【完結】女医ですが、論文と引きかえに漫画の監修をしたら、年下大学生に胃袋をつかまれていました

文字の大きさ
上 下
27 / 63

寒空の下ですが、不整脈が出ました

しおりを挟む


「なんとか年越し前に終わった」


 医局に戻った私は仕事終了のメールを黒鷺に送信した。

 こんな時間になって、怒ってるかな? それとも、呆れてるかな? でも、春馬の両親の顔を思い出したら、後悔はない。


 遅すぎって迎えを拒否されたら、コンビニで蕎麦を買ってタクシーで自分のアパートに……と考えていると返事がきた。


「今から迎えに行く、だけ? 文句の一つでもあるかと思ったのに。でも、怒ってなさそう」


 少し安堵した私はドアを開けようとして、ふと足を止めた。


「あれ? 今のひょっとして」


 今、通りすぎた蒼井の机の上に、見覚えのある漫画があった……気がする。私が知ってる漫画なんて、一つしかないけど。

 ドアの前で振り返る。そこに、背後から何かがぶつかってきた。


「キャッ」


 私の軽い叫び声とともに鞄が床に落ちる。化粧ポーチやら財布やらが床に散らばった。


「いたた……」

「悪い、大丈夫か?」


 倒れた私に蒼井が手を伸ばす。


「大丈夫……だと思う」


 私は蒼井の手を取って起き上がった。目の前には、見知った白い布。


「あれ? 白衣を着てるってことは、まだ仕事?」

「このまま当直」


 蒼井がすっごく不機嫌な顔で、床に散らばった私の荷物を拾う。年越しに当直なんて、不機嫌になるわよね。


「私は去年、当直したから。今年はよろしく」

「彼女無しで、一人寂しい正月を過ごすぐらいなら、って林先生と代わったんだ。けど、こんなに忙しいなら、止めておけばよかった」

「まあ、まあ。明日の朝食は一応、おせち料理だから。ちょっと、いつもと違うわよ」


 病院で正月を迎える患者のために、少しだけ正月っぽい食事になる。食事制限の人もいるため、完全におせちとは言えないけど。


「はい、はい。小児科でなにかあったら、遠慮なく連絡するぞ」

「どうぞ。あ、ありがとう」


 蒼井が拾い集めてくれた荷物を鞄に入れる。顔をあげると、蒼井が私を見ていた。


「なに?」

「確かに化粧が変わったな」

「突然、どうしたの?」

「看護師たちが、ゆずり先生がクリスマスぐらいから変わったって騒いでるから」

「だから柚鈴ゆりだって。確かに、それぐらいから化粧を変えたわ。さすが形成外科医。よく気が付いたわね」

「それだけか?」


 他に思い当たることがなくて首を傾げる。


「雰囲気も変わったって評判だぞ」

「雰囲気?」


 考えようとして時間がないことを思い出した。


「ごめん、急いでるから」

「はい、はい。とっとと帰れよ。あ、まだ落ちてたぞ」


 蒼井が床から拾い上げて私に見せた。


「…………イヤリング?」


 涙型のパープルピンクの石が付いた、可愛らしいイヤリング。


「それ、私のじゃないわ」

「じゃあ、他の誰かの落とし物か?」

「そうじゃない?」

「でも、医局にこんなイヤリングを使うヤツ、いるか?」

「休み明けに聞いてみたら、いいんじゃない? じゃ、お疲れ様」


 私は駆け足で医局を後にした。漫画について確認することを、すっかり忘れて。





 職員用の通用口から外へ。冷めた空気が吹きつける。


「さ、さむっ!」


 肩をすくめると、バイクに軽く腰かけ、夜空を見上げている黒鷺の姿が目に入った。

 首もとまでボタンを止めたフードデットコート。防寒対策もバッチリなうえに、長身の体型を引き立てるデザイン。足元はスリムスキニーデニムに、スニーカーというラフな組み合わせ。

 ヘルメットを片手に、ぼんやりと星を眺めている。吐く息は紫煙のよう。どこか影がある雰囲気。
 いつもみたいに、カッコいいんだけど……


 ――――――――なんか、いつもと違う?


 胸がキュンとなる。


(え!? キュンってなに!? 不整脈!?)


 手首に指を当てて脈を測る。不整脈なら心電図かホルダーをしないと正確な診断はできないけど……うん、リズム不整はなさそう。

 私に気づいた黒鷺がこちらを向く。


「お疲れ様です」


 そう言った黒鷺の顔は、普段通り。

 そうよね。黒鷺は大学生で、まだまだ子ども。さっきのは見間違い。疲れているのよ。

 私は脈を測っていた手を離した。


「ごめんね。緊急手術が入って」

「それは大変でしたね」


 あっさりと言われ、私は驚いた。


「怒らないの?」

「怒る?」

「遅すぎとか、約束を優先しろ、とか」


 こういう時、婚活で会った人たちは文句を言ってきた。二度と会わなかったけど、仕事を否定されたみたいで、悔しかった。

 嫌な記憶に気分が沈む。俯いていると、頭に何かが触れた。


「よく頑張りました」

「へっ!? ふぇっ!?」


 驚いて顔を上げると、黒鷺に頭を撫でられていた。


「な、なんで!?」


 外灯の下で黒鷺が微笑む。


「遅すぎとか、約束とか言う人のことは、気にしなくていいですよ。ゆずりん先生は一生懸命、仕事をしているんですから」


 外灯の下で黒鷺が微笑む。

 夜の帳が空気を変える。心の中まで見透かされているみたい。

 弾んだ胸を押さえ、慌てて訂正する。


「だ、だから私の名前は柚鈴ゆりだって!」

「はい、はい。ほら、乗ってください。父さんと姉さんが待ってますので」

「……うん」


 私は渡されたヘルメットを被った。まだ頭を撫でられた感覚が残ってる。


(頭を撫でられたのって、いつ以来だろう……両親が生きてた頃かな)


 バイクに跨がり黒鷺の腰に手を回す。背中から伝わる温もりが、こそばゆい。


「黒鷺君って婚活で会った人たちとは、なんか違うなぁ」

「なにか?」

「ううん。なんでもない」


 私の声はバイクのエンジン音に溶けた。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...