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第3章 東雲学園編 九重流と文化祭
115 政見放送
しおりを挟む真也と苗は、政見放送を前に控室に待機していた。
政見放送は昼休みを利用して行われる。多くの生徒たちは、食堂で、または教室で弁当を広げながら、時期生徒会長たちの主張に耳を傾けていた。
その放送は、真也たちのいる控室にも放映される。今現在、放送されているのは生徒会長候補の1人、加藤克郎(かとうかつろう)という男子生徒だった。
真也の中で最大のライバルだと考えていた満流の放送は最初であり、その『純東雲』第一な理念に顔を歪めたが、二番手の放送である加藤も似たり寄ったりな内容だった。
こんな人たちに負けてたまるか、と改定台本に目を通す真也だったが、それを成功させるのは簡単なことではない。
光一のアドバイス通りに改定された台本は、真也にとっても緊張する内容だった。
真也は硬くなった体をほぐすように肩を回し、横でじっと他候補の政見放送を見る苗に声をかける。
「……緊張しますね」
「ええ。でも、緊張するのは、自己責任ですよ?」
ふふふ、と笑う苗は、緊張しっぱなしの真也に比べて落ち着いたものだった。
「でも、まさか真也さんからこんな提案があるなんて……」
真也は苗の言葉に、こっそりと光一にアドバイスをもらったことを勘付かれたのかと勘ぐる。
苗は光一と同じように聡明である。光一からのアドバイスの中には、まるでそれを『真也が気がついた』かのように伝える方法も含まれていたが、それでも気づかれてしまったかもしれない。
「へ、変ですか?」
「いえ……最初は無理にお願いしたことなのに、私のためにここまでしてくださるなんて。
……とても、嬉しいです」
苗ははにかみながら、恥ずかしそうに口元を自分の台本で隠す。
その様子は可愛らしかったが、秘密のある真也にとっては諸手で受け取れるものではなく、視線を泳がせる。
「……やっぱり、『お兄ちゃん』なんですね」
「え?」
「困っている人を、ほおって置けない。それはきっと、守るべき妹を持つ『お兄ちゃん』だからこそ。
だから、真也さんはこんなにも素晴らしい人物に育ったんでしょうね」
「そ、そんな大層な人物じゃないですよ」
苗のべた褒めを真也は否定するが、それは苗にとって『可愛らしい謙遜』にしか映らなかった。
「いえ、私にとっては、『お兄ちゃん』ですよ。困っている私を助けてくれた、頼り甲斐のあるお兄ちゃんです」
真也は益々居心地が悪くなり、顔を背ける。
今回の選挙が終わったら、この案を出したのは光一であることを明かそうか、と真也は思った。
自分は、拗れてしまっている2人の仲をとりもつどころか、実の兄の優しさを掠め取った詐欺師のように思えてならない。
「いや、苗先輩、年上じゃないですか、それに……」
あなたには、すでに兄がいるでしょう。その言葉を真也が放つ前に、苗は真也に顔を近づけ、可愛らしく首を傾げながら質問する。
「年上の妹は、変ですか?」
少し頬が赤らんだ苗の様子は、真也をドキドキさせる。
「あの……い、いや、変とかではなく」
真也が言葉を発するのを、再度邪魔するように、控室のドアが音を立てて開く。
「苗さん! あ……す、すいません!」
入ってきたのは選挙補佐の雄基だった。2人目の政見放送がいつの間にか終わっており、苗が政見放送の準備をする時間になっていたのだ。
雄基は明らかに近すぎる苗と真也の距離に驚いて頬を赤らめ、視線を逸らしながらも補佐としての仕事を全うする。
「な、苗さん、間宮くんも、政見放送の準備をお願いします」
「は、はい!」
真也は慌てて立ち上がり、苗から数歩離れる。
雄基に明らかに勘違いをされているが、しかし否定するのも何だかためらわれる。真也は過去の経験から、このような状態になった際にあわてて否定することは、逆に怪しく思われるものだと判断する。後日、きちんと勇気には弁解する必要があるだろうが、それは今ではない。
合宿や東異研での『経験』から一瞬でその判断ができたことは、真也としては複雑な思いだった。
そんな真也の思いを知らないのか、はたまたわざとか。苗は軽快に立ち上がる。
「はい。行きましょう、お兄ちゃん?」
「お、お兄ちゃんは勘弁してください!」
政見放送を最初に終えた満流は、放送室のオペレーションルームでほかの候補の政見放送を見学していたが、スタジオ内の異様な光景に声を上げる。
「おい、なんだあれは!」
満流の言葉と同時に、アナウンスが流れた。
『九重苗候補の政見放送です』
スタジオルームのモニターが、1人の少年を映し出す。
「九重苗候補の選挙補佐、高等部1ーA、間宮真也です」
九重苗の政見放送に、なぜ本人以外が出ているのか。今まで見たこともない光景に満流は狼狽え、すぐそばにいた選挙委員に詰め寄る。
「選挙委員、あれはどういうことだ。なぜ、政見放送に、本人以外が出ている!」
「え、っと、昨日九重さんから確認がありまして、私たちも知らなかったのですが……」
選挙委員は選挙規定の書面を取り出し、満流に説明する。
「ここです、政見放送に参加してよい人物。
東雲学園の現生徒であり、該当選挙に関わっている人物」
「……本人以外、ではなく?」
「はい。過去、本人以外が出演したことがなかったので見落としていたのですが」
「選挙補佐は選挙に関わっている人物だという判断か。適法ではある、と?」
「はい」
「なら、俺も踏み込んでいいのか」
「……ルール上は」
満流の言葉に、満流の選挙補佐が疑問の声を上げる。
「相模さん?」
「いや、そんなことはしない。そんなことをしたら票に響く」
「こんなことなら、うちも九重会長に出演を頼めば……」
「いや、生徒会に過去参加した人物は選挙補佐ができない。その時点で無理だな」
「くっ……九重苗め、最初からこのつもりで間宮を抱き込んだのですかね。彼が応援していると、ここでさらに念押しするとは……」
「……だとしたら、なかなかにしたたかな女だ」
2人の苗に対する評価は、正確なものではない。
政見放送に真也が参加を決意したのは、光一のアドバイスによるものだった。
『間宮、政見放送に出てみないか? 俺は使わなかった方法だが、今回はそれを使うのに最適な年だ』
『政見放送って、本人以外が出られるんですか!?』
『ああ、可能だ。編入生、選抜クラス、女王捕獲という活躍。出演するなら『間宮』がベストだ。編入生の星であり、かつ、純東雲の生徒も注目するお前が。
そういう意味ではレオノワの方が注目度は上だが……ロシア人だからな。大半が日本人の東雲学園の生徒から共感が得られにくい』
光一のアドバイス通り、うまく作用しているのだろうか。
テレビカメラを前にした真也は、その向こうでの反応がわからず不安になりながらも、それでも彼のアドバイス通りに……苗との打ち合わせ通りに言葉を続ける。
「……皆さんにお話があります。これは、本人たちから了承を得て、お話しすることです。
俺がロシアにて女王捕獲の手伝いをしたことを、ご存知の方は多いと思います」
真也は足の震えを必死に抑えながら、カメラに向かって、最大級の爆弾となる言葉を放つ。
「その3日前、俺の班は、罰則を受けました。
それは、模擬作戦中に、ある生徒が独断行動を起こし命の危険のある巣穴に踏み込んだため。侵入回避指定の巣穴に、です。理由は3つでした。
ひとつ、殻獣が目標物を持ち去り、本来予定された場所ではなく巣穴にあったため。ふたつ、そこが作戦範囲外と指定されていなかったから。……そしてみっつ」
真也は言葉とともに指を一本ずつ立てていく。最後の一本を立て、少し間をおく。
『初歩的な心理学だ。人間は数値を出されるよりも、具体例の方がより共感を得る。
生徒会軍務による『被害者』。その像がより明確な方がいい』
「彼らには後がなかったから、です。
なぜ、彼に……高等部1ーFの『純東雲生』の彼に後がなかったのか。
彼がやったことは、隊長命令無視。それは、許されざることです。でも、そうなった原因は、『これまでの東雲学園のとある制度』にあります」
真也が振り返り、その目線の先へとカメラが向く。
椅子に座った苗は、いつになく真剣な様子で、きつく結んだ口をゆっくりと開いた。
「それを、九重先輩が説明してくれると聞き、僕はここにいます。今日はよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
真也と苗は、真也が光一からもらったアドバイス通りに、政見放送を進める。
『そして、間宮、お前が『質問をする』という体で、苗に発表させろ。これも心理学の一種でな。
一方的な言葉よりも、双方向に『話しているように見える』方が、理解が深くなる』
「東雲学園に古くからある、生徒会軍務について、少しお話をしましょう」
生徒会軍務の実情、純東雲生と編入生の確執。
真也と苗は、それを明確な数字を交えながら、時には体験談も踏まえ議論する。
真也は的確な質問をし、苗はその質問に『誰にでもわかるような簡単な言葉』で答えていく。
「くそッ! 完全にやられた! 生徒会軍務廃止だと!? そんなこと、政策パンフレットになかった筈だ!」
「ありえない……そんなこと……」
驚愕する満流と同様に、彼のそばに控えていた満流の選挙補佐の男子生徒も驚きの声を漏らす。
「生徒会軍務を廃止なんて……」
「ああ、通るわけがない。普通なら。
……しかし、ここまで『明確に』、『簡単な言葉で』説明された上で、これで彼女に投票しなければ……それは先ほど間宮が出した、『被害者』の生徒を、今後も出すことを容認しているとして扱われるわけだ」
満流は歯を食いしばることで怒りを抑えようと必死だった。
「自分のメリットを、他人のために手放せる人間は少ない。他人に左右される愚図は東雲には少ない。
……しかし、それが『わかりやすい個人』として形を持てば、後ろ髪が引かれるものもいる!」
「……はい。
しかも、それをよりによって『間宮』に説明させるとは……現在注目されている『間宮真也』を敵に回すことも、示しているわけですか」
「投票は無記名とはいえ、無意識に刷り込まれるだろう。これは、票が流れるぞ……。ここから『格差』について弁解しようにも、俺の政見放送はもう終わってしまった」
頭を抱える満流に、満流の選挙補佐の生徒は同情を示すように眉尻を下げる。
「九重苗が最終放送ですから……他の候補たちも驚いているでしょうね……。
こうなったら、投票前に一言、言及すればいいのでは? 軍務の割り振りの透明化を……」
「ここまで対立構造を説明されたんだ。九重に投票を決めた勢力で、『純東雲』の俺の言葉に耳を貸す奴がいるか?」
「それは……」
「いままで誰も踏み込まなかった東雲の問題、そこに九重は踏み込んだんだ……これは、もうどうなるか判らない……」
満流が、そして他の候補たちが頭を抱える中、苗は政見放送の結びの言葉を全生徒に向けて発する。
「この問題は、他でもない過去選挙の有権者たる私たちの手によってもたらされ、そして、それを続けるのかどうか、まさに今、再度決めようとしています。
……皆さんの一票が、これからを変えるんです」
カメラに向かって……生徒たち全員に向かって苗の言葉が放たれ、そして『以上、九重苗候補の政見放送でした』と白地で書かれた青い画面に切り替わる。
『以上で、九重苗の政見放送を終了します』
アナウンスとともに5分ぴったりで終わった苗の政見放送は、東雲学園中に衝撃をもたらした。
満流はほぞを噛みながら、それでも必死に頭を回転させつつ苦々しげに言葉を放つ。
「……クソ……対策を、打たねば……俺が『編入生ごとき』に負けるなどと……!」
満流はオペレーションルームの扉を乱暴に開け、放送室から去っていった。
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