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第1章 転移編

007 東日本異能研究所

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 車を降りた真也の前には、直線と曲線が混ざり合った、白い巨大な現代建築が鎮座していた。
 周囲には民家や商店といった建物はなく、所々にプレハブ小屋や謎の機材、まばゆい光を放つスポットライトが置いてあることから、この施設の敷地が広大であることがうかがえる。
 振り返ると、随分と遠くに背の高いフェンスがあり、車で敷地の奥深くまで進んできていたようだ。
 『保健省ほけんしょう 東日本異能研究所ひがしにほんいのうけんきゅうじょ』と書かれた立派な銘板が取り付けられた石のオブジェは、権威を感じさせる。

 もうすっかり暗くなり、寒さが強まってきているはずだが、真也は思ったよりも寒さを感じない。

 しかし真也はそれよりも、先ほどの惨状から車で2時間移動した先が、これ程にも日常的であり、静かな事に驚いた。

 車から4人が降りてくるのとほぼ同時に、建物の中から女性が駆けてくる。

 女性は、4人の前までやってくると、ニヤニヤと嘘くさい笑みを顔に貼り付けながら首でお辞儀をする。

「お疲れ様ですネ。東異研とういけんで異能解析室の室長やってます、津野崎つのざき真希まきです、ハイ」

 津野崎と名乗る女性は、室長というには、非常に若いように感じられた。20代の半ばほどであろう。
 肩口あたりまでのパーマがかった黒髪に薄化粧。丸眼鏡を掛け、水色のツナギの上から白衣を羽織るという独特なファッション。身長は高いのであろう、猫背でありながら、目線は真也と同じくらいだった。左腕には、やはりあの腕輪が巻かれている。

 津野崎は名刺を取り出すと、園口に手渡す。
 それを受け取った園口も名刺を取り出し、津野崎と名乗った女性に手渡した。

国疫軍こくえきぐん、日本支部の園口少佐です。ご連絡した通り、間宮さんをお連れしました」

 その言葉に津野崎は4人を見比べ、すぐに真也へとその視線を注ぐ。

「あー、彼ですネ、ハイハイ。資料通りで」

 その主張が正解かどうかの返答を待たず、津野崎は真也の方へ歩いてくる。

「はじめまして、間宮さん。津野崎といいます。お話は伺ってますヨ。色々と混乱してるかとは思いますが、ある程度ご説明できますんでネ、ハイ。ここでは何なので中に入りましょっか」

 津野崎は腕を広げて真也を招くが、その目が真也の腕へ向くと、少し驚いた顔になる。

「おや、手錠されてるんですか?」
「ええ、護送中の非戦闘員に対する規則でして」

 園口の言葉に、津野崎は大袈裟に手を振る。

「外しましょ外しましょ、そんなもん。鍵あります?」

 ウッディが上着のポケットから鍵を取り出すと、津野崎が外すように伝え、それを園口が命令しなおす。

 真也が思っていたよりもあっさりと、彼の腕は自由となった。
 特に痛みや腫れは無いが、なんとなく真也は手首を擦る。

「いやー、手錠なんて気持ちのいいもんじゃ無いでしょうにネ、災難でしたネ」

 ぽんぽん、と真也の背中を叩く津野崎。

 まるでこちらが悪役だと言わんばかりの行動に園口は一つ咳をし、ところで、と津野崎に話しかける。

「私は南宿に戻らなければならないんですが、どうしますか?」

 もう施設へと入ろうと思っていたのだろう、津野崎は心底不思議だといった顔をする。

「どうしますか、とは?」
「いえ、部下を2人連れてきていまして。どちらを残しましょうか」

 園口のその言葉は、言外に彼の見張り要員についての提案だった。
 殻獣災害で覚醒したオーバードに対しては、然るべき手順を終えるまで軍の監視下に入るという規則があったからだ。

「ああ、ハイ。皆さん戻っていただいて結構ですよ」
「…なにを仰ってるので?」
「ええ、ええ。むしろその方がありがたいです。軍人さんは殻獣バンの方に集中してもらった方が、ハイ」

 では、と短い挨拶と共に津野崎は真也の背を押し、研究所の建物へと歩き出す。

「しかし」

 津野崎の行動を止めるために言葉を発したのはレイラだった。
 しかし、津野崎はそれをバッサリと切り捨てる。

「特に、貴女には帰ってもらいたいんですよネ、私としては。ハイ」
「なぜ? 研究所に、そんな権限は無いはず」

 レイラは納得がいかず、再び声を上げる。その声色は、幾分か怒気を孕んだものだった。

「レオノワ特練上兵」

 レイラの言葉を打ち消したのは園口だった。
 周りが静かであるがゆえに、その声は園口が出した音よりも大きく響き、その言葉にレイラの動きが止まる。

 園口は津野崎に謝罪をし、津野崎はその謝罪を軽く受けると、津野崎はウッディの方を見て、それから真也へと視線を移す。

「もし、間宮さんがご希望でしたら、彼には残ってもらいますけど、どうされます?」

 このギスギスとした空気に、真也は津野崎と軍人たちをあまり長く接触させない方がいいな、という気がした。
 また、いまから自分が放り込まれる研究所の所員の機嫌を損なうのもあまりよろしくないようにも思えたので、津野崎に従う事にする。

「いえ…大丈夫です」

 その言葉に、静かにウッディは息を吐いた。
 東異研だけではなく、どの国どの地域でも防疫軍と研究機関はあまり仲が良くないのだ。

「では、そういうことで」

 この話は終わりと言わんばかりに津野崎は軍人たちから目線を離す。真也の背をぽんと叩くと、一転、優しい口調で語りかける。

「間宮さん、入り口のところにいるスタッフが見えますか。彼のところへ行って、指示に従って、待っていてもらえますかネ?」

 その言葉に真也は首肯し、建物に向かって1人歩き出す。

 津野崎は、私もすぐ向かいますからネー。と真也の背に声をかけると、園口の方を向き直す。

「…頼みますから、彼を刺激しないで下さいヨ。なんですか、手錠って」

 慎重に口を開いた津野崎の顔からは、真也が時と違いニヤニヤとした笑みが消えていた。
 津野崎の、元から細い瞳は責めるようにより細くなり、園口を睨む。

「いえ、手錠については殻獣災害時の手順に則って」

 園口は毅然とした態度で返答するが、津野崎は言い終わる前に言葉を続ける。

「貴方達、彼の戦闘報告を聞いてないんですか。そんなわけありませんよネ、私に報告してきたのは貴方なんですから、ハイ」
「…ええ」

 その短い園口の返答に、津野崎はさらに言葉を重ねる。

「イソポダ種、日本風に言えば団子虫ダンゴムシ乙型おつがたを4匹…最低4匹。そのほか大量の殻獣を、たった1人、しかも数分で撃破するようなオーバードに、手錠による拘束が意味あると思います?私は思いませんね、ハイ」

 園口はその言葉に一つ咳払いをすると、もう一点について問いただすことにした。

「では、監視を断る理由は?」
「こっちの極秘機密に関わることなんで、これ以上詳しく話せないんですがネ、彼に関しては特例として欲しいんですヨ」

 津野崎は両手を合わせて、無理を通して欲しい、と園口に伝える。

「強くとも、不意覚醒したオーバードの、手錠や監視規則を、破っていいわけではない」

 レイラが食い下がるものの、津野崎は動じない。

「それ、『トイボックス』を前にして同じ事言えます?まあ、彼は手錠をかけられても納得しそうですが、間宮さんもそうだとは限りませんよネ」

 津野崎の出した名前は、この世界であれば知らぬ者は居ない、『最強のオーバード』の名前だった。

 その例えはあまりに暴論である、とレイラは思ったが、真也の能力が未知数であることには反論できない。

「なので、今のところこっちに出来ることは、彼のご機嫌を伺う事だけなんですよネ」

 ぽりぽり、と頭を掻く動きはなんとも嘘くさい。
 津野崎はギロリと目を細めると、レイラを見る。

「だから、貴女には帰って欲しいんですよネ。色々気になるかと思いますけど、あの年頃の男の子は中々にデリケートですから。何かを切っ掛けにブチ切れて、急に何しでかすか分かったもんじゃないですヨ?」

 そうそう、と指を立て、ニヤリと笑うと津野崎は言葉を繋げた。

「もちろん、女の子もネ?」

 その言葉にレイラはピクリと肩を震わせ、声を吐き出す。

「…私は、軍人」

 その言葉に対する津野崎の反応は、冷徹なものだった。

「ここで、そう発言する事自体が小娘なんですヨ。園口さん、そういうわけで、連れて帰ってもらってよろしいですかね、ハイ」

 園口と津野崎の目線が交差する。

「まあ、研究者さんがそう仰るんだ。上からの命令も、間宮さんを東異研に引き継げ、の一点なのだから、我々は戻るぞ。津野崎さん、あとは任せました」
「任されました、ハイ。何か言われたり、何かあったら責任の所在はこちらに丸投げていただいていいですヨ」

 津野崎からの返答を聞き、園口は振り返って乗ってきた車両へと歩き出す。

 レイラはもう一度津野崎を睨むと園口に続いて歩き出す。

 2人の剣幕に一言も発せなかったウッディは、そのようなレイラの姿をチラリと視界に入れると、若さについて再考しながら、車両に乗り込んだ。
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