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黒鷺にですが、怒られました
しおりを挟む金縛りにあったように固まった黒鷺が突然叫んだ。
「なんで、今の話の流れで、そうなるんですか!?」
黒鷺の予想外の反応に私は慌てた。
「だ、だって、迷惑かけてばっかりだし……」
「迷惑ではないです!」
「気をつかわしてるし」
「つかってないです!」
「でも……」
口ごもる私に黒鷺が言葉を強くする。
「ほかに行く当てがあるんですか?」
「うっ……」
「あの蒼井とかいう男のところに行くなら、ここにいてください」
「どうして?」
そういえば、蒼井も家に来たらいいって声をかけてくれたなぁ。すっかり忘れていたけど。
黒鷺が困ったように顔を逸らす。
「……とにかく、ここにいてください」
「けど……」
「これ以上、心配かけないでください」
思わぬ言葉に私は目が丸くなった。
「心配?」
「はい」
「……心配、してくれていたの?」
「心配していなかったら、父さんの白衣を着て医局まで行きません。海外からの研修医のフリをして、英語と片言の日本語で、半ば無理やり警備を突破したのに」
そういえば、会議室に入ってきた時は息が上がって、白衣も乱れて……あそこまで焦った姿は見たことがなかった。
(私のために、そこまで)
じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。恥ずかしいような、こそばゆい気持ち。
そういえば、リクが家族って言ってたし……家族や姉弟って、こんな感じなのかな。そうか、弟に心配されるって、こんな感じなのか。
「そう、ね。ありがとう」
「……なに笑っているんですか?」
「私にも心配してくれる人がいたんだ、と思って」
心細い時は、いつもテレビの雑音で誤魔化していた。それが当たり前になっていたし、そうやって、乗り越えてきた。
それが、誰かと一緒にいるだけで、こんなに落ち着くなんて。
ハーブティーのおかげか体から力が抜け、リラックスする。
ソファーに体を預けていると、空のカップを黒鷺に取られた。
「眠れそうですか?」
「んー。まだ眠くないから、ここでテレビ見てる」
変な緊張は取れたけど、眠気はない。昼からずっと寝ていたし。
私の答えに黒鷺が頷く。
「わかりました」
黒鷺がカップをキッチンに置くと、リビングから出て行った。パタンと閉まったドアの音が耳にこびりつく。
(あれ? なんか、急に部屋が暗く……?)
電気もテレビも付いたまま。なのに、リビングが暗くなったように感じる。
私はぽてんとソファーに転がった。
黒鷺が座っていたところが、ほんのり温かい。それが、余計に虚しい。
「どうしたんだろう……」
急に部屋の温度が下がった気がする。そんなことないのに。でも、なんとなく寒くて、暗くて、重いものに覆われる。
「ダメよ」
私は逃げるように、頭から毛布を被った。
テレビの音が微かに聞こえるけど、安心できない。足を曲げて体を小さくする。腕が痛む。
(大丈夫。私は大丈夫。これぐらい、なんでもない。なんでもない)
「寒いですか?」
突然、目の前が明るくなった。蛍光灯の光とともに黒鷺の顔が目に入る。
「傷が痛みます? それとも、また熱が?」
私は呆然とした。
(これは、一人になりたくない私の願望? それとも、幻? 声をかけたら、消えたりする?)
毛布の隙間から覗き込んでいる黒鷺に、私は恐る恐る訊ねた。
「どうして、リビングに? 自分の部屋に戻ったんじゃ……」
「気分転換に、ここで漫画の作業をしようと思いまして」
黒鷺がノートパソコンとペンと板をコタツの上に置いた。目の前には大きな背中。少し手を伸ばせば触れられる。その距離に安堵する。
でも、心配事もある。
「それで漫画が描けるの?」
「今は下描きですので、これでも描けます。細かい作業になったら自室のパソコンでないと無理ですけど」
「すごいのね」
黒鷺が振り返る。
座っているから視線の高さが同じだ。いつも見下ろされることが多いから、ちょっと不思議な感じ。
「な、なに?」
「僕のことは気にせずに、眠くなったら寝ていてください」
「でも……あ、テレビ消そうか?」
「ついていても問題ありません」
「そっか」
(もしかして、私が一人にならないように、わざわざノートパソコンを持ってきてくれた?)
黒鷺の優しさに、ほんのり心が温かくなる。気持ちも軽い。腕の痛みも軽くなっている。
――――――でも、迷惑をかけてる。
(やっぱり、謝らないと……)
私は口を動かそうとしたが、黒鷺はすでに漫画の作業を始めていた。
休憩の時に言おう。
そう考えて、黒鷺の背中を眺める。でも、カモミールティーが効いてきたのか、人がいる安心感か、心地よい微睡に瞼が重くなってきた。
(さっきまで眠くなかったのに……起きていないと……それで、謝らな、いと……)
私はいつの間にか眠りについていた。
※※
……なんか甘い匂いがする。
私が目を開けると、コタツにノートパソコンだけがあった。窓からは明るい陽射し。冬晴れの青空が広がっている。
「寝ちゃった!?」
慌てて体を起こし、キッチンに目を向ける。すると、黒鷺が料理をしていた。
部屋着のスエットから、Ⅴネックの長袖シャツに綿のストレートパンツに着替えている。スエットのようなラフな格好も良かったのに。
ぐぅ。
声をかける前にお腹が鳴った。気が付いた黒鷺が顔を上げて笑う。
「おはようございます」
「……おはよう」
恥ずかしくてソファーに沈む。
「フレンチトーストを作りましたが、食べますか?」
「食べる!」
「紅茶と珈琲、どちらがいいですか?」
「珈琲……に、ミルクたっぷりで」
私の答えに黒鷺が笑う。だって、珈琲だけだと苦いんだもん。
「わかりました、カフェオレにします。テーブルで食べれそうですか?」
「うん、ありがとう」
起き上がった私は、いそいそと移動して椅子に座った。
そこには……
黄金色に輝く焦げ目がついた食パン。その隣には、ほかほかのカフェオレ。朝から、こんな贅沢なご飯が食べられるなんて幸せ。
「いっただっきまーす」
「どうぞ」
フレンチトーストは中まで液が染み込み、しっとりと柔らかい。甘すぎず、バターの塩気もプラスされて美味しい。カフェオレも程よい甘さ。
いくらでも食べられそうなのに、一切れ食べたら満足してしまった。いつもなら二切れぐらい余裕で食べるのに。
物悲しく皿を見つめていると、黒鷺が気付いた。
「まだ食べます?」
「ううん、お腹いっぱい。ただ、いつもなら、もっと食べられるのになぁ、と思って」
「まだ本調子ではないんですから。そう思って、少なめにしておきましたし」
「うん……」
黒鷺が食器を片付ける。私は慌てて立ち上がった。
「片付けぐらいするから」
「いいから。怪我人は休んでください」
「でも、迷惑かけてばっかりで悪いし。黒鷺君、漫画の作業で忙しい時期でしょ? なのに、昨日の夜だって……」
「はぁ……」
俯く私に盛大なため息がのしかかる。そうだよね。やっぱり迷惑だったよね。
「ごめんね。やっぱり自分のアパートにかえ……」
言い終る前に、光速で黒鷺の腕が私に伸びた。
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