夏夜と死の怪談会

サトウ・レン

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鈴木翔平

殺せ、と彼の声がする 後編

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 死んだと名乗る男に連れられて、俺は電車に乗り、降りたところはS君の住所の最寄り駅だった。はじめて来る場所だ。なんで断らなかったのか、って。同じ場面に遭遇してみたら、佐藤さんも分かるさ。断れるような雰囲気なんて欠片もなかった。はっきり言って、Oさんに詰め寄られた時より怖かったよ。死ぬかもしれない恐怖じゃなくて、いま自分がどこか分からない世界に放り込まれてしまったかのような恐怖だ。

 マンションの前で彼が立ち止まって、
 ここに僕の住んでいる部屋があるんだ、ってS君が言った。S君の実家は同じ県内にあるけれど、もっと田舎のほうにあって、そこから離れてひとりで暮らしてるんだ。あぁ全然言ってなかったけど、一応S君は大学生なんだよ。と言っても、ほとんど大学には行ってない、って聞いた記憶がある。本人からじゃなくて、誰だったか同僚を通して。それこそ確か、Rさんだったかな。

 働きながら、絵を描いてる、ってのは知ってた。それが画家みたいなことなのか、それとも漫画家なのか、全然別の何かなのか、その辺りは全然知らないんだけど。たぶん俺が直接聞いたとしても、俺と彼の関係じゃ絶対に教えてはくれなかったと思うし、俺のほうも知りたいなんて気持ちはなかった。正直こんな夢を持ってた、なんてこともいま話しながら、思い出したくらいだし。

 死ななかったら、夢を叶えていたのだろうか。S君は。才能、どのくらいあったんだろうな、彼は。
 外観からして、良いマンションだった。
 こんな薄汚れた、幽霊の出るアパートとは、大違いだ。

 彼は、彼の部屋へと俺を連れて行き、玄関のドアを指して、開けてよ、と言った。いままでのS君からは考えられないくらいの、ぞっとするような冷たい口調だったよ。これまでの俺たちの関係を考えると、いつも俺に怯えたような態度を取っていた彼に、いまは俺が怯えていた。

 鍵は掛かっていなかった。
 部屋の中には死体があった。

 想像通り、S君の。
 じゃあ、俺と一緒にいたS君は誰か、って?

 もう分かってるんだろ。その質問は認めたくないから、とりあえずしているだけで。気持ちは分かるが、どれだけ目を逸らしても、答えは変わらない。

 そうこの時が、俺と幽霊のS君の最初の接触だ。

 首を吊っていたそれは明らかに自殺と分かるもので、俺ははじめて見る生々しさに思わず吐きそうになったのを覚えている。だけど吐きはしなかった。吐いて周りを汚してしまえば、俺自身の痕跡をここに残してしまう、と本能的に悟ったからかもしれない。

 鈴木さん、僕は誘拐されたんだ。

 S君はそう言って、笑った。まるで自分事を話しているようには思えない、言い方だった。そこから彼は淡々と、自分が死に至るまでの経緯を話してくれたよ。数時間前、S君は仕事の帰り道、いきなり背後からひとりの男に襲われて、車に乗れ、と言われたらしい。で、乗っていたのがOさんと、Oさんがよく一緒に行動する元暴走族の男だ。ふたりから見知らぬ山のほうのプレハブに連れて行かれ、軽く小突かれたり、脅されたりしながら、この日までにお金を持ってこい、って命令されたらしい。

 さっきも言ったが、S君の実家、って裕福で、さらに言うならお祖父さんは地元の名士みたいなひとなんだ。下調べもしていたらしくて、もし期限までに持って来なかったら、家族にも危害を加える、って脅し方までしてたようで、な。あくまでS君がそう感じただけで、そこまで細かい下調べもしてないだろう。地元の名士云々は、俺がした話だったかもしれないな。
額も桁違いで、俺の時よりも本格的だ。大金を手に入れるチャンス、って思ったのかもしれない。

 で、散々脅されて、警察にチクったらどうなるか、なんていうチープな言葉まで添えて、S君を家に帰したんだって。こういう紋切り型の脅し、って特に慣れていない人間からしたら効くんだよ。

 家に帰った後、俺に脅されたことからはじまって、またこんな脅しにあって、それがいつまで続くか分からない恐怖に彼は、突発的に死のう、と思ったそうだ。死ぬくらいなら警察に行けば、って思うだろ。俺もそう思う。だけど理性的な判断ができない状態だからこそ、突発的、なんだ。人間、死ぬ時は、あまりにも簡単に死を選ぶ。ここにいるみんななら、共感してくれると思うが。

 S君は人生への憎しみを書き連ねた紙を抱えて、俺やOさんを呪いながら、死んだ。
 それだけ話して、幽霊の彼は消えてしまった。
 俺は慌てて死体から紙を奪い取り、部屋から逃げ出した。

 彼の死体は管理人さんに発見されて、葬儀があって……、それ以降、俺はS君の霊には会わないまま、これで終わりだ、とほっとしていたんだ。でもそんな俺のところに、あいつはまた現れたわけだ。「殺せ、殺せ」なんて言いながら。

 まぁ、というわけで、最初に話した電車での幽霊の件に戻っていくわけだ。
 四日目、五日目、ってなっても変わらずS君は俺の前に現れて、以前みたいに俺に饒舌に語るわけでも、危害を加えるわけでも、ただただ同じ言葉を繰り返すだけなんだ。殺せ、殺せ、って。

 死ね、じゃなくて、殺せ、なんだな。

 不気味だよな。許してくれ、怖い、許してくれ。そんな感情に囚われる中で、S君が何を求めているのか、ようやく分かるようになってきた。

 殺せ。
 Oさんを殺せ、それがお前の償える唯一の方法だ、って。
 そう俺に伝えたいんじゃないか、って。
 そして一週間が経った、きょうだ。

 別にこの日を狙ったわけじゃない。Oさんから、朝、いきなり連絡があったんだ。ふたりで会えないか、って。やけに怯えたよう弱々しい声で、実際に会ってみると、俺が何をしなくても、勝手に死にそうな顔をしていたよ。なんか心なしかやつれて、青白い顔をしていたよ。放っておけば勝手に死んでいきそうな雰囲気だった。

 それで分かった。
 Oさんのもとにも、S君が現れているんだって。

 そして気付いた。
 Oさんにも、殺せ、殺せ、って言ってるんだろうな、って。

 こんな状況でもあったから、神原さんにはこの集まりを中止か、場所を変えて俺抜きでやってもらおうかな、とも思ったが、別にこんな部屋、勝手に使わせても問題ないかな、って。神原さんに鍵を貸して、俺はこっちの問題を終わらせることにしたんだ。不用心なのはもちろん分かるが、いま生きるか死ぬかの状況にいる俺には、些末なことだよ。どうせ部屋には盗むような高価な物もなければ、見られて困るような何かもない。

 Oさんが運転する車の助手席に座って。でも、あまり怖い、って感じはなかった。

 いままでのOさんとだったら、もし殺し合いをしたとして、そこに生き残る自分は想像さえできなかったはずだ。だけどその時の俺は逆に、殺される自分のほうが想像できなかった。どれだけ喧嘩が強くても、幽霊は殴ったりできないからな。Oさんは元々そういうのには弱いタイプだったのかもしれない。

 運転しながら、Oさんが言った。

「なぁ最近、お前の同僚だった男に会うんだ」
「幽霊ですか」
「……あぁ」恥ずかしさを隠してもしょうがない、と思ったんだろう。Oさんが頷いた。「関係あるのか分からないが、その後すぐに友達が事故で死んだ」

「関係あるでしょ。一緒にS君を脅してた友達ですよね」
「なんで知ってる」
 Oさんが驚いた顔をした。

「S君の霊が、俺に教えてくれました」
「お前のところにも来てたのか」
「まぁ原因は俺にもあるんでしょうからね」
「……事故で死ぬ直前、俺のところに友達から電話があった。『助けてくれ。俺は殺されるかもしれない』ってな。きっとあいつのところにも来てたんだろ。なぁ俺はこれからどうなるんだ」
「知りませんよ、そんなの。自業自得ですね」
 そう言った。俺も自業自得だな、っていう内心の思いは隠して、な。怒るかな、って思ったが、そんな余裕もない雰囲気だった。

 Oさんが何も言わないから、俺は言葉を続けることにした。

「助かる方法、知りたいですか?」
「あるのか」
 藁にもすがりたい、という気持ちを隠そうともしない表情でOさんは言ったよ。

「とりあえず誰にも聞かれず、ゆっくりと話せる場所がいいので、そのS君を脅した、っていうプレハブまで連れて行ってください」
「なんで、プレハブのことまで」
「だからS君から聞いた、って言ってるじゃないですか。そこってひとは結構出入りするんですか」
「友達の親父さんが色々と遊ぶ時に使っていたものを、死んだ後に友達が引き継いだものだから、もういま出入りする中で生き残っているひとは俺しかいないよ」
「鍵は」
「友達が持ってたが。小屋にもひとつスペアを隠してある」
「じゃあちょうど良かった。行きましょう」

 明らかに俺がイニシアティブを取れている、っていう関係の中で、いままで偉そうにふんぞり返っていたOさんと話すのは楽しかったな。優越感に浸れる、っていうかね。正直もうすこし続けたいな、って気持ちはあったけど、まぁそんなことして反撃でもされたら困るので、このくらいにとどめてはおいたよ。

 プレハブに着いてドアを開けて中に入った瞬間、俺は事前に忍ばせていたナイフでOさんの背中を刺して、引き抜いて、刺して、を繰り返した。Oさんは抵抗する余裕もなく、絶命した。本当、呆気ないよな。ひとの死ぬ時、って。

 死体は山中に隠すように捨てたよ。本当はもうちょっと計画的にやったほうがいいんだろうが、あの時の俺にはそんな時間的な余裕もなかった。

 神原さんに遅れる、って電話を掛けたのも、その時だったかな。

 戻ってこれる保証もなかったから。人生ではじめての運転が、あんな険しい道になるとは思わなかったよ。無免許で運転する俺も馬鹿だ、とは思うが、もう馬鹿なことをやっている時点で、ひとつ無謀な行為が増えたところで何も変わらない。

 意外と運転はスムーズにいったよ。まぁひとの運転しているところは結構見ていたからな。見様見真似で、なんとかなるもんさ。

 Oさんの住む場所近くまで来たところで、俺は同級生で、Oさんの彼女で、まぁ今回の元凶と言えなくもないあの子を電話で呼んで、車を取りに来てもらったんだ。車だけ残して行方不明になった、って言って。もちろん言葉を鵜呑みにしている表情じゃなかったけど、ただ彼女だってOさんが厄介事に巻き込まれそうな人間、ってのは分かっているだろうし、自ら進んで関わろうとはしないだろう。

 Oさんが死んでからは、まだS君の幽霊に会っていない。こんな短時間の話だから、今後出てくる可能性はじゅうぶんにあるけどな。

 もしもまた出てくる、としたら、あと望むものは俺の死だけだろう。その時はまぁ諦めようかな。もう俺も、これからまともな人生を送れるとも思っていない。

 ……あぁ、そうだよ。

 俺もついさっき、人殺しになった人間だ。
 どうする?

 警察にでも連絡するか?

 別に良いけど、屑みたいな人間だぞ。あいつは。しかもよく知りもしない相手だ。そんな相手へのくだらない善意のために、殺人者から恨みを買われるかもしれない行動なんて取るのか。それはやめたほうが利口だ。しかも俺が嘘をついていて、死体が見つかるかも分からないのに。ただただ恨みを買うだけの行為を、お前はするのか。

 ははっ。そう、そのくらいの態度が賢明だよ。
 今後も生きていきたいだろ、お互いに。
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