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第3章 東雲学園編 九重流と文化祭
100 訓練開始
しおりを挟む先ほどまでの凛とした空気から一転、道場内は賑わいに溢れる。
裂帛の意思が込められた掛け声と、投げ飛ばされ肉体が地面に叩き付けられる音が響く道場内の一角で、弱々しい悲鳴のような呼吸音が溢れる。
「ひぃ、ひぃ……」
他のメンバーが組手を行う中、美咲は一人縄跳びを飛んでいた。
「どうした喜多見、息が上がっているぞ」
「はいぃ! ひぃ、ひぃ……」
光一からの言葉になんとか返事をしながら、美咲は腕を回し、縄を飛び越える。
大きめのジャージの上からでも分かる二つの大きな塊が慣性を伴って揺れ、チラチラと視線を集める。普段の美咲であれば、顔を真っ赤にして縮こまってしまうような状況ではあるが、本人はそれを気にする余裕は無かった。
「お前もこの隊では有数の身体強度を持つ。もちろん異能も強力だが、今後その異能を隠しながら戦う必要があるかもしれん。身体を動かす感覚を叩き込め」
美咲の身体強度は6と、普通に考えれば強力なのだが、大元がハイエンドである。肉体強度を使う間も無く異能で敵を蹴散らしていた彼女は、近接戦闘はすべてトムに任せていた。
そのため美咲は構えることすらままならず、まずは基礎の基礎、『自分の体力を理解する』というところからのスタートだった。
「はっ……はいぃぃ!……ひぃ」
息も絶え絶えな美咲であるが、ハイエンドオーバードたる彼女は本来なら短時間の縄跳び程度で息が上がることなどない。
覚醒する前の体力を感覚で引きずってしまっているため『息が上がっている』ように錯覚しているだけだが、その意識を改善するのは一昼夜で済むことではない。
特に、自分に自信のない美咲は改善までに時間を要するだろう。
(これが、『あの』トイボックスなのか……)
光一はよだれを垂らし大きく口を開いた美咲の頼りない表情に一つため息をつき、次の隊員の元へと歩いて行った。
道場の別の場所ではまひるが真剣な様子で立ち会う。
相手は九重流の門下生の男性で、身体強度はまひると同じ程度だがその体格には大きな差があった。
大男と女子中学生が向き合う図は側から見れば異質だったが、当人たちの表情は真剣そのもの。
まひるは相手の出方を伺い、手に持った木製のナイフを相手の動きにあわせてチラチラと動かす。
「きゃぁ!」
静かに向き合った二人のそばで、少女の悲鳴が響く。それは『まひるの声』だった。
それに気を取られたまひるは、ナイフの切っ先が少し下がり、視線が泳ぐ。
そんなまひるの隙を、相手が見逃すはずがなかった。
体躯に見合わぬ速度で距離を詰め、文字通りまひるが「あっ」と言う前にナイフを奪う。
まひるはそのまま腕を絡め取られて地面へと組み伏せられた。
「うう……」
地面にうつ伏せに引き倒されたまひるが悔しげに唸るのとほぼ同時に、
「ひゃあ!」「ぐっ……!」
と悲鳴が上がり、まひるが『4人』、無力化された。
「ほかのコピー体がやられた時に感覚を引っ張られるな」
「……はい」
しょんぼりとするまひるから少し離れたところで、また一人、投げ飛ばされたことを告げる「だぁん」という大きな音が響き、その音に光一は目線をやらずに注意する。
「友枝も、周りに気を取られて集中力を切らすな」
「はい……っス」
地面でひっくり返っていたのは、透だった。投げ飛ばした張本人である大柄な門下生に「大丈夫か?」と声をかけられながら立ち上がる彼は、目の端で想い人を追っていたことを指摘され、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「押切は……筋はいい」
「……イヤミですか先輩」
腕を組んでそう告げる光一に、伊織は地面から見上げながら返事を返す。
「ただ、分かりやすい隙や挑発に乗ったり、勝機を見誤る事が多い。精神面を鍛えろ」
つい今しがた、まひると同じように地面に組み伏せられた伊織は、顔を歪めながら「はい」と彼にしては殊勝な返事を返すしかなかった。
伊織は一つ身じろぎすると、自分を押さえつけている門下生を睨む。
「ところで、どいてもらえます?」
「あ、ごめんなさい」
伊織の言葉にハッと我に帰った門下生の、大学生であろう女性は慌てて立ち上がる。その頬は少し赤らんでおり、伊織の耳は彼女の言葉から、『よからぬ感情』を感じ取っていた。
男なのに、女性と組手をさせられ、そして女性相手にすら勝てない。さらには投げ飛ばされ、組み伏せられ、その度近くから荒い息が聞こえてくる。
これで相手が男で同様の結果だったら、と思うと伊織はぞくりとした恐怖を覚えた。
光一の心遣いは初回たる今回だけかもしれない。早急に強くなる必要があるな、と伊織は静かに決心した。
そんな伊織に、門下生の女性は励ますような口調で以って話しかける。
「あ、あの、押切さん、十分にお強いですよ?」
「どうも。でも女の子に勝てないってのは……」
「いえ、同性ですからそんなにお気になさらず!」
門下生の女性の言葉に、伊織の頬がひくつく。
反射的に『自分は男だ』と叫びたくなったが、一本も取れていない状態でその言葉を口にするのは彼のプライドが許さない。
「……ぜってぇ泣かす」
ぼそりと誰にも聞こえぬように呟いた伊織は、両手を前に突き出して構えるが、ふと思考がそれる。
(まてよ?)
目の前の女性の言葉から溢れでる感情と、勘違いされている伊織の性別。それは、この女性の性的嗜好が……
そんなことに気を取られていた次の瞬間、伊織の体は再度宙を舞った。
不甲斐なくもデイブレイク隊の面々がしてやられる中、一人組手をこなし、門下生を下す人間がいた。
「……ふぅ」
運動の邪魔にならぬよう、金色の髪をお団子にまとめたレイラは珠のような汗を袖で拭い、一つ息を吐く。
光一の目からしても、レイラの体術は高い位置にいた。
「レオノワ。お前はすぐに発展系へ進んでも問題ないだろう」
「ありがとう、ございます」
光一の言葉にレイラはほんの少し喜色を浮かべ、返答する。
「……お願いが、あります」
「なんだ?」
「私の異能は、杭、ですが……」
その言葉とともに異能を発現させ、レイラの身長よりも長い杭を生み出す。
「投げるだけでなく、槍のように、使うことも、あります。槍の、訓練を」
「なるほど」
「なので……」
レイラは言葉の続きを視線で示す。
その先には、道場の隅で訓練に励む真也と苗の姿があった。
苗から棒の取り回しの訓練を受けながら、時折楽しそうに笑う二人を見つめるレイラの感情は、光一には読み取れなかった。
光一はレイラに告げる。
「いや、しかし苗には間宮の訓練を任せている。そこにレオノワが入ると、間宮の訓練に遅れが出てしまいそうだな」
「そう、ですか」
「よければ後で槍術の師範代を紹介しよう」
「ありがとう、ございます」
光一に礼を告げるレイラの様子からも同様に感情が読み取れず、光一は『レイラが訓練にかこつけて真也と一緒にいたがっている』というのは考えすぎたかと腕を組んだ。
光一が他のメンバーの様子を見ている中、真也は苗と大戦鎌術の訓練を始めていた。
真也は、重りをつけて武装の重さと重心を再現した長い棒を渡され、苗の指示通りに棒を回す。
「ん? あれ?」
棒を回す。ただそれだけすら真也には難しかった。
苗は最初に手本として棒をくるくると体に這わせて回していたが、実際に自分がやるとなるとうまくいかない。
肩を超えて棒を回す時、横向きに腰を超えて棒を回す時。それぞれ受け取る方の手が順手か逆手かを間違えると、関節が曲がらない方向に棒が進もうとし、動きが止まる。
『相手が複数となることの多い実戦では、最初に覚えるべきは構えよりも取り回し』
という苗の言葉に、真也はなんとか棒を回そうとするが、二つ以上の動きが合わさるとどうも頭が追いつかなかった。
そして、それは平時ですら追いつかないだろうが、より頭が動かなくなる原因があった。
「次は右手で順手に持って……」
苗の穏やかな、しかしながら楽しさを併せ持った声が、真也のすぐ耳元から聞こえてくる。
彼女は真也に手取り足取り教えるべく、彼の真後ろに寄り添うように立っていた。
真也は自分の背中に柔らかさと温もりを感じ、心臓が高鳴る。
健全な高校生にとって、一つ年上の女性の体がぴったりと自分にくっついているというのは頭を真っ白にするのに十二分だった。
「次は、棒を脇の下から……足にぶつけないように……」
真也は言われるがままに動き、そっと真也の左脇腹から苗の腕が伸びてきて真也の左手を掴み、右の脇腹へと導く。
苗は完全な善意から……初心者たる自分をサポートするためにこのように体を密着させているのだ。
自分が意識していることを悟られぬよう必死に平静を保つふりをするせいで、真也の棒回しの動きはよりぎこちなくなるのだった。
「あの、も、もう一度動きの手本を見せてもらってもいいですか?」
流石に羞恥心が限界となった真也は、苗に提案する。
苗は、そんな真也に困ったように眉を下げ、ふたたび彼の耳元で囁く。
「だめです。先ずは身体で覚えること、それが肝要なのですよ」
苗は、真也の提案の真意を解せず、ふふふ、と笑う。
「さあ、がんばりましょう? 『お兄ちゃん』なんですから」
自分の後ろにいる苗の顔を覗き込めぬ真也は知る由もなかったが、苗の笑顔はどこか薄ら暗いものだった。
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