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第1章

3 アーテナイの滅びの日

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 街門ではひと悶着あった。
 やはりイモータルとテセウスふたりの戦闘行為は、街の監視塔から見えていたらしい。ヘリントスの荷台に積み込んだ侵食獣の遺骸を見せて事なきを得たが、イモータルとの関係を疑われたら、厄介なことになるところであった。そのまま都市長室コースである。或いは取り調べのため、牢獄か……。
 
 ———カトウ・トモユキとか言ったか……。
 
 声にせず口の中で転がすと、その音が妙に馴染む……。
 イモータルとは現場で別れた。もう少し何か、腕輪について情報があるのかと思っていたが、方舟教会には見せるなと言われた以外には特に何もなく、連絡先のデータキューブを渡して、例の陽炎のような歪みの中に消えてしまった。まさに神出鬼没である。
 あの存在は、夜の王以外にも死神と呼ばれている。黒衣で長物を振り回して、無造作に、そして無慈悲に命を刈る様は、たしかに死神と呼ぶにふさわしい。口を開かなければ……。他者に興味を抱くことが稀なので広まっていないが、あのテンションの妙に高い喋り口が知られたなら印象は変わるだろうか……。
 ドレイン・タッチ、アレがいけない。イモータルは触れるだけで即座に相手を昏倒させ、その気になれば死に至らせることが可能なのだ。不気味さの源である。人は、理解の出来ないものを不気味に思うものだ。不可視の攻撃で生命力を喪わせるその異能は、暗い彩でイモータルを飾るのであった。
 また、常にモデルチェンジを繰り返している長物は、相手に触れずに遠隔から、傷もなく命を刈ることが出来る。自己の価値基準で好き放題に動きまくり、迷惑行為を繰り返した結果、アンタッチャブルでありながら管理局からは要注意対象として、「誰か討伐してくれないだろうか……」と期待されている。誰もが腰が引ける為、叶うことのない願いではあるが……。
 そして、テセウスとしても、嫌っている訳ではないのだが、可能ならば距離を置きたいと思っている。当局にマークされている存在と親しいなどと思われても、マイナスはあってもプラスにはならないのである。それに元来、テセウスはこの街ではないが政府当局の出身である。やむを得ず除隊しているが、それだからと言って、アナーキーに生きたい訳ではないのである。
 
 マーケットの目抜き通りの入り口には、左右に遺跡の壁面材を剥いで組み立てたバラックが軒を並べており、その前には桟敷で店舗を持てない商人が怪しげなガジェットや生鮮食料品を並べている。強く生を実感させるこの猥雑な光景が、テセウスは好きだった。
 盗掘者や採掘師の持ち込んだ雑多な古物は無秩序に並び、客の目利きを求める。中には悪質な模造品も含まれるが、ベテランの店主ですら、それらを鑑定することは難しいのであった。
 遠くに臨む高層建造物との対比が眼に楽しい。
 口上や値切りの高らかな声の響く通りを冷やかしながら、車両レーンをキャリアで進む。何処から拾ってきたのか判らない、商売にはまったく関係のないホロ看板の類がキャリアの車窓からこれでもかと迫り、何処に仕舞ってあったのかと失礼な疑問を持ってしまうほどの人数が、歩行者レーンを行き交う。
 進路を邪魔するようにフラフラと浮遊アドが横切り、視界を遮って関連のない電光広告を空中に描いていた。アルコールとオイルが混ざり合い、人の汗などの体臭と合わさった饐えた匂いが通りを満たす。そこには確かに生活のかたちが示されていたが、ただただ刹那を強調し、どこまでもバランスが悪く見えるにも拘らず、奇妙な調和が漂っていた。
 
 
 
 テセウスは滅びた街の出身である。そのエリアの技術研究分野でリードしていた都市であったが、誰かが禁忌に手を出したか、侵食獣の大群に集られて、一週間ほどの戦闘の後に滅んだ。その間、周囲の都市に支援を求めたが、侵食獣の暴走の規模に恐れを為したか、或いは、常日頃の傲慢な態度に見放されたか、救助はついぞ訪れなかった。
 しかし、救援があったとしても、助かったとは限らない。
 ちょうどその頃、テセウスは部隊を率いて近隣の遺跡鉱山へと赴いており、不在であった。都市軍最強最大の部隊の不在は、不幸としか言いようがなかった。新区画の発見に伴う強行偵察であったので、ほぼすべての機甲兵団を持ち出してしまっていたのだった。守備兵の定数は残留していたが、打撃力が足りなかったと見える。連絡を受け、急ぎ戻ったテセウスが見たのは、外壁に積み上がった夥しい数の侵食獣の亡骸と、それを乗り越えて都市に侵入する、森林や山岳の浅い層では見られない、高レベルの侵食獣の姿であった。
 メタリックに輝く、遺跡を喰った荒ぶる獣の姿……。大型の岩のような硬質な皮膚を誇る重量感がある体躯……。どこまでも絶望的な光景である。
 陥落まであと一日という、手遅れでの帰還であった。
 侵食獣らは、組織的な行動をとらないと、それまで考えられていた。あっても、群れ単位での格付けによる、狩猟行動の延長でしかなく、野獣や低レベルの侵食獣を追い立てて肉壁と為し、外壁を越えるための礎とするような戦略性があるとは知られていなかった。また、入念な偵察を行っていた痕跡や、外壁の頂点と地表との高低差が少ない地点への集中攻撃などを考察の材料とすると、一定以上の知能がなくては考えられない行動原理に基づいて襲撃が行われたと結論するのだった。
 
 ———指揮官が居る
 
 思えば、あの調査行にもおかしなことが多かった。
 新区画の発見は、確かに大ごとである。経済効果は計り知れない。
 生産系ならば、都市機能の充実や、食料をはじめとした生活必需品の入手に光明が見える。純粋に人口の増加が望める発見である。この、先細りの未来の見えない閉鎖社会にあって、それは無視できない光明であった。子を生さねば崩壊する、しかし満足に育てられるかの保証の得られない閉塞感が、フロンティアの発見により緩和されることを人類社会は経験的に識っていた。
 技術系でもいい。元々、アーテナイの街は周辺エリアに技術提供をし、その対価として食料等を輸入することで潤ってきた。特に、新しい設計図はいい。新機軸の基礎技術や応用技術により、既存の命題の解法を得られるもしれない。
 既存技術の運用システムやマニュアルでもいい。現状が、見様見真似で使用しているだけなのだ。本来のパフォーマンスの半分も活用出来ていないだろう。
 閉鎖エリアの暗号鍵、教育可能なブランクのAIドール、何が発掘されても市場は活況を為し、生活が変化する。生活圏の拡大も見込める。侵食獣のフロントラインを大きく下げるには充分な成果となるであろう……。だが、———街の戦力を空き家にするほどのことではない。
 事実、テセウスは市長に機甲兵の半数を残留させることを提案しており、兵站的にも無償でないことを鑑み、まずは偵察部隊と打撃部隊を以て、威力偵察を行い、その評価によって計画的に発掘を行うのがセオリーであった。結局部隊全体でと強行されたが、首脳部は何を焦っていたのか……。
 部下の大半の脱落を受けながら屯所に駆けつけ、状況を確認したが、酷いものであった。人的被害もさることながら、首脳部は包囲される前にヴィークルを用いて逃走、指揮官不在のまま場当たりに対応していたのであった。上位者権限がないので、外壁の配置状態や被害状況すらモニター出来ない。負け戦も当然のことであった。

 ———テセウス!!

 声が聞こえた気がした。いや、間違いない。こんな前線に居るはずもない、研究所勤務の妻の声であった。
 「パイドラー、なんでこんな前線に?!!もう、この街は墜ちる。早く私物のヴィークルかキャリアに、オレの装備や物資を積んで逃げろッ!!」
 「出来ないの!!所長をはじめ、上位者が軒並み逃げてしまったから、研究所の秘匿区画が閉鎖できないの!!バイオハザードが起きてしまうわ!!」
 「責任者が責任を放棄したンだ。おまえがその尻拭いをする必要はないさ」
 「外に出ると拙い、危険なものが山ほどあるのよ。せめてあれらを始末してからでないと……」
 テセウスはパイドラーの手を取り、外壁上に引き上げようとした。低所にいるのは不利だ。せめて相談する間、自分が護れる場所にいてもらわなければ……。
 確りと掛かった重みに、得も言われぬ安心を覚えながら、テセウスは、上体を起こそうとした。パイドラーも突起に足を掛け、少しでも負担を減らそうとしていた。
 
 と、
 
 ザッ!!
 
 引いた手が、虚しく軽くなった……。
 一瞬呆けるのを責めることが出来ようか。
 テセウスは、勢い余って尻餅をついてしまい、そのまま外壁の上を転がった。口に土埃を食みながら呆然とした。手に握られた何かの温もりが喪われていく。
 理解したくなかった。何が起こったのかということを———。
 パイドラーの手には、肘から先に、あるべき身体が無くなっていた。
 滴る血が、テセウスの下半身を染めた。はじめに熱く、そして次第に冷えてくそれが、衣服をごわつかせた。のろのろと視線を漂わせたが、パイドラーを喰らった侵食獣の姿は、もう見えなかった。一太刀を報いることさえも出来ないのか———。
 
 テセウスは身を護ることすら忘れた。残された腕を胸に抱きしめ、咽び泣いた。涙を流すのは、パイドラーに結婚を承諾してもらって以来だった。随分と内容の異なる涙に、テセウスは皮肉を感じる感性すら喪っていた。
 
 ———隊長!!隊長!!拙いです、早くこの拠点も放棄しないと囲まれます。
 
 遠くに、追いついてきた部下の声が聞こえてはいたが、聴いてはいなかった。
 こみ上げる、行き場のない怒りが、慟哭のような咆哮を上げさせた。
 その日、50万人都市のアーテナイ市は、滅亡したのである。
 残された最上位者の名はテセウス。
 彼が、最後の王だった。
 
 
 
 ざわめきが鼓膜を揺らし、そして焦点を結んでいなかったテセウスの瞳に光が戻った。
 宵に至って、そろそろ店仕舞いの者も多い。緩みはじめた街角の営みに、テセウスはあの日喪った妻を想った。
逃げた指導者たちは、逃亡先で身包みを剥がされ、そしてアーテナイ残党に殺された。
 市長のスケイロン、研究所長のケリュキュオン、都市軍元帥のプロクルーステスに引導を下したのはテセウス本人である。その時に、イモータルと出会ったのだ。
 燃え尽きていたテセウスを現世に繋ぎ留めたのは、ある意味では、イモータルその人であったのかもしれない。
護れなかった日常が、ここには在る。だから、テセウスはもう、殺意に堕ちない。あの日に、テセウスは一度死んだのだ。終わったこととして、ただあの日の宿題を追い求めるだけである。そう、侵食獣の指揮官、その存在の証明である。あれはきっと、「アバターが侵食獣と化した存在」であろう。獣にあの戦略眼は無い。そしてまた、AIドールには自由な発想は無い。
 イモータルのようなイレギュラーか、でなければアバターの侵食獣だ……。
 これまで、アバターは侵食獣化しないとみられていた。強い自意識が抵抗し、精神汚染を受け付けないのではないかと、研究者は語る。人工的に侵食獣を作る研究は禁忌として行われていないが、研究者たちの口振りでは、おそらくはどこの研究都市でも試行はしているのだろう。そして、それはアーテナイもそうであったのだ。その結果、踏み入れてはいけない領域に無造作に手を突っ込んで、噛みつかれたのがあの滅びの日であると、テセウスは踏んでいる。
 怒りに触れたのである。アーテナイは……。
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