No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

文字の大きさ
上 下
34 / 68
第2章

12 魂は弾み車

しおりを挟む
 テセウスは来客を迎えていた。ビルダー・エンジニアのオカベである。
 何を思ったのか、デネブの工房を畳んで、アーケイディアまで出て来てしまったのである。訊けば、例の新装備はヘパイストスだけでなくオカベの仕事でもあった。
 ヘパイストスからクラン立ち上げを聞き、売り込みに来たらしい。
 そしてまた、隣にはレナトの姿もあった。
 こちらもまた、ヘルメスに断って、移籍を志願しに来た。
 うんざりとしてきて、テセウスはすべてを、アストライアとヘスティアに投げることにした。ホームも人員も、すべて、である。
 ホームは子供たちの住居以外のことは元々考えておらず、ヘリントスで移動するクランとする予定であった。だが、ここに来てこのふたりをはじめ、メーダなど、少なからぬ縁のあるメンバーが加入を希望し、収拾がつかなくなった。
 クラン名は《アルゴ》とし、クランリーダーをペルセウスとして提出したところ、修正指示が入った。リーダーはテセウスとすることとあり、忸怩たる思いで自身をリーダーに選出した。
 独立系クランとして登録したが、業務範囲に連盟評議会の補助、行政府の業務支援を捻じ込まれた。この時点で、テセウスの機嫌とやる気は最下降しており、続く顧問の名に、クラン設立を本気で白紙に戻したくなった。そこには、ネレウスとアロイスの名が連ねてあった。誰が見ても政府の犬だ———。
 
 ———やい、ネレウス!!オレは顧問なんて頼んでないぞ!!
 ———親心じゃろうに……。
 ———これじゃあ、誰が見たって紐付きだろうが!!
 
 因みに撤回はされなかった。特にアロイスの抵抗が激しく、彼は妻のディーテまで連れ出してきて、テセウスを説得した。一家独特の理詰めで懇々と語る手法で追い詰め、ディーテが花嫁衣裳の相談にデザイン画を見せはじめたあたりで、テセウスは涙目になった。
 ———どうして誰も、オレの言うことを聴かないンだろう。
 イオまで、「あと少しで完全な女性体になるから、お嫁さんの件、よろしくね」などと言い出し、混迷を極めた。
 ペルセウスはその間、メーダに何度となく袖にされ、こちらも涙目である。潤んだ瞳で見上げられても、何もしてやれないところが、テセウスの不甲斐なさであった。ふたりは限界に達しようとしていた。
 遠い眼で見る稜線はブルーグレーに染まり、辺縁から夕陽の朱が滲みつつあった。
 美しいピンクとブルーグレーの対比に、街の皆が手を止めて見入った。
 それでも、テセウスの心は一向に動き出さないのだ……。
 
 
 
 夜半に目覚め、加藤はデスクに向かって、いましがたの、テセウスの心理について分析した。彼自身、戸惑っているようであった。全員とは流石に不実と捉えているようだが、彼女らを好いていない訳ではない。むしろ、非常に好ましく思っている感情を、加藤は共有していた。
 
 ———《魂は弾み車》……。
 
 常日頃の決断については、テセウスは性急なほどに速い。だが、こと人生に係る決断については、慎重を通り越して、惰弱なくらいに遅い。それは魂が彼のイデアの背を押さないため、とも考えられた。
 思えば、自分も人生の岐路に立つと、決断が遅い。これは以前からではなく、由紀子と離縁してからの傾向である。
 ———やはり、彼との相似は、欠けてはならぬものの喪失か。
 奇しくも由紀子と同様の結論に至り、今後の行動の影響を考えた。
 短絡的に考えるのであれば、加藤が由紀子に復縁を迫り、合意を得ればいい。それによって、テセウスとの縁が切れ、この忌々しい過眠症ともさよなら出来る。が、どうにもこの相似性はそればかりではない気がしている。もっとより深いところに、彼と自分の縁はある気がするのである。
 ———気がする、か。科学者の発言ではないな……。
 自嘲しつつも、時には直感が必要であることも経験上、熟知していた為、無下にも出来ない。
 実証データを取るにはあまりにも接続が不安定で、連続性、定値性に欠けた。
 以前指摘されたように、顔貌と体格に、若干の変化が現れていた。テセウスの顔を鏡などに見たことは殆どないが、それでも彼に風貌が寄ってきていることは感じられた。
 リビングの一角で木刀を振るうと、熟練の剣士のように風を斬り、体を捌けた。既に馴染んでいるのだ。
 だが、顕著にそれが出ていないのは、両世界の魂の惹かれ具合、そして影響力の差であろう。だから、この事態になった時に、加藤は事業化し対策をすることに踏み込めたのだ。テセウスほどに魂の影響を受けていたならば、動かないイデアに、もどかしい思いをしていたに違いない。
 シャワーで身体を冷ましながら、加藤は両世界の法則の違いに思いを馳せていた。魂が現実的な影響力を持ち、資質と行いで名が決まる世界———。それはまるで、概念こそが世界を象っているようではないか……。
 うそ寒くなり、汗を拭うと、加藤は眠くも無いのにベッドに飛び込んだ。
 前文明の戦争、量子通信の使用過多、惨劇による魂の摩耗———。
 次にイオに会ったら話すことが沢山出来てしまっていた。
 眠れないと思っていたが、本当に久方振りに、加藤は普通の睡眠を得た。そしてそれは、新しい展開の序章でもあった。
 
 
 
 世界は緩やかに変質しつつあった。
 闇は薄れ、曙光が稜線に差すように振り払われた。
 赤裸々に晒されたこの世の秘事は、眼を惹くこともなく何処かへ消えた。
 人々は知らなかった。何故、自分たちの言葉が、誤解無く相手に届くのかを……。
 人々は知ろうとしなかった。日々の営みの中で、突然変化する自身の呼称の理由を……。
 既に壊れていたのである。物質によって成立していた世界は、ある日を境に、概念によって立つ世界へとすり替わった。そしてそれは、言葉の問題以外には表出しなかったために、誰もが問題視しなかった。
 世界は確かに変質しつつあった。
 氷が水に変わるように。
 薪が炭に変わるように。
 今が過去に変わるように。
 そしていま、世界は可能性の収束を以て、崩壊の速度を速めた。
 運命の交叉路に立ち、イオはその特異点たるテセウスの未来を見詰めていた。
 
 
 
 朝起きた時、加藤はそれを知った。
 普通の眠り、普通の目覚め———。しばらく得られなかったそれを、安心ではなく、驚きを以て迎えた。
 ———荒野の世界と、切り離された?!!
 加藤は記憶の中から原因を、その片鱗を拾い上げようとしたが、杳として知れなかった。ただ、身体の奥底に感じていたテセウスの息吹の様なものが欠け、自分自身の存在が希薄になった気がした。
 まず疑ったのは、由紀子との関係改善を願ったことであった。
 テセウスの拒否している、もう取り戻せない日常を得ようと願ってしまったことが、相似関係を崩したのだろうか……。
 どれだけ不確かなものに依存して、未来を目指していたのだろう。
 この希薄感は、きっと致命的なものだ。
 魂が欠けたままで、ヒトはどれくらい生き続けられるのだろうか。
 この喪失感は、きっと宿命的なものだ。
 このまま眼を瞑って日常に帰ればそれでよいのか。いや、それではならない。
 日々の中で、その不安はきっと、加藤の精神を蝕むだろう。いつか喪われるかもしれない日常に耽溺して、刹那的に生きることを自分はきっとよしとしない。
 しかしながら、だからと言ってこれ以上、由紀子を孤独に戦わせるつもりもなかった。己惚れてなければ、彼女は自分への愛ゆえに、黙して離婚を選んだのである。喪われた子の命は戻らないが、少なくとも現在を生きているふたりの時間は取り戻しがつく。
 明けない夜にまんじりとしながら、加藤は未来を思った。
 前向きな心持ちは、本当に久しく無かったことだった。
 時折聴こえる梢のざわめきだけが、時の流れを示した。
 孤独とはこういうものだと、思い出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

シーフードミックス

黒はんぺん
SF
ある日あたしはロブスターそっくりの宇宙人と出会いました。出会ったその日にハンバーガーショップで話し込んでしまいました。 以前からあたしに憑依する何者かがいたけれど、それは宇宙人さんとは無関係らしい。でも、その何者かさんはあたしに警告するために、とうとうあたしの内宇宙に乗り込んできたの。 ちょっとびっくりだけど、あたしの内宇宙には天の川銀河やアンドロメダ銀河があります。よかったら見物してってね。 内なる宇宙にもあたしの住むご町内にも、未知の生命体があふれてる。遭遇の日々ですね。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【BIO DEFENSE】 ~終わった世界に作られる都市~

こばん
SF
世界は唐突に終わりを告げる。それはある日突然現れて、平和な日常を過ごす人々に襲い掛かった。それは醜悪な様相に異臭を放ちながら、かつての日常に我が物顔で居座った。 人から人に感染し、感染した人はまだ感染していない人に襲い掛かり、恐るべき加速度で被害は広がって行く。 それに対抗する術は、今は無い。 平和な日常があっという間に非日常の世界に変わり、残った人々は集い、四国でいくつかの都市を形成して反攻の糸口と感染のルーツを探る。 しかしそれに対してか感染者も進化して困難な状況に拍車をかけてくる。 さらにそんな状態のなかでも、権益を求め人の足元をすくうため画策する者、理性をなくし欲望のままに動く者、この状況を利用すらして己の利益のみを求めて動く者らが牙をむき出しにしていきパニックは混迷を極める。 普通の高校生であったカナタもパニックに巻き込まれ、都市の一つに避難した。その都市の守備隊に仲間達と共に入り、第十一番隊として活動していく。様々な人と出会い、別れを繰り返しながら、感染者や都市外の略奪者などと戦い、都市同士の思惑に巻き込まれたりしながら日々を過ごしていた。 そして、やがて一つの真実に辿り着く。 それは大きな選択を迫られるものだった。 bio defence ※物語に出て来るすべての人名及び地名などの固有名詞はすべてフィクションです。作者の頭の中だけに存在するものであり、特定の人物や場所に対して何らかの意味合いを持たせたものではありません。

【本格ハードSF】人類は孤独ではなかった――タイタン探査が明らかにした新たな知性との邂逅

シャーロット
SF
土星の謎めいた衛星タイタン。その氷と液体メタンに覆われた湖の底で、独自の知性体「エリディアン」が進化を遂げていた。透き通った体を持つ彼らは、精緻な振動を通じてコミュニケーションを取り、環境を形作ることで「共鳴」という文化を育んできた。しかし、その平穏な世界に、人類の探査機が到着したことで大きな転機が訪れる。 探査機が発するリズミカルな振動はエリディアンたちの関心を引き、慎重なやり取りが始まる。これが、異なる文明同士の架け橋となる最初の一歩だった。「エンデュランスII号」の探査チームはエリディアンの振動信号を解読し、応答を送り返すことで対話を試みる。エリディアンたちは興味を抱きつつも警戒を続けながら、人類との画期的な知識交換を進める。 その後、人類は振動を光のパターンに変換できる「光の道具」をエリディアンに提供する。この装置は、彼らのコミュニケーション方法を再定義し、文化の可能性を飛躍的に拡大させるものだった。エリディアンたちはこの道具を受け入れ、新たな形でネットワークを調和させながら、光と振動の新しい次元を発見していく。 エリディアンがこうした革新を適応し、統合していく中で、人類はその変化を見守り、知識の共有がもたらす可能性の大きさに驚嘆する。同時に、彼らが自然現象を調和させる能力、たとえばタイタン地震を振動によって抑える力は、人類の理解を超えた生物学的・文化的な深みを示している。 この「ファーストコンタクト」の物語は、共存や進化、そして異なる知性体がもたらす無限の可能性を探るものだ。光と振動の共鳴が、2つの文明が未知へ挑む新たな時代の幕開けを象徴し、互いの好奇心と尊敬、希望に満ちた未来を切り開いていく。 -- プロモーション用の動画を作成しました。 オリジナルの画像をオリジナルの音楽で紹介しています。 https://www.youtube.com/watch?v=G_FW_nUXZiQ

入れ替わった恋人

廣瀬純一
ファンタジー
大学生の恋人同士の入れ替わりの話

タイムワープ艦隊2024

山本 双六
SF
太平洋を横断する日本機動部隊。この日本があるのは、大東亜(太平洋)戦争に勝利したことである。そんな日本が勝った理由は、ある機動部隊が来たことであるらしい。人呼んで「神の機動部隊」である。 この世界では、太平洋戦争で日本が勝った世界戦で書いています。(毎回、太平洋戦争系が日本ばかり勝っ世界線ですいません)逆ファイナルカウントダウンと考えてもらえればいいかと思います。只今、続編も同時並行で書いています!お楽しみに!

体内内蔵スマホ

廣瀬純一
SF
体に内蔵されたスマホのチップのバグで男女の体が入れ替わる話

処理中です...