No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

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第2章

13 水たるを解放する。自ら昇華し蒸気と為せ

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 耳元に誰かの声が聴こえていた。
 驚きと、僅かな哀惜———。
 テセウスは、妙に耳に馴染むそれを聴こうとして、意味が取れないことに気がついた。
 世界は誤解の生じないように、言語統一が為されたはずである。意味が取れないなどといいうことは有り得ないのである。
 冷たい手で、背を撫でられたような感覚を覚えた。
 いまのは、カトウの声だ———。
 思えば、自身の存在が希薄になった気がする。
 ———ふたりでひとつの魂が、切り離された?!!
 何故、直感するのか不明ではあった。だが、驚きと困惑と共にその事実を受け止めると、もうひとつおかしな点を感じた。自分はテセウスである。だが、テセウスでないような気がするのである。———もっと他の名前があるような。
 速足で部屋を出て、イオの部屋のドアを敲いた。
 「やぁ、そろそろ来ると思っていたよ。カトウと縁が切れたかい?」
 「事象だけを見るとそう思えるが、実際にはそれだけではない気がする」
 「と言うと?」
 「オレは、テセウスだよな?」
 「それ以外の何だって言うんだい?」
 「テセウスという存在でないと、魂が騒いでいる……」
 「それはね、君はもう、《テセウス》という存在だけではないからだよ。テセウスという名は、君をテセウスという役割に縛りつけるための呪いなんだ」
 と、グラスに水を注ぎ、
 「これは何だと思う?」
 「……水、だよな」
 「そう、水だ。でもただ水でもない。冷やせば氷になり、熱すれば湯にも、蒸気にもなる。水は水だから水と呼ばれているが、水と呼ばれるから水になったという側面を併せ持つ。現在の君と同じさ」
 そう言って水を瞬時に蒸発させ、グラスを仕舞った。
 その時に、テセウスは確かに聴いた。
 ———水たるを解放する。自ら昇華し蒸気と為せ。
 イオが名付けたのだ。水に蒸気の役割を強いた。強いたのだ。
 「うまりあれか?———オレは別の役割を押しつけられそうになっている」
 「その通り!!」
 満面の笑みで手を叩く。
 人為か、それとも自然発生か———。確かめなければならない。
 「イオ、どっちだと思う?」
 「半々。元来君は、テセウスという役割ではないんだよ。それをちょうどいいからテセウスにされた。だが、この場合、本来の姿を強いられたとしても、役割が加わるだけなんだ。だから人為もあると見ている。その者は、君を貶め、滅ぼそうとしている」
 真剣なイオは久方振りで、テセウスは引け腰になった。
 ———滅ぼす?オレを?何のために?!!
 嫌われたものだ。だが、敵対するのであれば潰すのみである。
 覚悟を新たに、イオと頷き合う。
 「とにかく、何の役割を振られようとしているのかが判らないと、このままカトウとの魂の分離が起きて、最悪、魂が摩耗して死に至る」
 「役割か……」
 例えば、テセウスのような男であれば、幼少期を少年と呼ばれ、青年となる。結婚すれば亭主と呼ばれ、子が産まれれば父となる。
 誰にでも当たり前に役割の変遷はあり、呼び名は変わるが、名前そのものが変わることはない。つまり、強いられているのはもっと、根源的な役割なのだ。そんなもの、外から操作出来るものなのだろうか……。
疑問は解けたが、その代わりに新たな謎を抱え込んでしまった。
 そしてきっと、これにはタイムリミットが存在する。
 テセウスがテセウスであるために———。
 
 
 
 カイロスは駆けていた。世界に生き残る可能性を残すために……。
 カイロスは賭けていた。世界を導く可能性の子に……。
 アーケイディア、それがカイロスの向かう先であった。
 
 
 
 キャビンに出ると、ディーテを含む女性たちが、衣装のカタログを開きあれこれと歓談していた。テセウスは踵を返した。光の速さで———。
 「そこの失礼な男は、テセウスさんかしら?私たちの顔を見て逃げを打つとは、何か疚しいことでもあるのかしら」
 「そうですね。跪き頭を垂れなさい。私が導いて差し上げます」
 アストライアとヘスティアである。
 口調を変えたアストライアは純粋に怖い。そして、それに乗ったヘスティアの表情も非常に怖い。
 壁を背に、テセウスは追い詰められた。自分はいったい、何時からこんなに弱腰になったのだろうか……。弱みなどない筈なのに、どことなく疚しさを感じる。
 「楽しそうにしていたから、邪魔をしないようにしただけだ。オレは外出するから、ゆっくりしてくれ」
 と、口実をつけて逃げようとしたが、
 「急用ですか?そうでないなら、こちらを優先なさい」
 ディーテが、いつになく強い口調で言う。そして、ケーレスに袖を取られては、逃げられよう筈もなかった。
 
 
 
 悪い予感は当たるものだ。
 ディーテが求めたのは、結婚式の衣装決めだった。数が増えている。
 一般的に、裕福な者でも、妻はふたりがいいところである。家を維持するという旧来のシステムが無いために、女性はある意味、子を産むプレッシャーから解放されている。であるから、予備としての妻は不要なのである。このままでは、テセウスはとんでもない好色者と見られてしまう……。
 野放図に人口を増やすだけの社会的リソース不足も、白眼視の一因となる。
 「ですが、何故三人分なのですか?多いでしょう」
 「……貴方はケーレスさんを孤独にするおつもりかしら」
 「ケーレスはまだ子供ですよ!!無茶な!!」
 「本人の希望です。貴方の意見は訊いていません。観念なさい。それとも、メーダさんがよろしかったのかしら」
 ペルセウスの殺気を受けた気がした。
 「勘弁して下さいよ。ペルセウスに決闘を挑まれます」
 ガックリとくる心を奮い立たせて、ディーテに意見する。そもそも、テセウスは承諾していないのである。
 「勝手に話を進めないでくれと、お願いしましたよね?」
 「そんなことを言っている場合ですか!!貴方、存在が揺らいでいるでしょう」
 思いも寄らないところから、直撃が来た。言葉に詰まるテセウスの瞳は揺れ、すべてを白状しているようなものだった。
 「だから、妻たちで貴方を確定するのです。貴方が貴方自身でありたいのなら、拒否は許されませんよ」
 ———強気の理由はこれか。
 本当に、アストライアと同じ血である。愛情深い。だからこそ、心が逆らうのではあるが。テセウスは言葉を選ぶこともせずに言い切った。
 「それが自分の天命なら甘受しますよ。余計な延命など不要です。何と言われようと、結婚はしません」
 その場のアストライア、ヘスティア、ケーレスが、ひどく傷ついた表情を見せた。実に胸が痛いが、撤回はしない。今度こそ踵を返し、テセウスはキャビンから退室した。
 残した室内から沈黙が手を伸ばしてくるようだったが、テセウスは振り返らなかった。テセウスには資格がない。———そもそも、資格が無いのである。
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