剣術女子、陰陽師の懐刀となる

涼月

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第二章 縁結び稲荷と神隠し

第18話 無数の手

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 朝一番の講義を終えて帰宅した一聖と共に、泡影との約束の場所へ向かう。
 
 玄関口で待っていた清瀬を見た瞬間、ふにゃりと糸目になって喜ぶ一聖。 
 爽やかな白藍しろあい色は、女性にしては背の高い清瀬に良く似合っていた。華やかな毬や鈴、牡丹の花が描かれた上品な絵柄。金糸が織り込まれた紗綾形さやがた模様の帯。どこからどう見ても、華族の奥様、大学教授夫人として恥ずかしくない装い。
 
 けれど次の瞬間、少し真剣な顔になり悩まし気なため息を吐いた。 
 
「紗綾形のまんじに藍の浄化作用、鈴の音に応えて神の御加護も受けられるはず。これなら大丈夫だと思いますが……」
「どうかなさいましたか? 旦那様」
「今日は様子を見に行くだけですからね。問題は起こらないと思いますが、これからはあやかしに関わる外出は男袴にしましょう」
「でも……華族の妻たる身、袴姿というのも……」
「でも、清瀬の身が大切ですからね。それに、男装の清瀬はなかなかの色男なので、他の男に言い寄られる心配が無いので安心です」

 清瀬の瞳を真っ直ぐに見つめて言い切った。

 ん? 何を言ってるんだ、こいつは?
 途中から思考が明後日の方向へいっているぞ。

「あ、でも、男性がいいという輩もいますね。うーん……」

 無駄な悩みに悶える一聖を冷ややかに見つつ、清瀬は顔を引き締めた。

 あんなことを言っているが……それだけ危ないということなのだろうな。
 まあ、男袴で歩けることは私としては願ったりかなったりだし、ありがたく礼を言っておこう。

 心配性な旦那様に素直に感謝の言葉を述べることにした。

「はい。ありがとうございます。お言葉に甘えて次からはそうさせていただきますね。旦那様」

 
 日本橋川沿いの河岸かしには白壁の土蔵が立ち並び、大型の荷船がいくつも係留している。行徳から運ばれてくる塩、銚子からの醤油や味噌などを荷揚げして、代わりに絹や紙、蝋燭などを送り出す。そうやって江戸から続く今も、東京の物資補給の最前線を担い続けている場所。その向かい側には、儀洋風建築の東京株式取引所が建てられて、新しい経済の形も生まれつつあった。
 
 『鎧の渡し』の替わりに架けられたばかりの『鎧橋』の上から、一聖がひょいと水面を見下ろせば、「華川の旦那」と言いいながら、身軽に木製の橋脚を登りやってきた泡影。続くのはこの情報を教えてくれた若い河童で、名を草流そうりゅうと言った。

 騒ぎになってないところを見ると、やはりみんなには視えないのだな。

 そんなことを考えながら清瀬も共に顔を出せば、泡影の目がスイっとこちらを捉えて見開かれた。

「これはこれは、べっぴんさんでいらっしゃる」
「昨夜も会っている清瀬だよ」

 なぜか一聖が自慢気に言う。

「へい。わかっておりやすよ。ただ、魅入られねえよう気を付けてくだせえよ」

 その言葉に、一聖がまた悩まし気な顔になる。

「うん。やっぱりそうだよね。清瀬はあちらで」
「旦那様、早くしないとおてんとうさまが陰ってしまいますよ」
「ああ、それはいけない」

 ぐだぐだ旦那にぴしゃりと言えば、「おお、流石!」と泡影が目を細めた。

「件の場所は、あの辺りです」

 そう言って指差すは橋よりも川下で川幅が一気に広くなり始めるところ。

「岸からだいぶ遠いですね」
「そうなんで。ちょっくら行って来ます」
「危険を侵させてしまい申し訳ない」
 いつもの調子を取り戻した一聖が頭を下げた。

「いえいえ、川の安全はあっし等にとっても大切なことですから」
「これを掲げていってください」
 
 一聖はジャケットの胸元から藁で作られた小さな人型人形を取り出すと泡影に手渡した。
「これで私の意識と繋げてください。結界を張りつつ行けば、お守り替わりにもなるはずですし」
「ありがてえ」

 そう言って藁人形を受け取ると、尻込みする草流を引っ張って泳ぎ去っていった。

 こんなに活気に満ちた河岸のど真ん中に、恐ろしい川底が存在しているなんて。早くなんとかしないと危険だな。

 事の重大さを感じて、清瀬の心もざわついてくる。

 私にできることはなんだろう?

 欄干にもたれて見送る一聖の顔が、いつになく緊張しているように見えた。意識を集中させているのだろう。眼差しの焦点がぼぅと遠くを見据えている。

 ふいっと水面に身を投げてしまいそうだ!

 急に不安になって、思わず一聖の手を取り握りしめた。一瞬、こちらを振り向いた一聖が嬉しそうに微笑む。

「ありがとう、清瀬。川の中は冷たくて……そのままでいてくださいね。清瀬の手は温かい」

 意識は泡影さんと一緒なのだな。

 体と意識が乖離した状態は、とても危うく思えてならなかった。

 いざとなったら、私が一聖殿を引き戻す! そうすれば、泡影も草流も無事なはず!

 泡影たちは直ぐに水面から姿を消していたが、先ほど指差した辺りには、いつのまにか渦が巻き始めていた。勢いはそれほどではないが、ゆるゆると広がるその輪は、かなりの力を秘めていそうだ。

 早く帰って来い!

 心の中で祈り続けた。


 清瀬には長く感じられた時間だったが、太陽の傾き具合は大して変わっていなかった。

「「ぷふぁ!」」

 泡影と草流が顔を出すと同時に、一聖の体からがくりと力が抜けた。慌てて支えれば、ちょっとやつれて青ざめた顔にどきりとする。

「旦那様!」
「大丈夫だよ、清瀬。清瀬のお陰で助かったよ」

 そう言って繋いだ手を目の前に掲げると、愛おし気に手の甲に口づけた。

「っつ!」

 首まで赤くなる清瀬。ぽかんと見上げる泡影と草流。

「泡影、草流、お疲れ様でした。二人とも無事で何よりでした」

 にこやかにそう言う一聖に、呆けていた泡影が真顔になった。

「旦那の結界が無かったら、危なかったですぜ」
「無理をさせてしまったね。すまなかった。でも、お陰で良く視えたよ。ありがとう」
「いやぁ、驚きやした。ゆらゆらと白い手が無数にあって。あれはあっし等とは様相が違う。妖怪じゃありませんぜ」

 泡影と草流が、思い出してぶるりと身を震わせた。

「ええ、その通りです。怨霊ですね。亡くなっている方ばかりでなく、生霊も。一つ一つは微かな思いなのですが、とにかく数が多くて危険です」
「怨霊! しかも生霊までとは」

 驚く清瀬に、頷いて見せる一聖。
 
「しかも、どうも女性の霊ばかりのようで」
「なぜ、あんなところに?」
「それなんですよね。不思議です」
「華川の旦那。どうです? できそうですか?」

 真剣な眼差しで泡影が問い掛けてくる。

「そうですね。成仏させるだけなら、なんとか出来ると思います」
「そいつは良かった。じゃあ、早速」

 言い掛けた泡影に、一聖が首を横に降った。

「すみません。一刻も早く対処しなければいけないとは分っているのですが、どうしても、詳しい経緯を知りたいのです。きっと彼女たちが訴えたい理由があるはずなので」

 その言葉に、思わず膝を打つ思いの清瀬。

 なるほど。怨霊になるほどの思いには、それなりの理由があるはず。しかも、たくさんの女性が同じ思いをしているということは、これからも被害者が増えるかもしれないのだ。その原因を突き止めて、新たな犠牲者を防がなければいけない。
 一聖殿はそう考えているのだな!

 旦那様が、急に頼もしく見えてきた清瀬だった。

 


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