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第1章
9 ヨナスの教会
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ヨナスの南東に、テセウスがよく立ち寄る方舟教会の支部がある。
テセウスが自失状態だった時に世話になった導師が担当しているのである。
彼とて、すべての方舟教会関係者を嫌っている訳ではない。尊敬に値する人物がいることも、そもそもが、当初の思想は至極善良なものであった歴史も理解している。この支部に、そうした導師が運営しており、心がささくれた時などに立ち寄るのだった。
はじめの縁は教会で預かっている、孤児を含む子供たちであった。マーケットで出物を探しているときに偽物を指摘したのだが、賃仕事で店番をしていたのが教会の子らであった。難癖をつけるなと怒った子供らを窘め、公平に裁いたのがここの導師である。近隣の大人たちをも巻き込んでの大騒ぎに発展したのだが、上手に収めてもらい、非常に助かった記憶がある。後に、恩人の弟子であったことが発覚し、より親しくなった。
南東区は生産エリア入り口から最も離れており、低所得者の集まる区画である。世界が厳しいため、スラムのような非効率な存在は許されないが、どこにでも格差とは発生してしまうものだ。開発が進まず、細い曲がりくねった路地を行くことしばし、視界に教会の尖塔が見えてきていた。
路地を挟んで建物と建物の間、頭上にはロープが張り巡らされ、洗濯物がはためく。石畳の路上には飲用以外を賄う水を湛えた樽が並び、意外と綺麗に保たれたここかしこの壁面に、尋ね物や失せ物、譲りたい物や譲ってもらいたい物などの貼り紙が打ち付けられた大きな木板が設置されていた。助け合うよりないのだ。この街区の住民は———。
「よう、ロクデナシ!!帰って来てたのか。通い詰めても、ヘスティア導師はおまえにはやらんぞ」
「そうだ、そうだ!!稼ぎのしっかりした街者にしか導師は渡さん!!」
路肩で作業する親方からヤジが飛ぶ。
「テセ兄ちゃん、ウチに遊びに来たんなら、お土産必須だぜ?手ぶらなら門をくぐれると思うなよ」
路上で遊んでいた教会の子からも、露骨なおねだりが入る。わっと集まった子供らに揉みくちゃにされながら、引き摺るようにして歩くと、正面から温和を絵に描いたような女性が現れた。苦笑しているが止めないのは、子供たちの退屈を紛らわしてくれという、彼女なりの「おねだり」なのだろう。
「ただいま、ヘスティア」
「お帰りなさい。テセウス様」
輝く笑顔の純粋性に、自然と笑みがこぼれた。イオとはまた違った美しさを感じる。
連れだって教会に向かいながら近況を訊く。相変わらず道端からは主婦や労働者らの心温まるヤジが降り注ぎ、その都度、ヘスティアが窘めている。安らぐ光景である。
街区の住民は、すべからく彼女を愛しているのであった。
実は、アーテナイの街にはこの様な光景は存在しなかった。軍事を担当していた、工業、研究都市であったためか、どことなく余所余所しさが漂っていた。なので、この南東区はテセウスの拠り所となっていた。知らないものに心惹かれるものなのだ。
「テセウス様は今回、どのくらい滞在されるのですか」
ヘスティアが含みなく訊ねる。子供たちも興味津々である。
「そうだなぁ……。三日は居られると思うけど、その後は辺境を巡るから、戻って来るのはかなり先になるな」
と何気なく零すと、
「テセウスのあほぉ!!」
「薄情者!!」
子供たちの悪態が合唱になった。中には頭を叩いたり、背中に物を投げつける者まで居た。顔を顰める者、怒りを示す者、泣き出す者と様々だが、そこには彼への親しみがあった。辺境とは、それ程までに街での生活から遠いものなのであった。その解りやすい好意を心地よく感じながら、
「だからヘスティア、必要な物とか、やって欲しいこととかあったら言っておいた方がいいぞ」
ニヤリと笑い、軽く肩を叩いた。この細い肩にすべての責任が被さっていると思うと、出来る限りは手伝いたいと、素直に感じるのである。子供たちも、街区の大人たちも、この若い女性を頼りにしているのだ。
「危ないことはないのですか?」
「大丈夫だ。しぶといのが身上だしな」
心の裏側で想った。この女性は、教会の上層部で何が起こっているか、どのような密やかな企みがあるのかを知らないだろう。いや、気配くらいは感じているかもしれない。だが、それらに心を痛めている姿を想像すると、いっそ闇から闇へと能動的に葬ってしまいたくなった。
生きる理由を喪った男には、眩しすぎる。
すっかり依存していると感じるのだ。
本格的な改装はデネブでビルダーのオカベに依頼するとして、ヴィークルとキャリアの武装追加をせねば、辺境は危険に過ぎる。先日までの仕様に戻さないことには、うろつける土地ではないのだ。
翌日の朝、テセウスはクランの駐機場で、在庫の物資の棚卸しをしていた。デネブで装備が更新されることを前提に、逃走用のガジェット中心に見積もる。単身で向かうことを考えると、高価だが量子通信ジャマーも欲しいところだ。侵食獣も侵食が進んだ個体が群れに含まれると、意思の疎通を可能にする。それを阻害する機能を持つ。囲みに穴を空けるには最適なのである。
戦って勝てない相手ではないが、それはテセウスだからであり、コストパフォーマンスの良い選択ではなかった。装備、備品の購入は懐に痛いが、とは言え、命に比べたら安い物なのである。テセウスは自分の心中に、思いがけず未練を発見して動揺した。———ヨナスに「帰る」と考えるようになったとは……。教会の子供たちとうら若き導師、そして少数ではあるが同業者の顔が浮かんでは消えた。
生への執着を失っていた時分には、想像もつかなかった事態であろう。
一瞬、放心したが、気を取り直して作業に戻った。
「レナト、ちょっと手伝って貰えるか?これを独りで運ぶなんて考えたくもない」
泣き言混じりに整備士のレナトを呼び、タダとは言わんと、銀貨を二枚ほど握らせた。やれやれといった表情を見せ、彼は黙ってタグを付けられたコンテナを運んで行った。
ヴィークルもキャリアも、少しでも軽くするためにハードポイントには装備は未装着で、端子カバーが掛けられたままである。そもそもが軍用なので、かなりの重装備が可能ではあるが、機動性はともかく、燃費が悪くなるのは否めない。そうなると積載量が更に増える上、その分のコストを再計算しなければならなくなる。
だからこそ、ここ最近は重装備を外し、武装、装甲によって発生する費用を低減していたのだ。
———ヘルメスから、アーテナイの調査経費をふんだくるべきだったか。
ついつい邪な考えが脳裏を掠める。
最近は儲け話を追っていない。と言うか、先日の新発見の遺跡がそれにあたる筈であった。だが、発掘前に侵食獣との戦闘になってしまったので、出土データの持ち帰りもない。これではまるで、評議会の下請け諜報員か用心棒ではないか!!
テセウスは愕然とした。
ネレウスはアルタイル、デネブのいずれかに居る可能性が高い。たっぷりとクレームを叩きつけようと心に誓った。借りと言うものは心理を誘導するもので、アーテナイの件以来、断りにくさを感じて、ネレウスの頼みは無条件に近く引き受けてきた。そろそろ、そんな関係も是正して、自分の為に生きなければならない。
だが、悲しいかな、その理由がない。惰性で生き残ったテセウスを、時の流れは待ってくれず、存在理由の無さに途方に暮れた。未練の存在は認めても、未来への欲までは見出せなかったのである。
イオとは、現地でも連絡を取れるように、移動して貰うことになっている。胡散臭さは否めないが、正直、あの存在の能力は心強い。ヘリントスの居住区にも余裕があるので、転がり込んできても問題は無い。何室かは物置と化しているが、ふたりだけならば、充分に上等な住居の部類に入るであろう。
その後、レナトにはグレネードランチャーなどの取り付けを手伝って貰い、対価をヘルメスに回した。生きて帰れなければ情報など意味がないのだから、これくらいは文句を言われる筋合いはないと、テセウスは内心で嘯いた。今回は重武装化もだが、特にセンサーの類に注力して装備を更改した。高価だが、彼の稼ぎならば請求書も笑納することであろうと、意地悪く嗤う。
「おい、アウグストゥス。例の遺跡の調査は、いつまで凍結になったか聞いているか?辺境周りから戻るまで、他人に触られたくないンだがなぁ……」
ふと気がついた、と言う体で質問を投げる。
「ん?テセウスが帰ってから発掘に決まっているぞ。次回は、腕利きの階層潜行師もつける予定だってよ。アストライアだな、候補は」
ニヤリと笑い、上に向けて掌を差し出す。このクランの構成員は皆、こうした取引に躊躇いがない。
「おいおい……、帰って来たくなくなる情報だな、それは……。誰だ、人選したのは」
「我らが御大将、ヘルメス閣下に決まっている」
間抜け顔を晒している自覚はあった。
「———ぶちのめす」
そして、次にはミシリと、頬の辺りの筋肉が軋んだ。少し殺気立ってしまったかもしれない。
「あの女との反りの合わなさは、ヨナスの全員が知っていることと思ってたが?ヘルメスはオレに仕事をさせたいのか、失敗させたいのか?」
徐に嘆き、テセウスは査定カウンターで突っ伏した。投げ遣りに、「カウンターが冷たくて心地いい」などと、現実逃避をする。
「アストライアは歓迎してたぜ?あのロクデナシの性根を叩き直すチャンスだってな。いいじゃねぇか、美人だぞ、アイツは」
更にアウグストゥスのニヤニヤが深くなる。
「看守連れて牢獄へ遊びに行くようなモンじゃねぇか!!だいたい、オレが街の連中にロクデナシなんて呼ばれるようになったのは、アイツのせいなんだぞ!!」
「清く正しく生きていれば、案外優しいぜ」
とうとう吹き出し、哄笑を始めると、周囲のクランメンバーが集まってきてはテセウスをくさす。
「黙れ、暇人ども!!なんてことだ、オレにはヨナスに居場所はないのか」
「例の美人導師に慰めて貰う、いい言い訳になるぜ?」
と、ヘスティアのことに言及する者が居れば、
「アストライアだって、テセウス以外にはああじゃないんだから、逆にお得な気分にならんか?てか、あれはテセウスに惚れている可能性もあるな」
などと、煽るものも出てくる。終いには、
「どうせだ。両方貰ってヨナスの市民になれよ。ウチにだって、大将の首根っこ押さえられる人材が欲しいところなんだ。歓迎するぜ」
と、収拾がつかない。
一瞬、ヘスティアが家で待つ姿を想像してしまったが、冒すべからぬ存在として、無意味な邪心は心の奥底に仕舞い込んだ。アーテナイの滅びを忘れられない自分には相応しくないとも思う。能動的に生きようとしていないテセウスに、家庭は過ぎたるものである。因みに、アストライアは考慮の埒外であった。
と、呆けて考え込んでいたテセウスは、尻を強かに蹴りつけられた。
「テセウス、貴様、私のことをそのように邪な目で見ていたのか!!」
アストライア本人の登場であった。
群れていた暇人どもは既に逃げている。顔を憶えられていると思われるので無駄とは感じたが、テセウス自身がそれどころではない。
「冤罪だ!!オレもアストライアは無理だから、利害が一致したな」
「なっ!!私では気に入らないとでもいうつもりかッ!!無理とはなんだ」
顔を紅潮させて、怒りに任せて拳を振り上げるのを、テセウスは半身を躱し、戸惑いと共に見送った。
「なぜ殴る?!!」
ギリッ、と音が聞こえそうなほどに歯を食いしばり睨みつけると、アストライアはクランホームを出て行った。追って扉がけたたましい悲鳴を上げる。
「なぁ、……いまのって、オレが悪いのか?」
「悪いな」
「ああ、悪い」
「くたばってしまえ」
避難していた暇人どもが戻り、思い思いにテセウスを詰る。
テセウスは実感が得られなかった。こうしているメンバーは皆、世間では仲間と見做されるのだろう。だが、心の距離が遠い。異性にしてもそうだ。琴線に触れそうな出来事があると、その瞬間に奥底から例の誰かの気配が浮上し、自己が薄くなるのである。ポジティブな感情を見せる振りは出来るが、本当にそれを感じることが出来ない。忌々しい異能のせいで、信じられないのである。他からの好意が……。
どこか他人のような感覚で自分を見つめていると、言葉であると判別は出来るが、聴き取れない声が脳裏に響いた。その叫びは、まるで偽物であるテセウスを責めているようで、限りなく遠い雲に手を伸ばし、掴もうとしているかの様な徒労を感じた。
———教会へ行こう。
テセウスは、今日はヴィークルに跨ると、南東区を目指した。
確からしい何かが、いまのテセウスには必要とされていた。
テセウスが自失状態だった時に世話になった導師が担当しているのである。
彼とて、すべての方舟教会関係者を嫌っている訳ではない。尊敬に値する人物がいることも、そもそもが、当初の思想は至極善良なものであった歴史も理解している。この支部に、そうした導師が運営しており、心がささくれた時などに立ち寄るのだった。
はじめの縁は教会で預かっている、孤児を含む子供たちであった。マーケットで出物を探しているときに偽物を指摘したのだが、賃仕事で店番をしていたのが教会の子らであった。難癖をつけるなと怒った子供らを窘め、公平に裁いたのがここの導師である。近隣の大人たちをも巻き込んでの大騒ぎに発展したのだが、上手に収めてもらい、非常に助かった記憶がある。後に、恩人の弟子であったことが発覚し、より親しくなった。
南東区は生産エリア入り口から最も離れており、低所得者の集まる区画である。世界が厳しいため、スラムのような非効率な存在は許されないが、どこにでも格差とは発生してしまうものだ。開発が進まず、細い曲がりくねった路地を行くことしばし、視界に教会の尖塔が見えてきていた。
路地を挟んで建物と建物の間、頭上にはロープが張り巡らされ、洗濯物がはためく。石畳の路上には飲用以外を賄う水を湛えた樽が並び、意外と綺麗に保たれたここかしこの壁面に、尋ね物や失せ物、譲りたい物や譲ってもらいたい物などの貼り紙が打ち付けられた大きな木板が設置されていた。助け合うよりないのだ。この街区の住民は———。
「よう、ロクデナシ!!帰って来てたのか。通い詰めても、ヘスティア導師はおまえにはやらんぞ」
「そうだ、そうだ!!稼ぎのしっかりした街者にしか導師は渡さん!!」
路肩で作業する親方からヤジが飛ぶ。
「テセ兄ちゃん、ウチに遊びに来たんなら、お土産必須だぜ?手ぶらなら門をくぐれると思うなよ」
路上で遊んでいた教会の子からも、露骨なおねだりが入る。わっと集まった子供らに揉みくちゃにされながら、引き摺るようにして歩くと、正面から温和を絵に描いたような女性が現れた。苦笑しているが止めないのは、子供たちの退屈を紛らわしてくれという、彼女なりの「おねだり」なのだろう。
「ただいま、ヘスティア」
「お帰りなさい。テセウス様」
輝く笑顔の純粋性に、自然と笑みがこぼれた。イオとはまた違った美しさを感じる。
連れだって教会に向かいながら近況を訊く。相変わらず道端からは主婦や労働者らの心温まるヤジが降り注ぎ、その都度、ヘスティアが窘めている。安らぐ光景である。
街区の住民は、すべからく彼女を愛しているのであった。
実は、アーテナイの街にはこの様な光景は存在しなかった。軍事を担当していた、工業、研究都市であったためか、どことなく余所余所しさが漂っていた。なので、この南東区はテセウスの拠り所となっていた。知らないものに心惹かれるものなのだ。
「テセウス様は今回、どのくらい滞在されるのですか」
ヘスティアが含みなく訊ねる。子供たちも興味津々である。
「そうだなぁ……。三日は居られると思うけど、その後は辺境を巡るから、戻って来るのはかなり先になるな」
と何気なく零すと、
「テセウスのあほぉ!!」
「薄情者!!」
子供たちの悪態が合唱になった。中には頭を叩いたり、背中に物を投げつける者まで居た。顔を顰める者、怒りを示す者、泣き出す者と様々だが、そこには彼への親しみがあった。辺境とは、それ程までに街での生活から遠いものなのであった。その解りやすい好意を心地よく感じながら、
「だからヘスティア、必要な物とか、やって欲しいこととかあったら言っておいた方がいいぞ」
ニヤリと笑い、軽く肩を叩いた。この細い肩にすべての責任が被さっていると思うと、出来る限りは手伝いたいと、素直に感じるのである。子供たちも、街区の大人たちも、この若い女性を頼りにしているのだ。
「危ないことはないのですか?」
「大丈夫だ。しぶといのが身上だしな」
心の裏側で想った。この女性は、教会の上層部で何が起こっているか、どのような密やかな企みがあるのかを知らないだろう。いや、気配くらいは感じているかもしれない。だが、それらに心を痛めている姿を想像すると、いっそ闇から闇へと能動的に葬ってしまいたくなった。
生きる理由を喪った男には、眩しすぎる。
すっかり依存していると感じるのだ。
本格的な改装はデネブでビルダーのオカベに依頼するとして、ヴィークルとキャリアの武装追加をせねば、辺境は危険に過ぎる。先日までの仕様に戻さないことには、うろつける土地ではないのだ。
翌日の朝、テセウスはクランの駐機場で、在庫の物資の棚卸しをしていた。デネブで装備が更新されることを前提に、逃走用のガジェット中心に見積もる。単身で向かうことを考えると、高価だが量子通信ジャマーも欲しいところだ。侵食獣も侵食が進んだ個体が群れに含まれると、意思の疎通を可能にする。それを阻害する機能を持つ。囲みに穴を空けるには最適なのである。
戦って勝てない相手ではないが、それはテセウスだからであり、コストパフォーマンスの良い選択ではなかった。装備、備品の購入は懐に痛いが、とは言え、命に比べたら安い物なのである。テセウスは自分の心中に、思いがけず未練を発見して動揺した。———ヨナスに「帰る」と考えるようになったとは……。教会の子供たちとうら若き導師、そして少数ではあるが同業者の顔が浮かんでは消えた。
生への執着を失っていた時分には、想像もつかなかった事態であろう。
一瞬、放心したが、気を取り直して作業に戻った。
「レナト、ちょっと手伝って貰えるか?これを独りで運ぶなんて考えたくもない」
泣き言混じりに整備士のレナトを呼び、タダとは言わんと、銀貨を二枚ほど握らせた。やれやれといった表情を見せ、彼は黙ってタグを付けられたコンテナを運んで行った。
ヴィークルもキャリアも、少しでも軽くするためにハードポイントには装備は未装着で、端子カバーが掛けられたままである。そもそもが軍用なので、かなりの重装備が可能ではあるが、機動性はともかく、燃費が悪くなるのは否めない。そうなると積載量が更に増える上、その分のコストを再計算しなければならなくなる。
だからこそ、ここ最近は重装備を外し、武装、装甲によって発生する費用を低減していたのだ。
———ヘルメスから、アーテナイの調査経費をふんだくるべきだったか。
ついつい邪な考えが脳裏を掠める。
最近は儲け話を追っていない。と言うか、先日の新発見の遺跡がそれにあたる筈であった。だが、発掘前に侵食獣との戦闘になってしまったので、出土データの持ち帰りもない。これではまるで、評議会の下請け諜報員か用心棒ではないか!!
テセウスは愕然とした。
ネレウスはアルタイル、デネブのいずれかに居る可能性が高い。たっぷりとクレームを叩きつけようと心に誓った。借りと言うものは心理を誘導するもので、アーテナイの件以来、断りにくさを感じて、ネレウスの頼みは無条件に近く引き受けてきた。そろそろ、そんな関係も是正して、自分の為に生きなければならない。
だが、悲しいかな、その理由がない。惰性で生き残ったテセウスを、時の流れは待ってくれず、存在理由の無さに途方に暮れた。未練の存在は認めても、未来への欲までは見出せなかったのである。
イオとは、現地でも連絡を取れるように、移動して貰うことになっている。胡散臭さは否めないが、正直、あの存在の能力は心強い。ヘリントスの居住区にも余裕があるので、転がり込んできても問題は無い。何室かは物置と化しているが、ふたりだけならば、充分に上等な住居の部類に入るであろう。
その後、レナトにはグレネードランチャーなどの取り付けを手伝って貰い、対価をヘルメスに回した。生きて帰れなければ情報など意味がないのだから、これくらいは文句を言われる筋合いはないと、テセウスは内心で嘯いた。今回は重武装化もだが、特にセンサーの類に注力して装備を更改した。高価だが、彼の稼ぎならば請求書も笑納することであろうと、意地悪く嗤う。
「おい、アウグストゥス。例の遺跡の調査は、いつまで凍結になったか聞いているか?辺境周りから戻るまで、他人に触られたくないンだがなぁ……」
ふと気がついた、と言う体で質問を投げる。
「ん?テセウスが帰ってから発掘に決まっているぞ。次回は、腕利きの階層潜行師もつける予定だってよ。アストライアだな、候補は」
ニヤリと笑い、上に向けて掌を差し出す。このクランの構成員は皆、こうした取引に躊躇いがない。
「おいおい……、帰って来たくなくなる情報だな、それは……。誰だ、人選したのは」
「我らが御大将、ヘルメス閣下に決まっている」
間抜け顔を晒している自覚はあった。
「———ぶちのめす」
そして、次にはミシリと、頬の辺りの筋肉が軋んだ。少し殺気立ってしまったかもしれない。
「あの女との反りの合わなさは、ヨナスの全員が知っていることと思ってたが?ヘルメスはオレに仕事をさせたいのか、失敗させたいのか?」
徐に嘆き、テセウスは査定カウンターで突っ伏した。投げ遣りに、「カウンターが冷たくて心地いい」などと、現実逃避をする。
「アストライアは歓迎してたぜ?あのロクデナシの性根を叩き直すチャンスだってな。いいじゃねぇか、美人だぞ、アイツは」
更にアウグストゥスのニヤニヤが深くなる。
「看守連れて牢獄へ遊びに行くようなモンじゃねぇか!!だいたい、オレが街の連中にロクデナシなんて呼ばれるようになったのは、アイツのせいなんだぞ!!」
「清く正しく生きていれば、案外優しいぜ」
とうとう吹き出し、哄笑を始めると、周囲のクランメンバーが集まってきてはテセウスをくさす。
「黙れ、暇人ども!!なんてことだ、オレにはヨナスに居場所はないのか」
「例の美人導師に慰めて貰う、いい言い訳になるぜ?」
と、ヘスティアのことに言及する者が居れば、
「アストライアだって、テセウス以外にはああじゃないんだから、逆にお得な気分にならんか?てか、あれはテセウスに惚れている可能性もあるな」
などと、煽るものも出てくる。終いには、
「どうせだ。両方貰ってヨナスの市民になれよ。ウチにだって、大将の首根っこ押さえられる人材が欲しいところなんだ。歓迎するぜ」
と、収拾がつかない。
一瞬、ヘスティアが家で待つ姿を想像してしまったが、冒すべからぬ存在として、無意味な邪心は心の奥底に仕舞い込んだ。アーテナイの滅びを忘れられない自分には相応しくないとも思う。能動的に生きようとしていないテセウスに、家庭は過ぎたるものである。因みに、アストライアは考慮の埒外であった。
と、呆けて考え込んでいたテセウスは、尻を強かに蹴りつけられた。
「テセウス、貴様、私のことをそのように邪な目で見ていたのか!!」
アストライア本人の登場であった。
群れていた暇人どもは既に逃げている。顔を憶えられていると思われるので無駄とは感じたが、テセウス自身がそれどころではない。
「冤罪だ!!オレもアストライアは無理だから、利害が一致したな」
「なっ!!私では気に入らないとでもいうつもりかッ!!無理とはなんだ」
顔を紅潮させて、怒りに任せて拳を振り上げるのを、テセウスは半身を躱し、戸惑いと共に見送った。
「なぜ殴る?!!」
ギリッ、と音が聞こえそうなほどに歯を食いしばり睨みつけると、アストライアはクランホームを出て行った。追って扉がけたたましい悲鳴を上げる。
「なぁ、……いまのって、オレが悪いのか?」
「悪いな」
「ああ、悪い」
「くたばってしまえ」
避難していた暇人どもが戻り、思い思いにテセウスを詰る。
テセウスは実感が得られなかった。こうしているメンバーは皆、世間では仲間と見做されるのだろう。だが、心の距離が遠い。異性にしてもそうだ。琴線に触れそうな出来事があると、その瞬間に奥底から例の誰かの気配が浮上し、自己が薄くなるのである。ポジティブな感情を見せる振りは出来るが、本当にそれを感じることが出来ない。忌々しい異能のせいで、信じられないのである。他からの好意が……。
どこか他人のような感覚で自分を見つめていると、言葉であると判別は出来るが、聴き取れない声が脳裏に響いた。その叫びは、まるで偽物であるテセウスを責めているようで、限りなく遠い雲に手を伸ばし、掴もうとしているかの様な徒労を感じた。
———教会へ行こう。
テセウスは、今日はヴィークルに跨ると、南東区を目指した。
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