No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

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第1章

13 ロクデナシたる所以

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 由紀子はLCDに表示されたレジュメを見ながら、記憶から完全に抹消していた名前を思い出していた。厚顔無恥とはこのことだろうか……。
 藤堂あかねの名を希望者リストに発見した際の、血流の沸く思いは少し治まったが、今度は逆に、彼女の精神構造が心配になってきた。由紀子を階段から転落させた上に放置し、定かではないが不妊の可能性を押しつけた張本人が、被害者のアドレスに平然とコンタクトしてくる辺りに、不安を覚えたのである。
 一瞬、そのままNGとして仕訳けることを考えたが、智行がどう思うかと、雑念が入ってしまった。業務スキルの質については横に置くとして、人間として信頼出来ない者の採用を検討する無意味さは重々承知だが、何も知らない智行が由紀子の資質を疑うことには耐えられそうになかった。
 急激な疲れを感じてノートPCを閉じ、眉間を揉んだ。
 クローズドの案件として、研究内容そのものについては採用見込みの者以外には明かしていない。必須スキルと望ましいスキルの列挙を行い、人伝のみで情報を回した。
 であるから、智行から提出された論の詳細を語ると、科学者がスピリチュアルな要素を多分に含む研究をしようとしていることに嘲笑を向けて断って来ることも多かった。だが、汎用の量子通信そのものには興味を抱く者が少数ながら居り、それぞれの既出論文や著作を精査した上で採用を決めていた。
 研究の骨子は、仮にA点の確率を確定さることにより、遠隔地であるB点の確率を変化させることが可能か、である。難しさは、B点の座標の指定と固定であった。ここに胡散臭さの原因となるスピリチュアルな要素が含まれて来るのである。有線の通信そのものは、既に他の研究チームが実証している。
 由紀子は当初、そこまで公開する必要を感じず、レイテンシー極小の通信の研究に留めれば、チーム編成が容易になり、実力者に声が掛けられると抵抗した。その先に、視野が広がった結果としてのリスクとして提示すれば良い。だが、智行には何らか、おそらくは健康上の焦りがあったように思う。頑として受け入れなかった。
 核の研究の歴史と同じだと、リスクを識っているのに、検討の俎上に上げないことは倫理に反すると譲らなかった。
 当人の弁では、正に彼の病気の発端がここにあるので、正面から否定も出来ず、採用の段では可能性の一部として薄めて伝えるという対処に留まった。
 四十代も見えてきている———。
 深夜の肌触りの良い静寂と触れて闇に密度を感じながら、きらめきが降り注ぐような、凍えて身を切るような空気が欲しかった。
 LCDのバックライトの発光以外を呑み込む暗がりには優しさを感じてしまうのだが、そこに温もりを得られないことが寂しかった。
 だからこそ、いっそ個であることを再認識させてくれる冷たい風が、グラついている心を引き締めてくれることに期待するのだ。
 自分は弱い———。
 由紀子はそう、自戒するのであった。
 
 
 
 ネレウスの心中は穏やかではなかった。
 アーテナイの滅びの日、彼も非常に多くを喪った。
 だからこそ、一部の狂信者が、ヒトの命をベットして危ない遊びをしていることを、赦すわけにはいかなかった。
 首謀者が二通り居ることは、テセウスとヘルメスの報告でも明らかだった。テセウスの直面した事件では、侵食獣のコントロールをしようとしていた節があり、また、出現の頻度と、遺跡を喰っているにも拘らず中途半端な能力を鑑みるに、繁殖と育成をしていた可能性が濃厚であった。よしんば人為的ではなかったとしても、自然発生ならこうはならない。
 また、ヘルメスの所掌する諜報部隊を一隊壊滅させた存在、これは頭に居る者の性格が、前者とは異なる。ネレウスの警戒が強く向いているのはむしろ、静かに企てを進めているこちらの首謀者の意図に在った。状況から、アーテナイの崩壊に関係しているとみられるこの者には、問いただしたいことが山河を形成するほどにある。
 いずれにせよ理解が出来ないのは、災いからの救済の到来を教義として掲げている教会関係者が、凡そ災いと聞いてまず常人が想像する第一である侵食獣に手を出していることである。どこに、侵食獣と救済を結びつける接点があるというのか。侵食獣の繁殖による単純なマッチポンプなどを許すことはない。それは先方も理解していると期待するなら、その奥底にある濁った意図が余計に不気味なのだ。
 
 
 
 その頃、ヘルメスのところには来客があった。
 テセウスと先日、取引をしていたヘストである。このふたりは既知であった。
 「それでですね、ヘルメス様、テセウスさんは量子学関連と魂の理論についての研究データを欲しがっていたのですが、折しもその頃、ウチの同業者には、教会上層部から、量子学のデータの納入が急かされておりまして……。そこに魂の理論がどう絡むのかは、学のない私には生憎ですが、少なくとも教会の動きはご一報が必要かと思い、罷り越しました」
 ヘストは丁寧に腰を折った。ヘルメスの正体を知らないようでは、一流どころの商人とは呼べないのである。
 「ふふん、テセウスめ、相変わらず嵐の中心に放り込まれるヤツだ……」
 「テセウスさんもご存じなかったようで、教会の動きを漏らしてしまいましたが、問題なかったでしょうか」
 「あぁ、それは気にしなくてもいいだろう。どうせあのロクデナシは、自分の嗅覚で嗅ぎつけていたさ。しかし困ったな……、少し強引でも、辺境のご老人方を説得して、先にこちらの用事を済ませた方がいいような気がしてきた———」
 ヘストを放置して、ヘルメスは沈思する。
 ローテーブルに出された茶が冷める頃、
 「あのロクデナシは、勝手に事件の中心に迷い込む気がする。ここは静観しよう。ご老人たちに借りは作りたくない」
 そう自分に言い、ヘストを置き去りにしていたことに気づいた。
 ヘストはその視線を発言の許可と見て、
 「ところでヘルメス様、お上の皆さんは、なんでテセウスさんをロクデナシ呼ばわりされるのですか?あの方も、実力、人格共に英雄でしょう」
 「そんなことを気にしていたのか!!これは参った」
 ヘルメスは膝を打ち、
 「アレはね、実力からロクデナシとされている訳ではないのだよ。言い出したのはアストライアのヤツだが、理由を聞いて腑に落ちたものだ。腰を据え、根を張って生活する気が無いから、ロクデナシと呼ばれているんだ。私の放蕩者と同じだね、ある意味」
 「放蕩者って……。しかしまぁ、テセウスさんが定住しないのには理由がありそうで、気軽に訊けません」
 「それがいいだろうね。いつまで根暗にジメジメしているのかと腹の立つ時もあるが、あれはあれで、彼の純粋性の顕れなのだよ———」
 「純粋性、ですか?」
 「うん、そうだ。彼はね、遠征さえしていなければアーテナイを救えたと、本気で信じているんだ。少なくとも、彼自身が街に残留していれば結果が違ったと……。確かに彼の能力ならば被害は減っただろうが、僕の想像では、逆にもっと酷いことになっていたのではないかな?アレは人災なのだし———」
 「人災?!!」
 「決して漏らしてはいけないよ?君にはこれ絡みで動いてもらうから情報連携するんだ……。簡単に言うとね、あの事件にはヒト型の侵食獣らしきものが絡んでおり、それはおそらく、教会の仕出かしたことなんだよ」
 非常に軽い表情で、ヘルメスは飛んでもないことを言い出した。
 ヘストは、いますぐにこの場から逃げ出したい気持ちと闘った。
 内心が透けているのだろう、僅かに意地の悪さの覗いた表情で、ヘルメスがヘストを観察していた。及第点は取れただろうか、取れるのであろうか———。
 「だからね、元来、テセウスが居ようが居まいが、黒幕には充分な結果を得られるだけの算段があってアーテナイを選択し、実行した訳だ。或いは、テセウスにぶつけるために事件を起こしたのではなんて邪推もできるね。本人は自覚していないし、公表もしていないけど、テセウスについては本物の英雄なのだよね……」
 「ははぁ……、テセウスさんも大変ですな」
 ヘストは生返事を返しながら、今得た情報を脳裏で整理した。
 今後、情報を得るために巡礼信徒とコンタクトを取る際には、一層の注意が必要そうだった。初代教主はある意味で非常に有能であったので、彼女の口伝の編纂に用いられた旅路は、現在では巡礼路として、信徒に親しまれている。そこで情報を得て教会に還元することが、あるべき信徒の姿として望ましいと考えられていたので、内回りと外回りの二系統の、大きな情報の流れが形成された。商人たちはそこに相乗りしているが、教会の敵と定められた場合の悲惨さを想像するだけで、掌にぬめった汗が滲み出るのを感じるのだった。
 「本物の英雄なのに、自罰的になって、出来ることをしないようになったからロクデナシと、そう言うことさ」
 そう結び、ヘルメスはヘストの退室を雰囲気のみで促した。
 残ったヘルメスはマップを壁面に投影し、条件分岐によるテセウス一行のコースのシミュレーションを黙々と行った。
 自分の価値はそこにしかないのだと、ヘルメスは思い詰めているのであった。
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