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二通目
2-漆話
しおりを挟む今、自分の目の前で何が起こっているというのか。
ニイナはアマテラスとのリンクが強制的に切られたことに戸惑う暇もなく景色は移ろっていく。
少しでも目を離したら置いていかれそうな展開の中、ニイナを守る役だった大国主は桜を病院へ届けるため離脱してしまった。
それはつまり戦いの終わりを意味していた。
敵・味方双方に、戦力は残っていないはずだったのだ。
ニイナも危うく、日向雅に駆け寄るところだった。
大国主の「ここから動かないように」という指示を守り、ぐっと堪えて息を潜めていたのだ。
だが、あまりにも、あまりにもだ。
この世の光景とは思えない光景と背中を駆け巡る悪寒のせいか、自然と膝が折れ尻餅をついてしまう。
ちょっとした、本当に小さなその音に感づかれたのか、その怪物と目が合ってしまう。
「ひっ」
遂に声が漏れてしまった。
後悔した頃にはもう遅い。それはこちらへ進路を変えていた。
日向雅が叫ぶのもお構いなしだ。
巨大な妖気の塊は、大きな恐怖の象徴となってニイナの前に立ち塞がる。
日向雅は動けない、大国主は居ない、アマテラスは入れない。
誰もいない。
絶対的絶望は、自身が何もできない脆い存在であることを強く意識させた。
それでも足は動かない。
ニイナは少しでも恐怖から気を紛らわせようと、硬く目を瞑った。
「止まれデカブツッ!」
その時、瞼越しにも伝わる強い光と共に、その声が聞こえた。
目を開ける。
それが希望の光なのか、それとも綻びなのか、少女には分からない。
だが強く、叫んだ。
「ひゅーがっ!」
全身の痛みが引いたわけではない。
上がった息が整ったわけでもない。
ただ日向雅は立ち上がった。
警告通知が乱立し、アラートが鳴り響いて五月蠅い。
全ての通知を切る。
何も言われなくてもわかる。
今の状態は正常ではない。全身の神経回路が発光しているのだ。
神経伝達が過剰になって全身が強化されている証拠だ。
意識がもっているが奇跡ともいえるのではなかろうか。
いつまた熱暴走を起こすか分からない。一刻も早く終わらせなければ。
日向雅は敵を照準に収めると、体を捻り脚を引き付ける。
「止まれって言ってるのが……分からねえのかッ!」
さながら蛇が獲物へ飛び掛かるように、捻りを利用して跳躍すると、勢いを乗せた身断一閃を怪物の頭へお見舞いする。
「ギイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
多少よろめきはしたものの大きな手応えはない。
そのまま着地した日向雅へ、すぐに反撃の拳が飛んできた。
ノールックで横に転がり避けると、まるでもぐらたたきのように拳が追いかけてくる。
どうやらヘイトを集めることには成功したようだ。
一旦は、ニイナから注意を逸らせればいい。
「ヌシよ、そんな悠長なことは言ってられんぞ。制限時間を出しとくから注意して戦え」
体の中から急に声がしたかと思うと、視界の端に「00:60」と表示される。数字は一秒ごとに減っていく。
どうやら一分しかもたないらしい。
日向雅は降りしきる拳の雨の中を掻い潜り、一度距離を取ると返す刀でもう一度跳ぶ。
右拳を構え、更に飛んできた茨木の拳を空中で躱し、身断一閃の形に入る。
「だらアッ!」
頭部にクリーンヒットする。
「ギイヤアアアアアアアアアアアアアア!」
「!……ぬおっ!?」
茨木は怯むことなく、出した拳を裏拳に変えて大きく振った。
日向雅は無理やり体を捻り茨木の背後へ跳ぶ。
「おいおい、身断一閃効かねえぞ!」
残りは四十五秒。このペースでは埒が明かない。
更に茨木は、裏拳に使った右拳を再び正拳に変え、真後ろの日向雅を狙って体を捻った。
いつも通り避けようとしたその時。
「左腕で対抗しろヌシよ!」
「っ!」
日向雅は回避モーションを無理やりキャンセルする。
ミチミチと唸る筋組織と予期しない動きによる激痛に耐え、向かってくる茨木の右拳と平行に左腕を振り上げる。
防御しろってことか、いや、間に合わない。
「う、おおあああああああ!」
日向雅は構わず腕を振り上げた。
ザン、という鋭い音。
直後、茨木の悲鳴が辺りを包み込む。
日向雅に届くはずだった拳は、数秒後にボトリと地に落ちた。
茨城の腕が切断されていたのだ。
「……何が、起きた?」
日向雅は困惑し、不覚にも立ち止まってしまう。
「説明してる時間はない、ヌシよ、早――――」
そこで、日向雅の記憶はぶつりと途切れる。
最後に一瞬だけ見えたカウントは、ゼロを示していた。
「―――――――――」
「大国主……?なぜ君がここに居る」
「いや、日向雅にこの子を届けるよう頼まれたのだ。自分は後から追いかけると」
「何分前だ」
「そんなに経っていないが、五分ほどか」
「……その子は預かるから今すぐ戻りたまえ。四分前、日向雅の神経伝達速度が異常値を出した」
「なんだって……?だが決着は既に……」
「そこまでは分からない。とにかく、このままでは熱暴走の危険もある。早く……っ!」
「どうした」
「……体温が急上昇を始めた」
「なに?」
「熱暴走が始まった。すぐにあの馬鹿を連れて戻ってこいっ」
「――――――――――――ピッ」
「が、ガガガが雅あああああああああああああああああああああああああ!!!!」
びくり、と体が跳ねる。
今の声は怪物からではない。
ニイナは身を乗り出す。
「ひ、ひゅーが!」
「ぐるうああああっ!」
「ギイヤアアアアアアアアアアアアアア!」
声は、二つの絶叫にかき消される。
日向雅の動きは先ほどより更に機敏になり、怪物の周りを動き回っている。
右腕を失った怪物は、その大きな体も仇となり日向雅をとらえきれない。
「ギアアッ!」
「グぃじゃァあああ!」
「ギイヤアアアアアアアアアアアアアア!」
苦し紛れに出したであろう残った左腕も日向雅が腕を振るだけで切断され、遂に為す術がなくなる。
「がああアアアア嗚呼ああああっ!」
「ギ、イヤアアアアアアアアアアアアアア!」
日向雅は茨木へ飛びつくと、左腕を大きく大きく振りかぶり、手刀のようにその首筋へ突き立てた。
「ギイヤアアアアアアアアアアアアアア!」
「がああああああああああああああああああ!」
腕のない茨木には日向雅を振り払う事も出来ず、ただ上体を揺らして悶える。
その間にも日向雅は左腕を右腕で押し込み、徐々に頸を侵襲していく。
「ギイヤアアアアアアアアアアアアアア!」
「がああああああああああああああっああああああああ!」
「ギイャッ」
遂に、日向雅の腕が振り切った。
首を失った茨木童子の身体は力なく崩れ去り、その妖気は霧散していく。
その中心で日向雅は、ゆっくりと立ち上がった。
「……ひゅーが?」
ニイナは恐る恐る声を掛ける。
ぴくり、と日向雅の肩が動く。
一歩、近づく。
「……ひゅ」
「があああああああああああ!」
「わっ!」
日向雅は咆哮と共に、自身の妖気を周りへまき散らし始める。
「ひゅ、ひゅーが!」
「がああああああああああああああああああああ!」
ニイナの声は届かず、何もない虚空を両腕でひっかき続ける。
「ひゅーが……」
これは話に聞いていた熱暴走状態だろう。
だが、この状態はすぐに限界がきて身体がスリープに入るはずだ。
一体、何が起こっているのだ。
霧散した茨木の妖気に中てられたという事だろうか。
いずれにせよ、このままではまずいと、ニイナの勘が言っていた。
「ひゅーが!」
「がああああああああああああああ!」
「ひゅーがっ!」
「があああああああああああああああああああああああ!」
一切声が届く様子はない。
「もう!話聞いてってばあ!」
ニイナは意を決して駆け出す。
「がああああああああああああああ!」
「……えいっ!」
一瞬の隙を狙って、日向雅に抱き着く。
「があああああああああああああああああ!」
「ひゅーが!そんなに暴れたらまた怪我するんだからね!」
日向雅はニイナを振りほどこうとする素振りも見せず、ただ滅茶苦茶に暴れていた。
もはや、回避も抵抗も忘れたただの獣の様だ。
「……ひゅーが、落ち着いて。一緒に帰ろ」
「がああああああああああああああああああああああああああ!」
「……っ」
ニイナは歯を食いしばり、振りほどかれないよう踏ん張る。
「大丈夫、大丈夫だから……もう、終わったんだよ、ひゅーが」
「がああああああああああああああああああああああああああ!」
「ひゅーが、覚えてる?遊園地の約束。一緒に行くって言ったよね。結構楽しみなんだよ?」
「がああああああああああああああああああああああああ!」
「またおうちに帰ったら、いつでもご飯も作ってあげる。でも、ひゅーがのご飯も食べたいな」
「があああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「……ひゅーが」
両手に強く力を籠める。
「絶対放さないよ。私だって、ひゅーがを助けられる。絶対、助けてあげるから」
ニイナが日向雅の胸に額を付けると、そこから橙色の光があふれる。
その光は次第に二人を包み込んでいく。
「が、がが、ががっが……」
日向雅の叫び声は次第に弱まっていき、全身の緊張も抜けていく。
全身を覆っていた神経回路の発光は末梢から消えていき、そのうちに日向雅は眠るようににいなにもたれ掛かった。
「大丈夫……私が、ここに居るよ……」
橙色の光が消え夜の帳が戻る頃、ニイナの声も消え二人は倒れた。
数分後、急行した大国主により二人は回収された。
大国主曰く、まるでただ安らかに眠っているようであったらしい。
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