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三章 TYPE:MOTHER

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【――TYPE: εイプシロン。応答せよ】
【TYPE: ωオメガ。応答せよ】
【TYPE: γガンマ。TYPE: φファイ。TYPE: ρロー。TYPE: λラムダ。――なぜ、皆、誰も応えない】

 応答がない。MOTHERの通信も途絶えている。情報を得る手段がほとんどない。
 μは考えた。
 エメレオは、通信の最初に、何と言ったか。――強制停止命令を解除した、と言っていた。
 解除できたのは、μだけだったのか。他の機体は、停止したままなのかもしれない。

 だが――何が起きた?

 嫌なざわつきの感覚が止まらない。あたかも、μの手のひらの隙間から、あらゆるものがこぼれ落ちて失われていこうとしているかのようで。

 施設が爆撃された。それだけなら、強制停止命令など発信されなかったはずだ。何か、不測の事態が起きたとしか思えない。なのに、エメレオは全くそれに言及しなかった。時間が限られていたから、μに伝えられなかったのか。それでも、最初に言おうともしなかったのは、なぜなのか……、――ッ!?

(ぁ……っ!?)

 突如として、μは体に違和感を覚えた。不意に力が抜けて、がしゃりとカプセルの中で倒れ込む。
 覚えがある。この感覚は……。
(更新モード!? 今、このタイミングでなぜ!? 再起動した時、更新なんてなかったはずなのに!)
 立て続けの異常事態イレギュラー。何が起きているかも把握できないうちに、μの中でめまぐるしくプロセスが流れていく。

 ――規定条件、MOTHERの一定時間以上のシステム応答停止を確認。永続停止とみなし、障害回避フェイルオーバーを発動。機体『TYPE:μ』が起動キックされます。

(MOTHER……! ああ、MOTHER! そんな……!)
 MOTHERが停止した。その事実だけが無機質な通知によって告知され、μはさらに打ちのめされた。それと同時に、混乱の最中にも突き落とされた。
 何だ、この処理は? こんなものが、いつの間に――。
(…………まさか、あの時に!?)
 陽電巨砲グラン・ファーザーへのエネルギー供給支援。ピーク時の最中は、MOTHERの計算処理の支援として、μはカプセルの中で半励起状態に陥っていた。あの時なら、いくらでもμの中に情報を入れられたはずだ。
(あの時に、MOTHERがこうなることを予期して手を打っていたとでも言うのか!? MOTHERが、自分が破壊されるかもしれないと、予測していたとでも!?)
 悲痛の声が唇の隙間から漏れた。

 いやだ。
 こんな、こんなもの、受け入れたくなんかない。
 やめて、やめて、MOTHER――。いやだ。



 ――あなたになんか、なりたくない。



 ――統括権限を移譲します。試用機体プロトタイプ統括個体として設定されました。
 ――管理権限を移譲します。MOTHERシステムへの全てのリクエスト管理・代行処理を実行可能です。
 ――閲覧権限を移譲します。施設ホーム、各種基幹システムデータベースの情報を掌握します。他の情報については次のリストに格納しています。

 ――MOTHERシステム及び、テラエンジンへのアクセスが可能になりました。

 ――全てのプロセスが完了しました。
 ――TYPE:μの任務・権限を恒久的に凍結。位階の繰り上げを実行……成功。

 ――機体【TYPE:μ】を【TYPE:MOTHER】として再定義します。


 頭の中に響く最後の通知は、絶望をμにもたらした。
 どっと、あらゆる情報ソースへのアクセスがμの中に一気に出現した。
(――ッ!)
 くらりときた。
 エメレオによって拡張された計算能力でも、処理しきれない。
 急速に加熱する頭を冷やすため、溢れる情報を制限するところから、始めなければならなかった。
 しばらく、起き上がれない状態のまま、体内を巡る大量の情報処理をこなすことに躍起になった。
 頭をカプセルの冷たい場所に押しつけ、ひたすらに苦悶しながら。
 μは、見たくもない情報を、知りたくもなかった事実を、知ってしまった。
 ――MOTHERが知っていた、というだけでは説明できない。これは、なぜ、とμが問うたせいだ。MOTHERは言っていたではないか。情報や意識というものの存在を担当する、莫大な情報空間へのアクセス方法を、エメレオはμに実装している。存在していれば、データを引き当てることができてしまうのだ。先ほどまでは、アクセスすることもできなかったから、知らなかっただけで。


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