【完結】秀才の男装治療師が女性恐怖症のわんこ弟子に溺愛されるまで

二人の意識の変化

老人による意地悪な自己紹介（伝説の金獅子登場）

「クリスティー！　久しぶりだな！」

　カスッカスッの大声とともに、ドカドカと大股で老人が入ってきた。長い白髪を一つにまとめ、顔に深いシワがあるが、体からは覇気が溢れる。
　老人が深緑の瞳を細めて両手を広げ、無有を言わさずクリスを抱きしめた。

「ちゃんと食べているか？　体は壊していないか？　お前はすぐに無理をするからな」
「大丈夫だ。ちゃんとしている」

　クリスは安心させるように老人の背中をポンポンと叩く。老人が体を離して笑顔でクリスを見た。

「そうか！　で、ひ孫はまだか？」

　その言葉にクリスは無言で頭を抱える。そんなクリスを気にすることなく老人が話を続けた。

「家族はいいぞ！　子どもはもっといい！」
「子どもなら、そこにいる」

　指さした先にキョトンとした顔で老人を見ている子ども。

「おっ！　こいつが新入りか。ほら、食え」

　剣士と若い女性が止める前に老人が子どもの口に白色と橙色の玉を放り込んだ。

「な、なにを口に入れた！？」
「飴玉だ。甘いだろ？」

　抜刀しそうな剣士に老人が笑う。剣士が子どもを見ると、嬉しそうに舐めていた。
　クリスはため息混じりに訂正する。

「正確には飴でなく薬だ。砂糖で甘くしているが、その子どもが不足している栄養を補う」
「不足している栄養？」

　若い女性が心配そうに子どもを見る。

「さっきも説明したが、足が少し変形しているだろ？　それは骨を作る栄養と、日光不足で骨が育つ成分が体内で作られなかったからだ。このまま不足が続けば、他の骨も変形する。それを防ぐため、不足した栄養が入った薬を食べさせた」

　クリスの説明に老人が大きく頷く。

「オレの領地は日光が弱いし、陽が出ている時間も短いからな。どうしても骨が弱くなりやすい。だから、領地に住んでいる子どもたち全員に食べさせている」
「オレの領地？　師匠の領地では？」
「今は領主の座をクリスティに譲ったから、オレは先代……って、師匠？」

　クリスは思わず頭を抱えたが、老人の視線からは逃れられず、仕方なく説明した。

「治療院研究所の制度で今は教育係をしている」
「それで師匠か！　さすがだな！」

　満足そうな老人にクリスは苦い表情のまま話を戻す。

「それで、今回はこの三人を客人として迎えたい」
「おう！　衣食住の準備は指示してきた。今頃、ミレナが部屋を掃除して温めているぞ」
「専属の治療医師も付けたい」
「それも指名してきた」
「なら、あとは行くだけだな」

　クリスは頷いて若い女性と剣士を見た。

「急がせるようで悪いが、こちらもそろそろ時間がない。荷物はそれで全部か？」
「はい」
「すぐ行けるな」
「あ、あの、その前に……」
「どうした？」

　女性が剣士の顔に視線を向ける。

「顔を洗ってからでも、よろしいでしょうか？」
「やはり何かついているのですか！？」

　自分の顔を触る剣士を老人がマジマジと見る。これだけ顔を近づけても笑いの一つも出ないのは、逆に凄い。

「なんだ。趣味でやっているのじゃないのか」
「趣味！？　どうなっているんですか？　鏡！　鏡はありませんか！？」

　慌てふためく剣士にカリストがそっと鏡を差し出す。
　鏡で自分の顔を確認した剣士が即、自分の服で顔を拭いた。だが化粧は一切崩れない。

「なんで落ちないんだ！？」
「魔力が込められた特殊な化粧ですから。拭くぐらいでは落ちません」
「どうやったら落ちるんだ！？」

　剣士がカリストに迫る。化粧を施す前であれば、青年剣士と麗しい執事でそこそこ絵になった。
　しかし、今はどう見てもオカマが執事を襲っている光景にしか見えない。
　カリストが笑いを堪えているクリスに確認した。

「どうされます？」
「もういいだろう」

　クリスの返事にカリストが軽く指を鳴らす。それだけで剣士の化粧が消えた。

「落ちましたよ」
「よかった……」

　剣士が鏡で自分の顔を確認して安堵する。

「では、行くか」

　クリスたちが小屋から出ると、屋根付きの五、六人は乗れそうなクルマが停まっていた。
　老人がクルマのドアを開ける。

「ほら、乗って椅子に座れ」
「え？　馬は？」

　剣士と若い女性が馬を探して周囲を見回した。そんな二人に老人がニヤニヤとしながら後ろの座席を指さす。

「いいから、乗れって。お楽しみはこれからだ」
「……わかりました」

　戸惑いながらも頷いた若い女性が振り返る。そのままクリスとルドに頭を下げた。

「いろいろと、ありがとうございました」

　顔を上げた若い女性がルドに視線を向ける。

「不意を突かれたとはいえ、近衛騎士のバルタがあんなにあっさり捕まるとは思いませんでした。お強いのですね」
「赤狼セキロウ。その強さ、剣の腕前は、我が国にも届いております」

　剣士の言葉にルドが無表情のまま否定も肯定もしない。

「また会える日を楽しみにしております」
「帰領した時には会いに行く」
「はい」

　剣士がクルマの中を確認し、若い女性をエスコートして乗り込んだ。大人二人が恐る恐るなのに対し、子どもは楽しそうにクルマの窓や座席を触り遊んでいる。
　三人が席に座ると、老人が窓から顔を出してルドに声をかけた。

「坊主！　名前は？」
「ルドヴィクスと申します」

　反射的に踵を合わせ、直立になったルドを老人がマジマジと観察する。

「……お前、ガスパルの子ども……いや、孫か？」
「祖父をご存知なのですか？」

　老人がニヤリと笑う。

「あぁ、よく知っている。そうか、赤鷹の孫か。なかなか鍛えているみたいだな」
「あの……祖父とはどういう、ご関係ですか？」

　老人が悪戯をした子どものように笑う。

「それはガスパルに直接聞け。カイが顔を見せに来い、と言っていたと言えば分かるだろう」
「……カイ……カイ……まさか！？　豪傑の金獅の！？」

　ルドの言葉を老人が大声でかき消す。

「クリスティ！　たまには帰ってこいよ！」
「また連絡する」
「待ってるからな」

　老人が手を振りながらクルマを発進させる。その速度にクルマの中から小さな悲鳴が響いたが、クリスは聞かなかったことにした。

「師匠！　今のは、豪傑の金獅子殿ですか！？　あの数々の武勇伝を残された！？」
「あー、そう呼ばれているな」
「突然、表舞台から姿を消した伝説の人なのに、まともに挨拶ができなかった！」
「そこまで悔やむほどの相手でもないぞ。ただの嵐だ」

　疲れた声のクリスにカリストが愛想笑いで答える。

「それも、無事に去ったので良しとしましょう」
「そうだな。それにしても、リボンが付いていることに、最後まで気付かなかったな。あの姫もワザと教えなかったのか、遊び心がわかる人だ」

　クルマの後方の窓で大きなリボンが揺れた。男前の剣士が頭に大きなリボンを付けて登場したら、領地の人々はどのような反応をするか……
　興味はあるが、こちらも時間がない。

　クリスは踵を返した。

「時間をかけ過ぎた。急いで帰るぞ」
「私は後片付けをしますので」
「任せる」
「はい」

　カリストが頭を下げる。ルドが周囲を見渡した。

「カリストはどうやって帰るのですか？　そもそも、ここにはどうやって来たのです？」
「ここを通ってきた」

　クリスは自分の影を指差す。

「カリストは決められた影の中を移動できる。それより、さっさと帰るぞ」
「え？　ちょっ！？」

　クリスは赤髪を引っ張って無理やりルドを座席に座らせた。

「時間がないからな。行きより速度を出すぞ」
「へっ！？　いや、まっ、はやぃぃぃぃぃぃ――――――――」

　ルドの叫び声を残してクルマが走り去る。

「さて、片付けをして私も早く帰りましょう」

　小屋の中に入ったカリストが、そこから出てくることはなかった。