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第1章
7 由起子への依頼
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「ペネトレイト(侵入)」という挑発的な名前の看板の店の扉を手前に引くと、カウベルの音が響いた。何度も訪れた場所だったが、最後の記憶が悪いせいか、ひどく余所余所しく感じた。
アクアリウムと間接照明のみの店内は仄暗く、贅を凝らした落ち着いた木製の内装にも憂鬱さが勝った。間仕切りとなったアクアリウムで隠されるため密談には向くが、心理的には逆らうものが否めなかった。
「智行、こっちよ」
一番奥の、かつての定位置から声が掛かった。加藤由紀子である。
離婚後も旧姓に戻さなかったのは、既にビジネスネームとして成立しているので、変更する方が煩わしいという、非常に彼女らしい合理的な選択であった。つまりは、由紀子はそういう人間である。
「急に呼び出して済まない」
「それは別に構わないけど、体調は問題ないのかしら」
離婚後も、彼女とは業務上、関係が続いていた。加藤には煮え切らないところがあったが、先にも述べた通り由紀子は合理的な人物なので、特に痛痒を得てはいないらしい。プライベートでは、感情豊かで朗らかな性格なのだが、ビジネスにあっては一筋縄ではいかないつわものである。学識と経営能力、その両面を活かして、現在も事業を拡大している。
由紀子は研究者ネットワークのコーディネートと投資の企業を経営している。元々は本人も研究畑の人間であったが、加藤と交際をはじめた頃に突如転身した。加藤は自分の影響を懸念したものだが、彼女の才覚は素晴らしく、数多くの研究を事業化していった。以来、加藤の研究で民間からの協力が必要な場合、または資金について不安がある場合には、相談に乗って貰うのがルーティンとなり、モノになると彼女が踏んだ場合は、出資を受けることが多かった。
「体調は、職場復帰していないことで察してほしい。それよりも、まずはドリンクの注文をしてしまおう。込み入った話になるので、邪魔は省きたい」
弁えた、教育の行き届いた店なので、間の悪いサービスは無いだろうが、とにかく話の内容を聞かれたくないし、腰を折られたくもない。
加藤は有名どころのスコッチの水割りを頼み、先に来ていた由紀子はそのままおかわりとした。乾杯をするような仲でも、話題の内容でもないので、無粋に本題から切り込む。
「量子学と情報処理の専門家でチームを組みたい。資金にはオレのマンションその他の不動産を充てるつもりだ。売却の支援も貰えると助かる」
「唐突になに?第一、貴方は休職中でしょう。大学はどうするのよ」
「辞める。体調については改善が見込めない以上、このまま手を拱くつもりはない。実験施設の方は、大学時代のコネで借りるしかないな」
カラン、と氷でグラスが鳴った。
店内の音楽が変わり、ピアノ曲になる。「Walz For Debby」か———。
「かなり深刻な理由で、新しい試みに身を投じなければならなくなった。時間が無い。頼めるのは君しかいなかった」
由紀子は眼を眇め、間を置いてから溜息を吐いた。失礼だが、少し老けたか……。やつれたように思える。
「———正直、こんな話題だとは思わなかったわ。てっきり、復帰の祝杯かと……」
一瞬、由紀子の表情が泣きそうに見えた。強い動揺を覚えた自分に驚きながら、静かに頭を下げる。
「本当に勝手で申し訳ない。大学でのプロジェクトについては、休職が決まった時に粗方引き継いであるから、問題ないと思っていた。迷惑なら他を当たる」
ビル・エヴァンスのようなジャズよりも、由紀子はピアノならグールドの演奏が好きだったな———。そんなことを、ふと思いながら気を散らしていると、僅かな綻びから怒りを滲ませながら由紀子が零した。
「解っていないのね、貴方……。いいわ、そのお話、ウチでコーディネートしましょう。但し、急ぎなら高くつくけど、いいわね?」
由紀子の胸中に去来するのは、虚しさと、強い焦りだった。一瞬、怒りが首を擡げたが、打ち明けてないことがある以上、責めるのは筋違いだと気持ちを改めたら、襲ってきたのはそのふたつの感情だったのだ。智行は、離婚の本当の理由を知らないのだから———。遠くから心配しているよりも、同じプロジェクトに参加して、関わる理由を持っていた方が都合はいい。そう計算し、由紀子は承諾したのだった。
伝わってしまったのか、由紀子の怒りに対しての戸惑いを滲ませながら、黙考している。何か他にも伝えたいことがあるようだ。
静かにグラスを傾け、数曲が流れてから、ようやく加藤は思い切り口を開いた。
「実は、今回の依頼については、現在の症状と浅くはない関係があって———」
取り戻せない時間を惜しみながら、加藤は可能な限り客観的に、現状の分析と考察を由紀子に伝えようとした。それは非常に難しい作業であったが、同時に、自身の理解度を増す意味で効果があった。ただ、由紀子が一度は落胆した理由については、加藤には解り得ない範囲であった。
加藤は化粧室に去った由紀子の後背を視線で追いながら、埋まらないズレを他人事のように考えていた。いや、事実、二人はもう他人なのであった。
ヘルメスはネレウスに秘匿通信を開き、遺跡の一件について、内密の報告をしていた。もちろん、身分は評議員としてである。
テセウスの読み通り、ヘルメスは意図があって隠されていたが、都市同盟の評議員であった。
彼の職分は情報統制と諜報であるため、表には出来ない事情があった。デネブ、ベガ、アルタイルを辺境とした都市同盟でも特に、一般に穀倉地帯とされるヨナス市は、中央に位置していることもあり、管理面の組織が隠されていた。軍事を担っていたアーテナイの崩壊により、軍は再編中であり、その分ヘルメスの負荷は高くなっていた。
当然、方舟教会への監視も彼の職務範囲であり、本来、あれらへの牽制を担うべきテセウスへの憤りはかくせなかった。
ヘルメスにとって、テセウスはそう在るべき相手であり、現状を怠惰とみて苛立つのだった。
方舟教会は元来、教えを強要せず、運営も信徒の寸志を基金とした、清貧な組織であった。どちらかと言えば、宗教団体と言うよりもむしろ研究者集団に近く、俗世に関わることも少なかった。
だが、アルビレオ市が侵食獣の波に吞まれた辺りから変節し、布施を義務とした。実際に災厄の形が見えたことにより、先鋭化したのである。また、大衆の支持を得られたことも大きい。
アルビレオ市は都市機能の大半を保存出来たために50年ほどで開拓地として再起したが、その恐怖から、民衆の多くは方舟教会の教えに縋った。
その教義は元々、旧文明の信教の残滓から始まった。後に教主となる女性が各地を回って口伝を編纂し、教義を纏めたのである。その範囲は、都市連盟の支配領域を越え、近隣コミュニティすべてに亘っていた。
彼女の当初の意図は民俗学の研究であったが、その内容に深くのめり込んだために客観性を失ったとも言えた。彼女はその後、積極的に民衆に教えを説き、後年になって多数の高弟がそれぞれ近隣の都市に散ると、教会を開き、一大宗教となった。
教えには、やがて訪れる大いなる災いからの救済と、魂の定義、信徒の生活の規範が含まれ、例えに示すことで解りやすい内容であったことと、善意を肯定した規範の受け入れやすさが信仰の伝播を助けた。そこに信仰対象としての神の存在はなかった。決して、上位の存在を認める教えではなかったのである。
しかしながら、長い時間の経過と共に教会上層部の腐敗が都市上層部には明らかになり、民には支持されながらも、マークされるべき存在として、次第に都市からの警戒の目を向けられるに至った。
都市運営に支障がない範囲では目溢しをするという消極的な対処を求められたのは、市民の多くが信徒であり、末端は初志を忘れずに運営されていたため市民の信頼があったこと、都市間の情報の流通が、都市でも高位の職に就いた者の量子通信を介さない場合、教会信徒のネットワークから大半が齎されており、民を刺激すると都市運営が打倒される可能性が懸念されたためである。
方舟教会の導師はアバターを民と呼ぶが、この時期から評議会や管理局は、その民を市民と呼び、差別化を図った。運営の主体が都市であることを主張するためである。それほどまでに信教はデリケートな問題となりつつあったのである。
教義では、大いなる災いが訪れる際に、救済は方舟のかたちで民の前に現れるとし、また、魂は肉体を象り、魂こそが主体であるとした。つまり、救済の対象として現世が含まれるかは定かでは無い。
規範としては、民はそれぞれ自儘な行いを戒められ、そうでなければ方舟に不和を招くとされた。魂は響きあい、真に信徒が救済を求め共鳴したとき、救いは現れるのである。
———生臭どもが……。
ヘルメスは別に、低位の街の導師たちを嫌ってはいなかった。むしろ、清貧を旨とし、市民を導き救う姿に尊崇すらしている。しかしこうも思うのだ。根が腐った大樹の枝葉は、それでもいつまで瑞々しく在れるのだろうか———。
明確に嫌悪しているのは高位の導師たちである。
統括するための予算とした彼らの懐に収まる資金は私欲に費やされ、アルビレオの一件以降は、政教一体を夢想するようになった。高位導師は教義から外れ世襲となり、言わば宗教貴族とも呼べるものとなった。
「ネレウス様、アーテナイを探らせた隊からは音信がありません。中にはインプラントを施した者も居り、通信可能であったにも拘わらず音信不通です。主流派の動きは先にお話しした通りですが、私としてはアーテナイに潜伏している、推定原理派の思惑が気に掛かります」
「うむ。鼠を殺す猫を警戒しない手はあるまいな。探られては痛い何かがあると。だが、我々の切り札、テセウスは使えんぞ、あの街では……」
「何を言っているのです!!いまこの時に使わずに、彼を飼殺すつもりですか!!」
「ヘルメスは彼には厳しいな……。まさか、アーテナイ崩壊があれのせいだと思っている訳ではあるまいな」
「———当時ならともかく、いまはそんなこと考えていませんよ」
「複雑なのは理解するが、叩くべきを間違えてはいかんぞ」
ヘルメスは苦虫を噛み潰し、
「隊が連絡もなく、おそらくは壊滅したのです。テセウス以外に手に負えるとは思えません」
その後は若干の調整事項の連携を行い、通信を切った。
テセウスは、一度ヨナス市に戻り、その後はデネブ、アルタイル、ベガと巡り、辺境の外側、空白地の調査に入る。無所属の為に強要出来ないことが忌々しい。アーテナイに向かわせる隙間か切掛けは無いだろうか……。
ヘルメスはマップをプロジェクター表示に切り替え、所要移動時間のシミュレートと必要物資の積算、スケジュール変更を、黙々と演算しはじめた。
作成概要をシステム化し、コンテナに収めてデータキューブを作成する頃には、テセウスを出迎える時間となっていた。
アクアリウムと間接照明のみの店内は仄暗く、贅を凝らした落ち着いた木製の内装にも憂鬱さが勝った。間仕切りとなったアクアリウムで隠されるため密談には向くが、心理的には逆らうものが否めなかった。
「智行、こっちよ」
一番奥の、かつての定位置から声が掛かった。加藤由紀子である。
離婚後も旧姓に戻さなかったのは、既にビジネスネームとして成立しているので、変更する方が煩わしいという、非常に彼女らしい合理的な選択であった。つまりは、由紀子はそういう人間である。
「急に呼び出して済まない」
「それは別に構わないけど、体調は問題ないのかしら」
離婚後も、彼女とは業務上、関係が続いていた。加藤には煮え切らないところがあったが、先にも述べた通り由紀子は合理的な人物なので、特に痛痒を得てはいないらしい。プライベートでは、感情豊かで朗らかな性格なのだが、ビジネスにあっては一筋縄ではいかないつわものである。学識と経営能力、その両面を活かして、現在も事業を拡大している。
由紀子は研究者ネットワークのコーディネートと投資の企業を経営している。元々は本人も研究畑の人間であったが、加藤と交際をはじめた頃に突如転身した。加藤は自分の影響を懸念したものだが、彼女の才覚は素晴らしく、数多くの研究を事業化していった。以来、加藤の研究で民間からの協力が必要な場合、または資金について不安がある場合には、相談に乗って貰うのがルーティンとなり、モノになると彼女が踏んだ場合は、出資を受けることが多かった。
「体調は、職場復帰していないことで察してほしい。それよりも、まずはドリンクの注文をしてしまおう。込み入った話になるので、邪魔は省きたい」
弁えた、教育の行き届いた店なので、間の悪いサービスは無いだろうが、とにかく話の内容を聞かれたくないし、腰を折られたくもない。
加藤は有名どころのスコッチの水割りを頼み、先に来ていた由紀子はそのままおかわりとした。乾杯をするような仲でも、話題の内容でもないので、無粋に本題から切り込む。
「量子学と情報処理の専門家でチームを組みたい。資金にはオレのマンションその他の不動産を充てるつもりだ。売却の支援も貰えると助かる」
「唐突になに?第一、貴方は休職中でしょう。大学はどうするのよ」
「辞める。体調については改善が見込めない以上、このまま手を拱くつもりはない。実験施設の方は、大学時代のコネで借りるしかないな」
カラン、と氷でグラスが鳴った。
店内の音楽が変わり、ピアノ曲になる。「Walz For Debby」か———。
「かなり深刻な理由で、新しい試みに身を投じなければならなくなった。時間が無い。頼めるのは君しかいなかった」
由紀子は眼を眇め、間を置いてから溜息を吐いた。失礼だが、少し老けたか……。やつれたように思える。
「———正直、こんな話題だとは思わなかったわ。てっきり、復帰の祝杯かと……」
一瞬、由紀子の表情が泣きそうに見えた。強い動揺を覚えた自分に驚きながら、静かに頭を下げる。
「本当に勝手で申し訳ない。大学でのプロジェクトについては、休職が決まった時に粗方引き継いであるから、問題ないと思っていた。迷惑なら他を当たる」
ビル・エヴァンスのようなジャズよりも、由紀子はピアノならグールドの演奏が好きだったな———。そんなことを、ふと思いながら気を散らしていると、僅かな綻びから怒りを滲ませながら由紀子が零した。
「解っていないのね、貴方……。いいわ、そのお話、ウチでコーディネートしましょう。但し、急ぎなら高くつくけど、いいわね?」
由紀子の胸中に去来するのは、虚しさと、強い焦りだった。一瞬、怒りが首を擡げたが、打ち明けてないことがある以上、責めるのは筋違いだと気持ちを改めたら、襲ってきたのはそのふたつの感情だったのだ。智行は、離婚の本当の理由を知らないのだから———。遠くから心配しているよりも、同じプロジェクトに参加して、関わる理由を持っていた方が都合はいい。そう計算し、由紀子は承諾したのだった。
伝わってしまったのか、由紀子の怒りに対しての戸惑いを滲ませながら、黙考している。何か他にも伝えたいことがあるようだ。
静かにグラスを傾け、数曲が流れてから、ようやく加藤は思い切り口を開いた。
「実は、今回の依頼については、現在の症状と浅くはない関係があって———」
取り戻せない時間を惜しみながら、加藤は可能な限り客観的に、現状の分析と考察を由紀子に伝えようとした。それは非常に難しい作業であったが、同時に、自身の理解度を増す意味で効果があった。ただ、由紀子が一度は落胆した理由については、加藤には解り得ない範囲であった。
加藤は化粧室に去った由紀子の後背を視線で追いながら、埋まらないズレを他人事のように考えていた。いや、事実、二人はもう他人なのであった。
ヘルメスはネレウスに秘匿通信を開き、遺跡の一件について、内密の報告をしていた。もちろん、身分は評議員としてである。
テセウスの読み通り、ヘルメスは意図があって隠されていたが、都市同盟の評議員であった。
彼の職分は情報統制と諜報であるため、表には出来ない事情があった。デネブ、ベガ、アルタイルを辺境とした都市同盟でも特に、一般に穀倉地帯とされるヨナス市は、中央に位置していることもあり、管理面の組織が隠されていた。軍事を担っていたアーテナイの崩壊により、軍は再編中であり、その分ヘルメスの負荷は高くなっていた。
当然、方舟教会への監視も彼の職務範囲であり、本来、あれらへの牽制を担うべきテセウスへの憤りはかくせなかった。
ヘルメスにとって、テセウスはそう在るべき相手であり、現状を怠惰とみて苛立つのだった。
方舟教会は元来、教えを強要せず、運営も信徒の寸志を基金とした、清貧な組織であった。どちらかと言えば、宗教団体と言うよりもむしろ研究者集団に近く、俗世に関わることも少なかった。
だが、アルビレオ市が侵食獣の波に吞まれた辺りから変節し、布施を義務とした。実際に災厄の形が見えたことにより、先鋭化したのである。また、大衆の支持を得られたことも大きい。
アルビレオ市は都市機能の大半を保存出来たために50年ほどで開拓地として再起したが、その恐怖から、民衆の多くは方舟教会の教えに縋った。
その教義は元々、旧文明の信教の残滓から始まった。後に教主となる女性が各地を回って口伝を編纂し、教義を纏めたのである。その範囲は、都市連盟の支配領域を越え、近隣コミュニティすべてに亘っていた。
彼女の当初の意図は民俗学の研究であったが、その内容に深くのめり込んだために客観性を失ったとも言えた。彼女はその後、積極的に民衆に教えを説き、後年になって多数の高弟がそれぞれ近隣の都市に散ると、教会を開き、一大宗教となった。
教えには、やがて訪れる大いなる災いからの救済と、魂の定義、信徒の生活の規範が含まれ、例えに示すことで解りやすい内容であったことと、善意を肯定した規範の受け入れやすさが信仰の伝播を助けた。そこに信仰対象としての神の存在はなかった。決して、上位の存在を認める教えではなかったのである。
しかしながら、長い時間の経過と共に教会上層部の腐敗が都市上層部には明らかになり、民には支持されながらも、マークされるべき存在として、次第に都市からの警戒の目を向けられるに至った。
都市運営に支障がない範囲では目溢しをするという消極的な対処を求められたのは、市民の多くが信徒であり、末端は初志を忘れずに運営されていたため市民の信頼があったこと、都市間の情報の流通が、都市でも高位の職に就いた者の量子通信を介さない場合、教会信徒のネットワークから大半が齎されており、民を刺激すると都市運営が打倒される可能性が懸念されたためである。
方舟教会の導師はアバターを民と呼ぶが、この時期から評議会や管理局は、その民を市民と呼び、差別化を図った。運営の主体が都市であることを主張するためである。それほどまでに信教はデリケートな問題となりつつあったのである。
教義では、大いなる災いが訪れる際に、救済は方舟のかたちで民の前に現れるとし、また、魂は肉体を象り、魂こそが主体であるとした。つまり、救済の対象として現世が含まれるかは定かでは無い。
規範としては、民はそれぞれ自儘な行いを戒められ、そうでなければ方舟に不和を招くとされた。魂は響きあい、真に信徒が救済を求め共鳴したとき、救いは現れるのである。
———生臭どもが……。
ヘルメスは別に、低位の街の導師たちを嫌ってはいなかった。むしろ、清貧を旨とし、市民を導き救う姿に尊崇すらしている。しかしこうも思うのだ。根が腐った大樹の枝葉は、それでもいつまで瑞々しく在れるのだろうか———。
明確に嫌悪しているのは高位の導師たちである。
統括するための予算とした彼らの懐に収まる資金は私欲に費やされ、アルビレオの一件以降は、政教一体を夢想するようになった。高位導師は教義から外れ世襲となり、言わば宗教貴族とも呼べるものとなった。
「ネレウス様、アーテナイを探らせた隊からは音信がありません。中にはインプラントを施した者も居り、通信可能であったにも拘わらず音信不通です。主流派の動きは先にお話しした通りですが、私としてはアーテナイに潜伏している、推定原理派の思惑が気に掛かります」
「うむ。鼠を殺す猫を警戒しない手はあるまいな。探られては痛い何かがあると。だが、我々の切り札、テセウスは使えんぞ、あの街では……」
「何を言っているのです!!いまこの時に使わずに、彼を飼殺すつもりですか!!」
「ヘルメスは彼には厳しいな……。まさか、アーテナイ崩壊があれのせいだと思っている訳ではあるまいな」
「———当時ならともかく、いまはそんなこと考えていませんよ」
「複雑なのは理解するが、叩くべきを間違えてはいかんぞ」
ヘルメスは苦虫を噛み潰し、
「隊が連絡もなく、おそらくは壊滅したのです。テセウス以外に手に負えるとは思えません」
その後は若干の調整事項の連携を行い、通信を切った。
テセウスは、一度ヨナス市に戻り、その後はデネブ、アルタイル、ベガと巡り、辺境の外側、空白地の調査に入る。無所属の為に強要出来ないことが忌々しい。アーテナイに向かわせる隙間か切掛けは無いだろうか……。
ヘルメスはマップをプロジェクター表示に切り替え、所要移動時間のシミュレートと必要物資の積算、スケジュール変更を、黙々と演算しはじめた。
作成概要をシステム化し、コンテナに収めてデータキューブを作成する頃には、テセウスを出迎える時間となっていた。
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