【完結】秀才の男装治療師が女性恐怖症のわんこ弟子に溺愛されるまで

狙われたシェットランド領

休息の終了〜ルド視点〜

　ルドは清々しい気分で目を開けた。

「夢……なのに、現実みたいな感触だったな。魔宝石の中にあった師匠の魔力を通じて、師匠の心の奥底に繋がったのかもしれない」

　体を起こすと窓から陽が差し込み、ルドの腹が盛大に鳴った。

「昼頃か？」

　腹の空き具合から時間を予想したルドは、ベッドから立ち上がった。少しふらついたが歩けないほどではない。それよりも空腹のほうが強い。
　食べ物を求めて食堂に入ると、ミレナが笑顔で出迎えた。

「おはよう。よく眠っていたね」
「おはようございます。突然で申し訳ないのですが、なにか食べるものはありませんか？」
「あるよ。あれだけの魔力を消費したから、お腹も空いているだろう？　すぐに準備するから座って待ってて」

　ミレナがキッチンに下がる。そこに慌てたような足音が迫ってきた。

「起きたのか！」

　いつも冷静なクリスが息を切らしている。ルドは驚いて椅子から立ち上がった。

「なにかありましたか！？」
「あ、いや……」

　クリスがルドの顔を見て動きを止める。そこに食事を持ってきたミレナが説明をした。

「クリスティはずっと心配していたんだよ。君が丸一日起きなかったから」
「い、いや。心配なんかしてないぞ！」

　慌てて否定するクリスにミレナが訳知り顔で微笑む。

「そう？　部屋の前を何度も往復して、覗いていたのに？」
「そ、それはっ……い、犬があまりにも、ずっと寝ているから、だからっ」

　クリスが頬を赤くしながら早口で言い訳をする。ミレナはクスリと笑ってテーブルに朝食を置いた。パンとサラダと肉の塊を煮込んだスープ。匂いが空腹をますます刺激する。

「はい、はい。さあ、しっかり食べて。まだ、まだあるよ」
「ありがとうございます」

　ルドは勢いよく食べ始めた。クリスがその様子を見ながら少し離れた席に座る。

「肉を中心にしっかり食えよ」
「はい！」

　ルドはすごい勢いで食べた。ミレナが次々と料理を出すが、すぐ皿が空になる。
　その食べっぷりにクリスは安堵した。

「それだけ食べられるなら大丈夫だな」

　ルドは口いっぱいに放り込んでいた食べ物を水で流し込んだ。

「なにか言いましたか？」
「いや、なんでもない」

　顔を背けるクリスにミレナが微笑む。

「クリスティはね、ずっと不安だったんだよ。魔力を使い過ぎて、このまま眠り続けるんじゃないか、起きても食事がとれずに衰弱するんじゃないか、って」
「よ、余計なことは言わなくていい！　私は部屋に戻る。何かあったら呼べ」

　食堂から出て行くクリスに、ルドは立ちあがって頭をさげた。

「心配をおかけして、すみません！」
「そう思うなら、二度とこんな無理はするな」

　クリスが大きな音をたててドアを閉める。ルドはガックリと項垂れると力なく椅子に腰を下ろした。

「……怒らせてしまった」

　落ち込むルドにミレナが笑いかける。

「あれは怒ってないよ」
「え？　ですが……」
「あれは照れ隠し。思っていることを素直に言えないだけだから」
「そう……なのですか？」

　疑うルドにミレナが大きく頷く。

「あの子は、あんな感じだから分かりにくいけど、基本は優しい子なんだ。自分の気持ちを顔に出さないようにしているから、余計に誤解されるけどね」

　ミレナの言葉を噛みしめるようにルドが頷く。

「それは……分かります」
「なら良かった。あの子には君が必要だから、今まで通り側にいてあげて」
「ですが、迷惑をかけてばかりですし、先ほども……」
「だから、あれは照れ隠しなんだって。君が起きて内心では、ほっとしてるし、喜んでいるんだから」
「そう……ですか？」

　訝しむルドを安心させるようにミレナが頷く。

「そうだよ。クリスを育てた私が言っているんだから、間違いない」
「……はぁ」
「あの子が心を開く人は、とても貴重なんだ。君はその貴重な人の一人。だから自信を持って側にいたらいい」
「……わかりました」

　頷いたルドにミレナが優しく微笑む。

「クリスティを頼むよ」

　窓からの太陽光が後光のようにミレナに降り注ぐ。その姿は、まるで聖母が降臨したかのようだった。（注・ミレナは男）

※※

　二日後。
　日常生活に問題がない程度にルドが回復した頃、セルシティから連絡があった。

「明日、オークニーに到着するだと！？」

　食堂にクリスの声が響いた。その声に一緒に食事をしていたルドやオグウェノ、ベレンの手が止まる。
　カリストが平然と説明をした。

「はい。それで明後日には城で報告をしたい、とのことでした」
「……どうやって、この短時間で帝都からオークニーに移動したんだ？　準備や警備を考えたら十日はかかるのに」
「あの騒ぎの後、帝都には帰らず、直接オークニーへ移動していたようです」
「それにしても早すぎだろ。いや、ほとんど休まずに移動すれば可能か。仕方ない。今日中にオークニーに戻るぞ」

　食事をしていたオグウェノが手をあげる。

「オレも行く！」
「おまえはいい加減、ケリーマ王国に帰れ！」
「学問都市を見てみたい」
「見なくていい！」

　次にベレンが手をあげる。

「私も行きますわ」

　思わぬ展開にクリスが突っ込む。

「なぜ！？」
「コンスタンティヌスお兄様とクラウディウスお兄様は私に甘いところがございます。私がいれば、あまり強いことは言わないと思います」
「本音は？」
「野次馬をしてみたいです」
「誰だ！　こいつに野次馬なんて言葉を教えたのは！？」

　クリスが怒鳴る。カイがパンを口に放り込みながら言った。

「誰も教えてないぞ。姫さんが図書室で自分で本を読んで知ったんだ」
「そうなのか？」

　オグウェノが同意する。

「最近はずっと図書室とやらに籠っていろんな本を読んでいるぞ」
「本を読むなんて、はしたないことですが、いろいろと興味深いことが多くて、つい読んでしまいました」

　どこか恥ずかしそうに話すベレンを見ながらクリスが唸る。

「確かに、この国では女が本を読むのは、はしたないと言われているが、本を読んで知識を得ることはいいことだ」
「ただ、図書室にあるのは専門書ばっかりなんだよな。初心者が読むような初期本はクリスティがオークニーに持って行ったからなぁ」

　カイに痛いところを突かれたクリスが黙る。そこにベレンが水色の瞳をキラキラさせて、クリスにおねだりをした。

「もっと、いろいろな本を読んでみたいですわ」
「……わかった。私の屋敷にある本を読んだらいい」
「ありがとうございます」
「食事を終えたら荷物をまとめろ」

　そこでルドは恐る恐る手をあげた。

「あの……セスナに乗るのですか？」
「あれは、しょっちゅう使えるモノではない。今回だって特例で使ったからな」
「報告書の山と引き換えにな」

　カイが遠くを眺める。クリスが不機嫌そうな顔で言った。

「ちゃんと、手伝っただろ。今回は途中までクルマだ」

　ルドの肩が跳ねる。オグウェノが嬉しそうに訊ねた。

「クルマとは何だ？」
「空は飛ばないが、馬より速く走る乗り物だ」
「馬より速い！？　それは楽しみだ！　だが、なぜ途中までなんだ？」
「シェットランド領内でしか走れないからな。中継地点に迎えの馬車を呼んでおく」
「そういうことか」

　納得するオグウェノに対してルドが静かに俯く。その姿にクリスが苦笑いをした。

「なかなか慣れないな」
「……慣れるように頑張ります」

　ないはずの犬耳がペタンとなり、尻尾が力なく垂れている幻が見える。クリスは撫でたくなった手をこらえた。

「と、とにかく準備が出来たら帰るぞ。早くしないとオークニーに着く前に日が暮れるからな」

　こうしてオークニーへ戻ることが決まった。