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1巻
1-1
しおりを挟む第一章 転生したらみそっかす王女でした
「あんたたち、クビ」
ソファーから立ち上がりトコトコと使用人たちの前まで歩くと、私は手を腰に当てて胸を少し反らせた。
そして偉そうにむふーっと鼻息を荒くして、私はもう一度言い放つ。
「聞こえにゃかった? あんたたち、クビ。もういらにゃいから」
◆◇◆
――喉がひどく渇いて、目が覚めてしまった。
水を飲もうと、私は体をのろのろと起こそうとする。
……あれ、動かせない?
なんかすっごく、体がダルい……
溢れ出る倦怠感に対抗してなんとか体を起こし、ふと体の違和感を覚えた。
「……手がちっちゃい?」
視線を下ろし、手を握ったり開いたり、グーパーグーパーしてみる。
手が縮んでいる。よく見ると足も縮んでいる……
アラサー女の体が、見慣れない子供の体になっている。
「え、なんで!?」
見覚えのないワンピースタイプのパジャマだし、寝ているベッドも天蓋付きで、普段寝ているベッドじゃない。
ここはどこだろう、とキョロキョロ周りを見て……さらなる違和感に気づいた。
「部屋が暗しゅぎりゅような……?」
いつも寝るときは真っ暗ではなく、常夜灯を点けて寝ているはず。
でもどれだけ目を凝らしたところで、常夜灯はどこにも見当たらない。
軽く頭を横に振り、とりあえず水を飲みに行こうと、重い体をズルズルと引きずって、ベッドを降りてみる。
小さく縮んだ体でヨタヨタと暗がりを歩き、途中にある少し光が差しこむカーテンを開けてみた。
太陽が昇り始めているのか、うっすらと明るい空が見える。
部屋に視線を戻すと、まっったく見覚えのない部屋に、まっったく買った覚えのない調度品の数々が並んでいた。
つい、眉間にシワが寄ってしまう。……これは、私の治らない悪癖なんだよなぁ。
とりあえず明るくなった部屋をぐるりと見渡すと、さっきまで自分が寝ていたベッドのサイドテーブルに、水差しとコップが置いてあったので、トテトテと拙い足運びで近づき、その水差しの蓋を開けてみる。
「うえっ、くしゃ!」
なんじゃこりゃ、水が腐ってるよー!?
この部屋の広さといい、置かれている調度品といい、お金持ちの家に違いないのに、用意された水が腐ってるって、どうなってるの!?
はぁ~っと、思わずため息をつく。
……いや、とりあえず落ち着いて、今の私の状況を把握することにしよう。
私はアラサーの独身女、スタイルは中肉中背だった。
でも今は……どう見ても子供、たぶん小学校低学年ぐらいの子供の姿。
しかも健康だけが自慢だったはずなのに、今の体は病的なほどに痩せていて、ちょっと動いただけで息が切れちゃう、この体力のなさ。
極めつけは、小さなワンルームに住んでいたはずなのに、起きたら知らない部屋で寝ていた状態。
「どうなってりゅの?」
言葉を発して、とっさに手で口を押さえた。
……舌が回らないのか、この子ってば噛み噛みなんですけどぉー!
口から手を外し、じっと小さくなった両手を見つめながら昨日の自分の行動を思い出してみる。
昨日は仕事に行って、少し残業になったからご飯作るのが面倒になって、コンビニでお弁当買って……
いや、たしかコンビニでお会計中に、なんかすごい明るいライトに照らされて……
「ううん、これは……もしかして……?」
事故死からの、転生ってやつ?
いやいや、そんなまさか……と否定したいけど、コンビニに突っこんできた車か何かに巻きこまれ死んでしまっただろう私が、目覚めたら子供の姿になっていたって、異世界転生以外のなんなんだよっ。
私は、切り替えの早い女だから、なんとなく今の状況を受け入れていた。
どうやら、今生も女の子みたいだ……ちょっと発育不良だけど。
「鏡、みちゃい……」
この広い洋室に置かれているのはベッド以外に、ソファーセットと装飾の可愛い白い文机と椅子。
部屋の端には同じく白い大きなクローゼットとドレッサー、鏡があった。
全身が映せるほど大きな鏡の前に向かい映った自分の姿を見て、口がパッカーンと開いてしまった。
艶のない茶色の髪が背中を覆うほどに長く、全体的にボサボサに痛んでいる。
病的なほど青白い肌には骨が浮き出ていて、伸ばしっぱなしの前髪を掻き上げて顔を見ると、目の下には隈がべっとりと付いていて、唇は紫色でカサカサに乾燥していた。
唯一綺麗なのは、明るい金色の瞳くらいだった。
我ながら、これはひどい。いわゆる養育放棄の被害者みたいだ。
今世の私は恵まれていないようだ……残念です。
人生ハードモードか……嫌だな。
ズーンと気分が落ちていると、急に部屋の扉がバタンッと大きな音を立てて開いた。
えっ、何事!?
驚いて身構えると、メイド服を着た人がワゴンを押しながら部屋に入ってきた。
そして私と目を合わせることもなく、持ってきた食事らしきものの皿を無言でテーブルに並べていった。
おいおいっ、ノックは!?
自分が今いる場所も状況もわからないけど、恰好から見てあなたメイドだよね?
なにその態度! 「おはようございます」ぐらい顔に笑顔ひっ付けて言いやがれっ!
挨拶と笑顔は社会人の基本だろぉが!
心の中では文句を言いたい放題だったが、実際はポカーンとしている間に、態度激悪メイドはワゴンを押してさっさと部屋を出ていってしまった。
出ていくときにこちらを向いてお辞儀もしなかった、と内心で舌打ちしてブチブチ文句を言いつつも、ちょっとだけ期待してテーブルに置かれた食事を覗きこんだ。
……なに、これ!?
テーブルの上には見た目からして堅そうな黒くて丸いパンと、ほとんど具のない薄い色のスープ。
……これ、食べて大丈夫なやつ?
えっ、というか私の食事っていつもこんな感じなの?
だって、私の体って腕も足も棒みたいに痩せてるし。
ということは、お腹がぽっこりしてるのって、栄養不足だから?
おい、ちょっと責任者出てこいっ!
今の私は子供だぞ、お子ちゃまだぞ!
栄養大事、成長大事!
貧しい家庭ならしょうがない。
でもこの部屋のグレードの高さで、この粗末な食事はないでしょう!
水差しの腐った水といい、この粗末な食事といい、メイドの態度といい……
もう、頭にきたっ!
ここがどこだとか、今の私は誰だとか、いろいろ考える必要があるけど、そんなの後回しや。
人間、腹が減ったらなにもできないんじゃ!
むふーっと鼻息を荒くして、私は部屋の扉を開けて……開けようとして――いや、この扉、重いな。
よいしょ、よいしょと、なんとかして重い扉を押して体がすべりこめる隙間を作り、部屋を出たのだった。
重い扉から小さな体をすべりこませ出た部屋の外には、長~い廊下にそれを覆う赤い絨緞が敷かれていて、壁は白地に金糸銀糸のアラベスク模様で豪華に装飾され、廊下には等間隔で飴色に輝く花台が置いてある。
裸足で歩く私にとって、毛足の長い絨緞が敷いてあるのはとっても嬉しい仕様だ。
とってもお金持ちの雰囲気がするお屋敷だけど……なんで花台だけあって花瓶が置いてないの?
廊下をぐるりと見渡すに、私のいた部屋はお屋敷の奥まった場所にあるらしい。まっすぐ続く廊下をトテトテとしばらく歩くと、ようやく下への階段が見えてきた。
下の階に続く長い大階段は幅がとても広く、やはりこちらにも赤い絨緞が敷かれている。
なにこの階段、どこのセレブのお屋敷だよ!
こんな大階段、舞台のセットでしか見たことないぞ。
しかも、私の部屋のあった場所と違って、ここはちゃんと掃除されている。
私の部屋を含む一角は、どうもメイドたちが掃除をサボっていたのか、歩くたびに埃がもうもうと舞っていたもんね。
ところで体力のないこの体は、はたしてこの階段を無事に下りられるのだろうか?
すでに息は絶え絶え、足はブルブル震えているんですけど……
不安と緊張でゴクリと唾を飲みこみたいところだが、そもそも喉が渇いていて飲みこむ唾も出やしない。
片側の手摺りを両手でぎゅっと掴み、屋敷の真ん中に鎮座する大階段を一段一段慎重に、そぉーっと、そぉーっとゆっくりと下りていく。
……しかし、ここはどこなんだろう?
たぶん、転生している時点で日本でも地球でもないはず。
漫画やラノベでよくある異世界転生なら、中世ヨーロッパに近い感じの文化圏なのかなぁ。
掴んでいる手摺りを見てみると、たしかに中世ヨーロッパのキラキラしたロココ調っぽいデザインで、あちこちの壁や柱も華美な装飾が多い。
うん、絶対日本じゃねーな。
キョロキョロ辺りを見回しながら頑張って階段を下りていると、階下から人の話し声が聞こえてきた。
話し声……というより、なんか誰かが揉めている?
一体何事だ、と安全第一ながらも階段を下りる足を早めて必死に階下に辿り着き、声のするほうに顔を向けた。
そこは広いエントランスホールだった。
高い天井からは、スズランの花のようなランプシェードのシャンデリアが下がり、左右にはいくつか扉が見え、階段を下りてきた正面には大きな両開きの扉がある。
まぁ、庶民の家なら玄関ってとこかな。
その扉が少し開いていて、声はそこから漏れ聞こえてきているみたい。
私は好奇心丸出しで、その扉に近づく。
床は絨緞敷きから大理石っぽい白い石材に変わっていて、裸足で歩くとペタペタと情けない音がするが、気にしてはいけない。
そっと、少し開いている扉に手をかける。
「王女殿下は体調が優れずお休みになられています。お引き取りくださいませ」
「だからそれを聞いて、こちらも先ほどからぜひお見舞いを……それが無理ならお医者様の手配を、と言ってるではないか」
……え、誰?
一人は黒を基調としたロングドレス風のメイド服を着て、黒い髪をお団子にまとめた若い女の人だ。
さっきの態度激悪メイドと同じ服装だし、ここの使用人だろうね。
で、もう一人は小太りなおじさん。
頭の天辺にだけちょこんと金髪が生えていて、柔らかそうな真っ白い肌に、ぷにぷにの体をしている。
着ている服はスーツに似ているけど、臙脂色のジャケットは膝丈までの長さがあり、襟からズラーッと複雑な刺繍が施されている。
中に着ているベストは淡いクリーム色で、ボタンがキラキラする貝で作られていた。
小太りなおじさんなのに、首元がフリフリのブラウスを着て窮屈そうに見えるし、ズボンはジャケットと同色で膝までの長さしかない。
その太い足に白いストッキングを穿いて、黒い革靴は踵がちょっと高いという、典型的なザ・お貴族様っぽい立派な恰好だ。
メイドに対して偉そうな態度だけど、偉い人なのかな?
「とにかく、中に入らせてもらうぞ!」
小太りなおじさんが、通せんぼしていたメイドを押しのけてこちらに向かってくる。
おじさんの後ろには、別の貧相なおじさんと衛兵らしき人が何人も続いて、こちらに向かってきている。
――あ、ヤバい、見つかる。
逃げなきゃ、と体を反転させる前に、小太りなおじさんは扉を大きく開けてしまった。
小太りなおじさんと、私の視線が『こんにちは』してしまう。
み、見つかってしまった、と私はダラダラ冷や汗が止まらない。
小太りなおじさんは目をカッと見開いて私を見ると、その場に跪き、胸に手を当てて深く頭を下げた。
「初めてお目にかかります。シルヴィー第四王女殿下」
ええーっ、誰それ!?
……シルヴィー第四王女殿下……私ではない。
いいや、私は……シルヴィー……
私は……誰?
小太りなおじさんが跪くのをよそに、私の目の前は霞がかり、朧げな何かが見えている。
ううん、これは私の記憶だ。
前世の私じゃない、この痩せっぽちな子の記憶だろう。
女の人に手を引かれて、花壇に咲いた花を愛でる幼い私がいる。
女の人は、私と同じ茶色の髪に金色の瞳で優しく微笑んでいる。
私たちの後ろに、静かに初老の男の人が佇んでいる。
執事服かな? カチッとしたお仕着せの服装をしている。
そんな……平和で優しい記憶。
それが砂嵐のようにサァーッと消えて……私、一人だけになった。
場面は変わり、さっきまでいた私の部屋。
私以外、誰もいない。カーテンから日が差していたが、そのまま時間が過ぎて夜になる。しかし夜になっても誰も来ない。
部屋の明かりもなく、真っ暗の中……一人ぼっち。
そのあとは、次々と光景が目まぐるしく変わっていく。
私の部屋から、何かを持ち出すメイドたち。
運ばれてくる食事は薄いスープと黒いパン、しかも一日に一度だけ。
掃除が一切されない部屋に、何日も同じ服を着た私がポツンと立っている。
誰とも話さない日々が続き、とうとう誰からも無視される存在と成りはてる。
そうして、私は私の考えも感情も、何もわからなくなった。
あぁ……違う。
きっと私は諦めてしまったんだ、生きることを。
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と、そこで、ハッ、と我に返った。
私の記憶に囚われていたのは短い時間だったらしく、小太りなおじさんはまだ跪いたままこちらを見ている。
そして、ちょうどそこで自分の異変に気づいた。
ゆっくりと辺りを見回す。
意識をして、よく見てみる。
さっき見たときと変わらないはずのエントランス、お花の形のシャンデリア、ひんやりする大理石の床、舞台セットのような赤い絨緞が敷かれた大階段がある。
でも、私にはさっきとは違うものが見える。
……ふふっ、面白くなってきたわ。
私の能力に、やっと私が気づいたのよ。
よしっ、やったるぜ!
「……はじめまして」
おじさんへと友好の印に手を差し伸べて、にっこり無邪気に笑ってみせた。
小太りなおじさんは満面の笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がり、胸に手を当てたまま軽く一礼した。
「どうじょ、中へ……」
右手をお屋敷の中へと指し示して、おじさんを誘導する。
通せんぼしていたメイドがひきつった声で「えっ!」とか言っているけど、無視無視。
そのままおじさんを先導しながら歩くと、ペタペタと音が鳴った。
あ、そういえば私ってば、裸足のままだったっけ。
そろーっと、おじさんの様子を窺うと、ギョッとしたかのように私の足をガン見して、そのまま視線を上げ、信じられないものを見たように顔を強張らせた。
やがて顔が段々真っ赤になり、おじさんは両手を固く握りしめ、体全体を小刻みに震わせる。
えっ、この人大丈夫……と私が慄いていると、どこからか執事服を着た男の人が小走りに近づいてきて、あれよあれよと私たちを、応接間らしき部屋へ押しこんでいった。
さて、と。改めて、応接間の豪華なソファーに座って、〝楽しい〟お話をしましょう。
というかこのソファー、めちゃくちゃフカフカで気持ちが良くて気分が爆上がりしたのに、メイドが淹れた紅茶が酷いせいで、気分ガタ落ちだよ!!
ホント、ブレないなっお前たち!
色の薄い紅茶……なら飲んでしまうが、じーっと見てみると、古い水とカビた茶葉で淹れてあるので飲めません。
くそっ。
対面に座った小太りなおじさんは自己紹介から始まり、ずっと一人でベラベラ喋っている。
私はそれに適当に相槌を打ちながら、さっき気づいた自分のステータスを思い出し、これからの作戦を頭の中で考えることにした。
この小太りなおじさんは、トマ・ド・クシー子爵。
内務官という役職で、仕事は主に王宮、王族に関することのお世話をあれこれ……とか言っていた。
なんとなく前世の感覚で、宮内庁の役人みたいな人と認識しました。
小太りなおじさん――クシー子爵の斜め後ろに立つ貧相な体つきのおじさんは、部下の事務官らしい。
ぞろぞろ連れていた兵士はやっぱり衛兵で、応接間にはその内の二人がついてきて、クシー子爵の後ろに控えている。
クシー子爵の話では、私のいるお屋敷――王城の離れは、王宮の敷地の端も端にあるそうだ。
移動するときには馬車が必須な距離で、王宮の敷地内なのに衛兵を連れていくレベルの安全性が乏しい場所に建てられているとのこと。
さらに話を聞いていくと、どうやらこの離れのお屋敷は、王宮に勤めているベテランの役人にさえその存在を知られていないという。
そんなところに子供一人で生活させるなんて、あんたらは鬼かっ!
そして、クシー子爵は何やら私に用事があってここを訪れたんだって。
この人、内向きの仕事を任されている役人ということは、王宮で働いている使用人の人事権とか持ってるよね?
私の都合のいいことに、クシー子爵は王族第一主義、王族フェチの人っぽい。
だって、この私の姿を見ても、王族ってだけでキラキラした崇拝の視線で見てくるし、めちゃくちゃ誉めて持ち上げてくれるんだよね。
お喋りの内容も、今日は陛下がどうした~とか、王子殿下が優秀で~とか、王族賛辞が止まらない。
さすがに、私がこのみすぼらしい姿で使用人に相手にされていないところを見たら、私を蔑むまでいかなくても冷ややかな視線の一つも寄こしそうだが、反対にクシー子爵は、私の世話という重要な仕事を放棄している使用人たちに忌々しい表情を向けている。
ということは、少なからずこの人は私の敵ではなさそう。
私はとある考えを思いつき、部屋にいる使用人の一人、この応接間まで私たちを案内してきた執事服の壮年の男をじっと【鑑定】する。
それを終えるとスッと視線を移して、その隣に立つ髪をお団子にまとめたメイドを【鑑定】した。
……ふむふむ。
「クシー子爵……」
私はわざと小さな声でクシー子爵を呼び、顔を寄せる。
機嫌よくお喋りしていたのを止めて、クシー子爵も私のほうに顔を寄せてくれた。
どうも、長い間ほとんど人と会話らしい会話をしてこなかった私の舌や口の筋肉は衰えまくっていて、噛みまくりになるんだが、とりあえず頑張ってお話しする!
他の人に聞こえないように、クシー子爵の耳元へひそひそ。
「えっ!」とクシー子爵は一瞬肩をビクッとさせたが、それ以外は極力平静を保ちながら、私の内緒話を黙って聞いてくれた。
話を終えて寄せていた顔を戻すと、クシー子爵は後ろに立つ事務官をチョイチョイと指で呼び、その人の耳元でひそひそ。
事務官はまったく動じずに、ふむふむと頷いている。
そして事務官は衛兵の一人の耳元でひそひそ。
内緒話を聞いた衛兵はギョッとした顔で事務官とクシー子爵を見たあと、そのまま応接間を出ていった。
クシー子爵が私を見て、満面の笑みで頷く。
よしっ、作戦開始だ!
私はさっき【鑑定】した執事服の使用人に顔を向けて、「ねぇ」と呼びかけた。
いや、名前がわからないから名前を呼ぼうにも呼べないんだよ。
正しくは、【鑑定】で名前ならわかるけど、本人から正式に教えてもらってないからね!
だから、「ねぇ」って呼びかけたんだけど、あの野郎、無視してません?
私はちょっとムッとして、もう一度「ねぇ」と呼ぶ。
……あぁ、無視ですか、そうですか、こんにゃろ。
すぅーっと息を吸って大声を出そうとしたら、ガチャンと茶器が大きな音を立てて乱暴にテーブルに置かれた。
「おいっ、殿下が呼んでいるのが聞こえんのか!」
小太りなおじさん、怒です。
おぉーっ、いいぞ、もっとやれ~!
使用人が慌ててクシー子爵に愛想笑いをするけど、時すでに遅しですよ。
その態度にイラッときたクシー子爵は、鋭い視線で使用人を睨んだ。
使用人の隣でメイドがオロオロしているのが、ちょっと笑える。
「ねぇ、ここで働いてりゅ人を全員呼んできて」
「はぁ?」
「全員よ。下働きの人もね」
不服そうな顔をしてまったく動かない使用人に、クシー子爵がテーブルを指でコツコツと叩いて苛立ちを表している。
「早く、言われたとおりにしないか!」
とうとう怒鳴りました、クシー子爵。怒を通り越して、お怒りモードですね。
クシー子爵の怒気に驚いた使用人は、バタバタと慌てて部屋を出ていき、少し遅れてメイドもあたふたしながら部屋を出ていった。
クシー子爵は深くソファーに体を沈めて、ため息をつく。
私はダメ押しとばかりに、自分の飲めない状態の紅茶が入ったカップを、そっとクシー子爵に差し出した。
クシー子爵が不思議そうにカップを覗いて、目を瞠る。
ついでに後ろに立っていた事務官も覗きこみ、顔を顰めた。
そう、王族大好きクシー子爵は、私の姿がこんなにみすぼらしくても、王族であるというだけでなにもかもを尊重してくれる。
なのに使用人風情が、自分の大切に思う王族を無下に扱うのを許すはずがないのだ。
だから、突然の私の作戦にも協力してくれる。
今日、私の住むお屋敷を訪れたのがクシー子爵でよかった。
これから生きていくためにも、まずは、生活する環境を整えないとね。
私にとって、あんな人たちは邪魔なのです。
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