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(1)避難訓練中の課長

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「課長、行きますよ!」
「ちょっと待ってくれ、近江オウミくん。ここに確か非常用の持ち出し袋が……」

 ──ジリリリリリリ──ッ!

 火災報知器のベルがけたたましく響き渡っている。
 まぁ、ダミーなのだけれども。
 ウチの会社の火災報知器は通報装置と連動している。
 もし本物を鳴らしてしまったら、消防署に連絡がいってしまうのだ。
 よって、避難訓練の時は社内放送でなんちゃって火災報知器の音を流している。

 という訳で、今日は全社挙げての避難訓練である。

 去年は昼休み中で、その前の年は始業前だった気がする。今回は終業間際。幸いというか事前に知らされていたため、既に各自帰宅用意を整えている。
 訓練が終わった足で直帰できるようにだ。
 無駄がないというか、死んでも就業時間を割きたくないという会社の魂胆が見え見えだけれども。

 そんでもって俺が今待っているのは、営業部第二課の五島ゴトウ課長だ。
 本来なら課長というのは、みんなの避難訓練を誘導しなければならない立場だと思うんだけど──この課長は一筋縄ではいかないのだ。
 今だって、事前予告のあった訓練だというのに、デスクの下から非常用持ち出し袋を取り出そうとして悪戦苦闘している。

(訓練だよ? 今からビル出て直帰だよ?)

 とっとと見捨てて行ってしまえばいいのかもしれないけど、何だかんだ言って日頃お世話になってる課長を見捨てて行く訳にはいかなかった。
 営業部の中でも落ちこぼれ的存在の俺を気にしてくれるのは、この五島課長くらいのものなのだ。

 ──と、突然腕にズシッとした重みが伝わってきた。
 俺の鞄の上に鞄が一つ増えている。

「でくちゃん、俺の荷物も外までよろしこ~!」
「えーっ、でくちゃんって何ですか?」
「『木偶でくのぼう』って言葉知ってる、佐々木ちゃん?」

 嫌味な笑顔を振りまきながら、俺に鞄を投げて寄こしたのは、同期で幼なじみで再従兄弟の柴崎翔シバサキカケルだった。

 でくちゃんって俺のことか?! また勝手にあだ名つけやがって。

 しかも、よりによって矢城ヤシロさんの前でそんな呼び方するなんて柴崎の野郎、マジ許すまじだ!

 ちなみに隣でゆるふわな茶髪を揺らしながらニコニコしてるのは、俺と同課の矢城ユウカさん。
 大き目の瞳に小粒でも柔らかそうな……唇。頬はピンクに染まっていて──亡くなったじいちゃんの言葉を借りるなら大変な『べっぴんさん』である。

(矢城さんは今日も可愛い!)

 俺の心の声が聞こえたか聞こえないか、柴崎は突然、空いた手で彼女の手を握った。
 彼女が鈴の鳴るような声でコロコロと笑う。

「ふふっ。柴崎さんてばやだぁ~! それで、『デクノボウ』って、どぉいう意味なんですか、それ~?」

 笑いながらも、矢城さんは柴崎の手を離そうとしなかった。
 そしてこてん、と、可愛らしく首を傾げて奴に聞いている。

「『役立たず』って意味だよ。今考えたんだ、こいつにピッタリだと思わない?」

 ドヤ顔すんなし。
 木偶っていうのは文字通り木の人形のことだ。
 操り人形にでもしなければ、何の役に立たない木の人形。
 一説には、木の人形はただの木の棒と同じくらい役に立たないことから『でくのぼう』という言葉がきたとも言われているらしい。

 いくら俺が営業成績万年最下位でも、そりゃないだろ。
 そう思って内心でギリギリしていたら……。

「えぇー、柴崎さんたらそれは酷くないですか?」

(……矢城さん!)

 やっぱり矢城さんは優しい!

「何言ってんの? こいつがいるせいで、いつまで経っても二課は一課に勝てないんだから、お荷物同然だろ? それより俺のことはカケルって呼んでよ、ユウカちゃん」

 コイツ、こんな状況で佐々木さんを口説き始めたぞ?!

「課長、まだですか??」

 俺はイライラしながら課長に言った。
 もちろん八つ当たりだ。

 これ以上こんな場面見てられっか!

(俺だって矢城さん好きなのに!)

 しかも、多分柴崎の野郎はそれを知っているんだろう。時々チラチラとこちらを見てくる。
 勝ち誇ったような目つきで。

「もうっ! 訓練ですよ、課長? そのまま直帰しろって言われてんだから持ち出し袋なんか要らないでしょ?!」

「何を言ってるんだ近江くん。訓練だからといって手を抜いちゃいかん。本番と同じような心構えでいなくては訓練の意味がないじゃないか──あったあった!」

 もっともらしいことをのたまいながら、課長はどデカいリュックを引っ張り出していた。

(何日分だよそれ?!)

「君の分もあるぞ」
「え──ぐふぁぁっ!!」

 ポンッと軽く投げるようにして渡されたそれ。その重さは柴崎の鞄の比ではなかった。課長のよりは一回り小さいサイズのものだったが、少なくとも十キロ以上はありそうだ。

(重いっ! 重すぎるだろ?!)

「ちょ、これ、重すぎますって! 返って避難の邪魔に……」
「さ、もたもたしないで行くぞ、近江くん!」
「えっ、ちょっ、待ってくださいよ課長!」

 いやいやいや、待ってたのこっちだってば。
 何で課長が俺のこと待ってた風なのよ?

 俺は渋々、渡された米袋並の重量のリュックを背負い、さっさと行ってしまった課長の後を追うことにした。
 課長の背負ったリュックは俺の渡されたそれの1.5倍はありそうな代物だったが、課長は全くブレない足取りでスタスタと歩いていく。
 体幹半端ねぇな?!

「お、でくちゃんが動いたから俺たちも行こうぜ。この後寿司でも食いに行かねぇ、ユウカちゃん? 奢ってあげるよ?」
「わぁっ! 行きます行きます!」

 だから。
 ドヤ顔すんなって言ってんだろ?!

 米袋のようなリュックを背負って、三人分の鞄を手にした俺は、無言で歩き出した。
 課長が向かってるのは非常用の外階段だ。

「急ぎたまえ。火災は待ってはくれないぞ!」
「……そっすね……」

 散々待たせたのはあんただけど?!
 そのせいで見たくもないもん見せられてたんだけど?!
 という、不毛な言葉は何とか飲み込んだ。
 俺、グッジョブ!

「キリキリ歩きたまえ。そんなことではすぐに煙に巻かれてしまうぞ!」
「……」

(くそ、これが上司じゃなけりゃ一発殴ってるのに!)

 内心で突っ込む俺の後ろからは、ずっとイチャイチャした会話が聞こえていた。

「だから、もし今火事になってもユウカちゃんが煙を吸わなくて済む方法があるよ? 俺とキスすればいいと思わない?」

「やだぁ。柴崎さんてば!」

(いいと思うわけないだろうが?!)

 いや、もう後ろの会話に聞き耳立てるのはやめよう。
 精神衛生上よろしくない。

「行くぞ!」

 ──ガチャ。

 俺が心の中で柴崎を一発殴って課長に舌を出したところで、課長が非常階段のドアを開けた。
 課長は超重量リュックを背負ったまま、華麗にトントンと階段を下りていく。
 俺もそれに続こうとして階段に足を踏み出した瞬間、たたらを踏んだ。

(あ。やばい!!)

 慌ててどこかを掴もうにも、俺の手は塞がっていて……そうこうしている間に、激しい目眩が俺を襲った。

「な、何だ?!」

「きゃあ──っ!!」

 目の前が真っ暗になって、逆らえない力でグルンと身体が反転させられて、真っ逆さまに落ちていくような感覚。

 非常ベルがどこか遠くで鳴り響いている。

 そして、まるでブラックホールに吸い込まれるような──浮遊感とも落下感とも言えないそれが、全身を包み込む。

 もしかして、俺、死ぬ?

 今死ぬ?

 避難訓練なのに死ぬ?

 あ。

 本棚のエロDVDと美少女フィギュア処分してなかった!
 母ちゃんと妹に見つかったら死ねる──って、これから死ぬんだからそれ以上死ねないか。

 ああ、二十八年の人生の最後に考えることがそれってどうなの──?

 そんなことを考えながら、俺の意識はブラックアウトしたのだった。





 これ、絶対過重量のリュックのせいだろ──っ?!




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