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一章 後ろ向きのアンドロイド
十
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世界最高峰の天才科学者が住んでいるのは、とあるタワーマンションの中階層にある一室だった。プライベート用なのか、薄いノート型のパソコンが一台、リビングのガラス製のテーブルの上に無造作に放り出してある。壁に設けられた巨大スクリーンに映っているのは、どこかの風光明媚な景色のようだ。生活を邪魔しない程度に、小さな音で音楽が流れていた。
しかし、こざっぱりとした調度に似つかわしくない、妙にいかつい機材がいくつかごろごろと床に転がっているのは、やはり研究者というべきなのか、何なのか。
「こんな場所でごめんよ。一応セキュリティは最高レベルらしいから、ここはあんまり襲撃の心配はいらないんじゃないかな。あ、体を洗いたいならシャワールームを使ってくれて構わないから。そのあとでいいからさ、ちょっとアンドロイドのシステムアップデートに付き合ってくれない?」
さっきの戦闘で服とか汚れたでしょ、と入浴を勧めてくれるエメレオに、μは眉を潜める。
「……アップデート?」
「大丈夫、君たちのOSに致命的な影響は与えない。ちゃんとチェックしてあるから。だいたい設計を作り終えたあとで思いついちゃったんだけど、もう間に合いませんって試験機製造課程で工場から跳ねつけられちゃってさぁ。機会があれば載せたいと思ってたんだよね!」
まさかそんな理由もあって護衛用にアンドロイドを一体調達したのではなかろうな、とμは密かに半眼で科学者を睨みつけた。
エメレオはそんな視線もつゆ知らず、ふわふわのタオルをこちらに放って寄越した。
「ほら、さっき、新理論を応用したシステムのこと、言っただろ。早速実装するからさっさと埃を落としてきて。あ、替えの服はさすがにないから僕のガウンを着てね」
ぐっと眉を寄せはしたものの、μは言われた通りにシャワールームでざっと汚れを洗い落とし、服も洗浄装置に突っ込んだ。
タオルガウンを一枚羽織った状態で、エメレオが示した調整機材の電極を胸元に貼る。イヤホンのカナルを耳に差し込み、準備は整った。
「じゃあ、設計情報、流すからね」
「今さらなのですが、これは無許可の改造では?」
「いいのいいの。どうせどこを改造したかなんて、僕以外じゃ専任技術者ぐらいにしか見分けがつかないんだから」
鼻歌まじりに、科学者は先ほどリビングにあったよりはハードな造りのノートパソコンを開き、調整機材のケーブルをポートに差し込んだ。
「えーと、設計ファイルは、っと……あったあった。これでいいはずだ」
タンッと、小気味いい音を入力キーが奏でた。
数秒後、μのイヤホンと電極から流し込まれた設計情報が、μの頭脳にあたる計算中枢の隣にもうひとつの回路を作り出した。
「有機物誘導式の回路形成手法はやっぱり取り入れて正解だったね。青写真となる設計情報を読み込ませれば、計算回路を簡単にカスタマイズできるし、プラグインも入れやすい」
ふふん、と得意そうに鼻を鳴らしたエメレオは、続いて、出来上がった新設回路の動作プログラムを入力し始めた。
ここで、μは少し恐ろしい事実に気がついた。
「待ってください……あの……」
「絶対に破れないセキュリティシステム、絶対に流出しない情報なんてもの、この世にはないからね。そんな時に秘密を守る一番いい方法は――頭の中に入れたままにしておくことさ」
μは内部機関がどんどん冷えていく気持ちになった。
「対話形式で即興コーディングなんて正気ですか!? ドライバシステムをその場で組み上げるとか狂気の沙汰ですけど!?」
関数の単体テストもシステムテストも通していない生コードなんてとても怖くて実行できない。廃人になったらどうしてくれる。
「大丈夫、大丈夫。天才の僕を信じなさい」
「騙されたー! 詐欺だー! バグ落ちさせられるー!」
じたばたと暴れようにも、更新モードに入ったせいで口しか動かない。やられた。
「事前にプログラムコードを確認しなかった君の落ち度だね。次回からみだりに他の人にいじらせちゃダメだよ?」
μの絶叫も科学者は笑いながら涼しい顔で聞き流す。
近寄らないでおこうじゃない、絶対近寄ってはいけなかった種類の人間である。
「このマッドサイエンティスト!」
いやぁぁぁぁぁ! と、部屋の中に抗議の悲鳴が響き渡った。部屋の壁は防音仕様だ。誰もμの哀れな叫びに気づくことはなかった。
世界最高峰の天才科学者が住んでいるのは、とあるタワーマンションの中階層にある一室だった。プライベート用なのか、薄いノート型のパソコンが一台、リビングのガラス製のテーブルの上に無造作に放り出してある。壁に設けられた巨大スクリーンに映っているのは、どこかの風光明媚な景色のようだ。生活を邪魔しない程度に、小さな音で音楽が流れていた。
しかし、こざっぱりとした調度に似つかわしくない、妙にいかつい機材がいくつかごろごろと床に転がっているのは、やはり研究者というべきなのか、何なのか。
「こんな場所でごめんよ。一応セキュリティは最高レベルらしいから、ここはあんまり襲撃の心配はいらないんじゃないかな。あ、体を洗いたいならシャワールームを使ってくれて構わないから。そのあとでいいからさ、ちょっとアンドロイドのシステムアップデートに付き合ってくれない?」
さっきの戦闘で服とか汚れたでしょ、と入浴を勧めてくれるエメレオに、μは眉を潜める。
「……アップデート?」
「大丈夫、君たちのOSに致命的な影響は与えない。ちゃんとチェックしてあるから。だいたい設計を作り終えたあとで思いついちゃったんだけど、もう間に合いませんって試験機製造課程で工場から跳ねつけられちゃってさぁ。機会があれば載せたいと思ってたんだよね!」
まさかそんな理由もあって護衛用にアンドロイドを一体調達したのではなかろうな、とμは密かに半眼で科学者を睨みつけた。
エメレオはそんな視線もつゆ知らず、ふわふわのタオルをこちらに放って寄越した。
「ほら、さっき、新理論を応用したシステムのこと、言っただろ。早速実装するからさっさと埃を落としてきて。あ、替えの服はさすがにないから僕のガウンを着てね」
ぐっと眉を寄せはしたものの、μは言われた通りにシャワールームでざっと汚れを洗い落とし、服も洗浄装置に突っ込んだ。
タオルガウンを一枚羽織った状態で、エメレオが示した調整機材の電極を胸元に貼る。イヤホンのカナルを耳に差し込み、準備は整った。
「じゃあ、設計情報、流すからね」
「今さらなのですが、これは無許可の改造では?」
「いいのいいの。どうせどこを改造したかなんて、僕以外じゃ専任技術者ぐらいにしか見分けがつかないんだから」
鼻歌まじりに、科学者は先ほどリビングにあったよりはハードな造りのノートパソコンを開き、調整機材のケーブルをポートに差し込んだ。
「えーと、設計ファイルは、っと……あったあった。これでいいはずだ」
タンッと、小気味いい音を入力キーが奏でた。
数秒後、μのイヤホンと電極から流し込まれた設計情報が、μの頭脳にあたる計算中枢の隣にもうひとつの回路を作り出した。
「有機物誘導式の回路形成手法はやっぱり取り入れて正解だったね。青写真となる設計情報を読み込ませれば、計算回路を簡単にカスタマイズできるし、プラグインも入れやすい」
ふふん、と得意そうに鼻を鳴らしたエメレオは、続いて、出来上がった新設回路の動作プログラムを入力し始めた。
ここで、μは少し恐ろしい事実に気がついた。
「待ってください……あの……」
「絶対に破れないセキュリティシステム、絶対に流出しない情報なんてもの、この世にはないからね。そんな時に秘密を守る一番いい方法は――頭の中に入れたままにしておくことさ」
μは内部機関がどんどん冷えていく気持ちになった。
「対話形式で即興コーディングなんて正気ですか!? ドライバシステムをその場で組み上げるとか狂気の沙汰ですけど!?」
関数の単体テストもシステムテストも通していない生コードなんてとても怖くて実行できない。廃人になったらどうしてくれる。
「大丈夫、大丈夫。天才の僕を信じなさい」
「騙されたー! 詐欺だー! バグ落ちさせられるー!」
じたばたと暴れようにも、更新モードに入ったせいで口しか動かない。やられた。
「事前にプログラムコードを確認しなかった君の落ち度だね。次回からみだりに他の人にいじらせちゃダメだよ?」
μの絶叫も科学者は笑いながら涼しい顔で聞き流す。
近寄らないでおこうじゃない、絶対近寄ってはいけなかった種類の人間である。
「このマッドサイエンティスト!」
いやぁぁぁぁぁ! と、部屋の中に抗議の悲鳴が響き渡った。部屋の壁は防音仕様だ。誰もμの哀れな叫びに気づくことはなかった。
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