No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

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第3章

2 街壁

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 加藤は知り得た新事実に、驚きを禁じ得なかった。
 記憶の多くはダウンロードされていたが、本人の意識から遠いものは除外されているようだ。出生に秘密があったことなど、これまで気づきもしなかった。
 どちらが《神の子》らしいか、《救い手》らしいかと言えば、加藤の感覚ではペルセウスの方であった。これはキリスト教の影響が強いであろう。それほどに、処女懐胎と聖母マリアは強く紐づいている。
    だが、驚きが強かったのは、むしろテセウスの「発生」であった。これは、イオのケースと同じではないか———。
 これでは、イオが興味を持つのは無理もないことである。
 そして、加藤は自分自身の生い立ちを振り返り、恐怖した。
 彼もまた、出生に秘密があるからである。彼は、自分が何処から来たのかを知らない。祖父もまた、知らないと断言していた。また、重要なことに、祖父には子が居なかったのである。何故、自分を「父」と呼ばせなかったのか———。
 叫び出したい気持ちを抑えて、加藤は論の構築に取り掛かった。
 両世界には、魂の影響力に不均衡があり、誘引力もまた然りである。これは、世界が物質的であるか概念的であるかの差によって説明できる。
 量子通信の爆発的な使用量の増加はブロードキャストされる思念による場を形成し、それにより生体は少なからぬ影響を受ける。これについては、思念という未知の要素を「魂は弾み車」という概念から、確率の観測に影響を与える要素と捉えると説明できる。
 量子通信による送信者、受信者の間には互いに共鳴が引き起こされ、長時間の使用による過度の疲労、直感的な思考や心情の「漏れ」を引き起こす。これは、飛躍するかもしれないが、エンタングルメントによるものと考えるのが妥当であろう。
 思念の場が極限に達すると、思念の方向性が魂に惹かれその指向性を合わせる。結果、物理的な器、肉体を持ちうる。これに関しては完全に、魂の理論の存在が証明できないと、先には進まない。
 古来、この世界の科学者は、魂の存在について折につけて研究してきた。だがそれは魂を人格的なものと結び付けて結論づけたい、ある種の希望のようなものであり、発生論的なものでなかったことは事実である。
 《魂は弾み車》、この概念が加藤に与えた衝撃は大きい。運命確率を指向化して収束させることを示しているとすれば、それはエンタングル状態の非局所相関を想起させる。魂は、「発生が、遡ってその時点まで観測できない、非確定の確率の塊」と捉えることは出来ないだろうか———。
 加藤は、その穴だらけの思いつきのような論を補強する為に、既出の論文を掘り起こし、漁った。そして、その研究が失敗していた場合でも、現在の一般的な論と技術で再検討した場合、結果が異なる可能性があるものを、再検討箱に次々と投げ込んでいった。
 自然発生したならば、自然に解けるかもしれない……。テセウスとの相似理由がもしそこに在ったとしたら、残された時間は少ない。
 まだ、由紀子に伝えそびれていることが山ほどあるのだ。
 加藤は無心で、その作業に没頭した。
 
 
 
 アルタイルの街は城塞都市である。
 侵食獣の群れを阻もうという、意図の範疇ではない。完全に対人向けの要塞である。だが、その都市を印象付ける防護壁は、一部解体が始まっていた。解体した資材は、廃棄ではなく再利用のようだ。種別、サイズで分類され、野積みにされていた。
 いつものように軍の駐屯地まで行こうとして、いまはヘリントスが無いことに気づき、そのまま行政府へと向かった。キャリアのない生活にここまで慣れないとは……。
 行政府に出頭すると、すぐに代表の執務室に通された。
 代表をパーンという。
 「ご無沙汰しております、パーン代表」
 「思いの外、元気そうじゃないか、テセウス卿。再婚が嫌で逃げて来たと聞いたが?」
 意地悪く嗤われ、思わず赤面した。
 「これにその手の冗談は逆効果なのでな、意固地になりおる」
 と、横合いから聴き慣れた声がした。
 ネレウスであった。
 「どこかの議長とか言う爺さまが家出をしたので、抑えが利かなくなったのですよ。責任を取って下さい」
 「な?」
 どこか自慢げに、ネレウスがパーンに誇示する。
 ———何を競っているのだか。
 「ところで、防護壁の工事だけど、中断した方がいいぜ。戦争になる」
 軽く放り投げた言葉が、室内に緊張を走らせた。
 検討はしていたのだろうが、認識が甘い。やはり《戯曲家》の存在は隠せないか———。そう考え、イオを呼んだ。
 
 ———すまん、イオ、こっちに来てくれ。
 
 陽炎の結界を纏い、イオがすぐさま現れた。
 流石にこの登場はアルタイルでは誰にも見せていなかったとみえて、警備兵には、腰の物に手をやる者も居た。鍛錬されている。良いことだ。
 「呼んだ?テセウス」
 「あぁ、忙しかったか?《戯曲家》のことについて、説明が必要そうでな」
 「やっぱりそうだよねぇ……。壁取っちゃダメだって言ってはいたんだけどさ」
 ふたりで話していると、老人たちが眼を白黒させていた。
 「おい、テセウス、流石に夜の王にその態度はなくないか?」
 恐る恐る、ネレウスが問い掛けてくる。イオからは「お爺ちゃんがしつこい」と聞いていたので、もう少し砕けた関係になっているかと思ったが、まだのようだ。
 「それよりさ、ほら、前よりぐっと女性体らしくなったでしょ?褒めてくれてもいいんだよ、テセウス」
    と、手を広げて示すが、たっぷりとした衣服に隠れて体形は不明であるし、顔貌の美しさは初めから見知っていることである。何をいまさら、といった感じか……。
 「まったくわからん。声が女性に寄ったくらいかな、判るのは」
 「触って確かめてもいいんだよ?」
 と、しなを作って身を寄せてくるのを、敢えて無碍に避けた。
 「遊んでいる場合じゃないから、後にしろ。《戯曲家》の件だ」
 再起動した老人たちが、この世の不思議を発見したかのような面持ちで、ふたりを眺めていた。面倒くさい……。
 「ネレウス、そちらにも、シクロ市の事件の詳細は届いているな?」
 「もちろん。刺客が連合の正規兵であったことも確認済みじゃ」
 椅子を手で示しながら、自身も席に着いた。
 待つでもなく、茶がすぐに給仕され、話し合いの場が整っていく。
 「書面や通信では危なくて伝えられなかったことがある。この場にいるものはクリーニング済みか?でなければ人払いを」
 「大丈夫じゃ。パーンは抜け目ない」
 「なら遠慮なく。あの一件、その前のヨナスやデネブのあれこれも含め、裏に《戯曲家》とか呼ばれている不気味な存在が居る。で、それが、この夜の王と同種の可能性が高い。少なくとも、能力の多寡はあれど、同じ水準の存在である可能性は否めないとふたりで分析している」
 「なんと!!」
 「だから、連合政府が一部の暴走としていても、内情がどうなっているのかについては、最大限に疑わないと、今後は危ない。どうやらとんでもない陰謀家でな、オレの行動を逐一、先回りしている」
 「連合が信用ならないとなると、相当厳しいのぉ……」
 「こちらに来る道でも、ペルセウスの獲物だった奇形種を嗾けられた」
 思わずと言った態勢で、ネレウスが問う。
 「あれはベガ方面に居った筈じゃぞ!!なんでこちらまで———」
 「それが出来る相手だということだ。内情もすべて筒抜けと見ていい」
 「防護壁の資材は、生活圏拡大のプロジェクトに回す予定でおったんじゃがの、これは中断かな」
 残念そうなネレウスにパーンが、
 「そのまま外壁の拡大プロジェクトに切り替えにしましょう。元々、街の規模に不安がありましたし」
    と、助け船を出した。
 「それで行きましょう。その場合、若干防護壁の強化を行っていても、連合を刺激しなくて済みます」
 パーンにそう言い、ネレウスに振り返った。
 「と言うことだから、アロイス卿が連合に、諜報を商人に扮して送り込んでいる。おそらく、彼ら自身も思考誘導されていることに気がついてない」
 「つまりはあれかの、ヨナスもアーケイディアもその手でやられたと……」
 「間違いないな。イオ、補足を頼む」
 話題を退屈そうにしているイオに振った。
 ここで私?と、自分を指差すイオに頷き、
 「テセウスが殆ど話してしまったから、《戯曲家》のことだけ補足ね。はじめはただのアバターが、利益誘導で操っているのかなって思っていたのだけれど、それだと辻褄の合わないことが多くて……。皆ね、関係者が《戯曲家》とは直接的に接触していないみたいなんだ。それに、明確な利益を提示されていないのに、それをしなければならないって思いこんでいる。暗示を使って尋問したから、確度は高いと思うよ」
 一度、言葉を切って反応を見る。
 「それとね、全体を見ると彼方の都合よく動いているけど、確実性が無いんだよね。それなのに向こうの意図に沿って筋書き通りに推移して行く。これはね、もう確率操作をしているか、世界の情報を直接閲覧できる存在しか考えられない」
 内緒だよ?と加えて続ける。
 「私はね、私自身が発生した原因は、思念の場が形成された結果、その指向性が整ったときに集合知として生を受けたのではないかと考えている。だから、意識をしていないと、世界に溶けてしまうんだ。逆にね、ある程度をこうして世界に溶かすと、周辺の情報が勝手に入って来る」
 と、存在を薄めてみせた。イオの存在が希薄になり、その背後が透けて見える。衣服などの付帯物まで、何故透けて見えるのかは不明だが、解りやすい。
    「と、そこの彼、連合の異分子の影響受けてるね。クリーニングは不足していたようだね。気を入れて掃除しないと危ないよ」
    イオは振り返りざまにひとりを指名し、弾劾した。咄嗟に逃げようとした彼は、既に捕らえられている。
 「だからかな?相手が同様の異能を使用して、意図と予測を絡めて企てているように感じるんだ。確率を都合よく弄りながらね」
 と言葉を結んだ。
 ここまでの説明は受けていなかったので、テセウスも唸った。
 何をしても知られて対策済みになる可能性が高い。
 「その、予測や確率を歪めて邪魔することはできないのか?」
 「君がそれを言うのかい?正に君がやってきたことじゃないか……。自覚が無いのは流石に私でも呆れるよ」
 その物言いにムッとするが、自制した。
 「その条件は?」
 「君とペルセウスの介入」
 シンプルだが、望ましくない答えが返って来てしまった。
 「ほほぉ、そのふたりということは、あれじゃな、夜の王は知っておるのかな?」
 「知っているって、彼らの在り様のこと?テセウスはほぼ私と同種だし、ペルセウスはヒトの可能性そのものだよ」
 「そう来たか———。予想していた答えとは違うが、まあいい」
 頷くと、
 「そういうことじゃから、テセウス、サボれんぞ」
 ———そう言うことになった。
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