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第1章
20 不完全に終わった仇討ちと、終わらない日常
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諦め切った表情で、アレスはそれでも抵抗した。
それは、元武人としての誇りであったかもしれない。
まだ死んでいない眼でテセウスを眼光強く睨み、傷ついた腕で、手で剣を握り直す。
「アーテナイではあんなに甘っちょろいひ弱なガキだったのに、随分と成長したな……。本来なら我が喰ってやると喜び勇んでいたのだろうが、この体たらくでは無理であろうな……。ん?———喰う……。そうか、さてはおまえも喰ったな。初めは、我が喰った女の残り滓か———」
イオはしまったと、アレスの首を落としに向かおうとしたが遅かった。瞬間移動の様な速度で、テセウスがアレスの首根を掴み、吊り上げたのである。
アレスは嬉しそうに嘲りながら、
「そうか……、純粋に武で敗けたのであれば、自らの修練に疑義が生じるところであったのだが、おまえも喰ったのであれば、納得も行くというもの。どれだけ喰った?これほどの差だ、さぞかし貪ったことだろう……。おまえとオレに在ったのは天賦の才の差に過ぎん」
テセウスは聴いていなかった……。喰った?オレが?パイドラーの腕を?!!
確かに放浪後、葬った記憶がなく、墓に遺体も入れてやれなかったと苦しんだ。それが———、喰っただと?!!
アレスを吊り上げていた拘束が緩み、煩わしくなり放り棄てた。
そしてテセウスは、そのまま地にへたり込んだ。
手から二刀は地に落ち、長い時間をかけて刻んだアレスの血肉に沈んだ。
アレスは闘気を漲らせ、全身の細かな傷を治癒した。
そして、自分を見ていない、いや、世界を映していない瞳の男に蔑みの視線を落とすと、剣を再度構えた。
「こんな脆弱な魂にやられていたのか……。いま始末するか、それとも修練後に再度喰いに来るか……。如何にしたものか」
———それは、都合が良過ぎじゃないかな?
「……あ」
風に乗ってイオの声がアレスの鼓膜を揺らし、次の瞬間にはその首は血を弾んでいた。無造作にそれを蹴り飛ばし、丁寧にテセウスの剣を拾い、拭ってから鞘に納めた。
アレスの辞世の句は、間の抜けたことに「あ」になってしまったが、余計な手間を掛けてくれた塵芥にはちょうどいいと、イオは鼻で笑った。
テセウスの手を引くと抵抗無く着いてくるが、傷ついた魂は、より加藤の色を濃くしていた。イオはテセウスの身体を軽く抱きしめ、そしてヘリントスの乗務員室へと運んで行くのであった。
残された骸には、決闘後にあって然るべき誇りも敬意も存在しなかった。
ただ、最後に卑怯者に堕した男の残骸が風に吹かれていた。
ペルセウスは訝しんだ。
侵食獣の圧力が、急に弱まったのである。
近いボス級を何体か斬り飛ばし、進路上の邪魔な侵食獣を突き崩した。
———行ける。
そのまま、ペルセウスはアストライアの持ち場へと向かった。
森には喧騒が満ちていたが、やはり次第に落ち着きを増していった。
山を越えたのだろうか?いや、アーテナイの滅びの日はこんなものではなかったという。終了とは考えられなかった。
死体と木の根で走りにくい森の中をものの数分で踏破し、ペルセウスはアストライアの持ち場まで辿り着いた。案の定、彼女は指定の場所よりも前線に近いところに居たが、指揮を放棄しない分別はあった。副官から止められなければ吶喊していた可能性も無きにしも非ずだが、それは後日デュキスに扱かれることになるので、別の話である。
大切なのは合流できた事実であった。
アストライアとペルセウスが戻った時、テセウスはイオの看病を受けて寝たままだった。着替えもせず、血塗れのまま、ベッドに横たわっている。その腕は何かを抱きしめるように空を掻き、ここに居る面々は、それが何であるかを知っていた。
「夜の王、テセウスに何があったの?貴方が居て危ないことがあったとは思い難いのだけれど……」
「うん、危ないことはなかったんだ。そのまま斬り伏せてお終い。そんな簡単な戦闘だった……。だけどね、死ぬ間際に相手が、一言、余計なことをテセウスに言ってしまってね———」
「それって、訊いてもよろしい内容でしょうか」
遠慮を見せながら、ペルセウスはイオに訊ねた。良くない予感に捕らわれているのは明らかだった。
「それがね、私の口からは伝えられないんだよね。多分、それをしたらテセウスは、私を絶対に赦さない……」
「そうですか……」
「言えるのは、盛大にテセウスのトラウマを刺激してくれたことだね。テセウスの魂が、より薄くなってしまった……」
イオは両手でテセウスの空を掻く手を包み、胸元へ引き寄せた。
思えば、あの陽炎の様な結界を、アストライアとペルセウスの前では展開しなくなっていた。異なった存在でも、誠意を持って時間を掛ければ解り合える。
だから、テセウスにも、自分たちが傍に居るのだと、思い出して欲しかった。
「目覚めてからのテセウスが、態度が常と異なっても、責めてはいけないよ?特にアストライア嬢。テセウスは一度、アーテナイの滅びの日に亡くなっているんだ……。いま生きていることですら奇跡なんだよ」
「私だって、追い詰めたくてしているのではありません!!」
「そうは言ってもね、テセウスはもう、現世に執着出来ない体質になってしまっているのさ。魂という、ヒトの行動を促すシステムに問題が起きているんだ。決断して、動く、それがいまのテセウスには何よりも難しいんだ———」
如何なイオとて、疲労で眠っているテセウスを無理矢理起こそうとは思わない。当面、このまま寝かせておくこととした。ただし、問題があるとすれば、アレスとの戦闘の報告を誰がするかというところだろう。
結局、本人が起きてから考えようと、問題を先送りした。
イオは、テセウスの切り札でいないといけない———。
変質してしまったテセウスを、アバター社会は許さないかもしれない。侵食獣とも非常に近しい存在になっているのである。下手な医者に診せられでもしたら、排除される可能性もあった。
ヘリントスの侵入防御システムを、街中とは思えない「攻性」にセットし、アストライアとペルセウスは報告の為に出て行った。
残されたイオは、言葉を掛けた。
「起きていいよ、カトウ……」
「はじめまして、夜の王。ご存じでしょうが、加藤智行と申します———」
こうして違う世界のふたりは邂逅したのであった。
テセウスの抜け殻を借りて———。
それは、元武人としての誇りであったかもしれない。
まだ死んでいない眼でテセウスを眼光強く睨み、傷ついた腕で、手で剣を握り直す。
「アーテナイではあんなに甘っちょろいひ弱なガキだったのに、随分と成長したな……。本来なら我が喰ってやると喜び勇んでいたのだろうが、この体たらくでは無理であろうな……。ん?———喰う……。そうか、さてはおまえも喰ったな。初めは、我が喰った女の残り滓か———」
イオはしまったと、アレスの首を落としに向かおうとしたが遅かった。瞬間移動の様な速度で、テセウスがアレスの首根を掴み、吊り上げたのである。
アレスは嬉しそうに嘲りながら、
「そうか……、純粋に武で敗けたのであれば、自らの修練に疑義が生じるところであったのだが、おまえも喰ったのであれば、納得も行くというもの。どれだけ喰った?これほどの差だ、さぞかし貪ったことだろう……。おまえとオレに在ったのは天賦の才の差に過ぎん」
テセウスは聴いていなかった……。喰った?オレが?パイドラーの腕を?!!
確かに放浪後、葬った記憶がなく、墓に遺体も入れてやれなかったと苦しんだ。それが———、喰っただと?!!
アレスを吊り上げていた拘束が緩み、煩わしくなり放り棄てた。
そしてテセウスは、そのまま地にへたり込んだ。
手から二刀は地に落ち、長い時間をかけて刻んだアレスの血肉に沈んだ。
アレスは闘気を漲らせ、全身の細かな傷を治癒した。
そして、自分を見ていない、いや、世界を映していない瞳の男に蔑みの視線を落とすと、剣を再度構えた。
「こんな脆弱な魂にやられていたのか……。いま始末するか、それとも修練後に再度喰いに来るか……。如何にしたものか」
———それは、都合が良過ぎじゃないかな?
「……あ」
風に乗ってイオの声がアレスの鼓膜を揺らし、次の瞬間にはその首は血を弾んでいた。無造作にそれを蹴り飛ばし、丁寧にテセウスの剣を拾い、拭ってから鞘に納めた。
アレスの辞世の句は、間の抜けたことに「あ」になってしまったが、余計な手間を掛けてくれた塵芥にはちょうどいいと、イオは鼻で笑った。
テセウスの手を引くと抵抗無く着いてくるが、傷ついた魂は、より加藤の色を濃くしていた。イオはテセウスの身体を軽く抱きしめ、そしてヘリントスの乗務員室へと運んで行くのであった。
残された骸には、決闘後にあって然るべき誇りも敬意も存在しなかった。
ただ、最後に卑怯者に堕した男の残骸が風に吹かれていた。
ペルセウスは訝しんだ。
侵食獣の圧力が、急に弱まったのである。
近いボス級を何体か斬り飛ばし、進路上の邪魔な侵食獣を突き崩した。
———行ける。
そのまま、ペルセウスはアストライアの持ち場へと向かった。
森には喧騒が満ちていたが、やはり次第に落ち着きを増していった。
山を越えたのだろうか?いや、アーテナイの滅びの日はこんなものではなかったという。終了とは考えられなかった。
死体と木の根で走りにくい森の中をものの数分で踏破し、ペルセウスはアストライアの持ち場まで辿り着いた。案の定、彼女は指定の場所よりも前線に近いところに居たが、指揮を放棄しない分別はあった。副官から止められなければ吶喊していた可能性も無きにしも非ずだが、それは後日デュキスに扱かれることになるので、別の話である。
大切なのは合流できた事実であった。
アストライアとペルセウスが戻った時、テセウスはイオの看病を受けて寝たままだった。着替えもせず、血塗れのまま、ベッドに横たわっている。その腕は何かを抱きしめるように空を掻き、ここに居る面々は、それが何であるかを知っていた。
「夜の王、テセウスに何があったの?貴方が居て危ないことがあったとは思い難いのだけれど……」
「うん、危ないことはなかったんだ。そのまま斬り伏せてお終い。そんな簡単な戦闘だった……。だけどね、死ぬ間際に相手が、一言、余計なことをテセウスに言ってしまってね———」
「それって、訊いてもよろしい内容でしょうか」
遠慮を見せながら、ペルセウスはイオに訊ねた。良くない予感に捕らわれているのは明らかだった。
「それがね、私の口からは伝えられないんだよね。多分、それをしたらテセウスは、私を絶対に赦さない……」
「そうですか……」
「言えるのは、盛大にテセウスのトラウマを刺激してくれたことだね。テセウスの魂が、より薄くなってしまった……」
イオは両手でテセウスの空を掻く手を包み、胸元へ引き寄せた。
思えば、あの陽炎の様な結界を、アストライアとペルセウスの前では展開しなくなっていた。異なった存在でも、誠意を持って時間を掛ければ解り合える。
だから、テセウスにも、自分たちが傍に居るのだと、思い出して欲しかった。
「目覚めてからのテセウスが、態度が常と異なっても、責めてはいけないよ?特にアストライア嬢。テセウスは一度、アーテナイの滅びの日に亡くなっているんだ……。いま生きていることですら奇跡なんだよ」
「私だって、追い詰めたくてしているのではありません!!」
「そうは言ってもね、テセウスはもう、現世に執着出来ない体質になってしまっているのさ。魂という、ヒトの行動を促すシステムに問題が起きているんだ。決断して、動く、それがいまのテセウスには何よりも難しいんだ———」
如何なイオとて、疲労で眠っているテセウスを無理矢理起こそうとは思わない。当面、このまま寝かせておくこととした。ただし、問題があるとすれば、アレスとの戦闘の報告を誰がするかというところだろう。
結局、本人が起きてから考えようと、問題を先送りした。
イオは、テセウスの切り札でいないといけない———。
変質してしまったテセウスを、アバター社会は許さないかもしれない。侵食獣とも非常に近しい存在になっているのである。下手な医者に診せられでもしたら、排除される可能性もあった。
ヘリントスの侵入防御システムを、街中とは思えない「攻性」にセットし、アストライアとペルセウスは報告の為に出て行った。
残されたイオは、言葉を掛けた。
「起きていいよ、カトウ……」
「はじめまして、夜の王。ご存じでしょうが、加藤智行と申します———」
こうして違う世界のふたりは邂逅したのであった。
テセウスの抜け殻を借りて———。
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