No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

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第3章

1 出生、発生

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 ペルセウスは、自由都市連合の地方都市で、生を受けた。
 男は優秀な兵士で、女は戦前の歴史の研究者であった。
 彼らは睦まじかったが、ペルセウスの誕生ですべてが破壊された。
 当時、男は頻繁に遠征に出ており、留守がちであった。母親はそれでも仕事を持っていた為、そのこと自体は問題にならなかった。問題はまず、結婚前であったこと、両者の間に子が出来るような関係が無かったことである。
    男はその頃ちょうど、遠方に討伐に出ていた。特殊な個体が発生したのである。女はその帰郷を待っていたが、ある時に妊娠に気づいた。
 経験もなかった為、当初は病かと青くなり医者に診てもらったが、その結果を受けて、より青くなることとなった。処女懐胎であった。
 心当たりが無いのに出来た子に、彼女は困惑したが、より強く当惑したのは帰郷した男であった。愛した女性が、仕事では慣れている間に、「別の男」と子を儲けたのである。そこに生じたのは怒りであった。
 検査の結果、女には男性経験が無いことが証明されたが、男はそれを信じなかった。連合では時勢の問題から堕胎が禁止されており、産むしか選択肢が無かった。
 女は出産したが、育児を放棄した。
 子は、教会に引き取られた。
 しかし、噂が噂を呼んだ。
 子は、連盟に越境した。
 
 
 
 テセウスの場合は、更に事情は複雑であった。
 物理的に、肉親がこの世に存在しないのである。
 その日、テセウスの養父は戦場に居た。また、養母もその後方で支援を行っていた。
 戦闘は熾烈を極め、戦場は壊滅的に乱れていた。相手が侵食獣でなく、ヒトであったためである。知力を駆使した戦闘は、泥沼の体を為していた。
 大将首を獲らねば、終わるまいな———。
 そして周囲を見渡し、盗賊の首領と思しき男を発見すると、長刀を思い切り投げ、思惑通りに首を獲った。
 と、その瞬間だった。
 斃れた首領に向かっていた視線が、上空を見上げたのである。
 靄のような光に包まれて、何かがゆっくりと降って来る。
 それは、緩やかに渦巻いて、やがて赤子の姿を取った。
 結果、腕に収まることになった子が、現在のテセウスである。
 様子の変化に近寄っていた養母と顔を見合わせた。
 そしてテセウスは、彼らの子になったのである。
 
 
 
 アロイスは当時を思い出して、懐かしんだ。ニュクスも同様であろう———。
 それぞれ、大変な騒ぎになったものであった。特に、空から降って来た子供については、《救い主》として祀り上げられる寸前であった。思えば、ペルセウスがテセウスを兄として慕うのも当然の流れであったのかもしれない。
 奇跡の光と陰であった。
 テセウスは、次第に英雄として振舞うことを求められ、出自を知っていたこともあり、特に迷いもなくそれに従った。その姿に、民衆の期待は高まり、更に修練を重ねるというスパイラルが発生していた。
    アロイスはそれを哀れに思い、兄弟でテセウスの面倒をみた。特にデュキスは武技を伝えることに余念が無く、子弟と呼んでおかしくない関係であった。
 それに対し、ペルセウスは、心無い者たちの噂に苦しめられて幼少期を過ごした。連合と同盟は友好関係にあったので、噂は辺境を通じて広がっていった。教会内部でこそ護られていたが、街ではその限りではなく、子供たちの社会はそういった点で無慈悲であった。邪気なく放たれた言葉は幼いペルセウスを傷つけ、ニュクスとヘスティアがそれを慰めた。
 ニュクスはヘスティアとペルセウスに、自衛の為に武技を仕込み、それに成功した。ペルセウスはようやく、ペルセウスとしての人生を開始できたのである。
 ふたりは奇しくも同じように師を得て、それにより歪な人生を正常化したかに見えた。だが、ふたりが互いに邂逅するまでは、本当の意味での救いはなかったのであった。
 年齢差から、互いが出会ったのは、テセウスが実戦に出るようになってからであった。アロイス、デュキスとニュクスの友誼もあり、テセウスとペルセウスを引き合わせた。
 「羨ましいなぁ……。テセウスさんは《救い手》なの?空から産まれたって……」
 「いや、そんなことはないさ。産まれは特殊らしいけど、特別な力はない。だが、人々がそれを夢見るのであれば、それに出来れば応えたいと思ってはいるよ」
 「なら、そう思えない僕は、やっぱり《悪魔の子》なのかな……」
 「———誰が言ったんだい、そんな悪い言葉」
 「勝手に母親の腹入り込んだんだから、悪魔の子だって、街の友達が……」
 俯いて、ペルセウスは自分の爪先を見詰め、地面を濡らした。
 テセウスは膝立ちになり、ペルセウスの頭を撫でつつ、瞳を覗き込んだ。
 「断言しよう。その子たちはいずれ知る。ペルセウスがどれだけ頼りになる、善き男だということを……。君の鍛錬を観させてもらった。君は誰も敵わないほどに強くなり、その優しい心で、君を傷つけた子たちまでも護ることだろう」
 気づけば、テセウスまでも涙を流し、ペルセウスを抱き締めていた。
 この時、テセウスは気づいたのである。自分が深く傷ついていたことに。
 そして、ペルセウスは気づいたのである。自分が赦しを求めていたことに。
 彼らの未来の可能性が確定した、小さいが重要な出会いであった。
 
 
 
 ヘリントスを得てからは無かった野営をしていると、かつてペルセウスと過ごした時間を思い出した。
    忘れていたが、そこには時にヘスティアが、時にアストライアが居た。クラン《アルゴ》を立ち上げる前から、彼らは家族だったのだった。テセウスは自身に失笑すると、ここ最近の、肩に力の入り過ぎた在り様に、赤面する思いだった。
 「なにをやっているんだ、オレは……」
 デュキスに武技を学んだことを知ったペルセウスは、自分もと、デュキスに弟子入りした。ある意味、ニュクスとデュキスという達人ふたりから教えを受けたペルセウスは、テセウスを超えていた。
 追われることに慣れて、テセウスは他を追うことを止めてしまった。
 常に見上げられていたため、他を見上げることを諦めてしまった。
 アロイスたち三兄弟、ニュクス、ヘパイストス、ネレウスなど、かつては常に見上げて、憧憬の念に胸を震わせていたというのに———。
 最たるは、今は亡き両親ではないか。
 両親は、テセウスを庇う為に命を奪われた。狂信者に襲われたのである。テセウスは異能を発現して事なきを得たが、養父、養母は間に合わなかった。
 狂信者たちは言った。《救い手》を個人がほしいままにするとは僭越であると。だからこそ、解放するために両親を成敗するのだと———。
 ———あれからは、自分を責めることしかしてこなかった。
 痛みはまだ胸にある。忘れたことはない。アーテナイの滅びの日を除いて———。
 野営の明け方は、忘れていたものを連れて来てくれたが、もう遅かった。
 テセウスは決めてしまっていたのである。
 
 
 
 ペルセウスもまた、野営をしながら、兄とも慕う男を思い出していた。
 現在の怠惰な皮肉屋ではない、本当の彼の姿を。
 彼は多くを求められ、その資質故か、すべてを高次元で叶えてきた。人々は熱狂し、それ故に、アーテナイの滅びの日を過ぎてから、彼に失望という刃を突きつけたのである。
 曰く、何が《救い手》か、と———。
 個人に責を委ねるべき事件ではなかった。少なくとも、彼は最後まで戦い、極少数であっても、残された市民や兵を確かに救ったのだから。彼は当初、現地にすら居られなかったのに———。
 振り返って、自分であったらと恐ろしくなる。
 アーテナイの滅びの日を過ぎ、ペルセウスの優しく頼もしい兄は一度、喪われた。幸いにも、彼の本質が変わっていないことを確かめられる距離だったので蔑むことはなかったが、残念に思ってしまっていた自分を恥じる。
 テセウスはずっと、彼の両親を亡くしてから闘ってきたというのに———。
    勝手に期待して、勝手に失望して、それを間近で見ているに当たって、自分の内心が加速度的に冷めていくのを感じていた。これでは卑怯者だと思い至るまで、貼り付けたような作り笑いしか出来なくなっていた。
    受けはいいが、偽物を晒して評価を得ていることに、自他共に嘲笑していた。
 テセウスは否定してくれたが、自分は本当に《悪魔の子》ではないかと思っていた。
 暁降ちの空に、星がふたつ、駆け抜けていった。
 白みはじめた空に、自然と笑みが浮かんだ。
 明けない夜はないのだと思い出した。
 
 
 
 ヘスティアとアストライアは、ヘリントスのキャビンで茶話会であった。
 だが、内容は非常に物騒である。
 「あの調子に乗っている男を、私たちふたりで叩きのめしましょう。自分がすべて背負わないとだとか、勘違いしているに違いない」
 「そうですね。このまま引き下がると思われているのであれば、少しお灸をすえねばなりません」
 「私たちは、アルタ姉さまだから引き下がったのだ。有象無象の妨害などに、今更、引き下がれるかッ!!」
 テーブルの天板を勢いよく叩き、茶がテーブルクロスに跳ねる。
 ヘスティアに睨まれて、アストライアは少し畏まった。
 「不退転です。我々が退いた時、おそらく彼は、社会に馴染むことを、諦めてしまうでしょう。彼が何を抱えているのかは判りません。それを白状するまで追い詰めましょう」
 そこにディーテが訪れ、混沌は更に濃くなった。
 大人の余裕を微笑みに変えて、
 「時には優しく受け止めて、甘えさせてあげることも大事」
 「そうですね。アストライアは少し気をつけなさい」
 「解っているけど……」
 唇を尖らせながら言う。
 諦める気は欠片ほどにもない面々であった。
 
 
 
 朝焼けを目指して、テセウスは疾駆した。
 自分が自分自身で居られる内に、しておかなければならないことがあるからだった。
 通り過ぎてく灌木が数を増し、背が高くなってきた頃、周囲の環境が荒地から草原へと変わった。川のせせらぎに沿ってヴィークルを駆ることしばし、牧歌的な風景がテセウスを迎えた。
 アルタイルである。
 まだ街並みは遠いが、じきに到着する。
 その時、テセウスは幾つかの選択を迫られるだろう。
 運命の交叉路、その岐路は間近に迫り、テセウスの覚悟も決まっていた。
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