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プロローグ:廃部の危機

前編

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 高ヶ原こうがはら市、大津井おおつい町。県立高ヶ原高等学校。この年の五月、相撲部は、部員不足により実質の廃部となった。
 もともと部員数が少ない部活ではあったが、三年生は受験勉強に集中したいからと、二人が新年度早々に退部してしまった。これにより、部員は三年生一人と二年生二人となってしまう。そして、今年は新入部員が入ることもなく五月を迎えてしまい、唯一残っていた三年生の田中正人たなか まさと先輩は『二人で活動するのは辛いから』と相撲部をやめてしまい、柔道部へと転部したのであった。
 そうして三橋裕也みつはし ゆうやは、途方に暮れていた。
「相撲部、人気なさすぎだろ……」
 一人残された裕也は、誰もいない教室でぼそりとつぶやくのであった。

 この学校には相撲部や弓道部があるのだが、校内には土俵も弓道場もなかった。代わりに、近所には武芸の神様を祭っている鹿島神社、大津井鹿島神社という、地元民に愛されている神社があった。
 その神社には土俵と弓道場がそろっているため、学校の生徒は低価格でそこを借りさせてもらっている。着替えは弓道部、相撲部共に社務所で行うが、弓道場も土俵も野外に作られており、壁がないので冬はとても寒い。冬の基礎練習は上着を着て行う必要があるのが珠に瑕である。
 弓道部の部員は5月が始まった時点で新入部員含めて11人の部員が在籍している。羨ましいことに存続の危機はないが、相撲部は前述のとおり危うい状況だ。
 相撲部は先輩が受験勉強に専念するためだとか、人数が少なくなってしまったから他の部に移るからと引退してしまい、他の部員もいなくなった。
 今となっては裕也の練習相手はこの神社の宮司である本宮信二もとみや しんじのみ。信二さんは体格だけならヘヴィ級ボクサーと並べても違和感がないほどに鍛えているため、高校生の自分では到底勝てないくらいに強い相手だ。ぶつかって行く相手としては申し分がないが、やはり競い合ってこそ成長できる部分もあるし、何より信二さんは特殊な職業とはいえ社会人。いつだって暇なわけではなく、毎日相手をしてもらうのは不可能である。
 現実的な手段としては、自転車で一時間ほどの距離にある隣街にある相撲クラブへ所属して、そこで練習相手でも見つけるべきだろう。自転車でも全力で動けば足腰の鍛錬にもなりそうだし、悪くないかもしれない。スマートフォンを弄りながら、裕也はそんなことを考えていた。
「申し込みしなきゃいけないし、月謝についても考えなきゃな……お金……どうするかな?」
 ともかく、一人になるとやることがない。基礎練習は出来ても、取り組みの相手がいなければ、技の訓練は出来ない。お金が関わることはゆっくり考えることにして、今日は神社で基礎練習だけにしようかと、裕也は考えた。

 そうして、場所は大津井鹿嶋神社へと移る。神社は学校からは数百メートルの距離ではあるが、高低差は中々なものだ。神社は四階建ての建物を見下ろすほど小高い丘の上にあり、階段上りをするだけでも基礎トレーニングの練習場としてもってこいな、傾斜がきつい階段だ。
 裕也はその階段を荷物を持ったまま数往復して、体が温まったら部室代わりの社務所に入って、まわし一丁の姿に着替える。そうして身軽になったら、次は股割りという、いわゆるストレッチを行う。部活に入る前の裕也は体が硬かったが、今は慣れたものだ。両足を180度近くまで広げたまま、上半身を地面につけることが出来る。そのままバレエでも出来そうなくらいに脚も開くので、体力テストの柔軟性はいつでも満点だ。
 次は四股踏みの練習。ガニ股になり、上半身を傾け、高く足を掲げて地面を踏みしめる。下半身の力と柔軟性を高め、足腰を鍛えてちょっとやそっとでは転ばないようにするために、必須の練習だ。
 一人で行う練習故に、わざわざ遠くまで出かけなくとも可能なこの練習だが、これからは基礎練習も一人きりだと思うと何とも寂しい気分になる。何より寂しいのは相撲クラブに所属するにしても、相撲をきっぱりやめて柔道部などに転部するにしても、ここに来る頻度は減るであろうことだ。鹿島神社は、武神にして雷神、武御雷タケミカヅチを祀る神社。お参りに来るぐらいしか訪れる用事がなくなってしまうと、気軽に会えなくなる人物がいる……。
「お疲れ、三橋君」
「ああ、明日香。今日は自主練か?」
 気軽に会いたい人物というのがこの少女、明日香だ。
「そんなところ」
 物思いにふけりながら四股踏みを続けていると、この神社の宮司、信二さんの娘である本宮明日香もとみ やあすかが後ろから話しかけてきた。ミドルにまとめたポニーテールの彼女は美しい黒髪で、神社で何か祭事を行う際に着用する巫女服が良く似合う、純日本人と言った容姿である。
 彼女は裕也と同じ高校二年生。クラスは違うが同級生の二人であった。彼女は空手用の道着の下に紺色のTシャツを着ていて、着痩せしているから気付きにくいが、彼女の筋肉は女性とは思えないくらいに引き締まっている。
 この学校には空手部がないが、神社では週一で空手道場を開いている。指導は主に信二さんが行うが、明日香は女子生徒向けの師範代として指導することもあり、その引き締まった体は毎日の鍛錬の賜物だ。
「あれ、裕也君一人? 田中先輩はどうしたの?」
「あ、あぁ……ちょっとな、柔道部の方に顔を出すって。三年生の先輩が受験勉強で引退したろ? それで、俺と二人だけじゃモチベーションが上がらないとかで……」
「ふーん」
 明日香は、先輩がいないことは、そんなに重要な事ではないと思っているのか、あまり追及はしなかった。
「ところでさ、麦茶作っておいたから、喉乾いたら飲んでね」
 彼女は、部活の最中こんな調子で麦茶やウーロン茶。時には塩を効かせたおにぎりなどを運んでくる。いつも出してもらってばかりで悪いからとお金を払おうとしても、『神社に訪れてくれると神様が喜ぶから、そのお礼よ』と言ってお金を受け取ってはくれない。
「いつも悪いね、明日香」
「なに、いいって事よ」
「いつもの、神様が喜んでくれるから?」
 いつものような会話である。いつもなら、ここで明日香は『そうそう、神様が喜ぶから』というのだが、今日はなんだか様子が違う。
「あー、なんかね、神様のことなんだけれど……喜ぶとかの前に、ちょっと色々あってね……」
 と、明日香は恥ずかしげに苦笑する。
「どうした? まさか神様と話でもしたのか? なんか歯切れが悪いじゃないか」
 いきなりいつもと違う態度を取った彼女に、裕也は怪訝な表情で尋ねる。神様と話すことなんてあるわけないと思っていた裕也だが、どうも明日香の顔は少し変だ。
「いやね、ウチの神社って、鹿島神社って言って……武芸の神様であるタケミカヅチをメインで祀っているわけだけれど、さ?」
「うん、知ってる。だから弓道場や土俵があるんだろ? タケミカヅチは刀の神様で、おまけに相撲の始祖だ。なんか絵を見ると弓矢も持ってるし」
「ま、ウチの神社、他にもいろんな神様を奉ってはいるけれどさ……でも、タケミカヅチってかなりメジャーな神様だから、同じ神を祭る神社は、日本中に大小いくらでもあるのよね。六百はあるはず……だからね、タケミカヅチがうちに来ることも、滅多になくって……いつもは大体、鹿島神社の総本山である茨城県の鹿島神宮や、奈良県の春日大社みたいなメジャーな神社にいるんだって。ほら、あのアントラーズがあるところとか、奈良の大仏のすぐ近く」
「そりゃ初耳だな。なんだ? 何かその大きな神社から何か来るのか?」
「えーとね……そんなわけで、神様の代わりに『しんし』って言う……『神の使い』と書いて『神使』って言うんだけれど、その子達、二匹……二頭? いや、二はしらかな……まぁ、ともかく二柱が神様の代わりにウチの神社に常駐しているの。
 神様の言葉とかは彼らが聞いてくれるんだって。そして、神様に代わって私たちに言葉を届けてくれるの」
「へー……で、その神使さまは、俺がお参りに行くと喜んでいるのかい?」
 明日香の会話を聞いて、裕也は感心したように声を上げ尋ねる。
「うん、そうだよ」
「言いきったなお前。まるで直接聞いたかのように……おじいさんにでも聞いたのか?」
「うーん、まぁそんなところ。お年寄りの話はきちんと聞かないとね」
 そう言って笑顔を見せる明日香の顔はいつも通りで。いつもとは違った会話の流れに驚いてしまった裕也ではあるが、しかし神様が神使に変わったくらいで大した違いはないのだとわかり、安心して彼も笑みを見せた。
「あ……」
 唐突に明日香が声を上げる。
「どうした? 明日香……いや、邪魔しないほうがいいか」
 いったい何事だろうと裕也が思っていると、明日香はおもむろにスマートフォンを取り出して、それを耳に当てる。いきなり何かの電話なのだろうか? 気にする必要もないと思った裕也は、放っておいて四股踏みの続きでもしようと思ったのだが、どうもそうはいかない様子である。
「え、うそ……裕也君も?」
 明日香は何か驚いている。
「俺がどうかしたのか?」
「いや、確かに裕也君はその、強いけれどさ……」
「えー、俺が強いのが何か?」
 電話の相手との話は良くうかがい知れないがどうにも気まずそうな明日香の表情を見る限り、何か面倒事に巻き込まれているようである。
「分かった……」
 それでも話が付いたのだろうか、諦め半分なその表情には、裕也に対する申し訳なさも含まれているようだった。
「ねえ、裕也君。ちょっと私に付き合ってくれる?」
「いいけれど、それってこの姿で大丈夫?」
 と、言うのも今の裕也はまわし一丁の姿。それではあまり神社の外を歩きたくはない。神社の中の用事だとしても、土俵の外を回し一丁でうろつくのは少々辛い。
「あー……ジャージでも着て欲しいかな。本当はもっときっちりした格好の方が良さそうだけれど、相手は構わないだろうし」
 それに対する明日香の返答はこんなものだ。これでは何の要件なのだかわからないが、人と会う用事であるのは確かなようだ。
「分かったけれど、付き合うって、力仕事か何かか? この神社の用事だったら、お世話になってるし喜んで手伝うけれど……
「行けばわかるよ。神社の用事と言えばそうなんだけれど、ちょっと毛色が違うというかなんというか……」
 明日香の返答は要領を得ないものだった。結局のところ何をさせられるのか全く分からずに気にはなってしまうが、明日香の家にはいつも家の土俵を使わせてもらっている事はもちろん、明日香には返しきれないほどの恩があり、無碍に断るわけにはいかない。
「了解。じゃあとりあえず行くよ」
 説明をするのが面倒ならそれでいいかと、裕也はとりあえずジャージに着替えて、拝殿はいでんの前で待っていた明日香と合流する。
 拝殿とは参拝者が拝礼を行う場所であり、賽銭箱と鈴が置かれている。参拝客は、ここで神の前で手を合わせるというわけだ。
 明日香は裕也を見つけると、こっちに来てと手招きをして、拝殿の後ろ側にある本殿。神が祀られている場所へと招く。

 本殿は人を招き入れるような場所ではないため、180センチメートルを超える裕也は天井に頭が付いてしまいそうで、姿勢を低くしなければ中には入れない。内部には電灯などないため、灯は明日香が手にした蝋燭のみ。奥の方には小さなご神体が祭られており、古めかしい木の箱が安置されている。

 彼女はその箱を見ながら微笑んだ。よく手入れされているのか、その箱はいかにも古そうだが埃をかぶることもなく綺麗で、彼女はおもむろに箱を手に取ると、それを床に置いた。
「で、こんなところに連れて来て、いったいどうしろっていうんだよ? まさか世間話をするためじゃないだろう? エッチなことをするにも、声が漏れるぜ?」
「もちろん、世間話でもエッチなことでもないよ」
「だろうな。中学の時に俺の告白を断った癖に、エッチなことなんてするわけねーか」
「あぁ……それに関しては、本当にごめんとしか言えないよ……ごめんね、裕也君のことが嫌いなわけじゃないんだけれど……」
 言いながら明日香は箱を開ける。
「わかってる。だから今でも友達なんだし」
 言いながら裕也が箱の中身を覗いてみると、いつのものかもわからないような古びた角と毛皮がしまわれていた。
「この鹿の角と皮ね、何百年も前のものなんだって。すごいよね」
「中々すごいものがまつられているんだな、この神社。歴史は古いわけだもんな……」
「……そうね。本題を話す前に、少しこの御神体に触れて見てくれる? こんな風に」
 そう言って、明日香は箱の中にある御神体に、中指の指先でチョン取れる。訳も分からず裕也も同じ動作をすると、部屋の空気がふいに変わったような気配と共に、幽かに獣の匂いが漂ってきた。
「この匂い……どこから?」
 気付けば、感じるはずのない獣の匂いを感じる。ウサギ小屋のような匂いだ。その原因がどこにあるのかと鼻をひくつかせて周囲を探った。
『ようこそ。三橋裕也君』
 すると後ろからは凛々しい男性の声。ハッとして振り向くと、本殿の外には雄々しい鹿が座っている。信二さん(明日香の父親)がよく着ているような真っ白な狩衣を着た鹿。その後ろにも巫女服を着用した鹿の女性……? がいる。角が生えていないから女性のはずだが、雌というべきかどうか迷う姿だ。
 ハロウィンの季節はまだ先なはずだ。
「鹿……? え? 着ぐるみ……?」
「そう、鹿だよ……鹿島神社の神使はね、鹿なんだ」
「そういう問題じゃないだろ!? このでかい鹿は、いったいどこから……ってか、喋った? やっぱ着ぐるみ? いやでも、口が動いてるし……っていうか、なんで鹿が服着て二足歩行なんだよ!?」
 裕也は座ったまま牡鹿を見上げる。鹿はおとなしくて臆病な動物だし、発情期の興奮した時期でもなければ人間に危害を加えるような動物ではないから怖くはないが、それはサイズが小さいからこそだ。人よりも大きそうなこの鹿が相手だと、人間相手でも臆病な態度はとらないかもしれない。確か、アメリカのヘラジカは狂暴だと聞いたこともある。
 というか、よく見ればその鹿の角が天井にめり込んでいるし、足も床にめり込んでいる。現実にはありえない光景だ。
『混乱するのも無理はないな……まぁ、ゆっくりと話をしよう』
「大丈夫、裕也君。この方々は敵意なんて全くないから……人間の味方だよ」
 牡鹿と明日香に言われて、裕也はどうしたものかと迷ったが、確かに敵意のようなものは感じない。威嚇といった分かりやすい行動もしていないため、おそらくは明日香の言葉も真実だろう。
「で、えーと……その、人間の味方が一体どんな御用で?」
『それを話す前に、まずは自己紹介をしなければな。私の名前はシンシン。もう300年以上この世に残っている。死んではいるがな。バットや剣などを『振る』と書いて、繰り返しを意味する漢字をくっつけて振々しんしんだ』
 狩衣をした牡鹿は名乗り終えてから小さく頭を下げる。
『え、えっと……そして、ここ狭いから、外で待機しているんだけれど……私はココっていうの、よろしくね。『古い』って書いて、同じく繰り返しを意味する漢字……例えば木々とか、様々、みたいな熟語の後ろに付く漢字をあてて古々ここっていうの。よろしくね』
 同じく、名乗り終えた牝鹿は小さく礼をした。
「あー、そういえば、もう御神体を触ればここでの用は果たせているわけだし、窮屈な場所で話すよりも、外に行こうよ?」
 明日香が提案すると、振々と古々はそれもそうだなと顔を見合わせ、頷いた。
「よくわからないけれど、明日香が言うならそうしたほうがいいのかな……よくわからないけれど」
 裕也は、まったく事態が呑み込めず、もはや周囲の言葉に従うしかなかった。裕也は屈みながら外へ出ようとする。半透明に見えている鹿たちはやはり触れないようで、ぶつかると思っても全く抵抗なくすり抜けてしまう。牡鹿の振々の後ろの方にいた牝鹿、古々も同様で、触ろうとしても一切抵抗なくすり抜ける。
 そうして外に出て、明るい場所で二頭の鹿をみると、とてもでかい。修学旅行で見た奈良公園の鹿とは比べ物にならないほどに大きく、振々の肩の高さは裕也より拳一つ分大きく、古々は裕也と同じくらいの肩の高さだ。
 逞しいだけでなく美しさも見事なもので、つややかな毛皮は絨毯にすればさぞや高級品となるだろう。一行は神社にある青い四人用のベンチの上に一列に並ぶよう座って、改めて話の続きを行う時も、その大きさに圧倒されそうであった。
「というか……君たち何で喋るの? というか、でかいし、どこから来たの?」
『さっきも言ったろう、我らは『神の使い』と書いて神使しんしだ。ま、神に仕える妖怪の一種だな。お前がさっき触れた御神体は我らが生きていたころの体の一部でな……触れてもらうことで、こうして我らの姿を見ることが出来るようになるのだ。我らはこう見えて、何百年も生きて……生きて……生きている。ま、死んでるんだが』
 裕也に尋ねられた質問に答えようとする振々だが、自分が生きているとも死んでいるとも言えない状態であることに気付いて、どう自己紹介したものか迷っているようだ。
「いやもう、死んでても生きててもいいからさ、とりあえずどれくらいの年月過ごしてきたのさ?」
『……妖怪となってからは三百年ほど。神使になってからはそれより120年以上にはなるか……』
 自己紹介に手間取る振々を急かす裕也に、苦笑しながら振々は言う。
「そう、三百年か……長生きしていれば偉いというわけではないけれど、そりゃもう長くこの世にいたわけで……。で、そんなお方が、俺に何の用が……いや、私にどのような用件がおありでしょうか?」
 相手が鹿であっても、それだけ年上ならば敬意を払うべきだろうと裕也は口調が固くなる。敬語に慣れていないせいか慇懃無礼な感じになってしまっているのはご愛敬か。
『ふふ、そうかしこまらなくっていいのよ裕也君? 私達は皆のお爺ちゃんお婆ちゃんみたいなものなんだから。気軽に話せばいいのよ』
 でも、古々はそんな必要はないと微笑むのであった。
『かたっ苦しくなって、言葉が上手く伝わらないのでは困るからな。それにそもそも、あまり畏まられては私達が落ち着かん』
 長生きの神使と聞いて、自主的に丁寧な言葉を使おうとする裕也だが、振々と古々はその必要ないという。
「そう、か……なら、いつも通りに話すけれど、結局はどんな用で俺を呼んだんだ?」
 ともかく、言われるがままに口調を戻した裕也に、振々はうむ、と前置きをして口にする。
『信仰心を集めてほしい』
「それは、どういう意味で?」
 振々が告げる用事に、裕也は困った顔をする。
「っていうか、三橋君適応能力高いね。私は鹿が喋ってたらもっと驚いたのに……初めての時は本当、衝撃的過ぎて頭がおかしくなっちゃったかと思ったわ」
 そんな様子を明日香は苦笑しながら見ていて、自分の時はここまで冷静でいられなかった事を思い出す。
「確かに驚きだけれど、二人? とも敵意はないみたいだし、それなら焦る必要もないだろ? 騙そうとしている可能性は否定できないかもだけれど、今すぐ殺すつもりならこんな町中じゃなくもっと人気の少ないところに連れて行くだろ? 驚きは驚きだけれど、恐怖するのとは違うよ……恐怖ってのはもっとこう……少しでも相手の機嫌を損ねたら、どれだけ殴られるかわからない、みたいな? そういう状況をいうんだ。殴ってこない相手なんて怖くないよ」
 裕也はどこか達観した言葉で明日香に言う。
「なるほど、そういう考え方……確かにその通りなんだけれど、私はそこまで冷静になれなかったわ」
 納得は出来ても真似は出来そうにないと明日香は感じる。
『合理的な考え方だ。中々に冷静で気の強い奴だな、気に入ったぞ』
『そうでなくっちゃね。色々と面倒なことにも巻き込まれる可能性があるから、裕也君みたいに冷静で強い子はいい人材だわ』
 振々と古々も、裕也の態度をそう評して感心していた。
『さて、本題に戻ろう。まず、なぜ信仰心を集めなければいけないか? その理由だが、この街にもいよいよタケミカヅチ様が来訪なさることになったのだ』
「へー……タケミカヅチって、日本にいる神様の中でもかなりのお偉いさんだよな? この神社でも祀ってる。以前聞いた話じゃ、日本の中でも最上位の神様……武神にして雷神。刀と弓と相撲の神様……」
『うむ、その通り。日本でも最上位の神様。故に、それはもう盛大にお迎えしなければならぬ。しかし、だ……そのためには、普段から集めている信仰心をふるまってもてなす必要があるのだが……少し前までは世間では疫病が流行っており、町中には悪い気が漂っており、またこの神社への参拝者も少なくなっていた』
 振々はため息を漏らす。客が少ないということは、神使にとっても死活問題なのだろうか。
『信仰心を集めると言っても、実感がわかないかもしれないが、その……われらのような存在は、人の感情を糧に生きるのだ。例えば、天邪鬼というよう妖怪を知っているか?』
「えっと、人の恐怖を感じ取って、恐怖を与えるとかそういう妖怪だったような……で、人間が怖がれば怖がるほど力を増す? みたいな妖怪だったと思う……なんかのアニメで見たよ」
『そういうことだ。そういう妖怪は、人の恐怖の感情を食べて生きているから、人を恐怖させることで自身の食料を生み出している。タケミカヅチ様にとっては、信仰心がその食料というわけで……そういった存在は、自身を信仰させるために奇跡を起こす。病気を治したり、歩けなかった人間の足を治したり、海を割るものすらいる』
「それってだいたい、キリスト教関連だな……でも、なるほど。じゃあ、人を幸せにする妖怪……座敷わらしみたいなのは人の幸せな気持ちを食料とするとか?」
『理解が早くて助かる。妖怪や神によって好みが違うのだが、要は、私達は大事な客人のために、君に客人が好む食材を集めてほしいと言っているわけだ』
 振々はそう言って裕也に頭を下げる。
「大体わかった。でも、信仰心なんてどうやって集めればいいんだ?」
 振々の説明を聞いて裕也も納得して頷くが、新たな疑問もわいた。
「普通にお参りをして、神様に感謝してもらうのが一番の近道かしらね」
 明日香はそう言って、続ける。
「でも、私が生まれる前からずっとなんだけれど、この神社へのお客さんが昔より少ないのよね。そうなると、こう……祈祷とかお祓いのお仕事も減って、金銭的な面で辛いのはもちろんだけれど、信仰心が集まらないことも、神使にとって悩みの種だったらしいのよ。
 一応、今でも祈祷とかの他にお祭り関係の仕事とか色々あるけれど、それだけじゃ、お父さんもやっていけないから、神社の経営というよりは武道の教室開いてその月謝で生活している感じだし……。ともかく、金銭のことは今は置いておいて奥にしても、信仰心を集めるためにこの神社に来る人を増やしてほしいというのが第一目標ね」
 明日香は金銭事情も交えて愚痴を漏らす。聞かされる裕也はどう答えたものやらわからなくて眉をひそめながら苦笑する。
『そのために、裕也君の力も貸してほしいの。私たち、実体がないから、人間への直接的な干渉はごくわずかしかできないし……参拝客を増やすには、物理的な干渉が出来る貴方たちの力が必要だわ』
 古々は悩ましげな表情をする。
「……なるほど。確かに俺達にしかできないこともあるかもしれないけれど、その……だけれど、それをやって俺に何か得はあるのか? 俺、今自分の事で精一杯なものでさ」
『徳を積めるというところかな。得だけに』
『ねぇ振々、そのダジャレは寒いわ』
 振々の寒いセリフに、古々は呆れながらつぶやいた。
「そもそも徳って、仏教の言葉じゃねえのか……」
 裕也も呆れてため息をついている。それでは勧誘が失敗してしまうと思ったのか、振々は焦って説明を付け加えた。
『あとは、そうだな。タケミカヅチのご利益も与えられるぞ。君に優先的にそれを分け与えよう。武神のご利益ならば、相撲をとる君にも利益はあるはずだ』
 振々が告げる第二の利点に、裕也は眼の色を変えた。
「……へぇ。それは確かに魅力的だけれど。でも具体的な効果は分からんし。逆にだ、俺達が何もしなかったらどうなるんだ?」
『そうさな。もてなしが貧相ならばタケミカヅチが早々に帰ってしまうだろう。悪いことは起こらぬが……主に明日香が困る』
「この神社から御利益なくなっちゃうんだって。ますます参拝客が来なくなるね」
 明日香が苦笑する。
「今時、ご利益を本気で信じてる人とかいるのかね? まぁ、でも神社にご利益が一切ないってなったら確かに困るか」
 裕也が疑問を口にすると、古々は苦笑する。
『そうね、今時本気で信じている人がいないのが問題かもしれないわ……それでね、裕也君。タケミカヅチが気分を良くすれば、彼のご利益をあなたが受けることも出来るわ。あなたも、相撲という武道をたしなむ身。それは決して損な話ではないのでは? 私達も、できうる限りの神通力で貴方にお礼をするわ……貴方は今現在、相撲部の存続の関係で困っているでしょうし、何か手助けも出来ると思う』
 古々がそう言ってほほ笑むと、裕也もその言葉の意味するところや、出来うることを考える。
「ふむ……武道ねぇ……俺は別に、相撲で全国行くとか、横綱目指すとか、そういうガチ勢じゃないからな……」
 武神のご利益とやらがあれば、さぞや強くなれるのかもしれないが、生憎裕也はそこまで熱心に相撲を極めようというわけではなかった。それもあってか、古々達の言葉は強く響かない。
「ねぇ、三橋君……私の頼みでもダメかな? 貴方の時間を、私達のために使ってほしいの……」
 だが、明日香に頼まれてしまうと話は別だ。明日香は三橋の手を取り、慣れない上目づかいで誘惑しているつもりのようだ。高校生男子がその誘惑に耐えられるかと言えばもちろん耐えられないのだが、裕也にはそれ以上に彼女のお願いには逆らえないだけの恩もある。
「わかった……ってか、俺の告白を断ったくせに、妙な色仕掛けはやめろ」
 明日香から受けた恩を思えば、断れるはずもなく裕也は頷くのであった。
「まぁ、いいか。相撲部を存続させるためにどうしようかとか考えてたけれど、別に相撲部がそれほど好きなわけでも無いしね……どうしようかな……神社の参拝客を増やす、かぁ……ご利益次第かな。どんなご利益をくれるんだ? 明日香がこれだけ頼んでいるんだから、よっぽどいいご利益をくれるんだろうな? それに、神通力ってのも気になる」
『我らの神通力は……雷を発して敵を攻撃する魔法のようなものが使える……だが、まぁ……物質世界へ効果を及ぼすのは難しくてな。使えるのはマッサージの効果を上げるのが限界だな。あとは、発泡スチロールをめっちゃ体にくっつけたりとか。あと、懐中電灯くらいなら自力で灯せる。それが我らの能力だ。何か有事の際にはその能力で手助けしよう』
「マッサージはともかく発泡スチロールの能力はまるで要らねえな……すげぇっちゃすげぇけれど」
 振々の役に立たない使用例、裕也はそれを呆れで返す。
『あと、大きな地震の予知ができる』
「それ一番役に立つ情報じゃねえか!? それを最初に言え」
 そういえば、この鹿島神社に祀られているタケミカヅチは地震の原因となったナマズを退治したという伝説があることを、裕也は思い出す。止めるとまではいかなくとも、予知できるならこの日本にはこの上なく有益な能力だ。
『あとは、私は女性の性欲の刺激が出来て、子宝のご利益を生じさせることが出来る。古々は逆に男性の性欲の刺激をすることが出来るから、まぁ……高校生の君にはそれなりに重要な能力なのでは?』
『あのさ、振々? 高校生男子にそういう能力を明かしちゃだめよぉ? 高校生なんて一番性欲が強い時期なんだから、悪用されたらどうするの』
 思春期の男性には持たせてはいけない能力を明かす振々に、古々は小声で釘を刺す。
「へぇ、確かにそれはいいかもな。女を落としやすくなる」
 裕也そんなこともできるのかと感心した様子ではあったものの、それほど興味を占めることはないようであった。
「……まぁ、なんというか、ありがたい能力があるのは分かったよ。だけれど、具体的にどうすればいいのやら? 参拝客を増やすとか、なんか御朱印のデザインとか考えろと言われても無理だぞ?」
 裕也が首をかしげる。
「まぁ、参拝客を増やす方法は、私と一緒に考えていくしかないけれど……そうね、私のお勧めは人助けをしまくることかしら?」
 明日香は、裕也が求めている具体的な方法の例として、そう言った。裕也は「ふむ」と唸る。
「つまるところ、私たちで人助けをして、助けた人たちに参りに来るように頼んでみる……ただ、それだけのことなんだけれど。まぁ、これだと実質的なお金というか、我が家の経済状況はどうにもならないかもだけれど、参拝客だけでも増えればいいかなって。今は、神社の経営よりも信仰心を集めることが大事だし」
「……で、人助けはどういう風にやるんだ?」
『それなら、私は困った人を見つけるくらいのことならば楽勝よ? えっと、私たちは感情を食べるから、感情には敏感なの。怒ってる人、悲しんでいる人、焦っている人、困っている人……私達が食べる感情ではないけれど、そういう感情が、匂うというかなんというか、ちょっと説明しづらい感覚だけれど感じることが出来るの。
 強い感情を持っている人間を探すのなら、私達をこき使ってくれて構わないわ。トラブルに巡り合おうと思えば、私達が探してあげられる』
「肉を食べなくても肉の匂いはわかるし、草を食べなくとも草の匂いはわかるってことか」
『そういうこと。私達と協力して困っている人を探して、解決して参拝を促す。そんな感じでどうかしら?』
「ふむ……それならあれだな。とりあえずその作戦で行こう。だったらここにいても仕方ないし、ちょっと街をぶらついてみようか。困ってる人、見つかるかもしれない。どうせ一人じゃまともな部活動もできないしさぁ……古々さん、だっけ? 一緒に街に出てもらえるか?」
『いいわよ、もちろん』
「あはは……部員不足、深刻だね。相撲部はもう一人しかいないのかぁ……」
 裕也が放った愚痴に、明日香は苦笑する。今時、相撲部なんて不人気で淘汰される運命なのかもしれないが、誰かに言われたり自分で口に出してしまうと、裕也は気分が沈み込んでしまう。
「廃部寸前なのに人助けなんてやってたら、廃部待ったなしだよな。ま、そうなったら俺も柔道部にでも入るかなぁ……」
 裕也もまたそう言って現状を自嘲する。確かに、廃部寸前で部活動をまともに行えない状況と言う今、ご利益のために行動するというのも悪くないかもしれない。
「人助けなら私も付いていくよ。三橋君ひとりだと、なんかトラブル起こった時に大変でしょ?」
「お前のほうがトラブル起こしそうだけれどなぁ」
 明日香の言葉に裕也はそう苦笑する。なんせ、裕也が明日香に恩義を感じていることこそ、誰も想像しないような彼女の行動がきっかけだったのだから。
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