たった一つの恋

hina

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初恋の罠

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明け方、裕向の胸に顔を埋める麗はなかなか眠れずにいた。
そして間も無く日の出が始まり、眩しい日の光に目を瞑るとやっと眠気が襲ってきた。
しかしその時、携帯のバイブレーション音が聞こえた。

目を開けてあたりを見渡すと、脇のサイドテーブルの上にある裕向の携帯から音が鳴っているようだった。
もちろん無視してそのまま眠りに着こうとするのだが、着信は何度もかかってくる。

しばらくして苛ついてしまっていた麗は起き上がりその携帯の画面を見た。
その相手は予想通りだった。
名前の語尾につけられたハートマークから裕向の妻だろうと思ったのだ。

麗はため息をつきながら、急用だったらと思い裕向の身体を揺すって起こした。

「さっきから何度も電話が鳴ってるんだけど。」
「んー?携帯貸して。」

裕向は怠そうに言うと、麗が渡した携帯の着信画面を確認すると電源を切った。
そして身体を起こした麗の両腕を抑えながら、ベッドに押し倒した。

「電話出なくてよかったの?」
「いいよ。大したことじゃないと思うから。そんなこと気にしなくていいから。」

裕向は誤魔化し何もなかったかのように、麗の首筋を一舐めし胸元に移動しようとしていた。
麗はその行為を優しく止めて、裕向と向き合った。

「奥さんだったんでしょ?」
「…あぁ。バレてたか。」

そう裕向は罰の悪そうに舌を出して言った。
裕向から解放された麗は、ベッドの下に脱ぎ散らかっていた下着を探し、着替え始めた。

「また会えないかな?来月の連休とかさ。」
「ごめん。もう会わない。」

裕向の誘いに迷わず拒絶した麗の気持ちに、躊躇いはなかった。
まるで自分が裕向を利用して捨てたようだ。
汚い欲望を尽くした夜を明け、裕向に対して感じていた未練はもう消えて無くなっていたのだ。

そしてそれは裕向にも気付かれていた。

「ワンナイトで満足したの?なんかムカつくんだけどそれ。」
「ごめん。私、帰るね。」

麗は裕向の誘惑に乗り、許されない関係が続いてしまう前にこの場から離れたかった。
しかし帰る支度を整えて帰ろうとした麗の腕を、起き上がった裕向は強く掴んだ。

「お前もお前の大嫌いな父親と一緒だな。知っているのに、俺と不倫したもんな。」

そう挑発してわざと麗を煽った裕向は、固まった麗を壁に押し両腕で逃げないように囲った。
そして抵抗する麗に強く力で抑えて、怒鳴り声で言った。

「世間知らずのお嬢様、お前も俺のこと可哀想だって思ってんだろ?なんだよ、昨日結婚式で会った金持ちの親戚だってみんな残されて落ちぶれた俺のことを可哀想だと言いながら内心は馬鹿にしやがって。妻だってその家族だってそうだよ。俺の境遇を哀れんで、そして自分が優位に立つように俺を支配して離さない。お前だってそうしたかったんだろ?」

裕向は家族崩壊してからの人生の鬱憤を、麗も絡めて巻き込むように吐き捨てた。
麗はそう言い終えてから震えて俯く裕向の腕の中から静かに離れ、囁くように言った。

「私はそんなつもりじゃなかったのに…。」

理由は違えど自分の欲望に忠実に従い、裕向の心を傷付けてしまったのには変わらなかった。
麗は溢れんばかりの涙を堪えて、その場から走り去った。

素直で妹思いの面倒身のよい裕向が大好きだった。
しかし過去に縛られ傷付けられ、堪えて自暴自棄になった裕向はもう自分の好きな人ではない。
ずっと忘れられなかったはずなのに、罪を拒絶して裕向の心の傷を救うことを選ばなかった自分の白々しさに反吐が出た。


麗は呆然としたまま、自宅に帰った。
自宅に入ると真っ先にシャワールームへ向かい、服を脱いで汚れた身体を洗った。
そしてバスルームを着てベッドの上に寝転んだ時、張り詰めていた糸が切れたかのように堪えていた涙が止まらなかった。

「こんなことになるなら、会いたくなかった…。」

麗は欲望に溺れて罪を犯してしまった昨晩の出来事を悔み、心が傷付きすっかり変わってしまった大好きな人の姿を思い出しては胸が締め付けられた。
そして子供のように声を出して泣いていると、だんだん息をするのが苦しくなっていた。

「どうしよう…、苦しい。助けて。」

手足も震えだし視界もぼやける中、麗はバッグから携帯を取り出した。
惨めで汚い自分でも命は惜しいと思ってしまう。

そして救いを求める相手は、自分がそばにいることを許してくれる相手ー静流だった。

「麗?どうしたの?」
「ごめん…なんか息苦しくて…。」
「え?もしかして…泣いた後とか?」
「そう…。」

頻回に呼吸をして答える麗に、医者の卵の静流は冷静に症状を過呼吸だと判断し対処方法を伝えた。
麗は羽織っていたバスタオルの袖に口を当て、深呼吸をすると身体が楽になってきた。

「ありがとう…。」
「今から家に行ってもいいよな?すぐ行くから待ってて。」

麗が返事をする間も無く、静流から電話が切られた。
胸に携帯を抱きながら、深呼吸をする麗は深い安堵感を感じていた。
そして30分も経たずして自宅のチャイムが鳴り、静流が麗の部屋に駆けつけてくれた。

「静流…!」

呼吸を荒くし慌てて来たのだろう静流の姿に、麗は思い切り抱きついた。
そして静流はその頭を優しく撫で、抱擁を交わした。

「もう体調は良くなった?」
「うん。本当にありがとう。」
「…何かあったの?」

静流の問いに、麗は彼の胸の中で俯いた。
過呼吸を起こすくらい取り乱すほど泣いてバスローブ姿の自分を取り繕う理由も見つからなかった。

「ずっと忘れられなかった人に会ったの。」
「そっか…。」

麗はそれだけを話すとまた涙が溢れ出て、静流の胸の中で静かに泣いた。
静流も深く問い詰めず、胸の中にいる麗が落ち着くまでそのまま頭を優しく撫でていた。

そして思う存分涙を流した麗は、静流の暖かい温もりにそのまま眠りについてしまった。
まるで初めて過ごした夜を思い出した静流は、麗をベッドに上に移してその寝顔を見つめていた。

麗の頬に流れて落ちた涙の筋に触れると、囁いた。

「もっと側にいて麗を守りたい。そろそろ俺のものにしてもいいかな。麗。」

そして優しく微笑むと、静流は静かに部屋を出て行った。
静流が出て行ったドアの後を聞いて、目を開けた麗は母を紅らめて触れられていた頬を手で包み込む。

「私も…好きだよ。静流。」

それは昨晩麗が裕向に抱かれる前から薄々と自覚してきており、誤魔化してきた静流の想いだった。
それが最悪の夜を明けて未練が晴れたことで、素直に口に出すことができた。

しかしまだその静流への気持ちを自分で素直に受け入れられることができでも、彼に伝える自信はなかった。
静流が自分を大切に想っていることはずっと知っていた。
その想いに誠実に答えることを静流に信じてもらえる日まで、麗はそうは遠くないだろうと幸福感を抱いて目を閉じた。
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