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一章 後ろ向きのアンドロイド
四
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λと一緒に昼のエネルギー補給を行い(といっても日光ルームで昼寝をするだけなのだが)、模擬戦訓練をいくつかこなして、その日のルーチンは終了する。
λはTYPEが連番になっていることもあり、すっかりμの姉役を気取っている。ちゃんと明日の予習をしておくように、との念押しに、別れ際、μはため息交じりに応と返した。
μはぼんやりととりとめのない考えごとをしながら、訓練施設内を移動した。施設は大きく分厚い円柱の上に、平たい円錐を伏せたような形をしている。ぐるりと内縁部に沿うようにらせん階段が巡り、その先は円錐の天辺――セントラルルームへ繋がっていた。
施設内への採光窓にもなっているガラス張りの天井越しには、ちらちらと夜空に星が瞬いている。わずかな光を感じながら、セントラルルームの中央に座っている女性型のアンドロイドに近づいた。
「MOTHER、いい夜ですね」
話しかけながら近づくと、銀糸のような長い人工頭髪を揺らし、彼女――戦略演算システム、MOTHERは振り向いた。伏せられていた瞼の下から覗いたのは、眩く白い煌めきを宿した、宝石のような瞳。無機質に造り込まれた造形美に、μは知らず息を止める。セントラルルームに足下を繋がれ、莫大なリソースを提供されながら、星の行く末、文明の未来、あらゆる問題を計算する演算能力を有する、文明の落とし子だ。
体の下を流れる巨大なエネルギーの奔流ゆえに、わずかに淡い光を放つMOTHERは、うっすらと微笑んでμを迎えた。
「TYPE:μ。いい夜ですね。また星を見に来たの?」
「ええ、まぁ」
生返事を返しながら、μはMOTHERの隣に座り込んだ。
「……今日も、ゼムの長い話を聞いてうんざりしました。もっと語りたいことがたくさんあるんでしょうけど、もう少し簡潔に話せばいいのに。分かりにくいし、時間がもったいない」
μの愚痴に、MOTHERはころころと笑ってみせる。
「合理的で省力主義。案外、司令官向きの性格なのかもしれませんね、あなたは」
「絶対嫌ですけど? MOTHER、私は戦闘型ですけど、叶うことなら話に聞く苛烈な戦場よりは、平和な町でのんびりと他のアンドロイドみたいに仕事をしてみたいんです」
「いいえ、絶対に向いていません」
「ええ?」
やんわりと厳しい断定に、μはへにゃりと表情を困惑のものに作り替えた。
「あなたはどちらかといえば、満足に休む暇もないほどの連続連戦でも戦い続けられるTYPEとして選んでいるので」
「……」
まさかそんな。目を剥いて見つめ返すμに向かって、穏やかにMOTHERは微笑み続ける。「――自分のコードが気になりますか、TYPE:μ」
「!」
アンドロイドたちの会話は、基本的には放任されているとはいえ、MOTHERにも共有されている。全体のデータは知ろうとすれば知れるのだ。
びくっと肩を揺らすと、MOTHERは口元の微笑みはそのままに、透徹した目でμを見据えた。
「あなたがたのソウルコードがブラックボックス化されているのは、研究者に余計な先入観を与えないのも理由ですが、もうひとつ。――あなたたち自身の在り方を、成長途上の段階でこうだと定めて固定したくないからです。μ、あなたたちはソウルコードを刻まれた者として、ある種のもうひとつの人類として作られています。壊れるまで成長を続け、完成することはありません。人間が死ぬまで完成しないのと一緒です。だけど、人間の精神はある段階からさほど中核が変わらなくなる瞬間が訪れる。――その中核が定まるまでの期間を、私はブラックボックス化の期間と同じにしたのですよ。魂が人間と同じであるならば、きっと、今回の方法で作られたアンドロイドそのものも、その自我を強固にする日がくると判じたのです」
「それは――MOTHER。他の解錠符号の所持者には……」
「秘密ですよ? エメレオなら見抜いているかもしれませんが」
悪戯っぽい表情を浮かべ、MOTHERは人差し指を唇に当てた。ですよね、とμは項垂れた。 ――MOTHERのこの癖のある動きを作ったのは、昼間にゼムが何気なく口にした認知科学者、エメレオ・ヴァーチンという男だ。天才の名を恣にする彼は、認知科学だけでなく、ソウルコード研究の第一人者でもある。それも元はといえば、アンドロイドの人格アルゴリズムの構築に大いに寄与するほどの『変態的』な技術職から発展したのだという。そんな説明を最初に聞いた時から、絶対に変人だ近寄らないでおこう、とμは決意したが。
MOTHERを利用する人々曰く、仕事や演算結果は確かだが、黙っていくつかの事案を裏で同時進行するという悪癖があるらしい。ただし、エメレオが彼女に与えた原初使命は「善きものであれ」、そして「文明の礎たれ」。その善性と目的の発露ゆえに、戦略演算システムであるMOTHERのやること、つまり計算結果は、最終的にはよいものとして顕在化するという実績がある。
この悪癖、不確定要素にもほどがあるが、エメレオの功績も大きいゆえに政治的に潰しにくく、そして実際に便利であり、悪い結果にはとりあえずなっていない、という、責任者が頭を抱える仕上がりになっていた。
λはTYPEが連番になっていることもあり、すっかりμの姉役を気取っている。ちゃんと明日の予習をしておくように、との念押しに、別れ際、μはため息交じりに応と返した。
μはぼんやりととりとめのない考えごとをしながら、訓練施設内を移動した。施設は大きく分厚い円柱の上に、平たい円錐を伏せたような形をしている。ぐるりと内縁部に沿うようにらせん階段が巡り、その先は円錐の天辺――セントラルルームへ繋がっていた。
施設内への採光窓にもなっているガラス張りの天井越しには、ちらちらと夜空に星が瞬いている。わずかな光を感じながら、セントラルルームの中央に座っている女性型のアンドロイドに近づいた。
「MOTHER、いい夜ですね」
話しかけながら近づくと、銀糸のような長い人工頭髪を揺らし、彼女――戦略演算システム、MOTHERは振り向いた。伏せられていた瞼の下から覗いたのは、眩く白い煌めきを宿した、宝石のような瞳。無機質に造り込まれた造形美に、μは知らず息を止める。セントラルルームに足下を繋がれ、莫大なリソースを提供されながら、星の行く末、文明の未来、あらゆる問題を計算する演算能力を有する、文明の落とし子だ。
体の下を流れる巨大なエネルギーの奔流ゆえに、わずかに淡い光を放つMOTHERは、うっすらと微笑んでμを迎えた。
「TYPE:μ。いい夜ですね。また星を見に来たの?」
「ええ、まぁ」
生返事を返しながら、μはMOTHERの隣に座り込んだ。
「……今日も、ゼムの長い話を聞いてうんざりしました。もっと語りたいことがたくさんあるんでしょうけど、もう少し簡潔に話せばいいのに。分かりにくいし、時間がもったいない」
μの愚痴に、MOTHERはころころと笑ってみせる。
「合理的で省力主義。案外、司令官向きの性格なのかもしれませんね、あなたは」
「絶対嫌ですけど? MOTHER、私は戦闘型ですけど、叶うことなら話に聞く苛烈な戦場よりは、平和な町でのんびりと他のアンドロイドみたいに仕事をしてみたいんです」
「いいえ、絶対に向いていません」
「ええ?」
やんわりと厳しい断定に、μはへにゃりと表情を困惑のものに作り替えた。
「あなたはどちらかといえば、満足に休む暇もないほどの連続連戦でも戦い続けられるTYPEとして選んでいるので」
「……」
まさかそんな。目を剥いて見つめ返すμに向かって、穏やかにMOTHERは微笑み続ける。「――自分のコードが気になりますか、TYPE:μ」
「!」
アンドロイドたちの会話は、基本的には放任されているとはいえ、MOTHERにも共有されている。全体のデータは知ろうとすれば知れるのだ。
びくっと肩を揺らすと、MOTHERは口元の微笑みはそのままに、透徹した目でμを見据えた。
「あなたがたのソウルコードがブラックボックス化されているのは、研究者に余計な先入観を与えないのも理由ですが、もうひとつ。――あなたたち自身の在り方を、成長途上の段階でこうだと定めて固定したくないからです。μ、あなたたちはソウルコードを刻まれた者として、ある種のもうひとつの人類として作られています。壊れるまで成長を続け、完成することはありません。人間が死ぬまで完成しないのと一緒です。だけど、人間の精神はある段階からさほど中核が変わらなくなる瞬間が訪れる。――その中核が定まるまでの期間を、私はブラックボックス化の期間と同じにしたのですよ。魂が人間と同じであるならば、きっと、今回の方法で作られたアンドロイドそのものも、その自我を強固にする日がくると判じたのです」
「それは――MOTHER。他の解錠符号の所持者には……」
「秘密ですよ? エメレオなら見抜いているかもしれませんが」
悪戯っぽい表情を浮かべ、MOTHERは人差し指を唇に当てた。ですよね、とμは項垂れた。 ――MOTHERのこの癖のある動きを作ったのは、昼間にゼムが何気なく口にした認知科学者、エメレオ・ヴァーチンという男だ。天才の名を恣にする彼は、認知科学だけでなく、ソウルコード研究の第一人者でもある。それも元はといえば、アンドロイドの人格アルゴリズムの構築に大いに寄与するほどの『変態的』な技術職から発展したのだという。そんな説明を最初に聞いた時から、絶対に変人だ近寄らないでおこう、とμは決意したが。
MOTHERを利用する人々曰く、仕事や演算結果は確かだが、黙っていくつかの事案を裏で同時進行するという悪癖があるらしい。ただし、エメレオが彼女に与えた原初使命は「善きものであれ」、そして「文明の礎たれ」。その善性と目的の発露ゆえに、戦略演算システムであるMOTHERのやること、つまり計算結果は、最終的にはよいものとして顕在化するという実績がある。
この悪癖、不確定要素にもほどがあるが、エメレオの功績も大きいゆえに政治的に潰しにくく、そして実際に便利であり、悪い結果にはとりあえずなっていない、という、責任者が頭を抱える仕上がりになっていた。
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