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第3章 東雲学園編 九重流と文化祭

092 模擬戦

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 『模擬戦』を『殺しはしないし、大きく傷つけずに戦う、戦いごっこ』というのをクーに理解させるのにしばし時間を要したあと、模擬戦が開始された。



 2度、肉体のぶつかる音。そして地面に大きなものが叩きつけられる音が多目的実験室に響く。

「きゅう……」

 地面で目を回していたのは、クー。
 勝負を決したルイスもまた、目を丸くしている。

「は?」

 次の出番に備えて屈伸をしていた伊織の口から、気の抜けた声が漏れた。


 模擬戦は、一瞬だった。


 一対一での模擬戦、その第一戦はルイス。

 まだどこか迷いのあるルイスと、真也にいいところを見せようと意気軒昂のクーが多目的実験室の中央で向かい合う。

 2人の視線が合った瞬間、先手必勝とクーがルイスへと襲いかかった。
 クーが姿勢低くルイスへと駆け出し、体を前に倒しながら背から生えた殻獣の腕を二本とも突き出す。

 伸ばされた殻獣の腕に反応したルイスはそれらを両手で正面から掴む。

 人間離れした2人の筋力によって、パァン、と大きな音が多目的実験室に響く。
 一部の人間以外には、向かい合っていた2人が次の瞬間に取っ組みあっているように見えただろう。

「ぐっ」

 クーの背丈に似合わぬ膂力にルイスの顔が歪む。

 クーは殻獣の腕を自慢げに、ルイスに掴まれたまま彼の方へと伸ばす。

 にやりと笑うクーに、ルイスは少女の殻獣の腕の膂力を自分以上であると判断した。

「……ならば!」

 分が悪い力比べとなったルイスは、即座にプランを変更し、力を向ける方向を変えてクーを懐へと飛び込ませた。

「キィ!?」

 クーはつんのめりながらも、自分の腕を伸ばしてルイスを掴もうとする。
 ルイスはクーの腕を弾き、絡め取ると、体を捌いてから軽く顎先を撫でるように手刀を入れ、クーの頭が大きく揺れる。

 目にも留まらぬ早業は、まるで音を置いていったかのように、すこし遅れて2度目の音を鳴り響かせた。

 ルイスはそのまま、クーが前に出る力を利用して足を掛け、宙へと放り投げる。ルイスの感覚では完全に『入った』が、クーからの反撃を警戒して構え直した。

 クーがどちら回りで着地するかによって、ルイスが追撃のために駆け出す死角の位置が変わる。
 ルイスは宙を舞うクーの動きを何一つ見落とすまいと気を張り詰める。

 しかし、クーは受け身を取ることなく、だぁん、と大きな音を立てて背中から地面に落ちた。

 しぃん、とした実験室に、小さな声が鳴る。

「きゅう……」

 クーは殻獣の腕と触覚をピクピク動かしながら、地面に横たわり、目を回していた。

 それで、終わりだった。



 伊織の「は?」という言葉に続き、ルイスが後方で待機するアンノウンのメンバーへと振り向く。

「あの、ええと」

 一向に動かない……正しくはピクピクとしか動かないクーを見て、勝者のはずのルイスが、申し訳なさそうに頭を掻く。

「く、くーちゃん!?」

 焦るように津野崎が倒れたクーへと駆け寄り、そんな津野崎にルイスが声をかける。

「脳を揺らすように手刀を入れました。
 おそらく気絶しているだけかと思いますが……」

 光一はあたふたとする津野崎と対照的に、ルイスに笑いかける。

「いい手刀だった」
「ありがとう、ございます」

 いまだ勝利の実感の湧かないルイスに、光一は地面で大の字になるクーを見ながら話を続ける。

「脳震盪を起こすのは、人型殻獣にも有効なのか」
「の、ようですね……」

 真也も、先輩たちと同様に地面に横たわるクーを見る。

 自分たちが5人で連携して一度捕獲した相手。
 真也の盾で追いきれなかった相手を、たった1人でいとも容易く下したルイスに、真也は静かに驚いた。

 国疫軍人としての経験の差は大きいが、たった一歳しか違わぬルイスと、自分の間にはこれほどまで隔絶した実力差があるのか、と。

「きゅー……」

 目を回すクーに駆け寄った津野崎は、目を回しながらもしっかりと呼吸するクーの様子を見て少しホッとした顔になり、アンノウンのメンバーに告げる。

「……模擬戦は、これで終わりにしましょう、ハイ」

 その声は、うなだれていた。
 真也は、殻獣であるクーが負けたことに落胆しているような津野崎に、心にもやが掛かったような気がして、その本意を探るように、津野崎に声をかける。

「津野崎さん?」
「他ならぬデイブレイクのレンバッハさんが勝利したことは嬉しいですけどネ……これでは、なんのデータも取れないじゃないですか……」

 データが取れない。その点で落ち込んでいた事を知った真也の心のもやは取れたが、そのもやの先にあったのは、やはりモヤっとする研究者心だった。

「あの、ボクらの模擬戦……は」

 伊織が歯切れ悪く津野崎に問うが、その答えはある意味で予想通りだった。

「ちょっとこれ以上は……目覚めてからも一応検査したいですしネ……レンバッハさん、後日、模擬戦の報告書を送信しておいてください……」

 私怨と共に挙手した3人は完全には納得いかない様子であったが、しかし完全にノビているクーと、しょんぼりしている津野崎に、それ以上何かをする気は起きなかった。



「なんていうか……まだ日が高いのに、色々ありましたね」

 真也は、装甲車の小さな窓から外を見る。
 クーが意識を失ってしまい、それ以上にすべき事がなくなったアンノウンのメンバーは、日も高い中、東異研から帰る装甲車に揺られていた。

「まあ、一番驚いたんは間宮くんやろなぁ」
「ええ、まあ」
「ロシアでも散々いい匂いだと言われてたけど、まさかあそこまで懐いてるとはね」
「ほんと、なんでだろうね」
「わ、私にもいい匂いと言ってましたしぃ……もしかしたら、きょ、強度とかが関係あるんでしょうかぁ?」
「それはあり得るな」

 美咲の予想に頷いた光一は、ルイスの方を見る。

「ところで、実際に手合わせをしてみて、どうだった」

 光一の言葉に、全員の注目がルイスへと集まる。
 実際にクーと手合わせをし、そして一瞬で下したルイスの言葉を、全員がじっと待つ。

 ルイスは全員から向けられた注目に、一度過去を振り返るかのように目線を漂わせてから口を開く。

「純粋な身体能力で言えば、クーの殻獣の腕の膂力は私の力を上回っていました。
 人間としての腕の方は私よりも劣ってはいましたが、それでも身体的強度で言えば、7ほどかと」

 身体的強度7。それは、フィジカルのみのオーバードにおける7という数字であり、追加カテゴリーを持つオーバードの強度とは違う物差しだ。

「7、かぁ……」

 その数値は、真也にとって馴染みのある数値だった。

「俺と同じですね……東異研での検査ではそう言われました」

 オーバードの最高峰たるハイエンドでも、身体強度は7。そしてそれは個人差がある。

「わ、わたしは……6ですぅ……」

 自然と目線が集まった美咲は、おずおずと身体的強度を申告する。
 ハイエンド同士では同じ強度とは言えないが、たとえ同じ異能強度7のオーバードでも、その身体強度には差が生まれるのだ。

「となると、純粋な力勝負ができるのはルイスと間宮くんだけ、か?」
「いや、殻獣の腕はルイスを超える。そう考えると力勝負を挑むのは自殺行為だな」

 光一の言葉に、ルイスが反応する。

「……しかし、戦闘技術に関しては未熟。これが人型殻獣全般に言えることであれば、そこは我々が突ける弱点かと」

 光一はルイスから受けた反論に言い返すこともなく、腕を組み直した。その様子は、隊長として今後人型殻獣と対峙した時のプランを練っているようだった。

 ルイスは自身の隣に座る苗に目線をやる。

「苗さん、先ほどの戦いは、目で追えましたか?」
「ええ」
「……目で追えたのであれば、九重流を学ばれている苗さんも、あの少女に勝てるかと」
「私の身体的強度でも、ですか?」

 おずおずと言葉を放つ苗に、ルイスは頷く。

「可能です。苗さんと授業で何度か模擬戦をした私が言うのですから。特に九重流は相手の力を利用する武術と聞いております。そうですよね、九重隊長?」
「ああ」
「他の人型殻獣の強さが不明ですので、明確なことは言えませんが、強力な基礎身体能力を持つ人型殻獣は、御し易い相手だと思います」

 ルイスは、自身と同じ異能の人型殻獣、しかも自分よりも力の強い存在を制したことで自負を得たのだろう。
 苗は、ルイスの言葉を受け、自分の手を見て、グッと握りこぶしを作る。

「……ならば、さらに研鑽を積まないと。私でも肉弾戦で制圧できるのであれば、そして、皆さんがそれを学べば、人型殻獣に対して打てる手は多そうですね」

 苗とルイスの会話で、車中の雰囲気が少し明るくなる。

「九重先輩! 俺、九重流の稽古に明日からでも参加したいっス!」
「ああ、構わん。友枝のことはもう話してあるからな」

 明るい車内で、それでも真剣な顔を崩さないのは、レイラと伊織だ。

「……対人技術、あれば、制圧、できる……」
「……ボクらに今後、間違いなく必要になる技術だね」
「……ええ」

 人型殻獣甲種であるプロスペローに全く歯が立たなかったレイラ。
 オーバード同士の対人戦で敗北を喫した伊織。

 そんな2人はお互いを見合わせ、光一に視線を向ける。

「……デイブレイクは、運命共同体だ、2人とも参加を希望するなら私は喜んで師範に掛け合おう」

 真剣な2人の様子に、光一は何も聞かずにそう告げた。

 真也は、クーと同じ身体強度を持ち、それはこの隊でも有数だ。
 もうプロスペローや他の人型殻獣に遅れをとるわけにはいかない真也は、是非にも九重流を学びたいと姿勢を正し、言葉を発しようとする。
 しかし、それよりも早く苗が口を開いた。

「ところで、間宮さんはいつ、九重流の稽古に来られますか?」
「え?」

 苗の言葉に、真也は驚く。
 今まさに稽古への参加を求めようとしていたので問題ないどころかありがたい言葉だったが、いつの間に自分は稽古に参加するのが決定していたのだろうか。

「まひるさんからまだ聞いていなかったのですか?」

 苗の言葉に、真也はまひるの方を窺う。

「あっ……とぉ、その……もうすこし落ち着いてからお兄ちゃんに話そうかと思って」

 まひるはバツが悪そうに、あはは、と笑った。
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