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第21話 ネグレクトという家庭の病

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「ただいま」

 煌々と明るい玄関を開けながら美桜は扉を開けて帰宅した。

 美桜は誰もいなくても、声をかけながらドアを開ける習慣がついている。一人ぼっちで家にいるのが知られないようにするためだ。知られると不審者が押し入ると学校で教わったからだ。明かりもタイマーセットにして付くようにしたのも、何回目か忘れたが児相に保護された時、不憫に思った職員がポケットマネーで買ってくれたものだった。

「おかえり」

 予想外に返事があったことに一瞬驚いたが、母親の京子の声だとわかり複雑な気持ちになった。

「居たの、お母さん」 

「いちゃ悪いの。ま、すぐに出かけるけどね」

 洗面台に顔を向けたまま、メイクパフを忙しなくパタパタしていた京子は不機嫌そうに答えた。いつも思うが、化粧が派手すぎると思う。アラフォーであんなに大きなまつ毛をつけたり、黒目をはっきりさせるカラーコンタクトなんて不自然で気持ち悪いくらいと思うが、言うとぶたれるので何も言わないのが安全だ。

「……今度は誰とデート? クラスでも噂になってる人?」

「あらやだ、最近の子どもはませてるわね。子供が余計なことを聞かないの。ご飯は適当に食べてね」

 髪の毛をセットしながら、やや急いだ風に京子は支度していく。
 ご飯を適当に済ませろなんて言うが、ご飯なんて用意してくれたことなんてない。ピザや菓子パンがあればまだいい方だ。若葉苑の人たちがおにぎりなどを持たせてくれるようになってから空腹は無くなった。けれど、持ち帰ったお菓子など時には取り上げられてしまうこともある。そうやって彼氏とやらに貢ぐのだ。
 バカみたいだと小学生の自分でもわかる。そんな手作り料理アピールは学生くらいしか通じない。
 しかし、あれこれ答えて立ち止まって話して悟られるより、早くランドセルを母親から離した方がいい。

「わかった」

「ずいぶん物分りがいいわね。何か隠しているでしょう」

 美桜はぎくりとした。こういう時ほど女は勘が鋭い。

「何でもないよ。宿題多いから早く終わらせたいだけ」

「ランドセル見せなさい」

「やだよ、なんで見せないとならないの」

「テストを隠していないか確かめるのよ!」

 嘘だ。この母親はテストなんて気にするような人ではない。本当は隠しているお菓子や食べ物を取り上げるためだ。抵抗したものの、大人の力は強くランドセルを奪われてしまった。

「素直に出せばいいのに、全く……きゃあっ!!」

 ランドセルから大きな破裂音がして何か紙片が飛び散った。
 紙片には小さく「ばいきん」や「色ボケババアの子」など悪口が書かれている。

「な、な、な、なんなのよ! これ!」

 美桜は泣きそうな顔をして片付けを始める。

「お母さんには知られたくなかったのに……毎日男子からこんなことされてるの……」

「わ、私は、な、何も見てないわよっ!  じゃ、お母さん出かけるからねっ!」

 京子は後ずさりしながら、玄関の扉を開けて素早く出ていった。

 誰もいなくなった室内。美桜は鍵をかけながらそっと舌を出した。

「優太君、ありがとうね。仕掛けが役に立ったよ。さて、守ったご飯を食べてから私も捜し物をしよう。絶対に捜さないと」


「優太もなかなかトラップ作りがうまくなったもんだな。ランドセルに紙入り風船を仕込むとはな」

 若葉苑の食堂では健三が感慨深げに食後のアサツキ茶を飲みながらしみじみと頷いていた。

「しかし、子供の差し入れを奪うなんてひどい母親だね」

 すみれが怒り心頭でぷりぷりしながらお茶のお代わりをセルフで入れる。

「本当に。そもそも、差し入れする原因が母親のネグレクトだと言うのに」

 悦子も心配げに話に加わる。

「私たちのサポートにも限界ありますし、児相も動きが鈍いですし、もどかしいですわ」

 千沙子も同意するように頷く。

「そうさねえ、いざとなったらあの母親モドキにはシュート練習の的になってもらって、苑内の桜の養分になってもらうかね」

「まさか、すみれさんから梶井基次郎が出てくるとは思いませんでしたわ」

「まあ、あの母親には腹が立つからね。それとも千沙子さんのミステリ脳が移ったかね」

「ならば、密室トリックやアリバイ工作もご教授しましょうか? 見つからない死体の隠し方とか」

「うーん、それよりも浅葱さんのツテを使って、離婚した父親に連絡するのが現実的じゃないかい? 
 それに盗まれた肥料捜索も残ってるし、いつどこでドカン! とされるか心配だからね」

「そうですわ! 肥料のミステリーも残っていたのでした。次のサッカー教室で捜索して見つけないとならないですわ!」

「しかしなあ、前回の評判を聞きつけて参加の問い合わせが増えてると小学校が言ってたな。今度はすみれさん一人で注意を引き付けていられるか」

 健三が懸念を示すが、すみれはあっさりと否定した。

「ああ、それなら大丈夫。助っ人としてすごい知り合いを呼ぶからさ」

「知り合い?」

「学生時代の後輩のツテさね。黒崎梨理さんって現役なでしこ代表さ。打診したら臨時コーチしてくれるそうだよ」

「へえ! そりゃすごい! 現役か!」

 健さんがびっくりしすぎたのか素っ頓狂な声をあげた。

「確か初代表が高校生の時だったよな。って今は大学生だっけ? リリーと梨理にかけて黒百合の君とか言われてるし、テクニックもあるし、人目を引きそうだな」

「健さんはサッカーも詳しいのですか?」

「おお、なでしこは国際試合をちょこちょこ観る程度だが、名前と清楚な黒髪という美人で『美しすぎるなでしこ代表』と話題になったし、もちろん的確なパスを出すボランチだからそういう二つ名がついたのだ。すごいツテがあるのだな」

「ああ、まあね」

「じゃ、囮役はすみれさんに黒百合の君か」

「そんなところさね。でもまあ、探す方法や場所をまた詰めないとね」

「おう、間取り図のパワポを開くか」

 それぞれの夜が更けていった。



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