No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

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第3章

15 昏きもの

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 テセウスがアルタイルへの岐路を辿ると、街道が合流する当たりの大岩の上に、ペルセウスの姿があった。
 日はすっかり暮れ、辺りは既に、侵食獣の世界である。
 事実、ペルセウスの周辺には、返り討ちにした侵食獣の骸が点々と転がっていた。
 「何してンだ、オマエ」
 あんまりと言えば、あんまりな発言であった。
 「テセウスさんを待っていたんですよ。随分、遅かったですね?イオの姿がありませんが———」
 「ああ、アイツは用事があるとかで、拠点に戻っている。調べたいことがあるそうだ。呼べばすぐに戻るから、放置で構わん」
 「便利ですねぇ、転移……」
 「イオに言わせると、オレももう出来るそうだがな、まったくそんな予感は無いな。霧化も可能のだそうだ。人間を辞める気はないから、どうでもいいか」
 語らいながら、アルタイルへの道を辿る。
 「面倒事が続きましたけど、メンタルは大丈夫ですか?最近のテセウスさんは、決断が急で、極端です」
 出し抜けに、ペルセウスは本丸に切り込んでみた。
 果たしてテセウスは、
 「そうだな、心配をかけていたか……。あれは別に、本当に怒ってあれこれ決めていた訳ではないンだ。———扱いにくさの演出が多分にある。オレが本当におかしかったのは、全部をオマエに押しつけて出て行った時だけだな」
 「お返ししますから、文句を言わずに受け取ってくださいね。自分にはヘリントスやクランは維持できません」
 苦笑しながら、ペルセウスはおどけた。
 放射熱を奪い冷え切った風が首筋を撫で、虚空に消えていく。
 「なあ、ペルセウス、アルテミスのことはどれくらい覚えている?」
 「いやですね、忘れられませんよ、あんな強烈な方。それに、最期が酷過ぎた……」
 立ち止まり、日頃は控えている煙草に火を点けた。
 「———イオが言うには、ヘスティアとアストライア、あのふたりに、アルテミスの名前を刻まれているそうだ」
 清澄な空気が、煙草の煙に穢されている中、ペルセウスはテセウスの表情を見返した。それは茫洋として、芯のない表情であり、深層は窺い知れなかった。
 「僕の意見は、多分テセウスさんには気に入らないと思いますよ?」
 テセウスは、吸い差しを無駄に発火能力で灰にすると、軽くペルセウスの肩を叩き、ケットルの中の美味な液体を勧めた。
 「そうだな、うん、そうだ……」
 何事かひとつ納得すると、それ以降は街に着くまで口を開かなかった。



 女性陣は気が気ではなかった。
 ペルセウスも感じていたことだが、ここしばらくのテセウスは、どことなく投げ遣りで、破滅衝動を隠していなかったからである。ひどく自身を軽視したその行動指針は、周囲に大きな不安を与えていたのであった。
 イオがついているとは言え、あのような事件の直後である。
 そんなに弱くはないと信じる心に逆らうように、胸中には染みのように懸念が広がり、焦りを呼ぶのであった。
 「アストライア、貴女は屋内に入っていてもいいのよ?行政府でも絞られたのでしょう」
 「それはそうなのだがな、落ち着ける気がせんのだ。ヘスティアこそ、ニュクス師との会談で、そうとう遣り込められただろうに……」
 ふたりは、日頃の如く口論をすることも無く、ヘリントスの搭乗ハッチ前に佇んでいた。有体に言えば、身の置き場がなかったのである。
 何故か喪失していた幼少期の繋がりを思い出してくれたのは嬉しいが、きっかけが市民の惨殺事件では喜べない。しかも、そこに付随するのは、彼女らも大切にしていた姉のような存在の悲惨な記憶である。
 命だけでなく、女性としての尊厳をも奪われた姉のことを思うと、いまでも胸が痛い。特に、アストライアとしては、ヘスティアも先日、同様の状況に追い込まれたことに仄暗い怒りを覚えており、若干の他者への不信を拗らせていた。
 「テセウス様は、きっとなんでもないことのように振舞われるのでしょうけど……。アストライア、あまりに自虐が過ぎるようなら、張り飛ばして差し上げて?私がそれを受けて、慰めて癒しますので」
 アストライアが眉根を寄せる。
 「ちょっとそれは、不公平に過ぎないか?私はそんな、暴力女ではないぞ」
 「冗談ですよ。気が紛れたでしょう。そのように緊張した表情でお迎えしたら、逆に気を遣われてしまいますよ」
 くすりと笑い、ヘスティアがアストライアの手を取った。
 冷え切っていた指先は、摩擦によってふたりの体温が混ざり合い、少しだけ緩和された。気温だけではない。緊張がそうさせていたのである。ふたりは一度、ふたりを識るテセウスを時の大きな流れの中で奪われた経験をしている。
 今回がまた再びではないとは、信じ切れる程、現在のテセウスを識らず、そしてまた、強靭ではないのであった。



 由紀子の目下の懸念は、智行の研究が実を結ばず、彼が「解けて」しまうことに集約していた。
    智行にはその考えが無いようだが、概念と確率、思念の指向性によって凝った存在だというのであれば、最悪の場合、智行の存在自体が世界に溶ける、つまり「解ける」可能性が否定出来ないのである。無から有が生じたのに、有から無へ不可逆である保証はないのであった。
    及ばず、智行が死を迎えるのであれば、それは身を切るようなものであろうが、受け入れる覚悟はあった。そもそも、平穏とか平常とかとの言葉から遠いところに現状はある。そして、元研究者として、望んだからと、望ましい結果が得られるとは限らないことを、由紀子は熟知していた。
    本当に怖いのは、智行の存在が世界に溶け、無くなってしまうことであった。
    存在するからこそ記憶しているのである。はじめから存在しないことになった場合、由紀子の人生から、智行という核が消失してしまわないとも限らない。
    記憶から消去されるのであれば、その時になってみれば、気にすることでもなくなっているのであろう。
    だが、抵抗もせずに、自分の執着の対象を手放すには、由紀子の心理は限界まで追い詰められていた。智行が存在しない、その時点で由紀子の人生ではないのである。
    許しがたい大いなる力に、必死で抵抗の策を練るしかなかった。



 テセウスは、青褪めたヘスティアとアストライアの顔を見て、とてもじゃないが正視出来ないと、居心地の悪い思いをしていた。
 無論、現在に至っても、共に在ってもいいのかと、疑義は尽きない。
 彼女らに減り下って崇められるようになったら、その時点ですべてが終わる気がしているのであった。
 憎しみや嫉妬を反転させるのであるから、テセウスの異能———イオは権能と言ったか———は非常に強力である。彼女らやペルセウスでさえも抗えないかもしれない。
 目下、影響を受けないだろう相手は、イオと、潜在的な敵である《戯曲家》だけである。
 あれだけ忌避していたイオと、こんなにも急激に心理的な距離を詰め、信頼するに至ったのは、そうした不安から来る弱さを許してくれる存在だからかもしれない。
 「すまんな、ちょっとイオと調べ物をしていた」
 テセウスが謝ると、ふたりは無言で頭を振った。
 いずれ決別しなければならないかもしれない恐怖と欲が、自身の中を駆け巡っていることを感じた。
    ———と、心に何かが触れた。
    訝しみながら内面を慎重に整理したが、異常と言えるのは、自分らしくもない他者に依存した安堵だけであった。
    するりと潜り込まれたような印象であったが、気のせいか……。
    常にはしない抱擁をふたりと交わし、ペルセウスに視線を向けると、ゆっくりと首を横に振って拒否された。
    「———可愛くないな」
    「僕に可愛げを求めないで下さい。それよりも夕食にしましょう。待ちくたびれて、流石に腹が減りました」
    そう言い、ペルセウスはそのまま艇内に消えた。
    テセウスはヴィークルをゆっくりとハンガーに格納し、装備を外していった。
    先程感じた違和感については、覚えていたら、念のためにイオに報告しておこう。そう思い、モノリスのメモに一行加えた。
    ここにきて、全体的に知覚が増している。
    既に人と呼ぶには微妙な存在となってしまったことに苦笑を落とし、皆の後を追って、食堂へ向かった。
    求めるもの程、手に出来ないのが世の常であるが、幸いなことに、テセウスの欲した大半が、この艇内にある。時を遡れるのであれば取り返したい宝物はあったが、言っても詮無きことである。
    足るを知ることが大切であると、テセウスは本能的に察していた。



 ———荒野の世界の片隅で、暗がりがひとつ、産まれ落ちた。
 それは次第に薄く、大きく拡がり、何かを求めて触手のように自身の一部を分けて、世界を探りはじめた。
 そして、自己に近しい存在を探り当てると、一部をその存在の内部に隠した。
 暗がりは、ようやく安心した。
 自分が自然でないこと、安定しないことを知悉していたのである。
 暗がりは知覚に引っ掛かった脆弱な群れを追い、森へと入った。
 そこには興味を惹くような、新たな発見はなかったが、使い勝手の良さそうな幾許かの駒と、稼働可能なシステムが存在していた。
 元々は遺棄されていたそれを復活させた存在も、追ってここを訪れるであろう。
 暗がりとしては、自身がこの世に凝った存在理由を、早急に探らなければならなかった。
 でなければ、醜く、愛されずに産まれた自身を、憐れむよりないからである。
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