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ケリーマ王国

それは、記憶を失くしたクリスの一歩でした

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 クリスはルドの顔を見ながら口を動かそうとして、静かに深緑の瞳を伏せた。ふわふわといい気分だったのに、何かが凍っていく。
 現実に引き戻されていくのを感じながら、ポツポツと話し始めた。

「あの……みなさんは、私にとても良くしてくださってます……目が覚めて、右も左も分からなかった私に優しく、いろいろ教えてくれて……私も知らないことばかりで、楽しかったんです。世界がキラキラ輝いてみえてました。ですが……」

 肩の布を握る手に自然と力が入る。

「でも、みなさんの視線が……私を見ていないんです。私なんですが、私ではなくて……たぶん記憶を失くす前の、私を見ているんです」
「そのようなことは……」

 言いかけてルドは王城内に入った時のことを思い出した。自分が差し出した手をクリスが無視した理由は、これか?
 ルドが考えていると、クリスは首を横に振った。

「いいんです。それが悪いとか、良いとか、そういうわけではないんです。たぶんですが……記憶が戻っても、私は消えないと思います。性格は……違うかもしれませんが、でも記憶として残ると思うんです」

 ルドが何も言えず黙る。

「残ると分かっていても……寂しいんです。可笑しいですよね。私は、ちゃんといるのに」

 そう言って顔を上げたクリスは今にも泣きそうな顔をしていた。

「みなさんがいるから、居場所があるから、今を楽しめているのも分かっているんです。もし一人だったなら、こんなに安心できる場所でなかったら……ずっと不安で、おどおどしていたと思います。世界は輝いてなかったし、暗くて怖くて動けなかった。だから」

 泣きそうな顔で無理やり笑う。

「しっかり楽しもうと思うんです」

 悔いがないように。

 クリスは最後の言葉は口にしなかった。そこまで言ったらルドを困らせてしまう。今だってかなり困らせている。それは顔を見れば分かる。

 クリスの前でルドが両手をきつく握りしめて悩む。安心させたい。でも大丈夫というのは違う気がする。
 考えた末にルドはどうにか言葉を絞り出した。

「自分に……手伝えることがあれば言ってください」
「はい。ありがとうございます」

 その言葉だけで十分。私は幸せ。

 クリスは感情を抱き締めて微笑む。その顔は月の光を浴びて儚く煌めいていた。


 王城内の離れの建物に宿泊したクリスは、まだ眠たいと訴える体を無理やり起こした。早朝だが、昨日宣言したように日々を楽しむためには、眠気なんかに負けていられない。

 根性でベッドから出たクリスは素早く普段着に着替え、金髪を一つにまとめて帽子の中に入れ、部屋を出た。

 陽は出ているが、朝なのでまだ涼しい。どこからか吹いてくる乾いた風を頬に受け、クリスはコソコソと廊下を進む。

「ルドさんは、毎朝鍛練をしていると言っていましたから……」

 なんとなく人に見つかるのが気恥ずかしかったクリスは人目を避けて目的の庭に到着した。
 そのまま近くにあった柱の影から、そっと庭を覗く。そこには模造刀で素振りをするルドがいた。
 その姿を確認すると同時にクリスが柱に身を隠す。

「うー、胸がうるさいです」

 ルドの姿だけで心臓が跳ねる。とても自分ではコントロールできそうにない。胸を押さえて、ひたすらドキドキが収まるのを待つ。

「大丈夫、大丈夫……」

 大きく息を吐きながら、ひたすら自分に言い聞かせる。ようやく胸が落ち着いてきたところで、決心したように顔を上げた。

「よし!」

 クリスが大股で歩きながらルドに声をかける。

「おっはようございまぁーす!」

 クリスの大きな声に朝の鍛錬をしていたルドが驚きながら動きを止めた。

「おはようございます。こんなに早く起きるなんて、珍しいですね」

 笑顔でクリスを見るその顔には汗が輝く。そのカッコよさに、一晩かけて考えた会話の内容は綺麗さっぱり頭から吹き飛んだ。
 頭の中が真っ白になったクリスは気がつくと目的だけを言っていた。

「一緒に街を観光しましょう!」
「え?」

 突然の提案にルドが再び驚いた顔になる。クリスはしまったと思いながらも慌てて捕捉説明をした。

「あ、あの! 昨日、言ってくれたじゃないですか! 手伝えることは手伝うって」
「そうですね。楽しむために街を散策するのは悪くないです。では、朝食をいただいたら出かけましょう」

 クリスは浮き上がる気持ちを押さえながら言った。

「二人で行きますからね!」

 言った! 恥ずかしい!

 クリスはルドの返事を待たずに駆け出した。

「わかりました。二人で……って、え!?」

 ルドが聞き返そうとした時には、クリスは建物の中に戻っていた。困ったルドが一人で思案する。

「異国の街で二人きり……まあ、いいか。治安は悪くなさそうだし、自分一人の護衛でも問題ないだろう」

 クリスが柱の影からルドを見ると、赤髪をガシガシかきながら鍛練を再開していた。

「よし!」

 クリスは両手を強く握ると、軽い足取りで部屋に戻り、しばらくして……

「あー、遅くなってしまいました!」

 クリスが叫びながら廊下を走る。
 こうなった原因は、着る服をベレンに相談したことだった。そこから捕まってアレコレされ、気が付いた時には、かなりの時間が過ぎていた。

 クリスが城の入り口に到着すると、ルドの姿が目に飛び込んだ。ケリーマ王国伝統の白い衣装は赤い髪がよく映える。

 思わず見惚れそうになり、クリスは頭を振った。遅刻した恥ずかしさを誤魔化すために、わざと大きな声を出す。

「お待たせしましたぁー!」
「師しょ……」

 振り返ったルドはクリスの姿を見て固まる。その様子にクリスは一気に不安になった。

「あ、あの……変、ですか?」
「い、いえ! そんなことないのですが、なにかいつもと違うような……ですが、どこが違うのかと聞かれたら、説明できなくて……」

 慌てて否定したルドは呆然としながらもクリスを観察した。

 金色の睫毛がいつもよりクルンと上を向き、深緑の瞳が輝いて見える。白い肌の頬がほんのりとピンクに色づき、唇は熟れた果実のように瑞々しくも可愛らしい紅色をしている。
 淡いオレンジ色の布を巻きつけた服は、上半身の体型を綺麗に魅せており、肩は出ているが二の腕から先は袖がある。

 クリスは指先が少しだけ出ている裾で頬を隠しながら訊ねた。

「どう、でしょうか?」

 クリスの上目遣いに血が上るのを感じながら、ルドが平静を装う。

「いいでしっ、い、いえ! いいです! 似合ってます!」

 全然平静を装えていなかったが、クリスは気にした様子なく、嬉しそうにその場で一回転した。

「よかったです」

 クリスの動きに合わせ、腰から下の何重にも重なった白いレースの布がスカートのように広がる。頭の上の方で纏めている髪も揺れ、普段は髪と服で隠れている首筋から背中がはっきりと見えた。
 ルドにジッと見つめられたクリスは恥ずかしそうに話す。

「あの……ベレンさんが、お化粧をしてくださったのです」
「化しょ……う?」

 クリスには一生縁がないというか、クリスに結びつかない単語にルドが固まる。だが、クリスは上目遣いのまま、お伺いをたてるように訊ねた。

「似合わない……ですか?」

 ピンクの頬が赤く恥じらった色になる。体を小さくしてモジモジとしながらも、心配そうな、でも、どこか期待がこもった視線。

 これは、どこからどう見ても花も恥じらう乙女。

 ルドが様々な衝撃に頭を連続で殴られながらも、どうにか声を出す。

「似合って、ますよ」
「よかったです」

 クリスが明るく花が咲いたように笑う。

「いきましょう!」

 ルドの服の裾を掴んだクリスは走り出した。




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