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現実

これは

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  キムチ炒め定食だ。ご飯もたくさん盛られている。わたしは、「いただきます」と手を合わせた。

  わたしはお箸を持ち、キムチ炒めに箸を伸ばす。キムチの良い香りが漂う。 キムチ炒めを口に運ぶ。そんなわたしのことをお兄ちゃんは、ニコニコと笑みを浮かべ見守っている。

  キムチのピリ辛い味がしたところで、え、え、え、何……。

   なんだろ?   何かがおかしい。

  
  キラキラ輝いていた世界が突然暗闇に変わる。

  ……。

   暗闇、暗闇、暗闇だ。

   お兄ちゃんの顔も、お父さんとお母さんの顔も見当たらない。

  どうして?    どうして、どうして、どうして、どうして、どうして!

  あの輝いていた世界は何処に行ったの?

   わたしは、目を大きく見開く。

   するとそこには、そこには……。


  
    そこにあったのは……。

   展望台だった。

   これは、どういうことなの。何が起きたというのだろうか?

  真っ暗な空間にある展望台。

  レンガ造りの展望台。

  どうなっているの、どうなっているのよ、知りたくない現実があるのかもしれない。

   ねえ、お兄ちゃんは、何処にいるの?

  
  ざわざわざわざわと木々が揺れる。ざわざわざわざわざわざわと揺れている。

  緑の葉っぱがざわざわと音を鳴らして揺れている。

  わたし以外には誰もいない。

  暗闇の世界にまるでわたし一人しかいない、わたし一人が取り残されてしまった、そんな風に感じてしまう。

  静かで、どこか恐ろしい気配が漂うそんな中にわたしはいた。

   この静寂が怖い。

  
  とにかく、こんなに怪しげな雰囲気が漂う展望台の前になんていつまでもいられない。

  帰ろう。そう思ってわたしは、立ち上がった。急いで、家に帰ろう。

  あの恐ろしい声が追いかけてこないうちに帰ろう。そう帰ろと思っていると、カラスが遠くで、カーカーと鳴いた。その鳴き声にわたしは、身震いをした。

  
  わたしは、後ろを振り返らずに走った。走って走って全速力で走った。

 途中足が痛くなってきたけれど気になんてしていられない。木々がたくさん生い茂る坂道も転がり落ちるように走った。

  あの史砂とわたしを呼ぶ低くて恐ろしい声が追いかけて来ないかビクビクしながら。

  汗が大量に流れて気持ち悪い。額にも大量の汗、それにTシャツが肌にべっとりとくっついて気持ち悪い。だけど、そんなことは言ってられない。

  
 走り続けてかいた汗と、恐ろしくてかいた冷や汗が、いっしょくたになり気持ち悪い。

  ちょうど、坂道を下りきったところでわたしは、後ろを振り返った。

  見えるのは、坂道と木々と畑だけだった。ほっとして良かったと胸を撫で下ろす。家まで一気に帰らないと。

  そう思い、再び足を動かしたその時。

   ガサガサと音が鳴り……。

 
 

  ガサガサガサガサと草が擦れる音と、虫の鳴き声にカラスの鳴き声が聞こえたかと思うと。

  突然!

『史砂、おかえりなさい』

  あ、ああ、この声は……。この声は、低くて良く通るこの声はわたしを恐怖のどん底に突き落とした……。

  声の主だった。

 
  
  誰か助けて、誰か、誰か助けて。

『史砂、おかえりなさい。どうだったかな?  お兄ちゃんが居る世界を存分に楽しめたかな?』

  声の主が、低くて恐ろしいその声で言った。

   お兄ちゃんが居る世界を楽しめたのかなって……。

  そ、それって。

「ど、どういうことなの?」

   わたしは、声の主が創り出した世界にでも居たというの。

  そんな、そんなことってあるの。

  
『史砂、何を怯えているんだ、楽しそうに笑っていたではないか』

  声の主は、それは愉快そうな声で笑う。

「あのお兄ちゃんが居る世界はなんだったの?   あなたが創り出したものなの?」

 『そうだと言ったら……』

「そんな……」

  わたしは、嫌な汗を身体中にかいている。その汗がスーッと流れ落ちる。

  
『史砂、楽しかったよな、またお兄ちゃんと毎日一緒に過ごしたいだろう?   その為には何をすれば良いかよーく考えてごらん』

「卑怯よ!」

  そんなの絶対に卑怯だと思う。ずるいよ。だけど、声の主にはきっと伝わることなんてないと思う。

『卑怯?  何故だ?   史砂の願いを叶えてやるというのに』

  そして、声の主は声高々と笑った。
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