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(25)肉食獣の目
しおりを挟む「──……ねぇ、ルドラン」
「なんだい、僕の格好いいお姫様?」
「……っ! だから、そういうこと言うのルドランだけだから! ──じゃなくて! 仮にも貴族のお嬢様にあんなこと言っちゃって私、不敬罪で捕まらないかしら……それに、もし職場に何かされたら私──」
今更、声が震える。
後悔はしていない。
不敬罪で罰せられたとしても、自分がしたことが自分の身に返ってきただけだ。
でも、もしもジュリアが言ったように、役場さえどうにかできるような力があの男爵にあったとしたら。
娘のお願いに甘い顔をする父親だったとしたら?
あの言葉通り、役場がつぶされてみんなが職を失い、笑顔を失ったとしたら──それでもタリアは後悔しないと言いきれるだろうか。
「大丈夫。役場は国の持ち物だから男爵ごときがどうこうできるものじゃないよ。それに、あの女が言っていたような噂や不敬罪に関しても心配はないよ、これっぽちもね」
ルドランはぎゅっと、震えるタリアの肩を抱き寄せた。
「これっぽちも?」
「うん。これっぽちも」
ルドランの言葉は断定的で少し不思議になる。
だが、肩の手は温かくて、優しい。
タリアを勇気づけるためだけに言っているのではない。噂や不敬罪に関して心配ないというのは、彼の本心からの言葉なのだろう。
そして、タリアを見つめるルドランの目に浮かんでいるのは、紛れもない愛情だった。
たとえどんなことになろうと、きっとこの人は側にいてくれる──そう信じられる目。
タリアはやっと少し肩の力を抜いた。
「……熨斗つけてあげるはちょっと言い過ぎだったかしら」
「ちっとも。それに、あの男はまだ懲りてないと思うよ。さっきも絶対何か言ってくると思ってたんだけど、意外と大人しくしてたな、あいつ──」
そういえばリュシーは、ほぼ一言も喋っていなかった。
始終不機嫌そうにタリアたちを睨みつけていただけだ。
貴族の前だから我慢していた?
対面を気にするリュシー。
その彼ならば有り得ることだが……それにしても、浮気疑惑をかけられて否定もしないのは妙な感じがする。
彼は、クズ男だけど馬鹿ではない。あの時否定しなければ、自分の立場が危うくなることくらいはわかっているはずだ。
以前の彼ならばそれに加えてタリアに嫌味のひとつでも言っていたはず。
(まぁ、でも……)
ルドランの見た目が変わったことも、彼が反論できなかった要因の一つとしてはあるかもしれない、とタリアは思った。
前髪をあげたルドランは、タリア的にはリュシー以上のイケメンに見える。
リュシーは浮気を正当化するようなクズ男だが、審美眼においては優れているはずだ。だから、リュシーがそれをわからないはずがないとタリアは思う。
彼は商家の出だ。
三男だから商会を継ぐことはないはずだが、商人気質は確実に受け継がれていて、明らかに分が悪い賭けには乗らない。
ジュリアが普段のタリアの見目を貶したように、リュシーも彼の見目を貶すつもりだったということは十分あり得る。
だが、現れたルドランは自分以上の好青年だった。当てが外れて憮然としているようにも見えた。
だが、本当にそうなのだろうか?
何だかリュシーの沈黙が不気味だった。
「……ルドラン」
「ん?」
「お手洗いって、どこかわかる?」
色々な不安を紛らわそうとしてワインを口にしたが、ちょっとばかり飲みすぎたらしい。
それに、ジュリアたちからは離れたが、さっき騒ぎを起こしたタリアたちは依然として注目を浴びていた。
つかの間でもいいから、どこか人目のない所へ行きたかった。
「お手洗い? 会場にいるメイドに聞けばわかると思うけど……一緒に行こうか?」
そうだった。さすがにルドランも初めて来る会場のお手洗いまで把握してるわけがない。
「ううん、大丈夫。ちょっと行ってくるね」
「……やっぱり心配だから、会場の出口までついて行ってそこで待ってるよ」
「うん、ありがとう」
◇◇◇
「はぁぁぁぁ……」
タリアはため息をついた。
「もう、いっそのことパーティーが終わるまでここにいたい……いちゃダメかなぁ……」
屋敷の中をバタバタとしていたメイドさんを捕まえて、お手洗いの場所を聞いた。
ついでに化粧直しをしたいのだと言えば、何と化粧室とお手洗いがついた個室を案内された。
さすが貴族だ、ただの化粧室がタリアの自室より広い。
タリアは今、休憩用に用意された長椅子に腰をかけていた。
「頭もドレスも重いし──……一番気が重い!」
さっきの一件も多分に影響しているが、周りの視線が痛くて重い。精神的に限界だ。
ジュリアが「平民女」と連呼していたから、タリアが平民であるということは、周囲に認知されたと言ってもいいだろう。
その話が主催者である男爵の耳に届くのも時間の問題だ。
そうなればきっと、タリアたちはすぐに会場から追い出されるに違いない。
しかも、会場の視線を集めているのは、何もその件だけではなかった。
「あれは……あの眼は……まさに肉食獣!」
会場入りした時から、ルドランは目をつけられていた。
ジュリアとのやり取りでタリアが平民だとわかり、貴族のお嬢様方のやる気にますます火がついたらしい。
平民でも(実際は貴族だが)これほどのイケメンならば──ジュリアの言葉ではないが──側に侍らしたり遊び相手にするのに、ちょうどいいと思われているのだろう。
貴族のお嬢様に憧れたこともあったが、憧れと現実の乖離に戸惑っている。
お嬢様というものは、綺麗なドレスを着て美味しいものを食べて、穏やかに笑って暮らしているのだとばかり思っていた。
しかし、パーティーに参加してジュリアや他の貴族の女性を見るに、その考えを改めざるを得なかった。
彼女たちがルドランを見る目付きは、かつて役場の受付に顔のいい男が現れた時の同僚たちのそれにそっくりだ。
あの時はある一人に頼み込まれて受付を代わったが、熾烈な争いに巻き込まれなくてよかったと、心底思ったものだ。
その一点においては平民も貴族もないのだな、と変に感心してしまう。
イケメンな素顔を晒して、色気をだだ漏れさせているルドランは目立つ。
タリアをエスコートしているとはいえ、現状夫婦でもなければ婚約者でもないのだ。
もし、ルドランが綺麗な令嬢にダンスに誘われたとしても、断る理由はない。
その時、タリアはどうするだろうか。笑顔で彼とその令嬢を送り出すのだろうか。
──ツキン。
他の女性と踊る彼を想像したら、胸の奥が痛んだ。
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