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第3章
14 テセウスの嫌悪した異能
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テセウスが無知であったことに、彼自身の過失はなかった。
ただ、僅かばかり巡り合わせが悪かった。彼の持つ、最も特異な異能が表出した時、それが彼の異能だとは気づき辛い状況であった。彼の両親と婚約者を亡くした時期、つまりは彼も、自分を分析しているような余裕がなかったのである。
三人を喪った悲しみに、テセウスは打ちひしがれていた。
そして彼が異能に気づいた時、それはアーテナイの滅びの日を迎え、吊し上げを受けていた頃になる。日々の追及の中で、徐々に人々の反応が異様になったのであった。
街を廃墟とし、妻を亡くして、彼は記憶すら喪失していた。
そのため、気づくまでに若干の時間の経過が発生してしまったのもやむを得まい。
目立つ内容ではない。だが、その異様さは、同席する期間、時間が長ければ長い程、顕著になった。
強硬に責め立てていた相手が、その感情を反転させるのである。
昨日まで憎しみを向けていたその感情の強さが、ある時点から崇拝に変化した。
果てには、誰も彼を追求することがなくなり、逆に《帰還者》として崇められるに至り、その異様さに気づいた。その視線に宿る粘度の高い熱に触れた時、これはパッシブな異能の結果だと、思い知らされたのである。
翌日、テセウスはアーケイディアの街から去った。
自分の異能は感染するのだと、孤立を選んだのである。
ペルセウスは、街道沿いの吹き曝しの大岩に立ち、テセウスを待っていた。
季節もあって、景色は心理的な必要以上に荒涼としていた。風の通り抜ける度に、草原が波を走らせ、彼方へと消えた。先だっての内乱事件から、街道を行く商人の姿は少なく、この時間帯、人影は視界に入らなかった。
ここ暫くのテセウスの判断は急に過ぎ、ある側面では我儘、独善と言われてもおかしくないものであった。だが、それがどうしても、彼の人物像と重ならない。過敏な反応は、却って何かを恐れているような、自分から身を引くような印象を、ペルセウスに植えつけていたのであった。
ペルセウスは訝しんだ。
いったい、自分が訊ねてしまってもいいことなのだろうか……。
遠くに臨むアルタイルの高楼は、夕陽に染まって、反射したきらめきを街に投げ掛けていた。その麓には、自分よりももっと、その辺りの事情を知りたい人達が、気を揉みながらテセウスの帰りを待っているであろう。
静かな熱を孕んで、都市は営みを継続している。数日前の、この世の終わりのような気配は、徹底的な清掃により消えているだろうが、記憶から拭い去るには、相当な時間を要すると思われる。
街から若干離れたところに、犠牲者の墓所を設けることになっている。あまりに近くては都市の拡大の足枷となってしまうので、都市外になってしまったのだ。
今日、テセウスは関係者に頭を下げながら、単独行動を願った。
アルテミスの気配が強過ぎたのである、今回の内乱事件では———。
戻りを約束して出て行ったので戻って来るだろうが、心配は心配であった。元より、ひとりの抱え込める闇ではないのだ。彼が奪われて来たものを思うと、声すら掛けられなくなる時がある。
地平線に落ちた溶鉱炉の鉄のような陽を眼で追いながら、ペルセウスは弛まずに待った。
その頃、テセウスはイオと、自身のアバターが本来はどのような性格を持つものであるのかを探っていた。ペルセウスの予想に反し、その動作には停滞なく、湿気を帯びたものはなかった。
それどころではなかったのである。
「崇められて拝まれたと来ると、《神》の可能性が高いなあ……。それも、相当に高位の」
ポツリと、イオが零した。
反応してテセウスは、
「アバターの下敷きがどなた様であろうと、どうでもいいンだ。気になるのは、何故、オレなのかだ」
「だからね、何度も言ってるけど、何が眠っているかによって、対応が大きく異なるんだってば。そんなに答えを急がないでよ」
呆れたと言う表情で、イオが詰った。
「そんなに違うものなのか?たかが個人の異能だろう」
「表出するのは異能だけれど、根底にあるのは、世界からの強制と人々の認識なんだよ。だからね、扱いを間違えると、君自身の存在そのものが災害になりかねない」
思わずと、テセウスは半歩、身を引いた。
「———穏やかじゃないな」
「うん……、穏やかじゃないんだ。名に縛られているのは主に、神、英雄、象徴、怪物だけど、必ずしもその性質に引き摺られるものではなく、大抵は平穏に生を終えている。だけど、君の場合は、意思とは関係なく周囲を変性させるのだろう?これは、余程大きな権能か、呪いとしか思えないんだ」
モノリスに何事か記録しながら、イオが唸る。
テセウスは日頃の戦闘時にほとんど異能を用いないが、実は、発火、温度変化、再生、豊穣といった、非常に強力な能力を隠し持っている。この、能力の夥しい数の発現も、《救い手》呼ばわりの原因でもあるだろう。そこに来て、謎のパッシブ能力である。テセウス自身、人であることを疑うレベルであった。
「やっぱり主神か太陽神系かな……。そうなると、《英雄》であるところの《テセウス》とは相性がいい。だけど、そうなるとどうして、《戯曲家》はテセウスに神を強いるのだろう———」
イオは、深く思考の海に沈んでいる。
伝えるべきか、実はテセウスは、《主神》《太陽神》との言葉に、自らの根源が揺さぶられる感触を得ていた。そしてそれを勝手に隠蔽しようとする、強い力も———。
不気味なものが自分の中で蠢いている。
かつては耐え難かったものに現在は耐えられるようにはなったが、それでも気分のいい感触ではなかった。
意識がこちらに戻ってきたら、やはりイオに伝えておこうと、テセウスは考えた。これまでの経験上、こうしたことを「なんでもないこと」とした場合、碌な目に遭わなかったのである。
「うむ、おかしい……」
デイモスがふと、呟いた。
「何が、であるか?」
タナトスがそれに応えて、疑問を投げる。
室内には、他の人影は無く、かつてあった護りの闇は既にテセウスの許である。
「いや、《戯曲家》からの連絡が途絶えておる。計画ではこれからが佳境であるはず。如何にも解せん」
「———行政府にしてやられたか?」
「それはないであろう。アレもまた、イモータルと同種のイレギュラー、そうそうには滅ぼせまい。懸念しているのは、嗅ぎつけられたか、或いは、我々が《戯曲家》のシナリオから外されたかということである……」
重々しく、デイモスはそう言い落し、テーブルの上で手を合わせ、それを握り締めた。俯いたそれからは、表情は窺えないが、タナトスにはそれが、深い怒りであろうことが理解できた。
当初は順調であった。
アレス、ケーレスを用いた実験も成功裡に終わり、《特異点》の動向の監視とその誘導も、概ね成功していた。
だが、翻って今はどうであろう?
部下はことごとく滅ぼされ、手持ちの駒は、質、量ともに心許ない。
肝心の《真人類》へ至る鍵も、実際のところ未入手である。至れることは判明した。ただ、我らがその道筋を同様に辿るのは「違う」のである。内殻の傷を得ようとすれば、多大な心的重圧と、それを齎す喪失を経験しなければならない。
選ばれた存在である我らが、そのような泥臭いことを経験しなければならないとしたら業腹であるし、そもそも、そこまでの衝撃を受けるような執着を棄ててから、過ごした年月は非常に長い。あるとすれば、《真人類》を目指すというこの執着であるが、それでは本末転倒である。
タナトスは黙考しながら、どこで躓いたのか、分析を重ねた。
「デイモスよ、そろそろ我ら自らが血を流さねばならんのかも知れん」
「とは?」
「《戯曲家》の思惑がどうあれ、いつまでも協調できる相手でもないであろう。独自路線を模索すべきと考える」
心を落ち着ける為に、聖典の表紙を指で撫でる。
「独自路線か、至極腑に落ちる決断ではあるな……。我らの信仰を解さぬ輩にこれ以上頼る必要もあるまい。便利ではあったが、ここ暫くの《戯曲家》の企ての精度は、確かによろしくない。我らが自ら動くのも道理か———」
デイモスはそう言うと、酒精を強めたワインで喉を潤した。
昏い声で語らうふたりには、最早、当初の目的が何であったのかは関係のないこととなっていた。目的と手段が逆転し、道理を違えていることについて指摘できる者はなかった。ただ、陰惨な計画が彼らの口から床に零れる度に、どこかにいる誰かの将来が閉ざされることが決められていった。
後戻りが出来ない場所に、彼らは踏み込んでいた。
加藤は、伝わってくる漠然とした思念から、テセウスが何か、重要なことを確かめようとしていることを感じ取っていた。
テセウスの存在は歪である。
そもそも、《テセウス》という英雄の出現が、イレギュラーに過ぎるのである。候補者だけでも、少なくとも記憶から探るに、テセウス本人、ヘルメス、加藤と、三人も存在しており、それぞれが何故か、時期は異なるが、ある日を境に別の役割を与えられている。
そして、テセウスとヘルメスはそれぞれ、神格を得ているようだ。テセウスの背景に何が隠れているのかはまだ不明であるし、ヘルメスがどのような権能を発現しているのかは、テセウスでさえも知るところではなかった。
翻って、異能、権能とは何なのであろう。
現代にあってそれを真面目に語ろうとするのであれば宗教者になるべきであり、科学者の領分ではないとされているが、かの世界では、それが一般常識として罷り通っている。その差はいずれから来るのであろうか。
ひとつ、加藤には根拠のない推論があった。
と言うか、根拠を探りたい推論なのであった。
それは、異能、権能とは、概念で事象が左右されるかの世界にあって、世界に及ぼす《影響力》の顕れなのではないか、ということである。
現地で、それら事象の測定ができないことが悔やまれた。
あれ以来、テセウスへの憑依も実現していない。身体に魂が深く結びついている状態では不可能なようである。以前は、テセウスの魂が剥れかかっていたからこそ、直接操作が出来たのである。
リアルタイムな討論が出来ないことがもどかしかったが、捨てるべき欲であった。
そして気づいた。魂が肉体に影響を及ぼし、肉体が魂に在り様を既定するのであれば、魂が剥れかけた時、肉体から魂への働きかけはどのようにして行われるのであろう。
———魂が剥れるとは、魂をあまりに主体と置き過ぎてはいないか?
加藤は、「肉体が魂を諦める」というケースも有り得るのだと気がついた。
混迷を増していく中で、この物理社会で何が出来るのか、本当に途方に暮れはじめていた。浮かぶアイディアや気づきは、ほぼほぼ、荒野の世界のことであった。
現実世界では、加藤は一歩も先に進めていないのであった。
ただ、僅かばかり巡り合わせが悪かった。彼の持つ、最も特異な異能が表出した時、それが彼の異能だとは気づき辛い状況であった。彼の両親と婚約者を亡くした時期、つまりは彼も、自分を分析しているような余裕がなかったのである。
三人を喪った悲しみに、テセウスは打ちひしがれていた。
そして彼が異能に気づいた時、それはアーテナイの滅びの日を迎え、吊し上げを受けていた頃になる。日々の追及の中で、徐々に人々の反応が異様になったのであった。
街を廃墟とし、妻を亡くして、彼は記憶すら喪失していた。
そのため、気づくまでに若干の時間の経過が発生してしまったのもやむを得まい。
目立つ内容ではない。だが、その異様さは、同席する期間、時間が長ければ長い程、顕著になった。
強硬に責め立てていた相手が、その感情を反転させるのである。
昨日まで憎しみを向けていたその感情の強さが、ある時点から崇拝に変化した。
果てには、誰も彼を追求することがなくなり、逆に《帰還者》として崇められるに至り、その異様さに気づいた。その視線に宿る粘度の高い熱に触れた時、これはパッシブな異能の結果だと、思い知らされたのである。
翌日、テセウスはアーケイディアの街から去った。
自分の異能は感染するのだと、孤立を選んだのである。
ペルセウスは、街道沿いの吹き曝しの大岩に立ち、テセウスを待っていた。
季節もあって、景色は心理的な必要以上に荒涼としていた。風の通り抜ける度に、草原が波を走らせ、彼方へと消えた。先だっての内乱事件から、街道を行く商人の姿は少なく、この時間帯、人影は視界に入らなかった。
ここ暫くのテセウスの判断は急に過ぎ、ある側面では我儘、独善と言われてもおかしくないものであった。だが、それがどうしても、彼の人物像と重ならない。過敏な反応は、却って何かを恐れているような、自分から身を引くような印象を、ペルセウスに植えつけていたのであった。
ペルセウスは訝しんだ。
いったい、自分が訊ねてしまってもいいことなのだろうか……。
遠くに臨むアルタイルの高楼は、夕陽に染まって、反射したきらめきを街に投げ掛けていた。その麓には、自分よりももっと、その辺りの事情を知りたい人達が、気を揉みながらテセウスの帰りを待っているであろう。
静かな熱を孕んで、都市は営みを継続している。数日前の、この世の終わりのような気配は、徹底的な清掃により消えているだろうが、記憶から拭い去るには、相当な時間を要すると思われる。
街から若干離れたところに、犠牲者の墓所を設けることになっている。あまりに近くては都市の拡大の足枷となってしまうので、都市外になってしまったのだ。
今日、テセウスは関係者に頭を下げながら、単独行動を願った。
アルテミスの気配が強過ぎたのである、今回の内乱事件では———。
戻りを約束して出て行ったので戻って来るだろうが、心配は心配であった。元より、ひとりの抱え込める闇ではないのだ。彼が奪われて来たものを思うと、声すら掛けられなくなる時がある。
地平線に落ちた溶鉱炉の鉄のような陽を眼で追いながら、ペルセウスは弛まずに待った。
その頃、テセウスはイオと、自身のアバターが本来はどのような性格を持つものであるのかを探っていた。ペルセウスの予想に反し、その動作には停滞なく、湿気を帯びたものはなかった。
それどころではなかったのである。
「崇められて拝まれたと来ると、《神》の可能性が高いなあ……。それも、相当に高位の」
ポツリと、イオが零した。
反応してテセウスは、
「アバターの下敷きがどなた様であろうと、どうでもいいンだ。気になるのは、何故、オレなのかだ」
「だからね、何度も言ってるけど、何が眠っているかによって、対応が大きく異なるんだってば。そんなに答えを急がないでよ」
呆れたと言う表情で、イオが詰った。
「そんなに違うものなのか?たかが個人の異能だろう」
「表出するのは異能だけれど、根底にあるのは、世界からの強制と人々の認識なんだよ。だからね、扱いを間違えると、君自身の存在そのものが災害になりかねない」
思わずと、テセウスは半歩、身を引いた。
「———穏やかじゃないな」
「うん……、穏やかじゃないんだ。名に縛られているのは主に、神、英雄、象徴、怪物だけど、必ずしもその性質に引き摺られるものではなく、大抵は平穏に生を終えている。だけど、君の場合は、意思とは関係なく周囲を変性させるのだろう?これは、余程大きな権能か、呪いとしか思えないんだ」
モノリスに何事か記録しながら、イオが唸る。
テセウスは日頃の戦闘時にほとんど異能を用いないが、実は、発火、温度変化、再生、豊穣といった、非常に強力な能力を隠し持っている。この、能力の夥しい数の発現も、《救い手》呼ばわりの原因でもあるだろう。そこに来て、謎のパッシブ能力である。テセウス自身、人であることを疑うレベルであった。
「やっぱり主神か太陽神系かな……。そうなると、《英雄》であるところの《テセウス》とは相性がいい。だけど、そうなるとどうして、《戯曲家》はテセウスに神を強いるのだろう———」
イオは、深く思考の海に沈んでいる。
伝えるべきか、実はテセウスは、《主神》《太陽神》との言葉に、自らの根源が揺さぶられる感触を得ていた。そしてそれを勝手に隠蔽しようとする、強い力も———。
不気味なものが自分の中で蠢いている。
かつては耐え難かったものに現在は耐えられるようにはなったが、それでも気分のいい感触ではなかった。
意識がこちらに戻ってきたら、やはりイオに伝えておこうと、テセウスは考えた。これまでの経験上、こうしたことを「なんでもないこと」とした場合、碌な目に遭わなかったのである。
「うむ、おかしい……」
デイモスがふと、呟いた。
「何が、であるか?」
タナトスがそれに応えて、疑問を投げる。
室内には、他の人影は無く、かつてあった護りの闇は既にテセウスの許である。
「いや、《戯曲家》からの連絡が途絶えておる。計画ではこれからが佳境であるはず。如何にも解せん」
「———行政府にしてやられたか?」
「それはないであろう。アレもまた、イモータルと同種のイレギュラー、そうそうには滅ぼせまい。懸念しているのは、嗅ぎつけられたか、或いは、我々が《戯曲家》のシナリオから外されたかということである……」
重々しく、デイモスはそう言い落し、テーブルの上で手を合わせ、それを握り締めた。俯いたそれからは、表情は窺えないが、タナトスにはそれが、深い怒りであろうことが理解できた。
当初は順調であった。
アレス、ケーレスを用いた実験も成功裡に終わり、《特異点》の動向の監視とその誘導も、概ね成功していた。
だが、翻って今はどうであろう?
部下はことごとく滅ぼされ、手持ちの駒は、質、量ともに心許ない。
肝心の《真人類》へ至る鍵も、実際のところ未入手である。至れることは判明した。ただ、我らがその道筋を同様に辿るのは「違う」のである。内殻の傷を得ようとすれば、多大な心的重圧と、それを齎す喪失を経験しなければならない。
選ばれた存在である我らが、そのような泥臭いことを経験しなければならないとしたら業腹であるし、そもそも、そこまでの衝撃を受けるような執着を棄ててから、過ごした年月は非常に長い。あるとすれば、《真人類》を目指すというこの執着であるが、それでは本末転倒である。
タナトスは黙考しながら、どこで躓いたのか、分析を重ねた。
「デイモスよ、そろそろ我ら自らが血を流さねばならんのかも知れん」
「とは?」
「《戯曲家》の思惑がどうあれ、いつまでも協調できる相手でもないであろう。独自路線を模索すべきと考える」
心を落ち着ける為に、聖典の表紙を指で撫でる。
「独自路線か、至極腑に落ちる決断ではあるな……。我らの信仰を解さぬ輩にこれ以上頼る必要もあるまい。便利ではあったが、ここ暫くの《戯曲家》の企ての精度は、確かによろしくない。我らが自ら動くのも道理か———」
デイモスはそう言うと、酒精を強めたワインで喉を潤した。
昏い声で語らうふたりには、最早、当初の目的が何であったのかは関係のないこととなっていた。目的と手段が逆転し、道理を違えていることについて指摘できる者はなかった。ただ、陰惨な計画が彼らの口から床に零れる度に、どこかにいる誰かの将来が閉ざされることが決められていった。
後戻りが出来ない場所に、彼らは踏み込んでいた。
加藤は、伝わってくる漠然とした思念から、テセウスが何か、重要なことを確かめようとしていることを感じ取っていた。
テセウスの存在は歪である。
そもそも、《テセウス》という英雄の出現が、イレギュラーに過ぎるのである。候補者だけでも、少なくとも記憶から探るに、テセウス本人、ヘルメス、加藤と、三人も存在しており、それぞれが何故か、時期は異なるが、ある日を境に別の役割を与えられている。
そして、テセウスとヘルメスはそれぞれ、神格を得ているようだ。テセウスの背景に何が隠れているのかはまだ不明であるし、ヘルメスがどのような権能を発現しているのかは、テセウスでさえも知るところではなかった。
翻って、異能、権能とは何なのであろう。
現代にあってそれを真面目に語ろうとするのであれば宗教者になるべきであり、科学者の領分ではないとされているが、かの世界では、それが一般常識として罷り通っている。その差はいずれから来るのであろうか。
ひとつ、加藤には根拠のない推論があった。
と言うか、根拠を探りたい推論なのであった。
それは、異能、権能とは、概念で事象が左右されるかの世界にあって、世界に及ぼす《影響力》の顕れなのではないか、ということである。
現地で、それら事象の測定ができないことが悔やまれた。
あれ以来、テセウスへの憑依も実現していない。身体に魂が深く結びついている状態では不可能なようである。以前は、テセウスの魂が剥れかかっていたからこそ、直接操作が出来たのである。
リアルタイムな討論が出来ないことがもどかしかったが、捨てるべき欲であった。
そして気づいた。魂が肉体に影響を及ぼし、肉体が魂に在り様を既定するのであれば、魂が剥れかけた時、肉体から魂への働きかけはどのようにして行われるのであろう。
———魂が剥れるとは、魂をあまりに主体と置き過ぎてはいないか?
加藤は、「肉体が魂を諦める」というケースも有り得るのだと気がついた。
混迷を増していく中で、この物理社会で何が出来るのか、本当に途方に暮れはじめていた。浮かぶアイディアや気づきは、ほぼほぼ、荒野の世界のことであった。
現実世界では、加藤は一歩も先に進めていないのであった。
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