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   第一章 嫁いだ先には旦那様の幼馴染が同居していました


「彼女はアンジェラ、私にとっては妹のようなものなんだ。妻となる君も、どうか彼女と仲良くしてほしい」

 ラルフから彼の幼馴染を紹介されたのは、セシリアがガーランド侯爵家に嫁いできた当日のことだった。
 ラルフの隣に座るふわふわした金髪の女性は、セシリアに向かって満面の笑みを向けてきた。

「初めまして、セシリアさん。貴方が嫁いできてくれて、私もとっても嬉しいわ。私は子供のころからこの屋敷に住んでいるから、分からないことがあったらなんでも聞いてちょうだいね」
「……初めまして、セシリアです。よろしくお願いいたします」
「あら、そんなに緊張しなくてもいいのよ。私たちきっと上手くやっていけると思うわ」

 笑顔のアンジェラと、その隣で満足そうにうなずくラルフ。この状況はなんなのか。
 セシリアは彼らの態度に言いようのない違和感を覚えながら、曖昧あいまいな笑みを浮かべるのが精いっぱいだった。
 その後ラルフと二人きりになったとき、セシリアは小声で問いかけた。

「――あの、失礼ですがアンジェラさんはラルフ様のご親族の方ですか?」
「いや、母の友人の娘なんだ。アンジェラが六歳のときに彼女のご両親が亡くなったから、うちで引き取ることになったんだよ。それ以来、私とアンジェラはこの家で兄妹のように育ったんだ」
「そうですか。それでアンジェラさんは今後もずっとこちらにいらっしゃるんですか?」
「なんだ、君はアンジェラを邪魔にするつもりなのか?」

 ラルフはいかにも不快そうにセシリアを見据えた。婚約時代に二人で顔を合わせていたときには、一度も見せなかった表情だ。

「いえ、そういうわけではありませんが、アンジェラさんはお義母様のご友人のお嬢様なんですよね?」

 義母は結婚式が終わったら、義父と共に南の領地に居を移すことになっている。アンジェラが義母の縁者としてガーランド家に来たのなら、義母についていくのが筋ではないのか。

「母は一緒に南の領地に行こうと誘ったんだが、アンジェラはやっぱり住み慣れた屋敷から離れたくないと言ってね。私としても彼女がいるのはなにかと心強いし、君だって慣れない家でやっていくのに、アンジェラがいた方が安心だろう?」
「――はい」

 笑顔で同意を求めるラルフに、セシリアは仕方なくうなずいた。
 本音を言えば、安心なことなど何もなかった。
 確かにセシリアはガーランド家に来たばかりだし、女主人としてやっていくにあたって不慣れなことも多いだろう。
 しかし家政の取り仕切り方は実家で一通り学んでいるし、この家特有のしきたりについては執事や女中頭にでも聞けばよい。なにも同年代の女性に教えてもらう必要などないのである。
 むしろ「旦那様の幼馴染」という、客人とも親族ともつかない微妙な存在がいる方が、よほどやりづらいのだが。

(仕方ないわ。嫁いで早々に旦那様と喧嘩したくないし)

 これはきっと一時的な措置なのだ。自分が女主人として家政を立派に取り仕切って見せれば、アンジェラとていつまでも新婚夫婦の館に居座ることもないだろう。
 セシリアはそう気持ちを切り替えて、結婚式に臨むことにした。


      ◇ ◇ ◇


 結婚式の身支度というのは、やはり心おどるものである。
 実家からついてきた侍女に手伝ってもらいながら湯あみをし、この日のために用意されたウェディングドレスを身にまとい、髪を結い上げ、化粧を施し、先祖から伝わるアクセサリーを身に着ける。

「お嬢様、本当にお美しゅうございます」

 侍女メアリーの声に促されるように姿見を見れば、そこには純白の花嫁となった自分の姿が映っていた。

(いよいよ私はラルフ・ガーランドの妻となるのね)

 そう考えると、セシリアの胸にラルフと出会ってから今日までのことがよみがえってきた。
 ラルフとの婚約は家同士の政略によるもので、どちらかと言えばラルフの実家であるガーランド侯爵家に益がある話だった。
 セシリアの実家であるサザーランド伯爵家は、やり手当主の父のもとで領内に次々と産業を興し、王国屈指の豊かさを誇っている。
 一方ラルフの実家であるガーランド侯爵家は古くから続く名門だが、方々に借金をこさえて没落寸前と噂されていた。
 そこで双方と付き合いがある公爵家が、サザーランド家の長女であるセシリアをガーランド家の嫡男であるラルフに嫁がせることで、サザーランド家からガーランド家に援助をしてやれないかと持ち掛けてきたのである。
 その公爵が言うことには、「娘を名門侯爵家に嫁がせることができるのだから、サザーランド家にとっても悪い話ではないだろう」ということだったが、セシリアの父にしてみれば、勢いのあるサザーランド家との繋がりが欲しい名門貴族は他にもいるし、あえて貧乏侯爵家と親類になるメリットはさほどなかった。

「仲介したレナード公爵の顔を立てる形で一応顔合わせは行うが、お前が嫌なら別に断っても構わないからな」

 顔合わせの前に、セシリアは父親からそんな風に言われていた。
 しかし実際に会ってみたところ、ラルフ輝くような金髪と澄んだ青い瞳の美青年であり、柔らかな物腰や優しい声音に、セシリアはあっさり恋に落ちてしまったのである。
 家柄を鼻にかけるようなところは微塵もなく、「君みたい魅力的な人が、うちに来てくれたらきっと素敵だろうな」と微笑みかけるラルフに、セシリアは夢見心地で婚約を承諾し、二人は晴れて婚約者同士となった。
 その後何度かデートを重ねたが、ラルフはいつも優しく紳士的で、エスコートの仕方や話題の選び方、どれひとつとっても「この人とならば幸せな家庭を築けるだろう」と思わせるに十分なものだった。
 またセシリアが嫁ぐに際して、義父はラルフに爵位を譲って義母ともども南の領地に引っ込むことを約束しており、義父母との付き合いというわずらわしさと無縁でいられることも、セシリアを安心させていた。
 嫁いだあとは優しい旦那様と二人で力を合わせ、新たなガーランド家の歴史を築いていくのだとばかり思っていた。
 それなのに――

(まさかあんな人がいるなんて……)

 ラルフからアンジェラについてなに一つ聞かされていなかった。その事実がまたセシリアの不安を掻き立てる。
 それでもここまで来てしまった以上、もはや後戻りするすべはない。

(大丈夫、きっと幸せになれるわ)

 ラルフは自分を愛しているし、自分もラルフを愛している。だからきっと大丈夫だ。セシリアはそう思いたかった。
 支度を終えたセシリアが控えの間に入ると、母が「まあセシリア、なんて美しいの」と感嘆の声を上げた。

「小さかったお前がこんなに大きくなるとはなぁ」

 いつもは冷静な経営者である父も、目に涙を浮かべている。

「よく似合ってるぞセシリア」
「お姉様、すごくお綺麗です!」

 兄のリチャードと妹のエミリアが口々にセシリアの花嫁姿を賞賛し、集まった親族たちも皆、目を細めて祝福の言葉を口にした。
 その中に懐かしい姿を見出し、セシリアは驚きの声を上げた。

「いらしてくださったんですか、アイザック兄様」
「ああ、やはり来るべきだと思ってね。宰相閣下から特別休暇をもぎとってきたんだ」

 叔父の次男であるアイザック・スタンレーは、王立大学を首席で卒業したあと、宰相の補佐官として王宮で働いている。国王からも目をかけられており、いずれ適当な領地と爵位をたまわって、宰相の地位を継ぐのではないかと言われているほどの、大変優秀な人物だ。
 今日の結婚式には一応招待していたが、普段から多忙を極めている彼のこと、おそらく欠席だろうと半ば諦めていたのである。

「ありがとうございます。アイザック兄様」
「……どうか幸せになってくれ。そうでないと、私も君のことを諦めきれないからね」
「まあアイザック兄様ったら、王宮に勤めるうちにそんな軽口をおっしゃるようになりましたのね」

 セシリアが笑いながら言うと、アイザックはどこか切なげに微笑んだ。
 セシリアが子供のころ、アイザックはよく一緒に遊んでくれる優しい兄のような存在だった。いや率直に言えば、実兄のリチャードよりもよほど兄らしかったとさえ言える。
 リチャードがなにかにつけて「セシリアは探検についてくるなよ」「女はすぐ泣くから足手まといなんだ」などと意地悪なことを言うのに対し、アイザックはいつだって「僕はセシリアが一緒の方が楽しいと思うな」とセシリアの味方をしてくれた。
 セシリアが恐ろしい野犬に囲まれたときはすぐに駆け付けて追い払ってくれたし、足をくじいて歩けないセシリアを負ぶって連れ帰ってくれたこともある。外を駆けまわるのが大好きなおてんば少女だったセシリアに、読書の楽しみを教えてくれたのもアイザックである。
 しかしお互い年ごろになってからはなんとなく距離ができてしまい、あまり話すこともなくなった。たまに親族の集まりで顔を合わせても、アイザックはセシリアにはいつもよそよそしくて、つやめいた態度をとったことなど一度もない。
 今のはちょっとした冗談のつもりなのだろう。

「だけど冗談でもそんな風におっしゃっていただけるのは嬉しいですわ。私は『もしかしてアイザック兄様に嫌われているのかも?』って、ちょっと心配していましたのよ」
「それはとんでもない誤解だよ。セシリア、私は――」
「やあセシリア、見違えるようだよ」

 そこに花婿姿のラルフと彼の両親、そしてなぜかアンジェラまでもが彼と一緒に現れた。
 ラルフに寄り添うアンジェラの姿に、セシリアは思わず息をんだ。
 アンジェラのドレスは純白で、ラルフの隣に並ぶとまるで彼女こそが今日の花嫁のようだった。

「とても綺麗だよ、セシリア」

 花婿姿のラルフが微笑みながら賞賛の言葉を口にした。彼の隣には相変わらず純白の衣装をまとったアンジェラがべったり張り付いている。

「……ありがとうございます。ラルフ様も素敵です」

 セシリアは隣のアンジェラに違和感を覚えつつも、笑顔を作って返答した。

「ごめんなさいね、白いドレスはやめるように伝えたのだけど」

 横から義母が言い訳がましくささやいた。
 セシリアがなんと返答したものかと迷っていると、先にアンジェラが口をとがらせて反論してきた。

「あら、だって今日はラルフの特別な日だもの。一番気に入っているドレスを着てお祝いしたかったのよ。小母おば様だって以前このドレスはとても似合っているとおっしゃっていたじゃない」
「それはそうだけど」
「まあいいじゃないか。なにもこんな日に揉めなくてもさ。セシリアだって別に気にしていないよ。そうだろ?」

 こともなげに言うラルフに、セシリアは曖昧あいまいな微笑を返すより他になかった。
 その後、皆で屋敷についている聖堂に移動し、いよいよ結婚式が始まった。
 父と共にバージンロードを歩み、祭壇の前で夫となるラルフに託される。讃美歌と神父による祈祷、そして誓約。全ては手順通りなめらかに行われた。

「新郎ラルフ、あなたはセシリアを妻とし、病めるときも健やかなるときも、愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?」
「誓います」
「新婦セシリア、あなたはラルフを夫とし、病めるときも健やかなるときも、愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?」
「誓います」

 そして指輪の交換が行われてから、ラルフの手によって、花嫁のベールがとりのけられる。
 すぐ目の前にあるラルフの温かな微笑みに、セシリアは胸の高鳴りを覚えた。
 婚約期間にデートを重ねていたものの、彼と口づけを交わすのは、これが初めてのことである。
 ゆっくりとラルフの唇が近づいてくるのを、セシリアは目を閉じて待ち受けた。
 ところが触れ合う直前になって、参列者の一角で悲鳴が上がった。

「アンジェラ様! 大丈夫ですか、アンジェラ様!」

 その名を聞いた瞬間、ラルフはほとんど花嫁を突き飛ばすようにして、アンジェラのもとに駆け付けた。
 倒れ伏しているアンジェラを、ラルフが両腕で抱き起こし、心配そうな声で呼びかけた。


「アンジェラ! アンジェラ! 大丈夫か?」

 対するアンジェラはうっすらと目を開けて、ただ「ラルフ……」とか細い声で名を呼んだ。

「どうしたんだ? 気分が悪いのか?」
「ええ、少し……」
「旦那様、アンジェラ様は体調を崩しておられるようです。すぐにお部屋にお連れしてください」

 女性使用人の言葉に、ラルフは「分かった」とうなずいて、腕にアンジェラを抱いたまま、足早に聖堂を出ていった。先ほどの女性使用人があとに続き、残された者たちはただ顔を見合わせるよりほかになかった。

「……あの方はなにか持病でもおありなのですか?」

 やがてセシリアの父がサザーランド一族を代表する形で、義父に向かって問いかけた。

「いえ、持病というほどのものではないのですが。アンジェラは昔から身体が弱くて、よくああして貧血を起こしているのです」
「そうですか。なにか重いご病気というわけではないのですね」
「はい。今までいろんな医者に診せたのですが、なにかこれといった原因があるわけではないようです。成長と共に丈夫になるだろうと言われていたのですが、どうもなかなか良くならんようで」
「ええ、そうなんですの。可哀そうな子なのです」

 義母が横から言い添える。

「ところで花婿のガーランド君はどうしたんでしょう。まだ戻って来ないようですが」

 従兄のアイザックがいぶかしげに口をはさんだ。

「え? あの子はあのままアンジェラに付き添っているのだと思いますが」
「アンジェラ嬢に?」
「はい。なにしろ二人は兄妹同然に育ちましたからね。心配なのでしょう」
「そうですか。では我々は彼が戻ってくるまで、ここで待たねばならないということですね」

 その言葉に、義父は一瞬虚を突かれたような表情を浮かべた。

「だって、もちろん結婚式を続けるのでしょう?」

 アイザックが重ねて言うと、義父は「え、ええもちろんですとも。このまま続行しますよ」と焦ったように口にした。
 生死をさまよう重病ならばいざ知らず、しょせんはただの貧血である。しかも相手は花婿の血縁ですらない居候いそうろうだ。両家が集まっての大切な式を中断するような事態ではないことが、ようやく理解できたのだろう。

「お前、ラルフを呼びにやりなさい」

 義父が義母に向かって言った。

「え、でも」
「マーサが付き添っているんだからいいじゃないか。いつまでも皆さんをお待たせするわけにもいかんだろう」
「……分かりました」

 やがて義母に連れられて、ラルフが聖堂に戻ってきた。
 そして改めて誓いの儀式が行われたが、彼は心ここにあらずといった様子で、すぐ前にいるセシリアの姿が目に映っていないようだった。
 その後、場所を中庭に移して披露宴が始まった。披露宴は立食形式のガーディパーティで、客たちは自由にテーブルの間を行き来しながら、歓談しつつ料理を楽しむ仕様になっている。
 ラルフはしばらくの間セシリアと共に招待客の相手をしていたが、少し客が途切れたときにふいにセシリアに耳打ちした。

「ごめん、ちょっとだけ行ってくるよ」
「え?」

 そしてラルフはセシリアに背を向けると、そそくさと館の方へと立ち去った。

(え、まさか私を置いて行ったの? 披露宴の最中に?)

 一人残されたセシリアが呆然と立ちすくんでいると、後ろから「やあセシリア嬢、本当になんて美しい花嫁姿だろうね」と陽気な声が響いてきた。
 振り向くとでっぷり太った男性がにこやかな笑みを浮かべて立っている。ジョージ・レナード――セシリアとラルフを仲立ちしたレナード公爵その人だ。

「ありがとうございます、レナード様。ラルフ様は今ちょっと席を外しておりますの」

 セシリアがそう応じると、レナードは「ああもちろん、分かっているとも」としたり顔でうなずいた。

「ラルフ君はアンジェラ嬢の様子を見に行ったんだろう? あの二人は昔から本当に仲が良いからね」
「……レナード様は、アンジェラさんのことを以前からご存じだったのですか?」
「そりゃあね。ガーランド家とは家族ぐるみの付き合いだし、アンジェラ嬢のことは昔から良く知ってるよ。アンジェラ嬢は子供のころから天使のように可愛くてね。ラルフ君はいつもぴったりあの子にくっついて、あれこれ世話を焼いていたもんさ」
「そうなのですか……」
「そうなのだよ。だけどあの二人はあくまでただの幼馴染だからね? 花嫁さんはアンジェラ嬢にやきもちを焼いちゃあいけないよ?」
「ええ。もちろん分かっておりますわ」

 セシリアはなんとか笑顔を作って返答した。
 ラルフはとても優しいから、体調を崩した幼馴染を放っておけなかった、それだけだ。
 自分が嫉妬をしたり、不安に思ったりする理由など、ただの一つもありはしない。
 セシリアはグラスを手に取ると、もやもやした思いを葡萄酒ぶどうしゅと共に飲み込んだ。
 披露宴が終わる直前になって、ラルフはようやく戻ってきた。そしてセシリアと共に客人たちを見送った。

「じゃあな。ラルフ、あとのことは頼んだぞ」
「はい。お任せください父上」
「ラルフ、セシリアさんと仲良くね」
「はい。もちろんです母上」

 南の領地に向かう義父母に対し、ラルフは力強く請け合った。
 和やかなガーランド家に対し、セシリアの親族は皆どこか気づかわしげな様子だった。

「それじゃあセシリア、元気でね」
「はい、お母様」
「お姉様、絶対お手紙ちょうだいね」
「ええ、絶対書くわ。エミリア、貴方も手紙を書いてね」

 セシリアが皆と別れを惜しんでいると、従兄のアイザックが意を決したように口を開いた。

「セシリア、もし何か困ったことがあったらすぐに連絡をよこしてほしい。私は君のためならいつだって飛んでいくからね」
「まあ、ありがとうございます。アイザック兄様」
「そうだ、これを渡しておくよ」

 アイザックがふと思いついたように、自分の指輪を外してセシリアに差し出した。

「あの、これは……?」
「あ、いや、別に変な意味じゃないんだ。ただこれは私の身分を表すものだから、これを王都や直轄領ちょっかつりょうの役所で見せれば、私の関係者だと証明できる。いざというときはこれを使って私を呼び出して欲しい」
「そんな大切なもの、受け取れません」
「頼む、君に持っていてほしいんだ」

 真剣な面持ちで懇願するアイザックに、セシリアは思わず苦笑した。

「分かりましたわ、アイザック兄様。これはお預かりいたします」

 結婚式と披露宴の出来事で、アイザックにまで心配をかけてしまったらしい。
 実際には王宮で忙しく働く彼を呼び出すなんてできるわけがないが、その気持ちが嬉しくて、セシリアは温かい気持ちに包まれた。



   第二章 ガーランド邸の人々


 やがて客人は全て引き上げて、今のこの屋敷にいるのは使用人を除けば、ラルフとセシリア、そしてアンジェラの三人きりになった。本来なら二人きりのはずだったが、今さらそれを考えたところで仕方がない。
 ともあれセシリアの女主人としての毎日が、まさに今これから始まるのである。

(これから頑張らないといけないわね)

 セシリアがそう決意を固めていると、ラルフが声をかけてきた。

「セシリア、披露宴では一人にして悪かったね」
「いえ……アンジェラさんの具合はいかがですか?」
「うん、だいぶ良くなったみたいだよ。君にも心配をかけたね」
「いいえ、大したことがなくてようございました」
「ありがとう。これからよろしく頼むよ、セシリア」
「はい。こちらこそよろしくお願いします、旦那様」

 一生に一度の結婚式をめちゃくちゃにされたのは辛かったが、いつまでも引きずっていても仕方がない。いずれ「あのときはちょっとショックだったわ」なんて笑い話にできる日も来るだろう。
 その後セシリアに主だった使用人たちが紹介された。
 執事のジェームズは先代からガーランド家に仕えている白髪頭の老人で、「ようこそおいでくださいました。ガーランド家に新たな女主人をお迎えできることを、心からおよろこび申し上げます」と慇懃いんぎんに頭を下げた。少なくとも表向きはセシリアのことを歓迎している様子である。
 一方女中頭のマーサはいかつい顔つきの中年女性だが、「初めまして。マーサと申します」と淡々とした口調で言うのみで、愛想笑いすら浮かべなかった。

(この人、確かアンジェラ様って叫んでいた人よね)
『――アンジェラさま! 大丈夫ですか、アンジェラさま!』

 誓いの儀式の最中に、悲鳴のような声でアンジェラの名を呼んでいた女性使用人に間違いない。

(あのときはずいぶん感情豊かに見えたけど、こうしてみるとなんだか気難しい感じの人なのね)

 セシリアがとまどっていると、ラルフが「マーサはうちではジェームズの次に古株なんだ。私たちが子供のころは、良く二人でいたずらをしてはマーサに大目玉を食ったものだよ」と横から説明した。

「私たち?」
「私とアンジェラだよ」
「そんなこともございましたねぇ」

 それまで仏頂面だったマーサは、アンジェラの名を聞いた途端に相好を崩した。

「本当に旦那様とアンジェラ様は幼いころから仲が良くて、いつも一緒に遊んでおられましたねぇ。私ども使用人は、お二人は本当にお似合いだってよく噂していたものですよ。ですからよその伯爵家から奥様をお迎えになると聞いたとは、そりゃあもうびっくりいたしました」
「はは、なにを言ってるんだいマーサ」

 ラルフはこともなげに笑っているが、セシリアは上手く笑えなかった。マーサが自分に対して冷たい理由がなんとなく飲み込めたからである。


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