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第3章
13 悔恨と間に合った安堵
しおりを挟む ――彼女の自殺の理由、それは未来への懸念からだったという。
実は彼女は病に掛かっていて、死を迎える運命にあったらしい。所謂、現代医療では手の施しようがない死病だったのだ。
治療すれば、生き長らえるが治療費が掛かる。とは言え、治療を放棄すれば苦しい死を迎える。その二つの選択の中で迷っていたのだそうだ。
新藤曰く、調べ物を偶然見てしまった流れで打ち明けられたらしい。
なぜ私に打ち明けてくれなかったのか、との感情が湧いたが、それも続く言葉で打ち消された。
彼女はどうやら、私に研究をやめて欲しくなかったらしい。
金の問題になれば研究所に入り浸る事は出来なくなるだろうから、と呟いていたとのことだ。迷惑をかけたくないとも何度も口にしていたという。
ずっと分からなかった彼女の真情が暴露された所で、私はその真意を理解することが出来なかった。それこそ、言葉だけを解しているに過ぎない。
早かれ遅かれ、愛しい人を失う事に変わりは無かったというのだ。なんて皮肉なのだろう。
結局、どういった流れが最善の道であったか、最終的にはそんな事を考え始めてしまった。
「博士、言いたい事はここで終わりではありません」
黙考が始まりかけた頃、一旦は途切れた新藤の声が降って来た。無意識に顎に宛てていた手を離し、顔を上げる。
「……最後にこうも言っておられました。あの人を心から愛していると、愛しているからこそ選ぶのだと。それでも、その後の世界で貴方に生きて行ってほしいと、我儘だけれどそうしてほしいと」
なぜ新藤が存在抹消の前に打ち明けてきたのか、その理由も私には分からなかった。愛情ゆえに彼女が自ら命を絶った理由についても、私にはやはり分からない。
それでも、何と無く分かる事が一つだけある。きっと、彼も彼女も不器用なのだろう。その上で人の感情に聡くあったからこそ、私では理解し得ない選択をするのだ。
それがきっと、彼女の愛の形だったのだろう。
「……彼女は私を愛してくれていたのだな……」
疑ってはいなかったが、改めて分かり少しだけ嬉しくなった。最後の最後、自分を頼ってくれなかった理由を聞けて、長年の引っ掛かりが少し溶けた。
ただ、切なさや辛さが完全に消える事はなかったが。
「博士、お時間です」
別の研究員がこっそりと顔を覗かせた所で、対話は終了した。
*
機械の周囲を、幾人かの研究員が取り囲んでいる。バインダーに資料を挟み、手にはペンを持って準備万端だ。
仲間達に見守られながら、マシンに新藤が座った。その頭に、代表として専用の機械を被せ、全身をこれまた特殊なフィルターで覆う。これで、こちらからも新藤からも、互いの姿は確認出来なくなった。
「新藤、ついにこの時が来た。何か言い残す事はあるかね? 君が消えたあと覚えているかは不確かだが」
「そうですね。では一つ、次は私自身から博士へ」
私だけへのメッセージだからか、声量は控えられていた。今度こそ最後の遣り取りになるだろう。
とは言え、恐らくはこの遣り取りも全て抹消される訳だが。
「もし、私が戻らなかったら、博士はマシンには乗らないで下さい」
最後の願いにと新藤が持ってきた物に、正直眉を潜めてしまった。しかし、最後の時まで彼を否定しようとは思わない。
「消えたいと苦しんでいる人間を救うのが、開発者である博士の役目です」
ただ受け容れる振りをして、相槌だけを繰り返した。新藤が満足して消えられるようにと計らった。
だが、確かに私自身が消えてしまえば、誰が根気強く広めてくれるというのだろうか。
「それに、奥様も貴方が消える事は望んじゃいない。だから博士は、この先も生きてマシンを広めて下さい」
「……分かったよ新藤くん、覚えていたならば約束をしよう」
軽い冗談を交えて、視線を後方へとやった。プログラムが正常作動しているのが確認できる。
「はい。では、どうなるか分かりませんが、そろそろお別れしましょう」
新藤が、起動装置であるボタンを押したのだろう。機械音が鳴り始めた。私は抹消装置を、目を凝らして見詰めつづけた――――。
*
「うむ、中々信じてもらえないな。良い案はないのかね? MR296」
『ですが博士、マスコミが言うように、証拠がないのですから、どうしようも』
MR296――彼女は開発のパートナーである。存在抹消ボタンプロジェクトを立ち上げた時から、ずっと隣で助手をしてくれている。人ではなくアンドロイドだが、人間より有能かもしれない。
感情を読むのが苦手な私には、相棒と呼べる相手が出来なかった。故に手伝ってくれる存在を製作したのだが、意外にもそれでやっていけてしまうらしい。
因みに、¨マシン¨ではなく、取っ付きやすいよう¨ボタン¨にしよう、との案を出してきたのも彼女だ。
そんなMRと私の目前には、既に完成済みの存在抹消ボタンが佇んでいる。後方には幾台ものコンピューターがあり、未来先読みシステムと空間移動システムの維持をオートで行っている。
「いや、証拠などなくともこれは成功している。恐らくは私達の記憶にないだけなのだ。このマシンは既に完成をしている!」
『でも、私も記憶していません』
MRが言うように、実はこの装置の稼動を誰も見た事がない。開発者である私も他の研究員達も誰一人として、だ。
けれども、私はこの装置が既に稼動し、誰かの存在を抹消しているのだと信じている。根拠も証拠も何一つ無い状態でも、そんな気がしてならないのだ。
「開発者である私たちが信じずに、誰が成功を信じるというのだ。さぁ、世の中にボタンの存在を広めていこうではないか」
『博士が言うなら、頑張りましょう』
「うむ、その意気だ。では今日も出掛けるかな」
――開発者としての使命を持ち、私は今ボタンの認知拡大に努めている。
存在ごと、全てを抹消できる画期的な装置、その名も¨存在抹消ボタン¨。
そのボタンで、誰かを救えるのだと信じて。
実は彼女は病に掛かっていて、死を迎える運命にあったらしい。所謂、現代医療では手の施しようがない死病だったのだ。
治療すれば、生き長らえるが治療費が掛かる。とは言え、治療を放棄すれば苦しい死を迎える。その二つの選択の中で迷っていたのだそうだ。
新藤曰く、調べ物を偶然見てしまった流れで打ち明けられたらしい。
なぜ私に打ち明けてくれなかったのか、との感情が湧いたが、それも続く言葉で打ち消された。
彼女はどうやら、私に研究をやめて欲しくなかったらしい。
金の問題になれば研究所に入り浸る事は出来なくなるだろうから、と呟いていたとのことだ。迷惑をかけたくないとも何度も口にしていたという。
ずっと分からなかった彼女の真情が暴露された所で、私はその真意を理解することが出来なかった。それこそ、言葉だけを解しているに過ぎない。
早かれ遅かれ、愛しい人を失う事に変わりは無かったというのだ。なんて皮肉なのだろう。
結局、どういった流れが最善の道であったか、最終的にはそんな事を考え始めてしまった。
「博士、言いたい事はここで終わりではありません」
黙考が始まりかけた頃、一旦は途切れた新藤の声が降って来た。無意識に顎に宛てていた手を離し、顔を上げる。
「……最後にこうも言っておられました。あの人を心から愛していると、愛しているからこそ選ぶのだと。それでも、その後の世界で貴方に生きて行ってほしいと、我儘だけれどそうしてほしいと」
なぜ新藤が存在抹消の前に打ち明けてきたのか、その理由も私には分からなかった。愛情ゆえに彼女が自ら命を絶った理由についても、私にはやはり分からない。
それでも、何と無く分かる事が一つだけある。きっと、彼も彼女も不器用なのだろう。その上で人の感情に聡くあったからこそ、私では理解し得ない選択をするのだ。
それがきっと、彼女の愛の形だったのだろう。
「……彼女は私を愛してくれていたのだな……」
疑ってはいなかったが、改めて分かり少しだけ嬉しくなった。最後の最後、自分を頼ってくれなかった理由を聞けて、長年の引っ掛かりが少し溶けた。
ただ、切なさや辛さが完全に消える事はなかったが。
「博士、お時間です」
別の研究員がこっそりと顔を覗かせた所で、対話は終了した。
*
機械の周囲を、幾人かの研究員が取り囲んでいる。バインダーに資料を挟み、手にはペンを持って準備万端だ。
仲間達に見守られながら、マシンに新藤が座った。その頭に、代表として専用の機械を被せ、全身をこれまた特殊なフィルターで覆う。これで、こちらからも新藤からも、互いの姿は確認出来なくなった。
「新藤、ついにこの時が来た。何か言い残す事はあるかね? 君が消えたあと覚えているかは不確かだが」
「そうですね。では一つ、次は私自身から博士へ」
私だけへのメッセージだからか、声量は控えられていた。今度こそ最後の遣り取りになるだろう。
とは言え、恐らくはこの遣り取りも全て抹消される訳だが。
「もし、私が戻らなかったら、博士はマシンには乗らないで下さい」
最後の願いにと新藤が持ってきた物に、正直眉を潜めてしまった。しかし、最後の時まで彼を否定しようとは思わない。
「消えたいと苦しんでいる人間を救うのが、開発者である博士の役目です」
ただ受け容れる振りをして、相槌だけを繰り返した。新藤が満足して消えられるようにと計らった。
だが、確かに私自身が消えてしまえば、誰が根気強く広めてくれるというのだろうか。
「それに、奥様も貴方が消える事は望んじゃいない。だから博士は、この先も生きてマシンを広めて下さい」
「……分かったよ新藤くん、覚えていたならば約束をしよう」
軽い冗談を交えて、視線を後方へとやった。プログラムが正常作動しているのが確認できる。
「はい。では、どうなるか分かりませんが、そろそろお別れしましょう」
新藤が、起動装置であるボタンを押したのだろう。機械音が鳴り始めた。私は抹消装置を、目を凝らして見詰めつづけた――――。
*
「うむ、中々信じてもらえないな。良い案はないのかね? MR296」
『ですが博士、マスコミが言うように、証拠がないのですから、どうしようも』
MR296――彼女は開発のパートナーである。存在抹消ボタンプロジェクトを立ち上げた時から、ずっと隣で助手をしてくれている。人ではなくアンドロイドだが、人間より有能かもしれない。
感情を読むのが苦手な私には、相棒と呼べる相手が出来なかった。故に手伝ってくれる存在を製作したのだが、意外にもそれでやっていけてしまうらしい。
因みに、¨マシン¨ではなく、取っ付きやすいよう¨ボタン¨にしよう、との案を出してきたのも彼女だ。
そんなMRと私の目前には、既に完成済みの存在抹消ボタンが佇んでいる。後方には幾台ものコンピューターがあり、未来先読みシステムと空間移動システムの維持をオートで行っている。
「いや、証拠などなくともこれは成功している。恐らくは私達の記憶にないだけなのだ。このマシンは既に完成をしている!」
『でも、私も記憶していません』
MRが言うように、実はこの装置の稼動を誰も見た事がない。開発者である私も他の研究員達も誰一人として、だ。
けれども、私はこの装置が既に稼動し、誰かの存在を抹消しているのだと信じている。根拠も証拠も何一つ無い状態でも、そんな気がしてならないのだ。
「開発者である私たちが信じずに、誰が成功を信じるというのだ。さぁ、世の中にボタンの存在を広めていこうではないか」
『博士が言うなら、頑張りましょう』
「うむ、その意気だ。では今日も出掛けるかな」
――開発者としての使命を持ち、私は今ボタンの認知拡大に努めている。
存在ごと、全てを抹消できる画期的な装置、その名も¨存在抹消ボタン¨。
そのボタンで、誰かを救えるのだと信じて。
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