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(21)暗黒微笑する課長

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 あれほど望んでいた、喉から手が出るほど欲しかった、夢にまで見た、伝説の武器。
 それは人類最高峰の発明品であり、もはや神具と言っても過言ではない至高の存在──。

 その名も『殺虫剤』!!!

 あ、ごめんなさい。ちょっと大袈裟過ぎました。
 ごくごく一般的なやつですね。ドラッグストアで二本パックとかで売ってるやつ。

「3・2・1、噴射ぁぁぁ────っ!!!」

 課長の号令に合わせて、ノズルから薬剤を噴出させる。

 ──シュバババババッ!!!
 ──プッシュウゥゥゥ──ッ!!!!
 ──ブシャァァァァァ──ッ!!!!!

 三者三様の噴射音を響かせて、お馴染みの白い霧が勢いよく噴出する。
 黒く蠢く蚊柱へ向かって。

「「お、おおぉ────……っ!」」

(すごい!)

 ノズルから吹き出した白い霧は、ぶわぁっと大きく広がってたちまち黒い蚊柱を包み込んだ。

 ──ヴヴ……ヴヴヴヴ……ヴヴ……。

 蚊柱はうねりながら、もがき苦しむように膨張と収縮を繰り返した。

 まるで、スマホのバイブレーションのように、辺りの空気が呼応して震える。

 それは、まるで蚊柱の断末魔のようで。

 ──ヴヴ……ヴヴ…………ヴ…………。

 しばらくすると不気味に響いていた羽音が止み、辺りは静けさを取り戻した。

 そして、白い霧が晴れた後に残ったのは、俺たち三人と大量の蚊の死骸だった。

 異世界の蚊、一匹一匹が微妙にデカくて気持ち悪い。

 ──ゲフンゲフン!

 白い霧の向こうから姿を現したのは、何も蚊の死骸だけではなかった。

 ──わふぅっ!!!

「わぁっ! ウメコ、無事だったのか!!!」

 見覚えのある白銀の毛並みが、こちらへ駆けてくる。

 ──ペッ! ペッ!

 何やら黒い塊を口から吐き出しながら……。

 どうやら彼女は、蚊柱を食べていたらしい。
 固まって見えたから、獲物と勘違いしたわけか。
 まぁ、この調子なら心配する必要はないようだな。

 ──わふわふ!

「ウメコぉーっ! 無事でよかったなぁ!」

 ウメコが一目散に俺めがけて走ってきたので、めちゃくちゃ撫でてやった。
 何だかんだ言っても、やっぱり一番最初に出会った俺が一番なんじゃね? という優越感に浸りながら撫でた。

 しかし彼女は、俺が気分よく撫でている間に、口の周りについた蚊の塊を俺の服に擦り付けていたらしい。
 蚊の残骸をすっかり俺に擦り付けたウメコは、スッキリした顔で課長に口直しの梅干しをねだりに行った。ちゃっかり娘だ。

 これ、泣いていいやつだよね?
 え? ダメ?

 俺がこっそり涙を拭いていると、今まで俺たちを遠巻きにしていた、顔色の悪い町人の一人が近寄ってきた。

「あ……あんたたち! その、不思議な煙を売ってくれ!」



◇◇◇



 どうやら、くだんの蚊柱と町人の顔の暗さには関係があるようだ。

 あの蚊柱に襲われると、ごっそりと血を吸い取られるらしい。ひぃ。

 死ぬほどではないにしろ、血を吸われた人間はしばらく動けなくなるし、全身を激しいかゆみに襲われるそうだ。ひぃ。

 ちなみに蚊に血を吸われてかゆくなるのは、吸血時に蚊が分泌する唾液へのアレルギー反応のせいなんだって。課長が言ってた。

 異世界にもアレルギーとかあるのか……? いやまぁ、同じ人間なんだから、基本的に構造は同じなのかな。

「頼む! いくらでも出すから、さっきの白い煙を出すやつを売ってくれ!」

 白い煙を出すやつ=殺虫剤っすね。
 俺たちに近寄ってきた血色の悪い町人は、課長と同じくらいの歳のおっちゃんだった。
 そのおっちゃんは、課長に頭を下げている真っ最中。

「ふむ……私と取引をしたいと言うことですかな?」

 課長のメガネの奥が、キラーンと光った気がした。

「そ、そうだ! 私たちにはさっきの煙がどうしても必要で……!」

「あれは、殺虫剤と言いまして、蚊などの虫を殺す薬です」

「虫を……」

「はい。しかし、使用回数には制限があり、無限に使える訳ではありません。先程の規模の蚊柱ですとかなり消費しますので、後三、四回ほど撃退するのが限界かと」

「そんな……では、君たちが持っていた三つ全部を売ってくれ! 頼む! そうでなければこの町はもうおしまいだ……」

 その、あまりの必死さに俺たちは顔を見合せた。

「あの異常な蚊柱は、この町の日常風景というわけではないのですね?」

「もちろん、そんなわけがないだろう! あの異常なほど大量の蚊は、今年に入ってから突然発生するようになったのだ。おかげで住民はほとんど外へ出られないし、よその町から人が来なくなってしまったので交易による税収も観光収入も激減してしまった。何より、商人たちが寄り付かないため生活物資が届かない。もう、町での生活そのものが破綻する寸前だ……ああ、取り乱してしまって申し訳ない。私はこの町カローの副町長マイルズだ。君たちは冒険者かね?」

「冒険者……と言えばそうなのかもしれませんな。人は誰しも自分の人生の冒険者ですから。まぁ、実際はただの雇われの身ですよ。はは」

「えっ?! 雇われということは、どこかの店で働いているのかい?」

「いえいえ。私たちは異国の地から来たのですがね。常に新しい商品を、お客様に紹介する仕事を主としております」

「異国人か! なるほど。それでここらでは見たことのない服を着ているのか」

 副町長は、俺たちをサッと見渡した。

 避難訓練中だった俺たちは、三人ともスーツを着ていた。動きづらいからネクタイを取ってジャケットも脱いでいるが、確かにチラッと目にした町人たちとは少し印象が違うかもしれない。
 今回は幸いにもそのことが、返って課長の言葉を裏打ちした印象になったようだ。

「さっきも言ったが、あの蚊を何とかしなければこの町はダメになってしまうだろう。他の町ともほとんど断絶状態だ。先日王都へ遣いを出したがなしのつぶてで、恐らく騎士団派遣の見込みもない……頼む! あの白い煙を出す道具を売ってくれ!」

「ふぅむ……わかりました」

 課長の言葉に副町長の顔がパッと輝く。

「で、では……っ!」

「ですが、その前に色々お願いしたいことがあります」

 課長はニッと笑った──かっこいい男主人公がやると、ワクワクするような黒い笑み……いわゆる暗黒微笑ってやつだよね。

 でも、課長がやると何かこう……越後屋っぽい。
 要するにこの談合は『越後屋、お主も悪よのぅ』のシーンにしか見えない。

「近江くん」

「はい、越後屋さん!  ……じゃなくて課長!」

 課長と九重の胡乱な視線が気になるところだけど、言い間違いは誰にでもあることでしょ?

 幼稚園の時に先生を「お母さん」って呼んだことなかった?

 それと同じだから!








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