No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

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第4章

2 多忙な逆撃

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 連絡を受けたテセウスは、ネレウスとパーンにことを報告した。
 もちろんペルセウスを伴っている。
 「爺ぃ、だからあの件は、表に出して置けって言っただろう」
 「済まぬ———。このように利用されようとは想定しておらなんだった。そうか、パーンは事情を知らなかったな……」
 と、適当に淹れた茶を啜る。すぐに顔を顰めるような味にするくらいなら、ペルセウスにでも頼めばよかったのにと、テセウスは、意地悪く考えていた。
 ケリュケイオンからの報告で、虫の居所が悪いのである。
 「実はな、アーテナイの滅びの日、クラン《アモネイ》はアーテナイにて、それこそ異端者の摘発を行っていたのだ。そして、襲撃の前に捕縛し、撤収した。だが、当時の世情から、方舟教会との本格的な対立は避けねばならないと、秘匿してきたんだが———。漏れていたな……」
 「漏れていたな、じゃないぞ。あの件が露見しないように、アーテナイは見殺しにされたンだからな」
 眼光鋭く、テセウスが指摘する。
 薬物である。異端者は、違法薬物の栽培と頒布を行っており、その背後には、当時のアーテナイと複数都市の上層部が噛んでいた。そのため、表立って裁いては都市連盟そのものが崩壊しかねず、当時の中央諸氏は、アーテナイの滅びを証拠が消える機会として黙認したのであった。それが、連綿と続くテセウスと中央の確執の核心である。こともあろうに、身内の不祥事を隠すために、この苦しい時代の重要都市を切り捨て、なおもその生き残りであったテセウスを犯罪者扱いしたのであった。
 「中途半端に善悪を行き来するから、そんなことになる」
 「返す言葉もないな……」
 パーンは唖然とした表情のまま固まり、ペルセウスは事情の一端を担っていただけに、悲痛な表情を隠せない。
 あの日、《アモネイ》の護送団を護衛したのは、ペルセウスだったのである。
 「検討して置くべきは他にあるぞ。今回、タナトスは何故、アーテナイの滅びの日について、中央が見捨てたのだという札を切らなかったのか、だ。もしくは切れなかった、だがな。この差は、今後の動きを決める上で大きいぞ」
 テセウスは皆の顔を見渡した。
 暴露によって連盟が崩壊することを恐れたのか、それとも、例の薬害に彼ら自身が関わっていたのか———。
 「爺ぃ、ここしばらくの耄碌は、流石に笑ってやれないぜ。失態ばかり繰り返すようなら———」
 と、ネレウスの表情が、詰られているにも拘らず、大いに輝いた。
 どうせ、自分が席を追われれば、その後任にはテセウスが立つことになるなどと、見当違いな夢を見ているのだろう。
 「———イオと一緒に、コミュニティを出る」
 言い切った。
 そして、ネレウスの体が崩れた。
 「そこは熱く、オレに任せて引退しろ、とか言うところじゃろう!!」
 「なんで爺ぃの思惑に乗ってやらねばならんのだ。どうしてもと言うのであれば、ペルセウスを育てろ」
 と、ペルセウスに責を追わせようと逃げた。
 「ちょっと、テセウスさん、それはないんじゃないですか?義弟が可愛くないのですか」
 「可愛いから、階層潜行師とかいうヤクザな商売から足を洗う機会を与えただけサ」
 嘯いて、テセウスは席を立った。
 背後に、不平を浮かべながら、ペルセウスが従う。
 「少し、イオと打ち合わせをしてくる。大まかな作戦が決まったら、今後の相談だ。戦争前に、ベガを解放し、ヘルメスを連れてヨナスへ向かい、連合へ寄り道して、帰路に見つけた《野盗》を殲滅して帰陣する」
 タイミングが重要だし、少々、忙しない。
 だが、他に有効な打つ手がない以上、ここで手を抜くのは論外であった。
 春も深くなり、夏も近い空には、少し前よりも低くなった夕焼雲が連なり、視界を朱に染めていた。
それはさながら、かつて経験した戦場の色であった。



 アーケイディアの街は、平時の表情を取り戻していた。
 テセウスが破壊した行政府の主塔も、何とか物資が足りたらしい。修復されて輝きを取り戻していた。遺跡なので、修復には適した建材の確保が難しいのである。
 道行く者も、もうエラトスの仕出かしたあれこれや、その後の襲撃など、憶えておく価値のないことなのだろう。皆、朗らかな表情で行き交い、日常を謳歌していた。
 情報の街だけあって、こうした平穏の中にも、実は前線の情報は届いていた。連合との本格的な全面戦争こそあり得ないとしていたが、先行していた、先方の政情不安の情報から、相当な規模の紛争程度は発生し得ると、皆が考えていた。
 パニックにならない理由は簡単で、とある人物に取ってはこの上ない皮肉であった。
 テセウスが前線に居る。
 それが落ち着きの根拠であった。
 前回の紛争からも、まだ年数が浅い。
 この生き抜くことそのものが難しい荒廃した世界で、戦がこのような頻度で続くのは異常事態だが、それこそが、テセウスやペルセウスが発生した理由なのか、はたまた、彼らが発生したからこそ起こってしまった悲劇なのか、誰にも判らないことであった。
 だが、連盟の市民たちは、テセウスがそのすべての戦いに圧倒し、勝利してきたことを熟知していた。見捨てないであろうことも……。
 そこはかとなく感じるその空気に、ヘスティアは居心地が悪かった。
 それは、自分自身がテセウスに向けている期待に非常に似ていて、客観的に見るとこれ程までに身勝手なのかと、身の置き場を失ったのだった。
 「アロイス卿、この雰囲気は———」
 「ええ、身勝手ですね。けれど、ご存知でしょうが、民衆とはこのように日々を繋いでいくものなのです。だからこそ、テセウス卿は我々には苛烈なのですけどね」
 と苦笑し、遠くに見えてきた彼の妻へと手を振った。
 「さあ、暗い表情はおよしなさい。貴女の導くべき民が、その表情をどう受け止めるのかを知らない訳ではないでしょう」
 その遣り取りを、ニュクスは黙って見ていた。
 口の出し過ぎは、依存心を育て、健全な成長を阻害する。
 そして、ヘスティアはそうした期待に応えられるだけの感性を秘めている。
 ひとしきり頷いてから、ニュクスはデュキスの立つ辺りへと急いだ。彼とは打ち合わせの必要があり、そしてそれは、決して楽しい内容にはならないことが、事前に判っているからであった。



 由紀子の手元には、アメリカの実験施設から関係者に送られた、最新の実験レポートが握られていた。そこには既に、例の《魂の理論》を除いたすべてのスコープの達成が示されており、そしてまた、その《魂の理論》についてはイオから止められたこともあり、断念したと智行から報告を受けていた。
 つまり、プロジェクトは成功である。
 今後は規模を拡大し、この基礎技術を応用に落とし込む研究が待っている筈であった。そう、筈、なのであった。
 彼女が眉間に深く皴を刻んでいるのには、禁止された《魂の理論》関連の研究を進めている節があること、彼の立ち上げたプロジェクトについて、基礎理論構築と総指揮を執った以外について、智行が隠者のようにして関係のない研究を行い、目的を忘れているように感じられることに理由があった。
 「———これは、一度問いたださないとダメね」
 溜息ひとつ、デスクの上を転がすと、PCに表示されていたレポートのウインドウを、由紀子は閉じた。冷却ファンが盛大に回っているということは、相当な時間を、業務に充てていたのであろう。疲れもそのせいだと思いたかった。
 智行の変貌は段階的ではあったが、突然だった。そして、何故か表面上の事柄ではなく、本質にこそ変化が大きいように感じられた。

 ———それこそ、何者かに乗っ取られたように。

 ここまで来れば、危機感に蓋をすることすら許せなかった。
 由紀子は自身の病的な智行への依存を知っていたし、そしてもう、隠すつもりもなかった。それを隠していたが為に、一度はすべてを失い掛けたのである。
 「藤くん、さっき届いたレポートだけれど、日本語訳して、リストにある該当メンバーすべてに配布して頂戴」
 「ええ、承知しました。ところで、所長はこれから、ご自宅ですか?」
 「そのつもりだけど……、どうかした」
 「加藤博士の追加予算申請が来ているのですが、これ、流石にご相談無しには決済出来なくて……」
 と、液晶画面を示す。一度でもエスカレーションすると履歴が消せないシステムなので、事前に確認を、と気を遣ってくれたらしい。
 内容を見ると、やはり適用欄には《魂の理論》関連の、しかも由紀子が聞かされてさえいない分野の研究を進めるための要求であった。こうしたことを隠蔽しない点については、従来の智行なのである。だが、相談をしない時点で、他人めいて感じられ、疑いは更に募った。このままにしておくには、他のスタッフが不審に思う程、動きに違和感が大き過ぎる。
 「これは、内容不備につき却下、でいいわ。私からヒアリングしてみる」
 「お手数ですが……」
 「いいのよ。こんなワガママ通していたら、ウチだって破産してしまうわ」
 そう笑うと、由紀子は帰宅の準備をはじめた。
 こんなことは初めてだが、左手の指輪が重く感じた。
 由紀子はじっくりと、何をどういう順番で、どこに焦点を絞って詰問すべきか、脳裏で慎重に検討を重ねた。
 ———二度も喪う訳にはいかないのだ。自分の過失で。
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