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第1章 転移編

026 ひとり(下)

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 ちゃんと、まひると話す。そうまひる達に言った真也は、リビングを後にする。
 その真也の行動に対して、まひる達から声が掛けられることはなかった。

 真也は階段を上がり、まひるの部屋のドアを開ける。カーテンが閉め直されており、電気も付いていないため、薄暗い。

 その部屋には、ベッドに腰掛けたまひるがいた。その目は真也に向けられ、顔には驚愕の表情が浮かんでいる。

 膝の上に置かれた両手の上には、シンヤの識別バングルが握られており、どうやらまひるはそれを見ていたようだった。

「お兄ちゃん…? なんで、なんで分かったの? 今まで、誰も分かんなかったのに」

 真也は、真っ直ぐにまひるの元へと向かうと、正面から抱きしめた。
 まるで、病院でまひるが真也にしたように、優しく。落ち着けるように。

 ただ、真也の腕はその時のまひるとは違い、一切震えていなかった。

「最初はびっくりしたよ。でもね、気づいたんだ。あの中にまひるは居ない、って」

 真也はまひるの耳元で、優しく語る。

「まひるは、他人を傷つけたり、責めたりできる人間じゃない」

 真也は、優しくまひるの背を撫でる。

「まひるは怖がりだからなぁ。
 いざあんな事をするとしても、コピーを作れるなら、それに頼っちゃうよな」

 その言葉に、まひるの体がピクリと震える。

「俺は、違う世界から来た、間宮真也なんだ。まひるの兄の間宮真也じゃない。
 でも、異能を使ったって、本物のまひるを見つけられるくらいには、まひるの事、知ってるんだぜ」

 そう言うと、真也はまひるの体を離し、しっかりとまひるの目を見て、宣言した。


「まひる、兄妹とか関係ない。
 俺はまひるを1人になんかしない。絶対に」


 その言葉に、まひるの瞳の奥の鈍い光が、揺らぐ。

 まひるは、おずおずと口を開き、語り始める。

「…まひる、怖かったの。
 この家が、すごく広くて。
 誰もいない、お兄ちゃんの部屋が、怖くて」

 ぽつり、ぽつりとしたまひるの言葉は、徐々に、その勢いを増していく。

「机の上に、出しっぱなしなの」

「本も、ペンも、まひるのあげた、ちっちゃな人形も。出しっぱなしなの。でも、もう誰も触ることないんだなって」

「そしたら、入院してる、お、おにいちゃんの顔がよぎって」

「そしたら、思っちゃったの! お兄ちゃん、いるじゃんって!」

「まひる、まだ、ひとりじゃないって!」

「ひとりになりたくなくて、こわくて!」

「お兄ちゃんがまひるといてくれて、嬉しくて!」

「頭を撫でてくれる手があったかくって、抱きしめてもらうと、心臓の音がきもちよくてっ!」

「…そしたら、そしたら今度は、お兄ちゃんに見捨てられるのが怖くて。不安でっ…まひるが、妹じゃなきゃ、きっと見捨てられるって…」

 真也は、まひるの吐露を、ただじっと聞いていた。まひるが全て吐き出すと、真也はまひるの目尻をそっとなぞり、涙を拭き取った。

「怖かったね。不安だったね。辛かったね」

 真也にも、まひるの気持ちはよく理解できた。
 何故ならば、真也も心のどこかで、まひるが妹でいてほしい、そのために自分が兄ではならない、と努力をした覚えがあったからだ。

「大丈夫、まひるが妹じゃなくても、俺でよければ、ずっと一緒にいるからさ」

 真也は、まひるの手に置かれた腕輪に、そっと手を重ねた。

 まひるの目線が、自分の手のひら、本当の兄の識別バングルへと注がれる。その中には、彼の遺体、砂になった彼の一部が入っている。

「だから…だからさ、こいつを無かった事にしないでくれよ…俺を、この世界の、俺を」

 その言葉に、まひるは目を見開き、真也へと向き直す。
 顔が歪み、目尻からは静かに涙が溢れる。口を開いたが、言葉は出てこなかった。

 まひるが何を言いたいのか。
 それが分かる真也は静かに言葉を続ける。

「ひとりになる怖さは知ってる。まひるだってそうだろう?
 だからこそ、こいつをひとりにしないでやってくれ。本物のお兄ちゃんのことを、忘れないでくれ」

 真也は、まひるの手をそっと握らせ、まひるの頭を撫でる。

「お、にい、ちゃん…」

 まひるの目から、再びぽろぽろと涙が流れていく。
 悲しみから口元が歪み、後悔から小さく嗚咽の音が溢れた。

 真也はもう一度まひるを抱きしめると、まひるに対して、初めてのわがままを言った。

「そして…俺から、本物の妹を奪わないでくれないか?」

 まひるはその言葉を聞くと、とうとう感情が決壊した。

「う、ひぅ、うああぁぁぁぁん」

 年相応の子供の様に、まひるが大声で泣く。
 真也を抱きしめ返し、涙が流れるままに、嗚咽が漏れるままに、全てを吐き出した。

 しばらく泣き続けたまひるは、真也の胸の中でひとつ大きく深呼吸すると、真也から離れて、涙を袖で拭う。

 赤く腫れた目元からは、あの鈍い光の片鱗すら感じられなかった。

 真也はまひるが落ち着いたのを見計らい、まひるの頭に手を乗せる。

「落ち着いた?」

 その言葉に、まひるはこくこくと頷く。

「うん…おちつき…ました」

 口調が、初めてあった時の頃に戻っていた。
 真也は、安心するとともに、ほんの少しだけ、寂しさを感じた。

「そっか」
「…ごめんなさい、私、迷惑かけて…」

 恐縮するまひるに、真也は頭に乗せたままの手をワシワシと動かし、少し乱暴に撫でる。

「迷惑なんかじゃないよ。大丈夫だって」

 真也が笑顔でそう伝えると、まひるもつられた様に、少しだけ笑顔を取り戻した。
 その様子を見届けると、真也はまひるの頭から手を離す。

「じゃあ、俺、早めにこの家を出るようにするね」

 真也の言葉に、まひるが首をかしげる。
 真也はまひるのその様子に、言葉を続ける。

「…流石に女の子の家に、赤の他人を家に置いておくわけにはいかないでしょ」

 真也としては当たり前の提案だったが、まひるは口を尖らせ、抗議する。

「ずっと一緒だ、って言ったくせに…」
「…その約束は必ず守るよ。そばにいるから」

 まひるを落ち着けるように、真也はもう一度、目を見てしっかりと宣言した。

「本当、ですか?」
「ああ。もちろん」

 まひるは、その答えに満足したようだったが、少し思案すると、口を開く。

「でも、だめです。うちにいてください。
 それに、ここから出ていって、行くあては…住む場所はあるんですか?」

 まひるの言葉に、真也は頭を掻く。
 行くあて、と言われて真也が思い浮かぶのは、病院への出戻りか、津野崎の家くらいだ。

 どちらも、真也にとってこの家以上に落ち着ける場所ではない。
 まひるが正気に戻った今であれば、尚更この家に勝る居場所は、ほかに無かった。

「…それは…いいの?」

 真也の言葉に、まひるは笑顔になる。

「うん。勿論、です! むしろ、この家に一人だけの方が、嫌ですから」

 この家にひとり。
 それは、まひるを追い詰めた原因でもあり、真也にもよく分かる恐怖だった。
 真也は、まひると共に住むことを決意する。

「…そっか、分かった。引き続き、ここに住むことにするよ」

 その真也の回答に、まひるは笑顔で頷いた。

「ありがとうございます…それと、お願いが…あるんですけど…」

 まひるは、恥ずかしそうに膝を擦り合わせ、真也を上目遣いに見上げる。

「なに?」

 真也が聞き返すと、まひるは深呼吸し、意を決して願いを口に出した。

「間宮さんのこと、お兄ちゃん、って呼んで、いいですか?」
「…それは……」

 先ほどまひるは、紆余曲折あって、真也のことを兄とは別の存在だと納得したところである。
 にも関わらず、まひるが出したその提案は、真也にとって不吉なものに感じられた。

 まひるは訝しげな真也に、言葉を続ける。

「間宮さんは、ヘンになった赤の他人のまひるを見捨てずに、優しくしてくれました。
 ダメになったまひるを、ちゃんと連れ戻してくれました」

 まひるは、顔を赤らめながら両手を握り、自分の胸元へ当てる。

「…凄く、嬉しかったんです。
 だから、まひるの『二人目のお兄ちゃん』になって欲しいんです」

 胸元に当てられたその手の中には、シンヤの腕輪が、しっかりと握られていた。

 2人目の兄。その言葉に、真也は先ほどの疑念が杞憂だったと胸をなで下ろす。

 さらにまひるは、先ほどよりももっと恥ずかしそうに、顔を赤らめて、真也を伺いながら、言葉を続けた。

「…それで、良かったら、まひるをお兄ちゃんの『二人目の妹』にして欲しい…です」

 その顔は、一世一代の告白をするような、羞恥と愛情が渦巻いたものだった。
 真也は、その愛情が家族愛であると分かりながらも、自分の頬が熱くなるのを感じた。

「だめ、かな?」

 可愛らしく首を傾げ、こちらを見上げるまひる。
 真也は照れきってしまい、赤い顔のまま目線を逸らし、答えた。

「…わかった。二人目、なら」

 それは一見すると、非常にぶっきらぼうな態度にも見えるが、それは真也の照れ隠しだと、まひるには理解できた。

「うん! …ありがと、お兄ちゃん!」

 まひるは、満面の、名前に相応しい真昼の太陽のような笑顔で、新しく増えた兄に礼を述べた。

 真也は、まひるをちら、と見ると、その笑顔につられ、笑顔になっていた。

「一気に四人兄妹だ」

 真也は薄暗い部屋のなか、まひるの隣に腰掛けると、ぼそりと呟く。

「えへへ、すごい大家族だね。…まひる、末っ子ね? 末っ子が好きなの。お兄ちゃんは…次男かな?」

 次男。そう言われた真也は、想像を広げる。

「…そうだな、なんとなく、彼の方が兄貴のような気がする」

 その想像では、たしかに彼の方が、自分よりも大人びている印象があった。

 2人は笑い合い、どちらからともなく肩を抱き、お互いの生きている証を、体温を感じあっていた。
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