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オマケ
最初の話─オトギリソウの思惟
しおりを挟む小学校に上がったある日の授業で、人間と動物の違いについて問われた事があった。
僕は、どの動物との違いを答えればいいのかと問い返した。だって、人間も動物というカテゴリーに入ることを知っていたから。
大きく動物との違いと言われても、それでは体毛の量としか答えられないと思ったから。困惑した様子の先生に何故かはぐらかされて、結局僕は違いを答えられなかった訳なんだけども。
では僕とペットは同じかと聞かれれば、それは違うと答えられる。
だって、僕のこの感情をペット程度のものと一緒にしてほしくないから。
これは、もっとずっと重く、熱を孕んだ、ずっとずっと特別なものだから。
──────────
僕は両親についてほとんど何も覚えていない。僕を育てたのは兄貴だと思っているし、そもそも顔を見た回数ですら両手で数えられる程度だったかもしれない。
ただ、ある時兄貴と一緒に逃げ出してから一度も見ていない。家に行ったこともあったけど、そこにいたのは他の親戚たちだけだった。両親と呼べるものは居なかった。
まぁ、最初から居ないようなものだったけれど。
公園で僕と兄貴を拾ってくれたのは、可愛い女の子。真ん丸な目でこっちを見ていて、兄貴が何だか困っていたのは覚えてる。
兄貴はあんまり乗り気じゃなかったみたいだけど、僕はその子を一目で気に入ってしまった。だって、兄貴と似てると思ったから。今でも似てると思ってる。
二人とも、我が儘を言わない。言えないんだ。ずっと言えなくて、とうとう言い方を忘れちゃった。
でもその子は、しおちゃんは、僕たちの為に我が儘を言ってくれる子だった。
「君のためなのよ?だからほら、お兄ちゃんにバイバイしましょう?」
口を真っ赤にした女の人が、僕にそう言った。
「君を思って言っているんだ。いつか二人が一緒に暮らせるようにするための準備なんだよ」
冷たい目をした男の人が、僕にそう言った。
他にもいっぱい、沢山、沢山言われた。僕のため、僕を思って、僕らのためだから。
僕らはいつそんなことを頼んだんだろう。
「ねぇ、その二人、わたしがひろったんだよ」
無邪気な声が、ドロドロとした大人たちの声を切り裂いた。ように思えた。
「わたしがひろったから、わたしがめんどうみてもいいでしょ?わたし、どっちもいっしょにめんどうみれるよ」
「面倒見るって…あのね、君はまだ子供だから分からないかもしれないけど、そんなこと勝手に決められないのよ?」
「?おとうさんとおかあさんはいいって言ったよ?」
無邪気にそう言うしおちゃんに、大人たちが困った顔をする。隣にいた兄貴は、呆然としおちゃんを見てた。
僕はその時まだよく分からなくて。でも、この大人たちについていくより、しおちゃんと居ればきっとずっと幸せなんだろうと思った。
「だから、子供はペットと違うんだ!面倒みれるとか、そう言う話じゃ…」
「ちがうの?だって、おばさんもおじさんも、ふたりもめんどうはみれない、かたほうはそっちがめんどうみろよ、コジインにいれればいいんじゃない?とか言ってたでしょ?」
「おばっ…それは大人の話よ?子供は関係ありません!」
「なんで?だって、あの二人のはなしでしょ?だったら、わたしにもシンケン?ってあるんじゃないの?」
「あるわけないだろう!子供がいい加減にしろ!」
「わっ!」
短期な男の人が、しおちゃんの服を掴んで持ち上げる。そしてそのまま放り投げた。
床に投げ出されたしおちゃんの目に、じわりと涙が浮かんだ。
ガシャン!
「キャァァァ!!何するの!?」
「コイツ!!」
「…あんたらが、何してんだ?」
しおちゃんの涙が零れてしまう前に、兄貴が近くにあった湯飲みを全て大人に向かって投げつけた。全然気づかなかった大人たちは、全員熱いお茶がかかって悲鳴を上げる。
僕は急いでしおちゃんに駆け寄った。あの子は本当に強くて、痛くて涙が滲んでいても泣き声を出さなかった。
その上すぐに拭って、僕に笑いかけるんだ。
「しおちゃ、いたくない?」
「…っ、だいじょぶだよ、みゃーの」
声は震えていて、それでもどうにか笑うしおちゃん。
今考えると。五歳でそれって大分異常だったんじゃないかな。でも当時の僕がそんなこと分かる分けなくて、ただただ憧れを持った。こんな風に強くなりたいって。
このあと、僕と兄貴は勝手にしおちゃんの家に住むことにしちゃった。大人たちの間で色々問題が出たらしいんだけど、勿論子供である僕たちには伝えられなくて。
ただ、本人の強い意志を汲んで貰えたらしい。しばらくの間しおちゃん家で"預かる"という形で、僕らは二人一緒に─いや、三人一緒にいることを許された。
それからしばらく経って、兄貴が中学に上がってから僕らは元の家に住むことになった。生活費は親の通帳から。何で兄貴が暗証番号を知ってたのかは謎だけど。
時たま掃除をしたり泊まったりしてたけれど、本格的に住むことになって僕は不安を持った。だってしおちゃんと離れて暮らすのだ。少し寂しいと思った。
隣がしおちゃん家だから、すぐにそんなもの吹き飛んだんだけど。
僕が中学に上がって、兄貴の喧嘩が増えた。どうやら、バイトが出来ない代わりにカツアゲをしようとしたらしい。
しおちゃんに叱られて、盛大に口喧嘩して、家に帰ってから少ししょんぼりしてて笑ってしまった。次の日、しおちゃんは普通に兄貴に話しかけててまたしても笑ってしまった。
兄貴もしおちゃんも高校に上がって、僕は中学三年生になったとき。僕は、本気で"大人"と言うものに失望してしまいそうになった。
「ねぇ、宮迫くん。志望校、本当にここでいいの?」
それは進路希望を提出して、すぐのことだった。
僕は勿論、当たり前に兄貴としおちゃんと同じ高校に行くつもりだった。兄貴から勉強を教えて貰ってるから試験は余裕だろうし、と言うか二人が居ない場所に行く意味がないから。
でも、その兄貴から教わっていたことが多分、ちょっと限度が過ぎていたんだと思う。
僕は兄貴としおちゃんに褒めて貰いたくて、テストは兄貴から教わったことを存分に発揮するようにしていた。だから、まぁ、結果がどうなるか何て分かりきってて。
「毎回テストで百点満点じゃない!なのに、なんでこんなに学力の低い高校なの?ほら、貴方ならここにも行けると思うわ!」
その担任は、僕の点数を自分の指導の賜物だと思いこんでいた。僕以外で百点の人はいないんだから、絶対にそんなことないんだけど。僕が百点を取れたのは、兄貴のおかげだから。
でもそんなことを知らない担任は、耳障りな声を列ねていく。
「わざわざお兄さんと同じところを選ばなくていいのよ?自分の好きな場所を選びましょうよ」
そこが好きで選んだところなんだよ。あんたが選んでほしいのは、自分の実績になる場所でしょ?
「今年の宮迫くんは授業態度もいいし、実力でも推薦でも行けると思う!ここなら色んな資格も取ることができるわよ?将来に役立つわ!」
そりゃあ、兄貴としおちゃんがいないからね。さっさと時間が流れてほしいから何もしないだけだよ。将来に役立つかどうか、決めるのは僕であってあんたじゃない。
「去年と一昨年は、ほら、お兄さんたちに連れられて授業態度はあんまりだったじゃない?でもそれは貴方は悪くないのだし、先生は分かってるわ」
何を分かってるの?僕の、何を知ってるの?
「もしかして虐められてるの?あの二人、いい噂を聞かないわ。高校でも、喧嘩ばかりらしいじゃない。ねぇ、先生は貴方の味方よ。大人だから、貴方を助けてあげられるわ」
大人がいつ、僕を助けてくれただろう。噂だけで二人を判断しないで欲しい。僕を助けてくれたのは、いつだってあの二人だけだ。
「…言えないのね?大丈夫よ!あの二人に何を言われても、先生や、他の大人たちが助けてくれるわ!だから助けを求めていいのよ?」
「あの二人から離れる方が、貴方の為になるわ。私はね、貴方を思って言ってるのよ?」
ブチッと、何かがキレた。
「…そう、ですね。じゃあ、聞いてくれますか?センセイ」
「まぁ!話してくれる気になったのね?えぇ、言ってちょうだい。助けてあげるわ」
「そうやって、人を勝手に可哀想な奴扱いして自尊心を満たすの止めてくれません?」
「…ぇ」
ぎょっと目を向く担任に、構わず僕は続ける。もう、我慢ならなかった。
「大体、何も知らない奴が勝手なこと言わないでくれる?あんたがあの二人の何を知ってるの?昔のことは?あの二人の苦労は?僕の気持ちは?何も知らないでしょ?知ってる気になってるのは、それ妄想って言うんだよ?」
「別に人の妄想にとやかく言わないけどさ、それを本人に押し付けるの止めてくれない?あんたの妄想と現実は違うんだよ。僕は好きであの二人といるの。僕は好きでその高校を選んだの。しおちゃんは好きで喧嘩してるわけじゃないし、兄貴は僕としおちゃん以外どうでもいいだけだし」
「僕の為?僕を思って?大きなお世話!余計なお世話!別に僕はあんたに何かを頼んだ記憶はないし、誰かに助けを求めてる訳でもない。勝手に人を優等生に下手あげて、人の努力を自分の功績にして、あげく自分の理想と妄想の押し付け?大人って凄いんだね?」
「大体、僕がテストで百点取れるのは兄貴のおかげだから。あんたの授業よりよっぽど解りやすかったよ。あんたより兄貴の方が教師向いてるかもね?で?僕と兄貴の努力を勝手に自分の功績だと他の先生に自慢してたみたいだけど、今どんな気持ち?ねぇ?」
「はぁ。だんまり?いつもみたいに耳障りな声で勝手な話ししないの?あの、腸が煮えくりかえそうな兄貴としおちゃんの誹謗中傷話。どうぞしてください?僕があんたを軽蔑するだけだからさ。気にせず好き勝手に話せばいいよ。僕はあんたという教師に失望するけど」
「なにも話さないならさ、僕もう帰っていい?そろそろあの二人も帰って来るだろうし、あんたの相手してる暇ないんだけど。なんであんたが泣きそうな顔してるの?身内貶されて、勝手なこと言われまくって、泣きたいのは僕だし、それ以上にあの二人の方なんだけど」
「よくそれで教師やってこれたね?生徒にちょっと言われただけで泣くの?大人としてどうなの?生徒を噂だけで判断して、勝手な妄想話を吹聴してる時点で人間としてどうかとは思ってたけど。あぁ、もう、めんどくさいな。じゃあね、センセイ。勝手に泣いて情けない姿見られればいいんじゃない?」
言いたいこと言って、さっさと帰って、兄貴としおちゃんと合流して。二人の顔を見たら、何だか無性に泣きたくなった。
なんであんなことを言われなきゃならないんだろう。確かに喧嘩は良くないかもしれない。でも、元はといえば、喧嘩仕掛けて来たのってあっちからだし。兄貴は応戦ついでにカツアゲしてるだけだし。むしろ慰謝料?
しおちゃんだって、僕らと一緒にいるから巻き込まれてるだけなのに。僕だって喧嘩に参加するのに。
何で、この二人だけが悪く言われなきゃならないんだろう。
何で、僕だけがあんな酷い言葉をかけられるんだろう。
もっと僕が不良っぽかったら?きっと、"貴方の為"なんて言われない。あんなバカらしいこと言われない。あんな、二人を悪いものみたいに言われない。
大人って、何で上辺しか見て言わないんだろう。別に踏み込んで欲しくはないけど、勝手に二人を悪く言われるのは我慢ならない。
僕の世界には二人だけしかいない。二人だけしかいらない。他なんてどうでもいい。
僕は兄貴の弟で、しおちゃんの弟だ。それだけしかいらない。それだけでいい。
僕のこの気持ちは、きっとあの二人何か比べ物にならないくらい暗く、深く、ドロドロとしている。
ペットなんかと一緒にしないで欲しいほど、この感情は酷く真っ黒なものだ。
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