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第一幕

絶望の花園

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先日のお披露目式からアリセナ国の王女様として正式に認められたレイには、少しずつ工務を任されるようになった。
それと引き換えかのようにレイは城内外での自由な行動も許されるようになったが、レイの気持ち未だ重かった。
今朝もゼロから聞いた話で、レイの気持ちを落ちこんだ。

「そうですか。王様達が北部の避暑地に行かれたと。」

実の両親ー王様と王妃様とのレイの距離は、お披露目式を終えても決して変わることがなかった。
二人に王女様として認められれば、せめて両親と食事の一回でも共にし話すことができるのではないかというレイの僅かな希望も破られたまま、二人はレイに何も言わずに避暑に向かってしまった。

「王様達は一体どのくらい北部の城にいらっしゃるのかしら?」
「二ヶ月ほどでしょうか?毎年の恒例でございます。」

アリセナ国は現在、クルート国との関係が極めて不安定で戦争に備える準備で、国民は疲弊している。
そんな現状を知ってか知らずか、北部の城で優雅に避暑する王族にレイは溜息をつかずにはいられなかった。

「これじゃあ、何も進まない。埒があかないわ。」

レイの心の大半を占めていた不安はまた大きくなり、焦りが募る一方であった。
レイが王城に来て一つの季節が過ぎたのに、養母を助けるどころか安否さえも聞くことができないのだ。
レイは想定以上の無力な自分に、ほとほと嫌気がさしていた。

「エヴリ王女様、頭を抱えているところすみません。本日、エヴリ王女に謁見したいという臣下がいらっしゃるのですが、お時間よろしいでしょうか?。」
「…え?どちらの方ですか?」
「アリセナ国の副宰相です。」
「分かりました。」

せめて王様が不在の間にできることがないかと思考を巡らせてたいたレイは、ゼロの問いかけに半ば上の空で聞いていた。


そして昼食が終わった頃、レイの下にゼロを始めとした数人の護衛を連れて副宰相は現れた。

「エヴリ王女様、お忙しいところお時間をいただき誠にありがとうございます。」

レイの前で跪く副宰相は華奢で背が高く、黒色の髪は日の光に反射していた。

「顔をあげてください。」

レイの一声で顔を上げた臣下の姿に、レイはついかけていたソファーから身を乗り出し見入ってしまった。

「私、アリセナ国の副宰相を務めておりますルーエンと申します。ここ数ヶ月、国内を巡察していたためエヴリ王女様にご挨拶が大変遅くなってしまいました。申し訳ありません。私の倅、不出来な息子が大変お世話になっています。」
「息子…?」

初耳だとレイは振り向き、いつもレイの側に仕えるゼロを見つめる。
ルーエンに息子は誰だと問うまでもなく、ゼロはルーエンと瓜二つの顔貌をしていた。

「…ゼロ、こちらに来て下さい。」
「エヴリ王女様申し訳ありません。なかなか言い出すことができなくて。」

ゼロは罰の悪そうな顔をして、ルーエンの隣で跪いた。
そしてよく考えてみれば、副宰相というカヌイに次ぐ王の重臣であろうルーエンの息子のセラが自分の側で仕えていた事実にレイは唖然としていた。

「エヴリ王女様、息子を仕えさせていただきありがとうございました。」
「いいえ、私こそゼロにはご迷惑ばかりおかけしています。」
「とんでもない。エヴリ王女様に仕えさせていただくことは、非常に光栄なことでございます。」

ルーエンはそう言ってゼロの頭を掴むと、親子共々床につくくらい深く頭を下げた。

「どうか顔を上げてください。」

謙虚で温厚な雰囲気を醸し出すルーエンにレイは快く受け入れ、笑顔で迎えた。

「エヴリ王女様、慣れない国の王城での暮らしは自由も少なく息苦しいこともお有りでしょう。今後も王女様らしく、無理せず過ごしてください。」
「ありがとうございます。ルーエン。」

ルーエンの言葉はレイの心の奥に響き、温かさが増した。

「ルーエンはしばらくはずっとこの城にいるのですか?」
「ええ。私はいつでも王女様のお味方をいたします。どうぞ頼ってくださいね。」

レイはお披露目式以降、以前とは手の平を返したように機嫌をとってくる臣下には清々することがほとんどだった。
しかしルーエンはどんなときもいつも側で守ってくれるゼロの父親だからか不思議と親しみを感じ、自然と信用性を感じた。

そんなレイが温かい気持ちを抱えながら顔を上げてルーエンの顔を覗くと、ルーエンは一筋の涙を流していた。

「どうしたんですか、ルーエン。」
「申し訳ありません。王女様と再会できたことが嬉しくて。」
「お父様、エヴリ王女様の前ですよ?」

ルーエンは跪いたまま大粒の涙を拭っており、そんな父親の姿にゼロは焦って、周りの臣下を外に出しルーエンの背中を摩った。
ルーエンが涙する意図は分からなかったが聞いてはいけないと感じ、レイは親子の姿を見守った。

そしてふとレイは、自分を育ててくれたナタリーのことを思い出した。
このようについ忘れてしまう瞬間があることに、レイは自分の不甲斐なさを嘆いた。
帰国して四ヶ月の時が過ぎても自分は一番大切な人のことを救うことはおろか、この運命に身を委ねてしまっている。

レイはルーエンの優しさに早速甘えるようで躊躇ったが、息を飲んで聞いた。

「ルーエン、一つ私にどうしても教えて欲しいことがあるんです。」
「何でしょうか、エヴリ王女様。」
「私を育てた母ナタリーが、アリセナ国でどうされているかご存知ですか?」

レイの言葉に、ルーエンとゼロは顔を見合わせ明らかに顔色が曇った。
それは当たり前の反応だった。
ナタリーの話は、王女様となったレイは絶対に聞いてはならないことであったのだ。

レイは自分の言葉の重要さを知りながらも、ソファーから立ち上がり二人の前で深く頭を下げた。

「…ルーエン。どうしても、どうしても教えて欲しいんです。お願いします。ナタリー…お母さんは私にとって本当に大切な人なのです。」

ルーエンはそんなレイを慌ててレイを宥めると、ソファーに座らせ、俯くレイを見つめながらしばらく三人の間に沈黙の時が流れた。

時間が過ぎていく中でレイは、これから自分を大切にしてくれるだろうルーエンを困らせたことに深く反省して返事を諦めたかけていた。
しかし頭を抱えていたルーエンだったが、小さな声でレイに話し始めた。

「ナタリーは、翌月に刑が執行されることが決まりました。」
「刑…の執行?それはまさか…。」
「はい。死刑でございます。」

ルーエンは自分の仕えるべき王様に背いた発言をしていることを自覚しており、まっすぐ見つめるレイとは視線を合わせずまるて独り言かのように言った。
レイは一番恐るべき真実を聞いた途端、目の前が真っ暗になった。
そしてレイは動悸のする胸に手を当てて、恐る恐るルーエンに聞いた。

「ルーエン。私がお母さんのためにできることはないでしょうか?せめてお母さんにもう一度会うことは…。」
「王女様、辛い心中をお察しいたします。本当に申し訳ありませんがこの件に関してだけは、王女様にご助力することはできません。」

ルーエンの声は震え、レイを親愛しながらもこれ以上助力できない自分の立場への葛藤がひしひしと伝わるようであった。

「エヴリ王女様…!!」

レイは押さえきれない衝動に駆られ、自室から出て走り去った。
たった二文字が頭の中からずっと消えず、無我夢中に走った先は城から裏庭にある花園だった。

溢れる感情を堪えながら目的地に到着すると、レイの両目からは大粒の涙が流れていた。
レイは両手で顔を覆い静かな花園の中心で蹲った。
そしてレイはとたんに嗚咽が止まらないほど泣いたが、咲き乱れる花の匂いが少し心を穏やかにした。 

「お母さん、本当にごめんなさい。私は願うばかりで、なんて無力な王女なんでしょうか。」

他国に捨てられたレイを育て懸命に愛してくれたナタリーは死刑を前にしてどんな心境でいるのかー、レイは想像しただけで胸がはち切れそうになった。
そして自分の存在を無視するかように接する実の両親を説得することもレイは叶わず、こうして泣いているだけの自分に腹が立った。


「…エヴリ王女様ですか?」
「誰ですか?」

ふと背後から優しく囁く若い男性の声がして、レイは身体を縮こめながら震える声で返した。
きっと側近のゼロが自分を追いかけていて、花園から離れた場所で人払いをしているのが予想できたため、この場にいる声の正体に警戒した。

「あの…見なかったことにして出て行ってもらえませんか。」

きっと先客で高貴な人間なのだろう、レイは無礼を言っているのは分かっていたがどうしてもここから今は離れたくなかった。
しかしレイは、その声の主の気配はゆっくりと近づいてくる音がした。
レイは涙を拭って恐る恐る振り向くと、すぐ目の前には思い焦がれるセラの顔があった。

「辛い時は一人で思う存分泣いてください。」

セラは跪いてハンカチを差し出すと、レイと目を合わさぬままレイの頭を少し撫でてすぐに花園を去って行った。

「セラ王子様。」

レイは場面でセラとまた再会したことに少し悲しみながら、セラのハンカチに顔を埋めた。


「お母さん、本当にごめんなさい。ごめんなさい。」

レイは声が枯れて発することが出来なくなるまでナタリーに謝罪し、一人涙を流し続けた。

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