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初めてですが、バイクに乗りました
しおりを挟む「え? えぇ? えぇぇぇぇ?」
私はパニックのまま、周囲を見まわした。
ベッドと机と本棚がある、六畳ほどのシンプルな部屋。窓には薄いピンクのカーテン、ベッドのシーツも薄いピンク色。どことなく女性の部屋って感じ。
そのことに、なんとなく安心した私はベッドから下りた。服は私の物ではないTシャツとジャージのズボン。
女性物でサイズはピッタリ……って、私いつ着替えた!?
「ま、待って。昨日、どうしたっけ? えっと……」
頭を抱えて必死に記憶を遡ろうとするが、頭痛が邪魔をする。私が一人で唸っていると、ドアが開いた。
「起きてます? そろそろ時間が……あ、起きてましたか」
「黒鷺君!」
水色と紺のレイヤードカットソーに、涼しげな白のストレートパンツ。イケメンは朝から爽やかなのね……って、そうじゃない!
「ここは黒鷺君の家!?」
「そうですけど……覚えていないんですか?」
「いや、あの……」
恥ずかしくなり顔を背ける。お酒にのまれて覚えてない、なんて言えない。
黒鷺が呆れた声で昨日のことを話した。
「イタリア料理を食べた後、運動するって、父さんとビリヤードやダーツをして、散々盛り上がったのを忘れたんですか? しかも、帰ろうってなった時、気持ち悪いって僕の服に……」
「あー!」
私は慌てて黒鷺の口を塞いだ。
思い出した! 思い出しました!
黒鷺が黙ったところで、私は速やかに正座をして頭を下げた。いわゆる土下座。
「多大なご迷惑をおかけしました」
「まったくですよ。一人で歩けないぐらい酔っぱらって、会話は成立しないし。家の場所も分からなかったので、とりあえずウチに連れてきたんです」
「重ね重ね、申し訳ございませんでした」
額を床につけると、深いため息が降ってきた。
「汚れた服を自分で着替えたから、覚えていると思ったのですが、ここまで綺麗に忘れているとは……」
「本当に申し訳ございません」
お酒、怖い。オサケ、コワイ。
酒は飲んでものまれるなって、名言だったのね。しばらく控えよう。
反省していると、黒鷺が質問をした。
「で、今日は仕事ですか?」
「あ! 今、何時!?」
慌てて顔を上げた私に、黒鷺が無言でスマホの時間を見せる。
「そんな時間!? 今から家に帰って……ここからだとバスで……でも、ルートが遠回り! あー、間に合わない!」
「とりあえず、リビングに来てください」
「でも、仕事が……」
「これ以上、僕の手を煩わせるつもりですか?」
あ、青筋が立ってる。美形の怒り顔は迫力が増して怖い。
観念した私は移動した。
リビングのドアを開けると、出汁の匂いが鼻をくすぐった。二日酔い気味なのに、食欲が刺激される。あ、でもやっぱり頭は痛い。
先に朝ご飯を食べていたリクが手を上げる。
「ボンジョルノ!」
「お、おはようございます」
朝から元気なリク。
濃いめのピンクのポロシャツにベージュのチノパン。って、またピンクの服! でも、似合ってるのよね。ただ、二日酔いの目には刺激が強いけど。
「よく寝れましたカ?」
「はい。昨日はご迷惑をおかけしました」
私が頭を下げると、リクは明るく笑った。
「ノー、ノー。問題ないです。しっかり遊ぶことは必要です」
「はい……」
遊んだというより、醜態を晒しまくっただけな気がするんだけど……と、落ち込んでいると、黒鷺が漆器のお椀を持ってきた。
ふんわりと漂う味噌の香り。ぷかぷかと浮かぶ色鮮やかなネギ。白い豆腐がちょこんと顔を出す。
「これぐらいなら、食べられますか?」
「大丈夫! いただきます!」
手を合わせた私はお味噌汁を一口飲んだ。
あぁ、味噌の優しい味が染み渡る。この、しょっぱさが丁度いい。しかも、具が豆腐だから、抵抗なくツルンと喉を滑り落ちる。
「この前も思ったけど、黒鷺君は料理上手よね」
「普通です」
そう言いながらも、ちょっと口元が緩んでいる。やっぱり料理を誉められると嬉しいのね。
「アマネは、とっても料理上手です。でも、ドルチェを作るのは苦手です」
「ドルチェって、デザートですよね? デザート作りが苦手って、意外」
私が驚いていると、黒鷺が睨みながら訊ねた。
「家はどこですか?」
「えっと……」
私は素直に住所を教えた。ここからだと職場を挟んだ反対側。直線なら近いけど、ここから私の家までは直通の交通機関がない。遠回りで、しかも乗り換えが必要。
このまま職場に行こうかなぁ。と考えながら、お味噌汁を飲み干す。
もっと食べたいけど、二日酔い気味だから、ここで我慢。
「ご馳走様でした」
合掌して頭を下げた私の前に、黒鷺がバイクのヘルメットを置く。
「なに?」
「家まで送りますよ」
「いいの?」
こんなに迷惑をかけたのに、家まで送ってくれるなんて、実はすっごくいい人!?
感動しかけた私に黒鷺が口角だけを上げる。
「漫画の監修は一回で終わりじゃありませんから。貸しは作れる時にしっかり作っておきます」
「一瞬でも、すっごくいい人と思った私の気持ちを返して」
「人は打算で動くものです。それとも送らないほうがいいですか?」
私は迷わず頭を下げた。
「ぜひお願いします」
プライド? 仕事に遅刻をすることと比べたら塵です。それより気になったのは。
「バイク持ってるの?」
「バイトを頑張って買ったんですよネ」
「父さん」
余計なことは言うな、と黒鷺がリクを睨む。
あー、カッコつけたい年頃だもんね。バイトとか裏の努力を知られたくないのね。で、そこをあえて晒す父。うん、仲が良い。
私が頷いていると、黒鷺が歩き出した。
「時間がないんでしょう?」
「そうだった」
「いってらっしゃい」
リクにかけられた言葉に私の足が止まる。こうして朝、誰かに見送られるのは何年ぶりだろう。
懐かしい気持ちと共に、笑顔で振り返る。
「いってきます」
笑顔で手を振るリクに見送られ、私は駆け出した。
私が玄関先で待っていると、黒鷺が裏からバイクを押してきた。
「ほぇ……カッコいい」
バイクの種類はよく知らないけど、シュッとしてて、運転する時は前傾姿勢になるタイプだ。
黒鷺がヘルメットを被りながら訊ねる。
「バイクに乗ったことは?」
「ないわ」
黒鷺が私の全身を見る。
「な、なに?」
「運動神経は良い方ですか? それとも、悪い方?」
「ふ、普通だと思う」
五十メートル走のタイムとか、持久走のタイムとかはクラスの平均だった。
球技とか道具を使うのは……あ、二日酔いで頭痛が。
「……」
「なに、その間は! 悪い方じゃないはずよ!」
「いえ。昨日のビリヤードや、ダーツの様子を思い出すと……」
「あれは酔っていたから! お酒のせいよ!」
「はい、はい。とりあえず、乗ってください」
ヘルメットを被った私は止まっているバイクに跨った。少しフラついたが問題ない。
「どう?」
「いや、それぐらいでドヤ顔しないでください。動かしますよ」
黒鷺がバイクを起こしてストッパーを外す。その動きに体が傾いた。
「ヒャッ」
「バイクの動きに体を振られないでください。重心を低くして」
「そ、そんなこと言われても」
戸惑う私を無視して黒鷺がバイクに跨る。
「僕の腰に手をまわして。しっかり掴まってください」
「え? いや、でも……」
「僕に体重をかけてください。下手に体重を振られると、そっちに引っ張られて、最悪の場合は転倒しますので」
「でも、私、重いし……」
黒鷺がヘルメット越しに睨んでくる。表情は見えないのに気迫が怖い。
「自分の病院に救急車で運ばれても、いいんですか?」
「それは困ります」
私はおとなしく黒鷺の腰に手をまわした。自然と上半身が密着する。ダイレクトに黒鷺の体温を感じる。
ちょっと、これ恥ずかしいかも。
「あの、やっぱり……」
「いきますよ」
「キャッ」
私の叫び声を残してバイクは発進した。
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