皇太子殿下の容赦ない求愛

臣桜

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   序章 愛欲のくさびつらぬかれて


「う……ん、あ……っ、ァ」

 間接照明のみが光る豪奢ごうしゃな部屋で、あえぎ声が響く。
 大人が四、五人は寝転がれる巨大なベッドの上で、優花ゆうかは金髪の男性に組み敷かれ、熱いくさびをその身に穿うがたれていた。
 いで逃げようとしても、背後から男が覆い被さっているのでそれも叶わない。

「――ぁ、優花、優花……っ、どこにも、行くな……っ」

 切なげな男の声に、優花は頭が真っ白になり何も答えられない。
 とろけきった媚肉に、日本人のそれとは明らかにサイズの異なるモノがえぐるように出入りしているのだ。
 グチュグチュという水音が聞こえ、耳からも優花を攻め立てていく。
 優花はゴブラン織りのクッションにすがり付き、いくらするか分からない上等な寝具にみだらなよだれを垂らす。

「あ……っ、ぁ、あうっ、あァあっ、あァーっ! 駄目……っ、ダメぇっ」

 ブルブルと震える手が力なくシーツを握り、優花は悲鳴に似た嬌声きょうせいを上げた。
 その直後にせり上がった快楽が弾け、子宮が収斂しゅうれんする。
 深くつながっているので、男は優花が達したことを理解したはずだ。だというのに耳元で歓喜の吐息が聞こえたかと思うと、より一層深い場所までえぐられた。

「ん、ぅーっ、ダメぇ、も、ダメぇっ、だか、らぁ……っ」

 あまりの快楽にこのままでは正気を保てないと思い、優花は泣きながら男に哀願する。

「ダメじゃない。もっと私に君を愛させてくれ」

 男が背後で陶然とうぜんとした笑みを浮かべたのが分かった。
 激しいピストン運動は一旦止み、その代わりに男は腰で円を描くようにして優花を攻める。子宮口を切っ先でいじめ抜かれ、優花はかすれた悲鳴を上げてまた達した。
 もはやどこにもすがることも叶わない手足が、ビクビクッと痙攣けいれんして跳ねる。

「ああぁアあぁーっ!」
「私の気が済むまで、たっぷり付き合ってくれ」

 男は恍惚こうこつとして言い、優花の頭を撫でる。
 その言葉に、優花は自分が彼にとても愛されているのだと痛感しつつも、これでは自分がもたないのでは? と懊悩おうのうする。

「……っ、おねが……っ、少し、やすま、せてっ」
「私の気が済むまで、と言っただろう?」

 ふと優花の腰をつかんでいた男の手が、彼女の胸元に伸び、凝り立った赤い宝石を指の腹で優しくこする。
 胸の先をいじっていた手は優花の体のラインを辿たどって臀部でんぶまで届き、やがて濡れた茂みに到達する。そして爛熟らんじゅくした肉粒を遠慮なくいじり回してきたので、優花はまた男を強く締め付け達した。

「――っぁ、ア、あぁ、ん……っ、ァ、あ」

 クッションに体を押しつけたまま、優花はとろけた顔をする。体の筋肉すべてが弛緩しかんして、何一つ言うことを聞いてくれない。
 男は最奥に亀頭をつけたまま、ぐりぐりと腰を回して優花を攻める。指の腹で膨れた肉粒をピタピタと素早く叩き、絶え間ない刺激を送り込んできた。

「――も、ダメぇっ! ゆるしてっ、許してぇっ!」

 顔をグシャグシャにしてあえぎ、優花は男に許しを乞うものの、本心ではこの状況をよろこんでいた。
 こんな――美しく誰もが求めるような存在が、自分を溺愛してくれている。
 普通の日本人でしかない優花に「愛している」と情熱的にささやくのだ。
 女としてときめかないはずがない。

「あ……っ、ァ……――あぁア」

 最後に声までもが弛緩しかんして、とうとう優花は全身の力を抜いて気を失った。
 意識を手放したあと、快楽により体がビクビクッと動いたことを優花は知らない。
 そうして痙攣けいれんして果てたあと、男が「優花?」と呼びかけたことも――



   第一章 東京で


 澄川すみかわ優花は二十六歳で、フリーランスの通訳をしている。
 父は大手自動車会社に勤めており、幼い頃は父の海外転勤について世界各地を転々としていた。
 一番多かったのは東南アジアだが、アメリカやヨーロッパにいたこともある。
 遠い記憶――まだ物心つくかつかないかぐらいの頃に住んでいた美しい街並みは、あとになってフラクシニアという北欧にある小国だと聞かされた。
 ヨーロッパの街並みのようであり、どこかオリエンタルな雰囲気もあり――。大人になった今もふと思い出しては、あの美しい街をまた歩きたいと思う。
 高校生になる頃に、優花は日本に帰ってきた。
 周囲とも打ち解けて高校生活を終え、どうせなので今までの経験を生かし、進学は海外の大学に行こうかと考えた。しかし家族が「せっかく日本に住めたのだから、家族全員一緒にいたい」と渋る。
 結局将来何になりたいかということまでを考え、優花は語学が強みとなる職業――通訳を選んだのだ。
 大学は通訳を育成する四年制に進み、そこそこいい環境で楽しく過ごせた。
 卒業後はフリーランスとして、まず両親のツテから仕事を探し、そこから徐々にエージェントに登録し仕事を得ていった。
 最初こそは親に頼ってしまったものの、通訳の仕事は実力・経歴主義だ。
 経験をつちかうためなら、何だって利用する。
 優花は英語、中国語、フランス語、ドイツ語、ロシア語と、少しだけイタリア語を話せる。加えて幼い頃フラクシニアという小国にいたので、その国の言葉も話せた。
 こうして優花は、二十五歳になる頃には〝信頼のできる若手通訳〟という地位を確立した。
 現在、二十六歳の優花は宝石商の社長、富樫勝也とがしかつやと年単位の契約をしている。
 勝也の会社『クラリティア・ビューティー』は台東区上野にあり、宝石の買い取りやデザインのオーダーメイドなどをしている。勝也は宝石鑑定士の資格を取り、みずからバイヤーとして宝石産出国におもむいていた。

「それで、一週間後にフラクシニアに向かうのですね?」
「ああ、今回も優花に同行してもらう。あそこは良質なピンクダイヤやレッドダイヤが採れるから、以前から狙っていたんだ。それに優花はあのあたりに住んでいたことがあったんだって? だったら適役だな」

 年齢より若々しく見える勝也は三十五歳だ。趣味でサーフィンをしていて、パーティーも好きで、どちらかというと派手な印象の男性だった。
 だが優花は勝也の仕事への熱意、宝石への深い知識や情熱を知っている。だからこそ彼と契約して仕事をすることを選んだ。

「確かにフラクシニア語は話せます。……でも大体は英語で済んでしまいますけれどね?」

 優花はパソコンを使ってフラクシニアのことを調べる。

「けどやっぱり、母国語をあやつれる相手だと印象がいいだろう? 俺だって海外の人と話をしていて、相手が日本語を話すと『おっ』て思うよ」
「確かにそうかもしれませんね。フラクシニアにいたのは幼い頃なので、日常会話は可能です。ですが商談は英語でしますからね?」
「OK、OK。頼りにしてるよ」

 二人ともコーヒーを脇に、それぞれのパソコン画面を見ながら会話を続ける。

「あと、沙梨奈さりなも連れて行くから、ホテルの部屋は女子同士仲良くな」

 沙梨奈とは、足立あだち沙梨奈という二十七歳の宝石鑑定士だ。
 もともと美術系の大学を出ていて、宝飾デザイナーとして生計を立てたいと希望していたそうだ。だが今の時代、宝飾デザイナーだけで生計を立てられるのは、ごく一部の売れっ子のみ。なので沙梨奈は宝石鑑定士の資格も取り、マルチに仕事ができるよう努力している。

「沙梨奈さんも行くんですね。それは確かに盛り上がりそう。でも商談の前夜に飲み明かすのだけはやめてくださいね?」
「それはさすがにしないって」

 優花の軽口に勝也は笑い、マウスをクリックしてから「お」と声を出す。

「フラクシニアの皇太子はやっぱりいい男だな。今回フラクシニアの鉱山に連絡をしたら、鉱山の見学のあとに皇太子殿下じきじきに挨拶あいさつがあるっていうから……。こりゃあ、新聞載っちゃうかな?」

 軽い調子で勝也が言うのを聞き、優花もフラクシニアの皇太子を検索する。

「アレクサンドル殿下でしょう? 確かに素敵ですね」

 優花の視線の先には、金髪碧眼きんぱつへきがんの美青年の画像がある。
 北欧圏の国なので金髪の色が薄い。目の色も青というよりは、アイスブルーという表現が似合う気がする。
 オーダーメイドのスーツを着こなし、女性なら誰もがあこがれるのでは、という美丈夫びじょうふだ。

「俺がいるのに他の男に見とれるなよ? まぁ、何はともあれ皇太子殿下からのお墨付きとなれば、フラクシニアでの買い付けも今後スムーズに行くと思う。しっかり頼むよ、優花。上手くいったら食事おごるから」
「お仕事はちゃんとしますよ?」

 軽口のような優花の言い方に、勝也が笑った。
 優花は勝也とこっそり付き合っており、交際して一年と少しだ。一緒に食事をし、キスをする仲ではあるが、まだそれ以上のことは許していない。
 彼からプロポーズも受けており、古風な考え方かもしれないが、それなら色々なことをきちんと順番に……と考えている。
 そうやって仕事も、プライベートと分けて真面目に取り組んでいた。
 先ほどから話しているフラクシニアの案件に優花も同行するのだが、かなり大きな仕事なので身が引き締まる。それに加え、一国の皇太子と会食をすることが決まり緊張を隠せない。
 皇太子は、「我が国は小国なので、ぜひ日本への土産みやげばなしにフラクシニアのピーアールポイントを知ってほしい」と言っていたとのことだ。
 勝也の取引先である鉱山の権利者がアレクサンドル皇太子と知り合いらしく、親日家の皇太子が興味を持って勝也を招待したのだとか。

「しかし運命ってどう転がるか分からないな。これが転機になって、うちの店が爆発的な人気になったりして。『フラクシニア皇太子お墨付き』とか。ほら、ピンクダイヤって稀少だけど女性に人気があるだろう? SNSとかで上手く拡散したら、もしかするんじゃないか?」
「まぁまぁ、捕らぬたぬき皮算用かわざんようって言いますし……。まずは出国。それから入国。商談が終わって帰国するまでが旅ですから、その後に考えましょう」

 熱くなりやすい勝也をなだめると、彼はすぐに「そうだな」とクールダウンする。

「しかし優花が側にいてくれて助かるよ。言葉の壁だけじゃなくて、俺の扱いもいつの間にか上手になってるし」
「勝也さん、分かりやすいですからね」

 プライベートの親しげな雰囲気を見せて言うと、勝也も含み笑いする。

「さて、出国に向けて準備を進めつつ、最新のニュースも集めておこう。相手さんの資料を集めても、まだまだ足りない部分があるかもしれない」
「はい」

 気を引き締めて、優花は再び情報の海に飛び込んだ。


 一週間後、優花は勝也と沙梨奈と共に飛行機に乗っていた。
 飛行機の中で最新の映画を流しつつも、優花は資料をめくる手を止めない。
 加えて宝石に関する専門用語の単語集も復習し、ついでにフラクシニア語のテキストも開く。フラクシニア語のテキストはかなりレアなもので、まず書店では買えない。今回の旅行が決まるとすぐにネットで検索して注文した。
 載っているのは基本的な文法や単語だが、それでも正確な言葉を思い出すのに役立ってくれる。
 成田空港から乗り継ぎや待ち時間も含めて十二時間以上かけ、ようやくフラクシニアに到着した。


「うわぁ……涼しい!」

 季節は六月。東京なら汗ばむ暑さだというのに、フラクシニアはひんやりとしていた。こちらの六月の平均気温は二十度前後らしい。

「夏はこっちで過ごしたいぐらいだなー」

 半袖シャツの上にジャケットを羽織った勝也も、冗談なのか本気なのか分からないことを言っている。沙梨奈は半袖ワンピースにカーディガンなので、少しだけ寒そうだ。
 優花は機内でゆったり過ごせるように、マキシ丈のスウェットワンピースを着ていた。その上にジージャンを着ているので沙梨奈よりは暖かいはず。

「とりあえずタクシーに乗ってホテルまで向かおうか」

 三人ともガラガラとスーツケースのキャスターの音を立てつつ移動する。
 空港から出ると、優花は看板などを見て勝也と沙梨奈を先導した。

「タクシー乗り場はこっちですね。日本で言う個人タクシーとタクシー会社の二種類がありますが、タクシー会社のものに乗りましょう」
「さっすが帰国子女! 海外のこと詳しいわねぇ」

 沙梨奈は茶色に染めた髪をかき上げ、はやし立てるように優花を褒める。
 沙梨奈の腰まであるロングヘアは、かなり色が明るい。髪がいたんでいてもおかしくないのに、艶々つやつやとしていて綺麗だ。きっと美容室に通い詰め、トリートメントなどを念入りに受けているのだろう。
 メイクもばっちりしていて、暇な時間があると優花に「どこのブランドの新商品がいい」などといった話題を振ってくる。「今日のリップは新色なの」と嬉しそうに言い、好きなことにお金を使って楽しんでいる彼女の姿に微笑ましくなる。
 いっぽう優花は、それほど自分の外見を飾ることに興味が持てない。ビジネスシーンで着る物は相手に舐められないよう良い物を買っているし、メイクや美容室もお金を掛けている。
 だが、「自分が夢中になれるものとは何だろう?」と日々模索しているのが現状だ。
 通訳の仕事は楽しいけれど、のめり込んで夢中になるというほどではない。
 もっと身をがすような情熱にさらされて、何かに夢中になりたい。そう思っているのだが、なかなか現実はその通りにいかない。

『ここまでお願いします』

 タクシーのトランクにスーツケースを詰め、後部座席に三人で乗り込んだ優花はホテルの名前と住所が書いてあるメモを見せ、フラクシニア語で告げた。
 空港がある海沿いの街から、フラクシニアの首都トゥルフまでは一時間ほどだ。

『分かりました。お嬢さん、アジア人なのにフラクシニア語が話せるのですね』

 金髪の中に白いものが混じっているタクシードライバーは、眼鏡の奥にある青い目を嬉しそうにきらめかせた。

『ずっと小さい頃にこちらに住んでいたんです。相変わらずとても美しい街並みですね』

 車窓から見える景色は、白い壁にオレンジの屋根の街並みが続いている。
 優花がフラクシニア語でタクシードライバーと話しているあいだ、勝也と沙梨奈は日本語で異国の街並みの感想を言い合っていた。

『日本人ですか? 後ろの人の発音からそんな感じがしました』
『はい。仕事でフラクシニアに来ました』
「こっちの人はすごいな。こんなに涼しいのに半袖の人が多い」

 行き交う人々が半袖を着ているのを見て、勝也が感嘆の声を上げる。
 勝也の言葉を、優花はドライバーに訳して伝えた。するとバックミラー越しに彼が微笑んだ。

『こっちは冬が長いですからね。人々は夏になると積極的に日差しを浴びようとします。日本人はどうか分かりませんが、庭先にビーチチェアを置いて日光浴をするのは珍しくないですよ』

 彼が言ったことを勝也に訳すと、彼は何度も頷いて納得していた。

「確かにこっちの人は髪も目も色が薄いからな。日光が少ないんだと思うよ。黒目黒髪の俺たちから見たら、綺麗でうらやましいことこの上ないけど。そうだ、優花。オススメの食べ物とか聞いてくれ」

 勝也に言われ、優花はドライバーに尋ねる。

『フラクシニアで美味おいしい物って何ですか?』
『そうですね。主食はレイブというライ麦でできている黒パンです。ニシンやウナギなどもさかんに食べられています。同様にブラッド・ソーセージもよく食べますね。あとポークステーキを名物とする店も多いです。マッシュポテトやドイツのザワークラウトのような物もあります。ノルウェーサーモンもよく流通していますね』

 優花越しにドライバーの話を聞き、勝也と沙梨奈はもう明日の夕食に思いを馳せているようだ。
 このあとも人のいいタクシードライバーからフラクシニアの話を聞きながら、ホテルまでの街並みを楽しんだ。

「はー! 着いた!」

 首都トゥルフの中央部にあるホテルに到着すると、勝也はツインルームに一人、優花は沙梨奈と同じ部屋で休憩する。
 結花は勝也に求婚されているものの、返事を保留にしてもらっている。
 なのでこういう部屋割りにしてもらえるのは、非常にありがたかった。
 食事は機内で取ったので、あとはホテル内のレストランで飲み物や軽食を食べ、眠りについた。


     * * *


 翌日はフラクシニアの空気に慣れることと、打ち合わせに一日をついやした。
 フラクシニア到着三日目の早朝には、良質のダイヤが採れる鉱山へ向かう。
 価値ある宝石を扱う仕事なので、緊迫したシーンもあった。しかし勝也と沙梨奈はダイヤやカラーダイヤをじっくり見て、納得のいくものを買うことに成功した。
 優花も彼らの言葉を同時通訳で伝えて商談の手助けをし、結果的に全員満足いく仕事ができた気がする。
 支払いを済ませ再びトゥルフに戻る頃には、勝也は大量に宝石が入ったブリーフケースをしっかりと抱えていた。

「いい取り引きができたなぁ」
「本当に、フラクシニアのカラーダイヤは良質だったね」
「無事に終わって安心しましたが、これから着替えて気持ちも切り替えないと」

 優花がそう言うと、勝也と沙梨奈は笑顔のままうなずく。

「分かってるよ。しかし移動中に見えたけど、遠目にも立派な宮殿だったよなぁ」
「そうそう。私ヨーロッパ系のお城ってまともに入ったことなかったから、ドキドキするわぁ」

 この後は、フラクシニアの皇太子との晩餐会ばんさんかいだ。
 三人は昼食を食べなかったので、トゥルフに戻ったあと店で軽食を買いホテルの部屋で食べている。本当はしっかり食べたかったのだが、宮殿の料理を残しては失礼だと思ったからだ。

「宮殿の食事、楽しみですね」
「そうだな。日本びいきの皇太子殿下へのお土産みやげもしっかり買ってきたし」

 それぞれ一国の皇太子に会う前なので、食事が終わり次第身だしなみを整えることにした。

「優花」

 沙梨奈と二人でホテルの部屋に入る前に、勝也が呼び止めてくる。

「なに?」

 沙梨奈を先に部屋に入れ、ドアを閉じてから優花は控えめな声で返事をした。

「その……。しつこいかもしれないけど、宮殿に行ってあのイケメン皇太子と会っても、惚れないでくれよ?」

 浮気を心配する勝也に、優花はクシャッと笑ってみせる。

「もう、変な心配しないで。相手はよその国の皇太子殿下だよ? 私のことなんか好きになるはずないじゃない」

 そう言うと、勝也もやっと安心したようだ。

「そうだよな。……うん、そうだ。分かった。じゃあ、支度をしよう」
「うん。またあとで」

 思わず笑みがこぼれ、優花は勝也と手を振り合ってから部屋に入った。


 十七時になり、ホテルの前に黒塗りのリムジンが横づけされた。
 運転手はヨハンという男性で、三十一歳らしい。北欧圏らしく金髪で、整った顔立ちをしている彼は、日本語が話せるのだという。
 それぞれタキシードやイブニングドレスに着替えた優花たちは、リムジンに乗り込む。
 ヨハンに、リムジンの中にある飲み物は自由にしていいと言われた。だがさすがに、これから皇太子との晩餐ばんさんを控えているのに手を出せる訳がない。

「あーあ、高級そうな酒だなぁ」

 目の前には上品なライトに照らされた酒のボトルがあり、磨き上げられたグラスも光っている。

「まぁまぁ。全部終わってから飲めばいいじゃないですか」

 優花は落ち着いたワインレッドのドレスを着て、肩にショールを掛けていた。
 華奢きゃしゃな肩紐や胸元のビジュー、足元までの裾や高いヒールなど、普段ではまず着ない服に緊張する。
 沙梨奈は「何かキャバ嬢みたいだね」と言って笑っていたのだが、正直笑える気持ちではない。緊張で変な汗まで掻いている。
 気をまぎらわそうと目を向けた窓の外からは、陽気な声があちこちで聞こえる。治安のいい国なので、ガイドブックには夜に出歩いても大丈夫だと書いてあった。

(さすがに大きなネット書店でも、王族に対するマナーを書いた本はなかったなぁ)

 昔の貴族の令嬢はどういう生活をしていた、などの資料本はある。しかし現代の一般日本人が海外の王族に会う時、どうすればいいのかが書かれた本はないのではと思う。

(とりあえずテーブルマナーだけは三人揃って頭に叩き込んだ。会話は私が頑張ればいい。さすがに……本当にワルツとかそういうのを踊るとかはないよね?)

 リムジンの中で優花は難しい顔をして考え込む。

「まぁまぁ、優花。そんな顔するなよ。何とかなるって」

 クラッチバッグを握り締めるようにして考え込む優花に、勝也はどこまでも明るい声で言うのだった。
 しばらくすると、宮殿らしき大きな建物が見えてきた。
 昔ながらの宮殿は、何度も修繕工事が行われている。昔の形を残しつつ、内部は住みやすくなっているそうだ。
 もちろん、塔や牢獄など使われていない場所はある。空き部屋には宮殿が管理する美術品などが保管されているらしい。宮殿の一部は観光用に開放されているが、今回優花たちが招待されるのは奥にあるプライベートエリアだ。
 宮殿前の跳ね橋を渡ると、目の前には薄暮はくぼの中ライトアップされた城がドンとそびえている。観光エリアのあたりをグルリと回り、車は衛兵のいるゲートを通っていった。

「うわぁ、緊張する……」

 沙梨奈がつぶやいた時、車が裏口と思われる扉の前で停止した。
 ヨハンがドアを開け、左側に座っていた女性二人をエスコートする。

「どうぞ、中へ」

 ヨハンが言い、降車した先にあるドアに向かって進んでいく。ドアの両側には衛兵が立っていて、思わず日本人三人は会釈えしゃくをした。

「わ、赤い絨毯じゅうたんだ」

 三人が入った場所は白黒のタイルの上に赤い絨毯じゅうたんが敷かれた廊下だった。
 廊下と言っても広々としていて、どこまでも左右に続く壁際には高価そうな絵画が掛かっている。

「こちらです」

 ヨハンが三人を先導し歩き始めた。よく見ると、彼は執事のような黒い燕尾服えんびふくを着ていて体つきもいい。

「私は殿下の秘書や運転手、ボディーガードなど、身の回りに関わる仕事をこなしております。他にも似た職に就いている者はいるのですが、年齢の近い私が常にお側にいるのがいいと、一任されております」

 ヨハンは流暢りゅうちょうな日本語を話すので、優花の出番がない。

「現在殿下はプライベートな用事を済ませておいでです。そのあいだ、私が皆様をお迎えに上がりました」
「ありがとうございます。ちなみに、私たちは皇太子殿下のことを何と呼べば?」

 勝也の言葉に、ヨハンは感じのいい笑みを浮かべる。

「普通に殿下で構いませんよ」

 皇太子を「殿下」と呼ぶのが〝普通である〟とサラリと言われ、勝也と沙梨奈はここが本当に日本ではない、他国なのだと思い知ったという顔をする。
 長い廊下の途中にはいくつも扉があり、やがてその内の一つの前でヨハンが立ち止まった。

「ここが迎賓室げいひんしつになっております。続き間にダイニングがございますので、まずは殿下とお話をされてからお食事をどうぞ」
「分かりました。あの……ヨハンさんはどうされますか?」

 不安げな勝也の言葉に、彼はふわりと微笑む。

「同席致しますよ。私は殿下の身の回りのことを任されていますので、常にお側に控えさせて頂いております」


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