上 下
51 / 83
二章 崩壊

しおりを挟む
【ω!】
 強い口調に、ωはふと我に返ったように驚いた様子で目を丸くした。
 秘匿通信だから、誰も聞いてはいない。だが、εは止めずにはおれなかった。
【それ以上は、いけない。僕もその可能性は考えた。だが――僕たちが僕たちであるためには、それ以上は、だめだ】
 エメレオ・ヴァーチンという、発言力のある人間という後ろ盾を、自ら無くすことになりかねない。
【……だから真面目って言われるんだよ、ε】
 ωはふっと力の抜けたように笑って、εにそう返した。
【何だかんだ、僕らが問題起こすたんびに尻拭いして回ってたのだってさ、みんなをスクラップにさせないためだったもんね】
【……おまえたちが問題を起こさなかったら、僕だってあっちこっち走って怒鳴って回ったりしない】
 さんざん動き回って悩みもだえたせいか、食事演習でのエネルギー補給中にタンクの管が詰まって緊急メンテに担ぎ込まれたことまである。
「苦労性がアンドロイドにもあるんだな、人間なら胃痛だぞ、それ」と、技師たちに腹を抱えて笑われたのはεの中でも黒歴史だ。
 ああまた管の調子が、とεが体内機器の微調整を検討していると、遠くからベルの音が聞こえてきた。
【ん? こんな非常時にお客?】
【誰だ?】
 γガンマφファイが腰を上げ、部屋の扉上のモニターに、玄関先の監視カメラの映像を呼び出した。
 εとωもモニターに目を向けると、眉を潜めた。
 そこに映っていたのは、明らかに物々しい装いの制服を着込んだ男たちだったからだ。
【――敵意感知】
 ρローが物騒な発言をした瞬間。
 ――何か危険を感じれば、すぐに動けるように備える。身に染みついた習慣として、カプセルの外にいたアンドロイドたち全員が武装を始めた。


 *


 様子見に向かうため、四機のアンドロイドが走った。εイプシロンωオメガγガンマφファイからなる即席の組が、施設の廊下をできる限り急いで移動する。衝突や破損事故防止のため、施設内では緊急時以外の飛行が禁止されているからだ。
 通常の警備が通したということは、ここに立ち入る資格を持っているということ。なのにρローが敵意を感じたと警告した。εたちからすればその意図があると知った時点で嫌な予感しかしない。実際に行動に出るか出ないかの危険度判定の基準値はあるが、それを明らかに超えていなければ彼だって言葉には出さない。そうでなくても必要以上には滅多に話さないのだから、彼が言葉を発した時点で大事だ。
「何だってここのセキュリティには敵意検知が載ってないんだよー!」
「載ってはいるが、精度がやや甘い。数日前の博士襲撃事件では殺意レベルを検知していた」
「業者がハネたか、不良品だ。なお予算は潤沢だったからケチったわけではない」
 ωの文句にγ、φが冷静な補足を加えた。なぜ知っていると問いただしたいが、今はそれどころではない。
「何がどうなってる? 奴らの目的は何だ?」
「φ、どうだ」
「漏れ聞こえる話では、ヴァーチン博士に会わせろと言っているな」
「おい、何で分かるんだ」
「日頃の趣味でエンジンの微量出力検証がてら」
「磁力分布の割り出しから周囲のスピーカーのノイズ解析を少し」
「おまえたちなぁ」εは内心で頭を抱えた。呆れた精度での盗聴である。誰が諜報能力も自主的に訓練しろと言った。役に立つからと説得されて低位ロープラズマの秘匿通信を許したのがだめだったか……。「だがでかした。今は欲しい情報だ」
「ヴァーチン博士は、今はグラン・ファーザーのエネルギー調整で手が放せないんじゃないのか?」
「あの人は今、正式にはMOTHERを運用している施設ホームの人じゃない。軍部の研究開発主任だ。上の命令や許可を得て手伝っているだけだから、さらに別の命令があれば動かざるを得ない」
「おい、俺たちのブラックボックスを早期開示するよう、MOTHERへの絶対命令に賛成しろって言ってるぞ、向こうの奴ら」
「その命令をほいほい聞くたまか、あの博士? μミュウの奴から聞くに親バカだろ」
「絶対聞かない、賭けてもいい」
個人情報プライバシー丸出し反対ー!」
「ああもうまどろっこしい! φ、こっちに直接流せ!」
「了解。あとω、どうせそれ、開示予定の奴だからな」
 果たして聞こえてきた内容は、εたちの焦りをさらに募らせるものだった。


『――MOTHERへの絶対命令、ですか? 賛同しかねます。第一、意味がありません、と私からは申し上げます。政府直属機関からわざわざご足労いただいたのに、申し訳ございませんが……』
『政府からの指示であっても、頷かないということか?』
『しかるべき筋から下るならば頷きましょう。だが、大統領トールが指示を出したとは思えない。大方長官の誰かからの差し金だろうが、あなた方からの命令は大統領令ではない、それが全てです』
 では、彼らには指令書がないということだ。今の正当性は博士にある。しかし、相手はいざとなれば力ずくで意思を通す可能性が高い。
(あと少しだ――!)
 間に合ってくれ。願いながら、四機は施設五階の手すりを飛び越え、吹き抜けホールから下に向かって飛び降りた。これは落下だ。飛行ではない、と誰にともなく言い訳しながら。
『統帥からの命令であると証明できない限りは、戦時の軍律により聞き入れるわけには参りません。試用機体プロトタイプたちの人格傾向と想定戦績データ。それがブラックボックスによってマスキングされた中身であるならば、実績との関連を知ったところで、今までの過程と結果が全てだ。三年間、人間が正しく接すれば問題を起こさず、私の護衛任務も見事に遂行した。だからこそ追加の緊急承認が降り、続くオーギルの空戦でも使用には何ら問題がなかった。それならば全機が〝使える〟という判断が適当です。十日程度の期間の違いで揺らぐものではない。揺らぐとしたら、あなた方の対応の問題だ』
『……何?』
『アンドロイドに高度な知能を持たせたからといって、それが直接、あなたがたが暗に恐れる暴走を招くのではない。人間は魂と感情の生き物だ。それをモデルに生まれた彼らとて、不当と感じる扱いを受ければ怒り戦う選択肢を取り得る』
『それは、安全規定セーフコードに照らすまでもなく、人間への叛逆の可能性を認めたということか?』
施設ここの技師たちの友愛と敬愛を受けたからこそ、彼らは恩と愛着のために戦場へ向かってくれたのだという義を見落としている。あなたたちの主張はどこまでも疑心と恐怖でしかない』
『――』
 まずい。向こうの空気が張り詰めたのを感じた。
(あと、十メートル!)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴
ファンタジー
歪なる怪物「害獣」の侵攻によって緩やかに滅びゆく世界にて、「アーマメントビースト」と呼ばれる兵器を操り、相棒のアンドロイド「カルマ」と共に戦いに明け暮れる主人公「真継雪兎」  ある日、彼はとある任務中に害獣に寄生され、身体を根本から造り替えられてしまう。 乗っ取られる危険を意識しつつも生きることを選んだ雪兎だったが、それが苦難の道のりの始まりだった。 次々と出現する凶悪な害獣達相手に、無双の機械龍「ドラグリヲ」が咆哮と共に牙を剥く。  延々と繰り返される殺戮と喪失の果てに、勇敢で臆病な青年を待ち受けるのは絶対的な破滅か、それともささやかな希望か。 ※小説になろう、カクヨム、ノベプラでも掲載中です。 ※挿絵は雨川真優(アメカワマユ)様@zgmf_x11dより頂きました。利用許可済です。

❤️レムールアーナ人の遺産❤️

apusuking
SF
 アランは、神代記の伝説〈宇宙が誕生してから40億年後に始めての知性体が誕生し、更に20億年の時を経てから知性体は宇宙に進出を始める。  神々の申し子で有るレムルアーナ人は、数億年を掛けて宇宙の至る所にレムルアーナ人の文明を築き上げて宇宙は人々で溢れ平和で共存共栄で発展を続ける。  時を経てレムルアーナ文明は予知せぬ謎の種族の襲来を受け、宇宙を二分する戦いとなる。戦争終焉頃にはレムルアーナ人は誕生星系を除いて衰退し滅亡するが、レムルアーナ人は後世の為に科学的資産と数々の奇跡的な遺産を残した。  レムールアーナ人に代わり3大種族が台頭して、やがてレムルアーナ人は伝説となり宇宙に蔓延する。  宇宙の彼方の隠蔽された星系に、レムルアーナ文明の輝かしい遺産が眠る。其の遺産を手にした者は宇宙を征するで有ろ。但し、辿り付くには3つの鍵と7つの試練を乗り越えねばならない。  3つの鍵は心の中に眠り、開けるには心の目を開いて真実を見よ。心の鍵は3つ有り、3つの鍵を開けて真実の鍵が開く〉を知り、其の神代記時代のレムールアーナ人が残した遺産を残した場所が暗示されていると悟るが、闇の勢力の陰謀に巻き込まれゴーストリアンが破壊さ

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

基本中の基本

黒はんぺん
SF
ここは未来のテーマパーク。ギリシャ神話 を模した世界で、冒険やチャンバラを楽し めます。観光客でもある勇者は暴風雨のな か、アンドロメダ姫を救出に向かいます。 もちろんこの暴風雨も機械じかけのトリッ クなんだけど、だからといって楽じゃない ですよ。………………というお話を語るよう要請さ れ、あたしは召喚されました。あたしは違 うお話の作中人物なんですが、なんであた しが指名されたんですかね。

入れ替われるイメクラ

廣瀬純一
SF
男女の体が入れ替わるイメクラの話

『2184年』

geniusY
SF
2184年、人々は脳と手にインプラントをすることで驚くべき力を手に入れていた。しかし、この新しい世界は一筋の暗雲に覆われていた。 主人公は、世界に不信感を抱きはじめる。ある日、彼は偶然にも、過去の情報が残されている「旧世代インターネット」と呼ばれるサイトに辿り着く。彼はそこで、不思議な人格データ「geniusY」と出会う。 geniusYは、未来の人間牧場が待ち受けていると警告し、主人公をその実現を防ぐために戦うように説得する。人格データは、支配者によって操作され、人々が家畜として使われる世界について警告する。 主人公は、この恐ろしい未来を防ぐため、一人で戦いを始める。しかし、彼は次第に自分自身がその支配者の罠に落ちていることに気づき始める。 果たして主人公は、この闇に覆われた世界を救うことができるのか?その先に待つ真実とは? あなたを2184年の世界へと誘う。

処理中です...