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1巻

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   第一章


「っ……!」
「おら‼ 大人しくおりに入ってろ‼ へへっ、こいつは高く売れるぜ」

 下品な笑い声を響かせながら、サーカスの猛獣を入れるようなおりにおれを入れて、男は立ち去った。

「うっ……いってぇ」 

 無理やりかせをつけられた足首が痛む。じゃら、と耳障りな音を立てるくさりを握りしめ、どうすることもできない無力さに絶望し、冷たい床に横になった。視線を巡らせて確認したが、ここはゴツゴツとした岩肌がむき出しになっている洞窟のようだ。出入口は男が出て行ったところだけ。絶望的な状況だった。
 おれは昨日、ちゃんと自室のベッドで寝た……はずだ、多分。何せ弊社へいしゃは天下のブラック企業。朝ご飯はもさもさするスティックバーをカフェインレスコーヒーで流し込み、昼ご飯はゼリー飲料に残業は当たり前、終電駆け込みもよくある。名前だけは金持ち風な、ただのサラリーマン戦士であるおれ――みやたかは家に帰るのも久しぶりだった。倒れ込むようにベッドに入ったところまではなんとなく記憶にある。だが、目を覚ますと草木が生い茂る森の中に倒れていた。服は寝るときに着ていたワイシャツとスラックス。靴は当然ながらいていなかった。
 ぼうさがにじみ出る足音がして、回想を中断し閉じていた目を開ける。こちらを覗き込むのは、先ほどの男とは違う――森で途方に暮れていたおれを捕まえた男だ。山賊と言われたら納得してしまうようなふうぼうで、にやにやと下品な笑みを浮かべている。

「よぉ、おりの中の居心地はどうだ?」
「……最悪だ」
「そうだろうなぁ……だが、オークションで良いところの貴族様に買われれば、毎日贅沢し放題だぜぇ。お前みたいに顔が小綺麗な奴は、性奴隷として変態どもに人気だからよぉ」
「……⁉」

 性奴隷⁉ なんとなくこいつらの言動から、奴隷として売られるんだろうな、ってことは気付いてたが、まさか性奴隷だなんて……

「へへっ、怯えてやがる。良い顔だなぁ……。商品じゃなければ俺のムスコをその可愛い尻に突っ込んでやったってのに」
「ひっ……!」

 男のめまわすような視線に、全身の肌がざわついた。
 き、気持ち悪い……!
 商品で良かった、と一瞬思ってしまったが、どうせ買うのは変態貴族だ。どちらにせよおれの処女は守れない……! 男なのに処女とか言いたくないけども!

「それにしても、ユダの森にこんなじょうだまが無防備に落ちてるとは思わなかったぜぇ。俺達が近づいても逃げねぇしよぉ。怪我してるわけでもねぇのに。まぁそのおかげで苦労せずに大金を手に入れられるから、何だっていいんだけどなぁ」

 混乱していたとはいえ、この悪人面を見て何で逃げなかったのおれ……。でも、目が覚めたら何故か都会ではありえないほど自然あふれる森にいるし、混乱してたところに人が現れたら思わず助けを求めちゃうだろ⁉ いくら見た目がアレでも、もしかしたら心は優しい人なのかもしれないって思ったの!
 あしかせをつけられるまで、悪い奴らに捕まったって気が付かなかったことは、自分でもどうかと思うけどさ……
 男は珍獣でも見るかのように、飽きもせずおれをじろじろと見つめる。頼むから、「めたら美味そうな白い肌だなぁ」とか「ピンクの乳首が透けてるぜぇ……じゅるり」とか言うのやめてぇ‼
 鳥肌が止まらない‼ てか乳首透けてんの⁉ 冷や汗かいたからか⁉ やだ見ないで‼
 思わず身体を背け、男の視線から乳首を隠すような体勢になってしまう。おれ、男なのに……
 あまりのくつじょくに堪らず涙目になると、男の喉がごくりと鳴った。

「俺が捕まえたんだから、ちょっとくらい味見しても構わねぇよなぁ……?」
「ひぃぃ……!」

 男がおりの鍵をがちゃがちゃと外す音が響く。これはまさに最悪の展開……!

「だ、誰か助け――」
「へっ! ここはアジトの中でも奥にある、じょうだまを逃がさないように閉じ込めとく地下だ。俺の仲間以外、誰も来やしねぇよぉ!」
「やっ……⁉」

 ついにおりの中に入ってきた男に、あしかせ同士を結ぶくさりを引っぱられて足を掴まれる。その乱暴な仕草に、おれの身体は恐怖で固まってしまう。満足に動かすことができない身体は、簡単に組み敷かれてしまった。

「ヒヒッ! 高級娼婦にも負けねぇ綺麗な肌してんなぁ……」

 男のごつごつとした手がおれの頬に触れ、胸元に下りていく。あまりの気色悪さに吐き気がこみあげてくるが、男はそんなおれにはお構いなしで、身体中をでまわす。

「かぁわいい乳首だなぁ……一丁前にピンピンしてやがるぜぇ」
「……っ、ぃや!」

 急に乳首に刺激が走り思わずそこに目を向けると、男の指がワイシャツの上からおれの乳首をつまんでいた。そのままこよりを作るようにひねられて、身体が跳ねる。

「ッ、ぅあ、やぁ……ぃたい!」
「いい声を出しやがる……! 我慢がきかねぇじゃねぇか!」

 おれと男の体格差からして、力では敵わない。隙をついて男から逃げ出せたとしても、おりから出る前に捕まって、ジ・エンドだ。おれの尻が。
 終わったな、おれの処女……。生まれてからずっと守ってきた処女をここで失うのか……。いや、守ってきたってなんだ。
 心の中の呟きだけは無駄に冷静だが、冷や汗はおれの心情を表すように噴き出している。男の筋骨隆々とした腕に血管が浮き出て、おれの服を破ろうとする瞬間がスローモーションのように見える。おれは絶望のあまり意識を手放そうとした……その瞬間。
 ――ドガァァァァァァァァンンン!!

「⁉」
「な、なんだぁ⁉」

 突如としてごうおんが響き渡り、地面も壁も天井も全部揺れた。

「ちぃ……襲撃か!」

 男は慌てておりから出ると、ガチャガチャと手荒な音を立てながら鍵をかけようとする。
 すると土埃のなか、男の後ろにある出入口から誰かが入ってくるのが見えた。それに気付いた瞬間、ヒュン! という音と共に男のうめき声があがった。
 見ると、男の肩には槍が突き刺さっている。

「ヒッ!」

 槍が引き抜かれると、どっと血が噴き出した。突然のグロ展開に無意識にあと退ずさるおれは、そこで何故か冷静になって、おりの鍵がまだかけられていないことに気が付いた。よろめいた男がおりから離れた隙に、未だ鳴り響く轟音ごうおんと、爆発によって収まらない土埃に隠れておりから這い出る。
 そのまま立ち上がって部屋の隅に逃げようとしたおれの肩が、ふいに誰かに掴まれて押さえられた。

「っひ……!」

 反射的に暴れそうになったおれを、掴んだままの肩をぐっと押さえることだけで抑え込んだ誰かは、振り向くことも許してくれなかった。

「いやだ! 離してっ!」
「……大人しくしていろ。私はお前を傷つけたりしない」

 諦め悪くわめいていたおれの耳元で、その誰かは低く静かだが力強い声でささやいた。
 ――この、声は。

「……いい子だな」

 聞き覚えのある声に思わず抵抗を止めた。おれが大人しくなったからか、押さえつける力が弱まる。声の主を確認しようと顔を上げる。
 たいまつの灯りに柔らかく照らされる、青みがかった銀髪。長いまつ毛が縁取る目には、鋭い眼光で男をにらむエメラルド色の瞳。その目のすぐ下にある泣き黒子ぼくろが、とてつもない色気を放っている。
 そして、耳には、特徴的なデザインのピアス。さらには先ほどのイケボすぎる声。
 おれはこのじょうを知っている。

「何故ここにてめぇが⁉」

 いつの間にか数人の槍や剣を構えた人達に囲まれていた男が、苦し気にわめく。
 そう。そうだ……。思い出した。このアジトを襲撃しているのは、この物語で重要な役割を持つ――

「そうだ。このアジトは間もなく陥落する。我が騎士団、りゅうきばによってな」

 じょうの冷たい声で告げられた言葉に、男は絶望の表情を浮かべ、対照的におれはテンションぶち上げで心臓発作を起こしそうになっていた。
 今ので確信した。ここは爆発的大ヒットを記録した異世界召喚系乙女ゲーム『りゅう』の世界。そしてこのじょうは、物語の舞台となるラディア王国の最強騎士団『竜の牙』団長、ダレスティア・ヴィ・ガレイダスだと。
 てことはおれ、異世界召喚された


 主人公はある日突然、竜の守護を受ける国――ラディア王国に召喚される。王国を守護する竜と一心同体となる、竜のとして呼ばれるのだ。
 主人公は元の世界に帰らせてほしいと懇願こんがんするも、帰る方法はないと言われ絶望する。そんな主人公の心を支えるのが様々な個性あふれるイケメン達。
 王子やこの騎士団長、宮廷魔術師といった身分のよろしいキャラから、主人公が街で出会った近所のお兄さん風な商店の息子、しいたげられていたところを主人公に助けられた元奴隷の猫獣人まで……、様々な身分・種族のイケメン達と心を通わせていくのだ。
『竜の』は、有名作家がストーリーテラーとなり、乙女ゲーム界隈かいわいで人気の絵師が作画、その神絵に数々のイケボ声優が声をあてたことで、世の中のお姉さま方を中心に爆発的な人気を博したパソコンゲームだ。パソコンゲームにもかかわらず、その影響力から様々なメディアに取り上げられ、いわゆる夢女子の妹がプレイしていたことから、おれも興味を持ち購入したのだ。
 イケメン達の間をひらひらと蝶のように渡り歩く主人公には、男目線からどうかと思ったが、それ以上にイケメン達とのおうに男のおれものめり込んでしまった。
 そしてそのイケメン達の一人、ダレスティア・ヴィ・ガレイダス。おれの目の前で奴隷狩りの男をにらみつけ、剣を突き付けているじょうその人だ。

「このアジトは我が騎士団、竜の牙が制圧に動いている。逃げきることは不可能だ。だが、大人しく投降すれば命だけは助けてやろう」

 流石さすが、人気投票第一位。かっこよすぎて声も出ねぇ! いや、出たわ。フグゥッ……! って心の叫びが。だって! 男も惚れたキャラクターランキングでも第一位だったんだもん!
 今なら、実家暮らしの時に妹の部屋から夜な夜な聞こえた奇妙な声が何だったのか分かる……いくらゲームとはいえ、こんなイケメンに守られたら萌えすぎて心臓発作起こすわ、うん。

「お前は私の後ろにいろ。……安心しろ。もうお前を傷つける者はいない」

 キュンっっってしたぁぁぁぁぁ‼
 おれの乙女心が音を立てたのが分かった。これが! 萌え‼
 そのゲームをやっている間は、おれの心は乙女になっていた。だから惚れてしまっても問題ない……と思っていたのだが、これは心が男状態のおれでも惚れるわ。かっこよ……。キュン死しそう。

「大丈夫ですか? こちらに来てください」

 突然の動悸に思わず胸を押さえていると、優しい声がして、手をとられた。ふと見ると、柔らかい笑みを浮かべる青年がいた。モフッとした茶髪に人懐っこそうなくりっとした目。まさに好青年だ。

「私達が来たからにはもう大丈夫ですよ。安心してくださいね」

 おれが胸を押さえているせいで、過呼吸を起こしていると勘違いしたらしく、青年が優しく背中をさすって呼吸を整えようとしてくれる。ごめんな……これ萌えの発作やねん。大丈夫よ。
 そんなことを優しい青年に言えるはずもなく、おれは大人しくその手を受け入れる。上から下に。下から上に。ゆっくりと動くその優しく温かい手を感じていると、唐突に目から涙がこぼれた。
 おれの急な涙を見ても青年は驚くことなく、次から次へと溢れる涙を優しく拭ってくれる。おれは、それを茫然ぼうぜんと受け入れることしかできなかった。
 どうして? さっきまでおれは何ともなかったのに。むしろテンション上がってたのに。
 なのにどうして、今は涙が止まらないんだろう……

「な、んで……おれ、泣いて」
「怖い目にあったんですから、泣くのは当たり前のことですよ。恐怖を感じたときに泣くのは、心の防衛本能です。あなたの心がまだ壊れていない。その証拠なんですから、泣くのをこらえないで……」

 心の防衛本能……。青年の言葉が胸に残る。

「ギャァァァァァ……!」

 突然悲鳴が上がり、続けてドサッという音がしたためそちらに目をやると、そこには赤い液体で濡れた剣を男に向けるダレスティアと、片腕を失ってのたうちまわる男がいた。

「ッヒぁ……」

 あまりにもせいさんな光景に、喉が引きった音を立てた。おれの恐怖心を悟ったらしい青年がおれの目を彼の温かい手で覆い、視界を塞いでくれた。
 そこでようやくおれは、自分がダレスティアの登場で上がったテンションを無意識に無理やり継続させて、恐怖をやり過ごそうとしていたことに気付いた。
 そうか……おれ、怖かったんだ。

「団長!」

 視界を青年の手で塞がれていて音しか分からないが、どうやら騎士団の仲間が来たらしい。

かしらが投降しました。このアジトの制圧は完了です!」
「そうか」

 部下だろう人の言葉に、静かに返すダレスティアの声。
 その後の冷たい声を、おれは一生忘れないだろう。

かしらが死んだら貴様を拷問にかけて情報を得ようと思っていたのだが……生かす理由がなくなったな。腕が痛むだろう? 今、楽にしてやる」

 ヒュッという音がし、地面に何かが落ちる音が聞こえた。ぴちゃ……ぴちゃ……という液体が滴る音が静かな空間に響いている。
 あぁ、ダレスティアがあの男を殺したんだな……
 そう思ったのを最後に、手の温もりを感じながらおれは意識を失った。


    ◇◇◇◇


 ガタガタ……という音と、身体に伝わる振動で、目を覚ます。ぼんやりとした視界に入ってきたのは、木の床板と床に置かれた何かを覆う白い布。
 あれ、ここは……。おれはいったいどうしたんだ? 気を失ってたのか?
 身体を起こすと、かけられていた毛布が落ちてぱさっと音を立てる。すると、白い布の向こうから一人の青年が顔を出した。

「あぁ。意識が戻ったんですね」

 よかった、と微笑んでいるその顔を見て、かすみがかっていた意識が覚醒した。
 そうだ……おれは異世界に来て奴隷狩りに遭ってアジトに連れていかれた。そこで騎士団のアジト襲撃があって、騎士団長のダレスティアに助けられて――

「気分はどうですか? 大丈夫そうなら、この水を飲んでください。唇がかさついています。ずっと水分をとっていなかったのでしょう? 荷馬車はかなり揺れるので、気を付けて飲んでくださいね」
「あ、あぁ……ありがとうございます」

 あの時おれを支えてくれた青年が、おれの手に革の水筒を渡した。革の水筒の中からは、揺れに合わせてぴちゃ、という音が聞こえてくる。
 ――その瞬間、おれは水筒を手から落とした。とっさに水筒を受け止めた青年の手を、ぼうぜんと見つめることしかできなかった。

かしらが死んだら貴様を拷問にかけて情報を得ようと思っていたのだが……生かす理由がなくなったな。腕が痛むだろう? 今、楽にしてやる』

 おれが意識を失う直前に聞いた声が、頭の中で再生される。その後に聞こえた音も全て。
 あの時、男は殺されたのだ。いくらあの男に犯されそうになっていたとはいえ、死んでほしいとまでは思っていなかった。
 人が目の前で殺された。その事実がおれの脳内を駆け巡る。
 青年の手の中から聞こえる水音が、頭の中の音と重なる。あれはきっと、首を落とした剣から滴った血の……

「……安心してください。あなたを傷つけた男はもういません。私達が責任をもってあなたの故郷にお連れしますから……」

 おれの背中を、温かい手がゆっくりとさする。その手に押し出されるように口から出た声は震えていた。

「違うんです」
「え?」
「違うんです……」

 頭の中をぐるぐると、見てもいない情景が駆け巡る。
 情け容赦なく首を落とされる奴隷狩りの男と、血で濡れた剣を持ってそれを冷ややかに見下ろすダレスティア――

「人、が……目の前で殺されるのが、その、初めてで」
「…………」
「助けていただいたのは感謝しているんです……ですが、その……申し訳ないんです、が」
「……怖かったんですね」

 顔を伏せて、すいませんと謝ることしかおれにはできなかった。
 騎士団が悪人を殺すことは、別に不自然ではない。この世界での騎士団は、おれのいた世界で言う警察の役目を担っている。そのうえ、元の世界よりも命の重さが軽い。奴隷狩りは悪であり罪人である。反抗する罪人を制圧する、という任務において、騎士団が罪人である奴隷狩りを殺すことは罪でも何でもない。むしろ、正義の行為である。
 おれがこの世界の人間だったら、あの男が殺されたことに思うことはなかっただろう。奴隷として人間を売りさばこうとしたのだから、罪を受けるのは当然だと考えるはずだ。
 けれどその価値観に慣れていないおれは、簡単に人を殺せてしまうことに恐怖心を抱かざるを得なかった。

「私達は騎士です。国王陛下にちゅうせいを捧げたこの剣で、王国の民を守る義務と責任があります。反抗する罪人には、その命でもってつぐないをさせなければならない。だから、団長もあの男を殺すことで断罪しました」

 ゆっくりと、内容に反して穏やかにつむがれる青年の言葉が、蘇った恐怖でガチガチに固まったおれの心を溶かしていく。毛布を強く握りしめて震えるおれの手を、にゅうな見た目に反してごつごつとした手が上から優しく包んだ。
 顔をあげると、柔らかい眼差しをした青年と目が合った。アジトでは暗くてよく分からなかったが、青年の目は美しいライラックの花の色をしていた。温かみを感じる、彼によく似合うその目はしかし、芯の強さを感じさせる。

「人が殺されることに恐怖してもいい。それは私達が失った大事な感情ですから。でもどうか団長を、私達を怖がらないでください」

 青年は、おれが誰に恐怖を感じているのかを理解している。男が殺されたことではなく、情け容赦なく人の命を奪ったダレスティアが怖いのだと。
 彼はおれのその感情が正しいと認めながらもたしなめた。それを容認してしまえば自分達、騎士団をおとしめることになるから。おれがダレスティアのことを『人殺し』だと感じることは、騎士としての責務を果たした彼に対して、あまりにも酷い仕打ちだろう。

「……ごめんなさい」

 おれは、あまりに情けなくてまた謝ることしかできなかった。
 命をかけて戦った騎士団にも、助けてくれたダレスティアにも失礼な考えだった。
 いくら怖かったからっていっても、流石さすがにダメだろこれは……
 落ち込むおれの手を、青年が優しく慰めるように握った。

「違いますよ」
「え?」

 青年の目が悪戯いたずらっぽい色を見せる。

「私なら、謝罪の言葉よりも感謝の言葉を貰った方が嬉しいですね」

 …………
 ……ちょっとキュンときた。

「……ふはっ」
「ッ!」
「……そうですね。助けてくれて、ありがとうございます。えっと……」

 困った……どうしよう。これだけ良くしてもらってるのに名前を聞いてない! ゲームに登場していない人だから知らないんだけど、この状況で、ところであなたのお名前は何ですか? なんて聞けっこないじゃん。馬鹿か⁉ おれ‼
 てかそもそも、まだお礼を言ってなかったことが恥ずかしい。本当に気を遣わせてしまって申し訳ない‼

「……ふふ」

 おれが心の中で慌てていると、青年が突然笑い始めた。口に手を当ててやりすごそうとしているが、なかなか笑いが止まらない。肩も震えている。 
 もしかしておれ、百面相でもしてたのか? よく感情が顔に出すぎだって言われるし……それが面白かったとか?
 思わず頬に触れて表情を確認したおれの手に、青年の手が重なった。そのまま流れるように上を向かされる。

「っん⁉」
「……っ、ふ」

 え、と思う間もなく、おれと青年の唇が合わさっていた。温かい体温が、唇を通じてじかに伝わってくる。
 これって、キス、だよな……
 なんでおれ、キスされてんの⁉ え、何で⁉
 混乱して固まるおれをよそに、青年はおれの唇をやわやわと自分の唇でんだり、角度を変えたりと積極的に動いてくる。
 そしておれは困ったことに――それを気持ちいいと思ってしまった。あの男に触れられたときは、ただただ気色悪かったのに……
 いや、そもそもいくら相手の顔がいいとはいっても、男にキスされて拒否感がないなんて、自分に驚きなんだけど!
 そんなことを考えている間にも、青年の手が頬から移動して首筋をでさする。その度に、甘い痺れがおれの身体をびくつかせた。

「っ、んぅ……んんっ!」

 舌先でぺろっとおれの唇をめ、もう一度唇を重ねる。そして、チュッ……という音を立てて青年の顔が離れていった。

「な、なんで……キ、キス――」
「あなたは、可愛らしい人ですね……」
「へ……」

 おれの質問を遮るように、とろけるような笑みを向けられた。先ほどまでの安心感を与える微笑みでもなく、茶目っ気のある笑いでもない――男の色気を感じさせるそれに、おれは頬が熱くなった。
 今、おれの顔は真っ赤だろう。
 これは仕方ないって! すっごくえっちなんだよ‼

「ふふっ」

 そんなおれの顔を見て、青年はまた笑う。

「っそんなに笑わないでくださいよ!」
「ふっ……すみません。あまりにも可愛らしい反応なので、つい。それと、私の名前はロイ・アレクシアです。竜の牙に配属されてそれ程長くありませんが、ダレスティア団長の補佐を務めております」
「あ、えっと、おれは四ノ宮鷹人……タカト・シノミヤです」

 どうやら、名前を知らないことで焦っていたこともお見通しのようだ。意地が悪い。

「タカト・シノミヤ……では、タカトとお呼びしても?」
「え、ああ、はい。いいですよ」

 名前は呼び捨てなのか……おれの方が年上っぽいけど、まぁいいか。それにしても、団長補佐なのにゲームに登場してないのは不思議だ。こんなにイケメンで声も良いのに。

「ありがとうございます。では、私のことはロイと呼んでください。敬語もなしで構いません」
「あ、うん。ロイ……は、何歳なの?」
「私ですか? 二十二です」
「あ、やっぱりおれの方が年上だった」
「え……?」
「おれ、二十四歳」

 目を丸くして言葉もなく驚いている青年――ロイ。ふとキャラクター説明を思い出したからダレスティアの年齢も聞いてみたら、おれの一つ上だった。でも数か月前に誕生日を迎えたらしい。頭の中で計算してみると、おれと同級生だった。推しと同級生って嬉しいなぁ。

「私より年下だと思ってました」
「ははっ。よく言われる」
「タカトの誕生日がダレスティア団長と数か月違いだなんて、驚きです」
「ははっ……呼び捨てはそのままなんだな……」
「はい」

 ロイはにっこりとほほ笑んで頷いた。おれがにらみつけても、ロイは笑うだけで相手にしない。

「ふふっ、そんなに可愛い顔でにらまれても、怖くないですよ?」
「……ロイはいじわるだ」

 成人男性に可愛いはないだろ、流石さすがに。
 じとーっとにらみつけると、ロイはまだくすくすと笑っていたが、ふいに立ち上がった。そして傍の白い布をめくる。布の下にはいくつかの木箱や布袋があった。ロイはその中の木箱の一つを開けると、リンゴを二つ取り出してふたを閉め、元通りに布をかけた。

「いじわるをしたお詫びに、差し上げます。お腹空いてるでしょう?」

 おれの両手に二つのリンゴをのせると、ロイは悪戯いたずらっぽく笑った。

「え、でもこれ、大事な食糧なんじゃ」
「目的の制圧は完了しましたし、それにこの馬車は竜達が食べる大量の食糧のうちの一つです。リンゴが二つ減ったくらい、誰も気付きませんよ」

 そうは言っても、罪悪感は生まれるわけで――そうだ。

「あの……ロイ」
「はい、どうしました?」

 おれは、片手をロイに差し出した。正確には、その手にのせたリンゴを。

「助けてくれてありがとうございます、ロイ」

 お礼にお一つどうぞ。
 そう言ったおれに、ロイはその目をまん丸に見開いて驚き、渡されるがままにリンゴを受け取った。
 ふんっ! 散々おれを揶揄からかって遊んだ仕返しだ!

「これで、ロイも共犯だな」

 ロイを驚かすことができて嬉しくなりそう言うと、ロイはようやくおれに揶揄からかわれたことが分かったようだ。苦笑しながら、おれの隣に座った。

「まったく……本当に可愛い人ですね、タカトは」
「おれは別に可愛くない」
「そんなに唇を尖らせて……またキスして欲しいんですか?」
「なっ……⁉ そ、そんなこと――」
「さきほどキスして思ったんですが、やはり唇がかさついています。水を飲んでくださいね。……次はしっとりとしたあなたの唇を楽しみたいので」
「へあっ……な、なに言ってるんだよ!」
「ああ、水を飲みたくないのでしたら――また私が潤してあげましょうか?」

 そう言って、ぺろっと自分の唇を赤い舌先でめてみせた。そんなロイの色気に言葉も出ないほど完全敗北したおれは、揶揄からかう相手はちゃんと見極めようと誓った。
 おれは少しくされながらも、長い時間運搬されていたにしては瑞々みずみずしいリンゴにかぶりついた。


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