手術の甲斐もなく、私、病院の硬いベッドの上で死んでいくのね……
 もしも次の生があるのなら、母親になりたいわ――……


「――……さま、……お嬢様、そろそろお目覚めになってください」

 ん、なに……。うるさいなぁ。まだ寝ていたいのにぃ。今何時よ……

「あと五秒で掛け布団がしますよ。三、二……」
「五秒って言いながら何故三秒からカウントぉ!?」

 侍女のサリーのカウントにツッコミながら、勢いよく身体を起こす。

「おはようございます。お嬢様」
「おはよう、サリー……」

 ってあれ? サリーって誰? 私……死んだよね? ……え、なにコレ。
 周りを見ると、テレビで観たことがあるヨーロッパの宮殿のような内装の部屋。家具も細かい装飾がほどこされ、見るからに高級そうだ。
 隣にはクラシカルなメイド服を着た外国人の女性。天蓋付きの大きなベッドに座る私。
 見たこともない光景なのに見覚えがある感覚――
 ここどこ!? 夢……? いえ、夢じゃないわ。今日はここで過ごす最後の日だもの。お父様にきちんとご挨拶しなければ…………ん? お父様って?

「さぁ、お支度をお願いします」
「あ、ええ……」

 サリーに急かされ、用意されていた洗面ボウルから水をすくう。
 ベッドで洗顔をするなんてしたこともない行為なのに、当然のように身体は動く不思議。
 手渡されたタオルで顔を拭きながら、この奇妙な感覚を整理するように頭の中で順序立てて考える。
 私の名前……そうだ。私の名前はイザベル・ドーラ・シモンズ。今年十八歳になる、グランニッシュ帝国のシモンズ伯爵家長女。家族構成は父と、十三歳になる弟が一人。母は五年前に他界している。
 伯爵家とは名ばかりの貧乏貴族で、幼い頃から婚約していた子爵家の長男とは、十五歳の時、持参金を用意できないという理由で婚約解消。当然次の貰い手もなく行き遅れ、四苦八苦の末なんとか捕まえた結婚相手は、お隣の領地の奥様を亡くされている三十過ぎの子持ちのおじさんで、明日、後妻として嫁ぐことが決まっている。
 いやいや、私は山崎美咲(三十六歳)でしょ!? 平凡なオタクで気楽な独身生活を満喫していたけど、病気で死んだ喪女もじょのはず………………待て待て。
 記憶が二つあるんだけど? 落ち着いてもう一度整理しよう。
 私は今、イザベル・ドーラ・シモンズ(十七歳)。山崎美咲(三十六歳)は………………私の前世だわ! ということは、結婚前日の大事な時に、よりにもよって三十六のおばさんの記憶を思い出してしまったということォォォォ!?



   第一章 前世を思い出す


「お嬢様、本日のドレスはどちらになさいますか?」

 アンティークといえば響きはいいけれど、ただただ薄汚れた時代遅れのドレッサーに腰かけ、髪をかしながら、鏡越しにサリーを見て即答する。

「昨日着ていない方でお願い」
「かしこまりました」

 クローゼットにたった三着しかないドレスのうち、一着は二年前デビュタントで使用して以来クローゼットの肥やしになっているパーティー用のドレス。あとの二着は普段着で、それを毎日大事に着回している。今時庶民だって普段着は二着以上持っているだろうに。
 それもこれも、シモンズ伯爵領が貧乏なせいだ。シモンズ伯爵領にはこれといった産業はなく、突出して収穫量が高い農作物などもない。民の税収頼りでなんとか治めているようなところで、けれど伯爵という名ばかりの地位のせいで我が家が国に納める税金はバカ高い。
 つまり、領地での収入があまりないのに、国に絞り取られているから貧乏ということ。隣の領地はあんなに繁栄しているというのに。
 さらに、その貧乏伯爵家の財政を圧迫している穀潰ごくつぶしが私だ。なにしろ貴族令嬢はそこにいるだけでお金がかかる。言わずもがなだろうけど。
 しかしそんな金食い虫の私も、ついに明日嫁ぐのだ。
 父よ。今までおっさんに嫁ぎたくないだ、後妻は嫌だなどと駄々をこねてごめんなさい。必死こいてもぎ取ってきた嫁ぎ先だというのに。
 でももう大丈夫。後妻がなんだ。三十過ぎがどうした。こちとら三十六年分の記憶を持っているんだぞ!
 三十代前半なんてまだまだ若いし、前妻は死別なのだから側室やめかけってわけでもない。なにより、持参金をいらないと言ってくれるお金持ちだ。逆に貰ってくれてありがとうとお礼を言いたいくらいである。よくそんな条件のいいところを見つけてきたものだと感心する。

「お嬢様、おぐしを整えますので、もう一度ドレッサーの前にお願いします」

 ドレスに着替えたあと、サリーに言われて鏡の前に腰を下ろす。
 鏡に映る自分が目に入り、つい山崎美咲視点で感慨にふけってしまった。
 紫の髪色に金色の目って……まさに異世界だわ。
 イザベル・ドーラ・シモンズは、濃紫こむらさきのウェーブがかかった髪に、金色の瞳、雪のように白い肌を持つ絶世の美女である。切れ長の目が少しつり上がっていることと、豊満な胸と折れそうな細い腰、形のいいお尻、長い手足という抜群のスタイルのせいで悪女っぽい印象を与えるが、その実、まだ十七歳の小娘なのよ。
 まぁ、前世を思い出す前はちょっと……だいぶ? 我儘わがままな娘さんだったけれど。
 しかしこの顔、どこかで見たことがあるような……?

「お嬢様、髪型はいつものように整えてよろしいですか?」
「ええ。大丈夫よ」

 あっという間にハーフアップにしてくれたサリーの器用さに感心しつつ、立ち上がる。さっき覚えた既視感は忘れ、このあとの家族との朝食へと思いをせた。
 さて、支度もできたことだし、父を安心させに行くとしましょうか。
 ――先程の既視感がとても重要なことであったと、私はこの時まだ気付いていなかったのだ。


「お父様、オリヴァー、おはようございます」

 貧乏だが伝統と格式だけはある我が家の屋敷はとても広い。このダイニングルームも広さだけなら他の貴族家にも引けは取らないだろう。そんな場所で、大きな食卓をたった三人で囲む。実にバカバカしい光景だ。

「イザベル、おはよう」
「おはようございます。お姉様」

 さっきまで私のお世話をしてくれていたサリーは、今度は給仕としてパンをお皿に取り分けている。
 それもそのはず、ウチには使用人を雇うお金がなく、侍女はサリーとサリーの母親のみで、あとは執事と庭師兼御者しかいない。
 そんなわけでサリーの母親が料理人も兼任し、サリーは侍女とは名ばかりでメイドの仕事もこなしている。
 とんだブラック企業だわ。

「イザベル……その、明日の準備は大丈夫かな?」

 席に着いた途端、父が恐る恐る問いかけてきた。
 今まで駄々をこねていた結婚だ。父としては問題を起こされたらたまったものではないだろう。

「大丈夫ですわ。準備もなにも、全てあちらでご用意いただけるようですので、わたくしがすることなどほとんどありませんもの」
「そ、そうだね。……今日は嫌がっていないようだけど、なにか、その……心境の変化があったのかい?」
「そうですわね。よくよく考えるとそんなに嫌ではないことに気付きましたの」
「は?」
「だって、特に行動を制限されるわけではございませんでしょう。ドレスも装飾品も、必要なものは全て準備していただけるようですし」

 なんならこっちには利点しかない結婚だわ。政略結婚は貴族なら当然のこと。相手は子持ちだから世継ぎを早く産めなどとプレッシャーをかけられることもないはず。なによりお金持ちだ。愛や恋で飯は食えないが、お金があれば飯は買える。
 ハッだめだめ! こんな考えだから前世では独身だったんだよね。これは早急に考えを改めねばならない。

「そうか……年若いお前を、後妻になどやらなければならない情けない父を許しておくれ……っ」
「お父様は最良の結婚相手を見つけてくださいましたわ。情けないなどとおっしゃらないで」
「い、イザベルぅ……っ」

 逆に十代や二十代が結婚相手じゃなくてホッとしたもの。前世の記憶のせいで、年下すぎて子供にしか見えないのだから。
 確かに周りからすれば、伯爵家の若い令嬢が子持ちのおじさんに後妻として嫁ぐなんて、令嬢になにか問題があるのではないかと思えるだろうが、すでに我儘わがまま令嬢というレッテルが貼られている私の評判はとても悪い。社交界なんて生まれてこの方、デビュタントにしか出ていないにもかかわらず、この悪女顔のせいで噂が真実味を帯び、今では帝都にまで広がっているのだ。持参金があったとしても貰ってくれる相手などいないだろう。つまり世間様にとって、私は十分問題のある令嬢なのだ。

「お姉様がおかしくなった!?」
「オリヴァー様、お嬢様は本日お目覚めになった時からああいったご様子です」
「頭でも打ったの!?」
「いえ、結婚が嫌すぎて脳に影響し、一周回ってまともになったのではないかと考えます」
「なんだって!? お姉様が!」

 サリーも酷いが、弟、お前も大概たいがいだからな。

「ゴホンッ。……わたくし、昨日までの自身の態度を振り返って深く反省しておりますの。他家に嫁ぐのですから、いつまでも家族に甘えているわけにはまいりませんでしょう」
「イザベル! 大人になって……っ」
「お姉様がまともなことを言っている!」
「心配していたけれど、これならに行っても立派に公爵夫人としてやっていけるかもしれないね」

 …………今、なんて言った?

「僕は心配です。ディバイン公爵は氷の大公と呼ばれるお方ですよ。お姉様があの有名な大公の妻としてお役目を果たすことができるとは思えません。しかもまだ小さい公子様がこのお姉様の継子ままこになるのですよ。お姉様に子育てなんてできませんよ」

 ディバイン公爵……? 氷の大公……?


     ◇ ◇ ◇


 ディバイン公爵家。それはグランニッシュ帝国の軍事の一切をになう一族である。
 グランニッシュ帝国は皇帝派、中立派、ディバイン公爵派の三つの派閥に分かれ、互いを牽制し合っていた。中でも最も力を有していたのがディバイン公爵派だ。
 その当主テオバルドの息子、ノア・キンバリー・ディバインは跡継ぎでありながら、継母から酷い虐待にあっていた。
 父親のテオバルドはノアに全く興味を示さず、仕事にかまけて家に寄り付かない。使用人も虐待を見て見ぬふりをする惨憺さんたんたる幼少期であったため、ノアは心を閉ざしてしまう。
 ノアが十六歳の年、隣国との戦争が勃発ぼっぱつし、ディバイン公爵家も参戦せよとの勅令ちょくれいを受けたが、その頃テオバルドは体調を崩すことが多く、代わりにノアが戦地へおもむくこととなった。
 一年後、息子の帰りを待つことなくテオバルドは死去。ノアは父親を失ったが、長年放置されていたためなんの感慨もわかぬまま、ただただ無機質に戦場で過ごしていた。
 そんな時、衛生兵として従軍していたフローレンスという平民の少女と出会う。
 凄惨な戦争の中でも光を失うことのない瞳と、敵味方関係なく治療をほどこす慈愛の心に惹かれたノアは、少女との交流を通して、氷のように冷え切った心を溶かしていった。
 さらに一年が経ち、隣国との戦争で勝利を収めたノアは英雄として凱旋がいせんする。
 そして公爵位を得て、長年己を苦しめていた継母と見て見ぬふりをしていた使用人たちを罰し追い出すことに成功。
 戦争と同時にフローレンスとの交流は終わりを迎えたが、その後、運命に導かれたかのように帝都で再会した。
 しかし運命の悪戯いたずらか、フローレンスはずば抜けた治癒力の高さと戦地での功績、妖精が見えるという特殊な能力により、帝国唯一の聖女としてイーニアス皇太子の婚約者になっていた。
 互いに惹かれ合うノアとフローレンスだったが、皇太子はそれを許さず、ノアを亡き者にしようと画策する。次期皇帝となるには、三派閥の中で最も力のあるディバイン公爵派の支持を得る必要があり、そのためには聖女との婚姻が絶対条件だったからだ。
 本末転倒ともいえるノアの暗殺計画だが、派閥の支持さえ得られれば当主が誰であろうと構わないと皇太子は考えていた。
 むしろ、ディバイン公爵が死んでくれれば後々国を動かしやすいとさえ思っていたのだ。
 さらに、イーニアス皇太子は悪魔と契約し、邪悪な力を手に入れてしまう。そしてノアの継母を味方に引き入れて……
 しかしノアとフローレンスは力を合わせそれを打ち破り、二人はようやく結ばれた――


 前世で入院中、読んでいたネットマンガ『氷雪の英雄と聖光の宝玉』の内容だ。
 フローレンスは平民だったけど、珍しい治癒魔法だか聖魔法だかの使い手で、さらに聖女の条件である妖精を見る能力があったため、聖女としてあがめられていた。
 そもそも聖女とは、この世界の成り立ちについて書かれた『創世記』という本に出てくる妖精に愛される者で、平民であろうと存在が確認されたら国を挙げて保護される。
 皇太子は、その聖女との婚姻で次期皇帝の座とディバイン公爵派の後ろ盾を得ようとしていた。
 それならノアとフローレンスの二人を応援してあげたら全て上手くいったのに……。って、そのディバイン公爵家は、私が明日嫁ぐところじゃないデスカ? ということは…………悪役の継母って、私ィィィ!?


 転生したのがマンガの世界で、自分が悪役継母だと知っても時すでに遅し。
 放心している間に結婚式当日になり、公爵家の領地に移動していた。あと一時間もしないうちに式が始まってしまう。
 いつの間に着せられたのだろうか。真っ白なウェディングドレスは、さすが公爵家が用意したとあって素晴らしく上等なもので、身につけた宝石も正直値段を知りたくないほど豪華である。

「イザベル、とても綺麗だよ」
馬子まごにも衣装ですね」

 父と弟が、色んな意味で顔を強張らせている私に声をかけてくるが、私はこれから夫になる男を思い浮かべて、それどころではなかった。
 私の夫になる人は確か、『氷雪の英雄と聖光の宝玉』でこんな風に紹介されていた。
 ディバイン公爵家当主、テオバルド・アロイス・ディバイン。女嫌いで、十代から二十代前半で婚姻を結ぶ貴族が多い中、公爵である彼の最初の結婚は、二十代後半の年だった。
 その妻も産後の肥立ひだちが悪く子供を産んですぐに亡くなったが、子が幼いことと、まだ三十代という若さであったために、皇帝陛下より後妻をめとるよう命じられた――
 いや女嫌いって。それもう、私はお飾り妻決定ってことじゃないか。
 ……結局、今世でも子供は望めないのか。
 子供を産めないのは悲しいが、それより問題は義理の息子だ。このままいけば私は、継子ままこに殺され破滅する。
 もちろん前世おばちゃんの記憶があるので虐待は絶対ありえない。しかし、転生あるあるの『世界の強制力』というのが働いてしまったらどうしようもない。
 今のところ、マンガのとおりに進んでいることが私の不安に拍車をかけているのだ。
 最悪、継子ままこが戦争に行ってる間に金目のものを持って逃げるしかないだろう。


「――……を夫とし、なんじ健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか? …………………………ゴホンッ……誓いますか?」

 ハッ! いつの間にか式の真っ最中だった!?
 周りを見ると父と弟はハラハラした顔で、神父さんは眉を八の字にして、私の誓いの言葉を待っている。隣のディバイン公爵は……ノミの心臓を持つ私は顔を見ることもままならない。

「っはい。誓います!」

 声が裏返りそうになりながらもようやっと返事をすると、神父さんはホッとしたように、同じ問答をディバイン公爵にもする。公爵は抑揚のない冷めた声で誓うと、単純作業を繰り返す機械のように淡々と私の手を取り指輪をめた。
 その時、初めて真正面から見た公爵は恐ろしいほどの美貌で、宵闇よいやみのような黒髪から覗くアイスブルーの瞳は冷え切っており、なるほど、氷の大公と呼ばれる理由がよくわかる姿をしていた。
 とどこおりなく式は終わり、その後家族やサリーと別れて公爵家にやってきた。
 ここが今日から我が家となるのか……
 想像していた以上に立派な、もはや城と言っても過言ではない邸宅を前に呆然としてしまう。公爵が付けてくれた侍女にうながされ、躊躇ためらいつつもやしきの中へと入った。
 両脇にずらりと並ぶ使用人たちを見て、前世の卒業式の花道を思い出す。頭の上で手を組んでもらい、人のトンネルと称して通らされた小学生の頃の思い出だ。そんな使用人の間を当たり前のように歩く公爵の後ろ姿を眺めつつ、やはり貧乏伯爵家とは違うなと感心する。

「テオバルド様の奥様で、イザベル様です。本日からこちらでお暮らしになりますので皆しっかりお仕えするように」

 夫とは名ばかりの公爵がこちらを振り返りもせずさっさとやしきの奥へ行ってしまったため、執事長のウォルトが私を紹介してくれた。目の前に並ぶ使用人はしっかり教育されているのか顔には出さないが、皆困惑しているのが伝わってくる。
 そりゃあ顔合わせすらロクにせず結婚した後妻のうえに、興味なんて一切ありませんと言わんばかりに紹介もせず、立ち去っていった主人の態度を見ればそうなるよね。主がそんなふうに扱う後妻の待遇なんて知れているではないか。
 いくら女嫌いでも、めとったのだから最後まで責任をとるべきだろうに。なに様のつもりだ。あ、公爵様か。
 とにかく、ここでなめられて使用人から虐められる後妻人生なんてごめんだ。
 気合いを入れると、背筋を伸ばし胸を張る。

「本日より女主人として、わたくしがこのやしきを管理させていただくことになります。イザベル・ドーラ・ディバインですわ」

 そして優雅に笑ってみせたのだ。
 こういった牽制は最初が肝心なのである。ちなみに女主人とは、公爵を追い出して家を乗っ取るということではなく、妻としてやしきを管理する者のことを指す。決して下剋上ではない。貴族の妻は家内の管理をにない、夫は領地の管理をするというのがこの世界の常識なのだ。

「ノア様! そちらへ行ってはなりませんっ」

 私の牽制に使用人たちがひるむ中、突如、女性の焦った声が耳に届いた。
 使用人たちもさすがに驚き、声の方を見る者がチラホラ。私もそんな使用人の視線を追いかけるように振り向くと、そこにあったのは……、階段上からこちらを見下ろす幼児の姿だった。
 サラサラの銀髪、同じ色の睫毛まつげに縁取られたアイスブルーの瞳は好奇心で輝き、ぷくぷくとしたほっぺはうっすらピンクに染まっている。幼児らしいふくふくした輪郭も、その美貌は隠せない。将来が楽しみな端整な造りをしている。
 なに、この幼児。びっくりするほど可愛いんだけど!?
 ぷにぷにとした小さな手が階段脇の手すりを掴み、短い足は今にも階段を下りようと宙を彷徨さまよっている。

「ノア様! いけませんっ」

 その足が地に着く前に女性に抱き上げられ、ホッと胸を撫で下ろす。
 ――ノア様。
 やっぱりこの幼児が『氷雪の英雄と聖光の宝玉』の主人公、ノア・キンバリー・ディバインか。

「カミラ、なにをしているのですか。ノア様を部屋から出さぬようにと言いましたよね」

 あ?

「も、申し訳ありません! ウォルト執事長」
「早く部屋にお連れしなさい」

 ちょっと、なに幼児を部屋に閉じ込めようとしているの? 私が悪役継母だから会わせたらダメって? いやいやいや、まだなにもしていませんけど。

「お待ちなさい」
「奥様……?」

 執事長が片眉を上げていぶかしげな目を向けてくる。

「そちらにいらっしゃるのは、ディバ……テオバルド様のご子息ではなくて?」
「そうですが……」
「なら当然ご挨拶しなくてはなりませんわね。だってテオバルド様のご子息なら、わたくしの息子になるのですもの」
「そっ……それは、そうですが」

 執事長は、私が幼児に罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせるとでも思っているのだろうか。失礼な。


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