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前編 さようなら子豚ちゃん
しおりを挟む「もう、本当にわたしを愛していないの? わたしの子豚ちゃん?」
わたしの声は震えていた。
だって、こんな、突然に……。
「ああ。愛してなどいない! 最初から愛などなかったのだ」
「そんな……嘘だと言って。わたしの、大切な子豚ちゃん……」
「彼をそんな風に呼ばないで!」
彼の隣に立っている女が叫ぶ。
その叫び声で、夜会に勤しんでいたはずの周囲が、一気に色めき立った。
やれやれ。あんまり大事にしたくなかったんだけれど、そうもいかないみたい。
周りの人の目や耳が、一斉に注がれる気配がした。
「彼のことを豚、豚と馬鹿にするのもいい加減にしてください! あなたには人の心はないの? 悪口を言われた人がどれだけ傷つくか、悲しむのか考えたことはないの?」
「……傷ついていたのね。知らなかったわ、ごめんなさい」
「今さら謝ったって遅いぞ! この人でなしめ! お前が僕を『子豚ちゃん』とからかう度に、どれだけ傷ついてきたと思っているんだ?! 昔、少し太っていたからと言って、それをネタにずっとからかい続けるとか、鬼の所業だろ?!」
「そうよそうよ! 今はこんなにすらっとしていて美しい彼の、一体どこが豚だというの?! 昔は昔。大切なのは今の彼でしょう? あなたは今の彼をちゃんと見ていないのね。だから彼を傷つけることしか言わないのだわ。本当に、とんだ悪女ね。あなたの存在は、彼にとって害悪にしかならないわ。彼の目の前からさっさと消えてちょうだい」
散々な言われように、強メンタルを自負するわたしも、さすがに傷つくわ。
わたしはただ、彼のことを愛しているだけなのに。
それに、わたしが今の彼をちゃんと見ていないですって?
わたしはおもむろに、胸元から眼鏡を取り出してかけた。
これをかけると、彼のことがよく見えるの。
眼鏡越しに見る彼は、キラキラと輝いていた。
やっぱりいつ見ても素敵。
「わたしは、本当のことしか言ってないわ。だってやっぱり、あなたはわたしの愛しい『子豚ちゃん』だもの」
「この期に及んでまだ言うのか? しかも、何かとかける、その奇妙奇天烈なショッキングピンクの眼鏡にも、もう我慢がならない。いいか、よく聞け。お前との婚約は破棄する!」
「えっ……」
「ははっ! さすがに驚いたようだな。お前のその絶望の表情が見られて嬉しいよ。その眼鏡が邪魔してるせいで、いまいちはっきりとは見えないがな」
彼は、呆然としているわたしの顔をせせら笑った。
「わたしとの、婚約を、破棄、する?」
「そうだ。そして、彼女と婚約を結び直す!」
「侯爵様! 嬉しいです!」
ぐっと彼に抱き寄せられた彼女は、嬉しそうに頬を染めながら、微笑んだ。
ああ、あなたは本気なのね。
本気でその女を、わたしの代わりにしようとしているのね。
浮気ならばよかったのに。
今までは浮気だと思ったから、わたしのことをおざなりにしていても許そうと思っていた。それほどまでにわたしの愛は深かったのだもの。
ただ、許すのはあくまで浮気まで。本気になったらダメなのに。
だけど――。
「あなたは本気なのね」
「本気だ」
「本当にもう、わたしを愛していないのね」
「だから、愛していないと言っただろうが。今までも、お前を愛したことなどなかった。むしろずっと嫌いだった! 今は、その声を聞いただけで虫唾が走るし、とりあえず、その眼鏡を外せ!」
そこまで嫌われてしまったのね。
とっても悲しいけれど、もう修復は無理なのだということは、わたしにもよくわかった。
「あなたは――本当に彼を愛しているの?」
わたしは、今度は彼女に問いかけた。
彼女は、わたしをきっ!と睨みつけながら答えた。
「はい、私は彼を愛しています。あなたが傷つけ続けた彼の心を、私は一生かかっても癒やし続けるわ。それから、とりあえずあなたはその、ふざけた眼鏡を外しなさいよ。こっちは真面目な話をしてるのよ?!」
「はぁ……わかったわ。じゃあ、これからはあなたが彼に愛情を注いであげてね」
「もちろんよ! あなたなんかに心配されなくても、わたしがたくさんの愛情を注いで、彼を幸せにしてみせるわ!」
「嫌われていようと、何と言われようと、彼はわたしの大切な人だったの。彼をわたしから奪うからには、彼の一生に責任を持つと誓って?」
「当たり前でしょう?」
自信満々な彼女からの返事を聞いてから、わたしは再度彼と目を合わせた。
「あなたもそれでいいのね? 彼女に愛されてそれで満足だと、わたしの愛はもう必要ないと、そう言うのね?」
「当然だ。何が愛なものか。毎日お前に豚、豚と罵られて、おかしくなりそうだった僕を、彼女が救ってくれたんだ。これからの僕の人生に、お前など必要ない!」
その言葉を聞いたわたしはうなだれた。
「そう。もうあの頃には戻れないのね……では、婚約破棄の契約書と、彼と彼女の新しい婚約の契約書を」
わたしは、側に控えていた従者を手招きした。
「はい」
すすっと前に歩み出た従者は、さっと二枚の羊皮紙を取り出した。
一枚目は、わたしとの婚約を破棄するための書類。
そしてもう一枚は、彼と彼女が新しい婚約を結ぶための契約書。
わたしと彼は、婚約破棄の書類にサインをして。
彼と彼女は、新しい婚約の契約書にサインをした。
「手続きは済んだぞ。さっさと出て行け、この魔女め! 二度と僕たちの前に現れるな!」
それが、今のあなたの望みなのね。
「わかったわ。彼女とお幸せにね」
わたしと彼の仲はこれでおしまい。
そう思うと、今まで堪えていた涙が、ぽろり、と一粒こぼれ落ちた。
せっかく眼鏡で隠していたのに台無しね。
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